「学び」の観点を広げるために。

学びの方法と言うと、一般的には本から、人から、環境から・・・となり、具体的にはセミナー・講座などに出たり、目的をもって読書したり、誰か尊敬する人に弟子入りしたり、仕事したりというようなことが思い浮かびます。


ただこれも思い込みに過ぎません。学びのイメージが固定されているのですね。


考えてみれば、私たちの周囲にあるものは皆、学びにつながります。自然や動物、時には落ちているゴミですら、自分の気づきや学びになるかもしれないのです。


こうした学びの対象の幅を広げるには、あるコツがあります。そのポイントをふたつほど挙げたいと思います。


1.見た目や他人の評価にとらわれず、本質を見ること。

2.「象徴」や「シンボル」での見方を獲得すること。


1はたとえば、子どもなど普段自分より下だと思っている人、自分よりわかっていないのではないかと想像している人(それだけでも傲慢になっているのですが・・・)から何か言われた時、最初から「おまえがいうな」という感じで聞く耳をもとうとしないかもしれませんが、実はとてもよい内容を言っている場合があるというようなことです。


言っている人間の年齢や立場をひっくるめて評価してしまうので、話している内容としての本質そのものと切り離せていないわけです。極端なことをいえば、犯罪人でさえ、時には本質的に示唆に富むことを話すことはあるものです。


これは人だけではなく、ものや環境でも言えることです。「とんだ職場に来てしまったものだ」とか、「これはまったく使い物にならないよ」と思いこんでしまえば、そこから学ぶものは何もなくなります


あなたに与えられた状況、何か自分に気になることが起こっているということは、ことの善悪、好むと好まざるに関係なく、何か意味があると考えるのです。


さて2ですが、これは非常に重要です。なぜなら、現代人の多くはこの象徴・シンボル的見方を捨ててしまっているからです。


偶然見た外でのシーン、たまたま聞こえてきた人との会話、雲の流れ、鳥の羽ばたき、天体の動き・・・そして重なる偶然のような必然の数々・・・これらはシンクロニシティという言葉とともに自分にとって意味あるつながりとして、象徴的に解釈が可能なのです。


自分の思っていることとは一見まったく無関係のモノや状態であっても、象徴としての理解が伴うと、それらは一気に関係とつながりを持ち始めます


この考えを推し進めると、自分を取り巻く世界にはすべてに意味があり、無駄が無く、バランスも計られているということに気がつきます。


そうするとそれを構築した完全なるもの、いわゆる「神」的な存在を自然に想定し、その偉大さに敬意と感謝を思わずにはいられなくなります。


逆にいえば自分がいるからこそ完全であるのだという気づきにも至り、自分はもとより、一人一人の命の大切さを思うこともできるのです。


そして象徴的絵柄でできているタロットは、こうした象徴的解釈を思い出し、発動させるのには最適なツールなのです。

コメント

  1. どんな方でもたくさんの事を気づかされます!
    要らんプライドを持ってると大切な学びを失う事が多いような気がします!
    私もテニスを指導する立場にありますが、選手や親御さんに逆に教えて頂ける事が多いです!
    超個人的な意見ですが、多くの指導者は『指導者たる者は!』という呪縛にとらわれてる気がします!
    物事をフラットに聞けると4歳の子からもたくさんの事を教えてもらえます!
    本当に、たくさんの事を学ばして頂いてる事に感謝です!もっともっと早くに気づければと思いますが、これも運命かなと思う日々です!

  2. >ヨレヨレコーチさん
    コメントありがとうございます。
    私もよれよれコーチさんの熱意あふれるブログ拝見させていただいております。本当に指導者や教える立場のものこそ、自分の枠をはずし、素直な心を持つべきだと感じますね。

タロット講師 宮岡和宏 へ返信する コメントをキャンセル

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