タロットリーディングの正しさの基準

タロットリーディングは知識と感性、直観やインスピレーションなどが混ざり合って行われます。


そこには思い込みもあれば、神聖さ、純粋な気持ちも反映されます。


ですから「何が正しいか(どんなリーディングが正しいのか)」という観点に立てば、正しいものを正しいと判断する基準(モノサシ)が不明なため、結局わけがわからなくなります。


逆に言えば、混迷に陥らないためには、リーディングの正しさを判断する基準を自分なりに何か持たなければならなくなるということです。


それが占いになれば、当たるか当たらないか、幸運を獲得することかできるかという基準になりがちです。


すなわちリーディングが当たったり、幸運をつかむことができたりすればタロットリーディングは正解だった(正しかった)となるのです。


占いの場合は占い師の信用、営利的な問題もあって、このような判断基準のリーディングになることもやを得ないことは実状としてあると思います。


しかしながら、それだけでは白黒の世界で、いいか悪いかの二元的な判断ばかりとなり、統合の道やいいも悪いも超えたモノの見方、新しい調和の方向、高い次元への進展が難しくなります。


この世の中は白や黒ばかりではなく、その間のグレーやグラデーション多層に重なってできており、それらを行きつ戻りつしながら循環し、繰り返しているのです。


私たちが幸運だと思っていることの裏には不運が隠されていたり、波のピークとして幸運を見ればそれは不運という下降の始まりでもあります。


幸せ観というのも人によって、また環境や時代によって、まさに「それぞれ」だと言えます。誰かと比べる自分の幸せというものが実は多く、それは最終的には幻想となります。


だからこそ、相対的な幸せより絶対的な自分としての幸せ(自分基準の幸せ感)を感じれられるようになるほうがよいでしょう。それならば、周囲がどう変化しようと自分の幸せ感は変わらないからです。


結局のところ、自分であれ、相手であれ、この絶対的な幸せ感を基準としてリーディングの正しさを追い求めるとよいのではないかと考えられます。


それは換言すれば霊的な向上の道ということが言えるでしょう。ただ、ちょっと一般的にイメージされている「悟り」というものとは異なるものではないかと私自身は思っています。


この道は自分の何かを増やすというものではなく、もともとあったものを思い出すという方向性です。


相対的な幸せを求めると、どうしても「増やす」「追加する」「拡大する」というように想像してしまうのですが、本当は逆だと思います。


もともと「ある」ので「増やす」必要はなく、「ある」ことに気付くことが大切なのです。


それは外ではなく内に目を向けなくてはなりません。しかしただひたすら瞑想して内観するということではなく、外と関わりながら内(自分)を見て「ある」ことを思い出す作業です。


「ある」ことを実感するためには、反対に「ない」と思い込んでいる、あるいは思い込まされている「枠」や「縛り」のようなものに気付いていく必要があります。


これは知識からでもよいですし、感覚からでもよいのですが、できれば両方からのアプローチが理想です。この作業を繰り返しながら、自分を「在る」「満ちている」状態にさせていく(取り戻していく)のです。


これが象徴的に絵柄や道程として描かれているのがマルセイユタロットだと私は感じます。

コメント

  1. タロット太郎 より:

    FACEBOOK申請ありがとうございました。
    思い出す旅、禅の十牛図に似てますね。
    表現の違いがあるだけで地下水脈では洋の東西はつながっているみたいですね。

  2. >タロット太郎さん
    おっしゃる通り、私も十牛図とタロットのある並びの絵図は同じだと思います。東西やすべては私もつながっていると感じますね。

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