あなたに起こるアクシデントのとらえ方
「人生は思い通りに行かないことが起こるようにできている」
と思えば結構気が楽になります。
完璧(完全)主義な人、計画通りに行くことをいつも望んでいる人にとって、自分の思いや願いとは異なる事態が起きれば、それは事故的なアクシデントになります。
しかし、楽観主義的な人にとっては、そもそも「予定通りに行くことがよい」という観念が少ないため、突発的なことが起こったとしても、それは面白い意味でのアクシデントになります。むしろサプライズな楽しみであり喜びと感じることでしょう。
では楽観的に生きるほうがよいのかといえば、個人的な考えですが、そうだと言えます。特に現代人はそのほうがいいのではないかと思っています。
それは今の私たちは、あまりにも最初からネガティブに考えようとする人が多い傾向にあるからです。問題や欠点を見つける前提で、知らず知らず行動しているようなところがあります。
これは情報が格段に昔より多くなり、また人間として昔より表面上快適な生活をするようになったこともあって、全体的な要求レベルが高くなっていることもあるでしょう。
そのため、それ(要求・理想)に合致しないことも自ずと増えてくることになり、要求と現実との差が目に付きますので、どうしてもネガティブに陥りがちになるのです。
とはいえ、やはりポジティブすぎるのも問題であるし、もちろんネガティブすぎるのもよくありません。
ですからネガティブ傾向の強い現代人にとっては、楽観を多めにした「やや傾いた天秤」が実はバランスがよいような気がします。
「何とでもなるさ」「起こった時に対処すればよい」というような考えが行きすぎますと、人生は現象で振り回されることになりますし、自分の意志で有意義な時を創造していくという気持ちがなくなります。
反対にあまりに理詰めで先々のことまで計画するような生活をしていると、その予定が狂った時、混乱が生じますし、思った通りに行かないことになるのではないかと・・・と不安やあせりがいつもつきまとうことになります。
一番最初に書いたように、実はこの世の中は思い通りに行かない仕組みになっていると考えたほうがよいので、固定した完全なる予定・計画というものはありえず、いつも修正が必要なものなのです。(裏を返せば、その修正力や臨機応変さ、多様さを学ぶようにできているとも言えます)
このことから考えられるのは、ある程度自分の意志による人生の創造(想像やイメージも伴う)を意図しながらも、細かい部分(の実現度合い)は天にお任せする気持ちでいるのが適切ではないかということです。
一言でいえば、何が起こっても味わい楽しむ心構え(これは嘲笑したり、バカ騒ぎするような楽しみではなく、高次の喜びと感謝的なものです)でいることです。
マルセイユタロットでいえば、「愚者」の旅を人生そのものととらえ、一枚一枚の大アルカナが計画や予定・テーマ・学び・実践・結果と見ていくという方法です。
そもそも「愚者」なのですから、「愚者」のように基本は楽天的でいるということは大切です。それでいて実際の人生(の旅路)では、局面・現実において悩んだり、苦しんだりすることもあります。
けれども、やはり旅をしている本人(私たち自身)は「愚者」なので、どこかに気楽な旅姿勢を持っているとよいのです。これが客観的見方にもつながってきますし、天や宇宙といった大いなるものを意識することにもなります。
このような姿勢は感情と思考がともにうまく働いて実現されるものです。
感情によって喜怒哀楽を味わい、人生の旅をまさに本当に感じることができます。
さらに思考によって、客観性や高みの視点を持つことができ(それゆえ、マルセイユタロットでは鳥の「鷲」が知性を象徴します)、感情に溺れることから逃れられます。
タロットを活用しつつ、自分の人生にうまくバランスを取って行きますと、生きることは楽になってくるのです。
コメントを残す