占いの「当たる」ということを考察してみる。その1
私はタロットを(占い的に)当てるということに目的を置いていませんので、当てる技術に特化して教えることはできません。
しかし、その「当たる」という意味や構造を考察することはあります。
その中にはどうしても理屈や頭では理解しがたい現象もあり、まさに神秘という側面もあるにはあります。
それはまた、「占い」に人気がある理由のひとつでもあるでしょう。
ただそれとは別に、ある程度「当たる」ことの(理由の)推測が可能な場合もあります。それをいつくか書いてみたいと思います。
●実は何を言っても当たるということ
人には、何を言われても「自分に関係しているように思える仕組み」があります。特に自分が悩んでいること、気になっていることに対しては敏感になっており、必然的に関心のあることとほかのことが結びつきやすく(リンクさせる傾向に)なっているのです。
たとえば血液型占いでの本を手に取り、相手にどの血液型の項目を読んでいるかわからないように読めば、実はA型の項目の話であっても聞いているO型の人は、「うんうん、そういうところあるよ」「わあ、当たっている・・・」と錯覚してしまいます。
これは血液型占いの言葉を聞くような人は、誰でも「その占いと自分」ということに関心があるので、読まれている内容が自分の血液型と違っても、自分のものと最初から信じてしまい、勝手に読まれた内容と自分とをリンクさせてしまうのです。
この、「推理によって誰でもありそうな部分を、わざと個別のことと(自分に当てはまっているか)のようにリンクさせて話す」テクニックを「コールドリーディング」と言って、一時期は話題になりました。
ほかにもショットガンのように次々と大量に話すことで、どれかは真実に近く、当てっていることもあるので、言っていること全体を信じ込ませる「ショットガンニング」という技術もあります。(「数撃ちゃ当たる」方式)
こう書くと、何か詐欺ぽい雰囲気も出てきますが、きちんとした占いはコールドリーディングなどの技術を超える確率や鋭さで当たりますので、コールドリーディング的な技術をたとえ無意識に使っていたとしても、優れた占い師はやはり占いの技術も相当なもので、話術だけに頼っているものではないと感じます。
そしてとても大切なことは、私たちはすべての要素を誰もが持っているということです。
このため、何を言ってもどれかは当たるように感じるのです。もって生まれた傾向、過去や現在の事実は個別であっても、内在的には誰もが等しい可能性を有していると言えます。
それがもともとの気質や経験によってその人の「傾向」となり、占いではそれがあぶり出されますが、非常に当たっている部分と同じく、まったく当たっていない部分にさえ、実はあなたが潜在的に持っている能力であったり、あるいは気がついていないけれども無意識のうちに体験しているものだったりするのです。
ですから「なんだ、この占い師、まったく的はずれなこと言っているよ」と思っても、あなたのデータや傾向、そして占いツールからの象徴によって出されたあなたにとっての何らかの「シンボル的事実」のこともあるのです。
当たっている事はもちろん驚きで重要な部分になりますが、はずれている部分にもあなたの可能性や光が残されているのです。
少し話がずれましたが、要は私たちが同じ「人」としてすべての可能性を持っているのならば、何を言っても当たるのであり、その当たったかどうかという判断は、占われている自分の意識と意味づけによってなされるということを覚えておくとよいでしょう。
脅しや洗脳的な悪い占い師の場合は、その言葉や技術で占い師側に主導権がありますが、実のところ、普通は占われているほうに決定権や主導権があります。見た目は逆ですが潜在的にはそうなのです。
ですから自分が「この占い師は信用できる」「今日は何でも聞き入れよう」という受容的でオープンな態度にいれば、占い師の言葉は信じやすく当たっているように感じますし、逆に最初から懐疑的で反抗的な態度でいれば、たとえ同じ占い師と言葉であっても、なかなか当たるとは感じないかもしれません。
ただ懐疑的ではあっても、占いの話が何か自分の琴線にふれたり、本当にそれでも「当たっている!」と衝撃的に思った場合は、最初が否定的であった分、反動として一気に信用モードに入る場合もあります。
このことは目に見えないものへの関心や情報を通じて自分を成長させたり、ブレイクさせたりするきっかけとしてよいケースの時と、逆に占い師に依存したり、コントロールされたりする危険性もあります。
いずれにしましても、当たる「事実」ということも確かに重要で、実際に細かな事実を当てることのできる占い師・霊能者の方もいらっしゃいますが、占われる側の心理的な状況・環境によっても、その当たり方の認識に違いが出るということになるのです。
長くなりましたので、続きは次回にて。
うわ~、次回が楽しみです。
某海外の占いして頂いたんですが
お会いする前に私の外見を言われたんですが、全然当たってなく…お会いしてからも
こんなことがあったでしょう?と言われても、いや、別に…と答える始末。
高い観料だったのにな~、これなら、日本人の占い師さんに観てもらう方が良かったな~と思い、がっかりして帰ってきました。
でも、この年に辛いことがあったでしょ?と言われても、別に…と思ったんですが、本来なら、辛いのかな?年を経てあんまり辛く思わなくなってるだけかな?と思えてきたりしまして。
占いしてもらいに行く時って、現在から未来のことを相談に行くんやないか?と思うのですが、その時は殆ど過去のことばかりだったので、欲求不満になったのかもしれません。通訳さんが入ると難しいものだな、とつくづく思いました。文化の違いもあるでしょうし、今後は日本人の占い師さん!(o^^o)
>ぐーちゃんさん
なるほど、それは文化の違いや通訳の問題もあるとは思いますが、解釈がネイタルチャート中心の、その占い師さんの経験的推測が主体を占めていたように感じますね。詳細はわかりませんが・・・
次回は占いと言っても「タロット占い」を例にして書いていますので、占い全般の「当たる」ということの考察からははずれるかもしれませんが、またお読みいただければ幸いです。