調子の悪い時は、ある種のチャンス。
人間はいつもいつも調子がいい、好調ということではないのが普通です。(たぶんほかの生物もそうだとは思いますが)
また有り難いことに、生き物には恒常性・ホメオスタシス機能があり、それによって私たち人間も健康に保たれたり、問題のない状態に修復されたりします。
人の回復機能とはすごいことで、ふだんあまり意識はしませんが、傷ついたり病気になったりする体が自然に元にもどる(場合によっては薬や処置は必要ですが)ことは、本当に神業ともいえるすばらしいものです。
これが単なる意識のない生物機能だとはとても思えません。そこには人の全体を統括する優れた「何か」があると想定したほうがつじつまがあいそうな気さえします。
さて、それはともかくとして、このように大変有り難い機能を有する私たちではあるのですが、それでも程度の差こそあれ、何か心身に変調を来すことはよくあります。
考えてみると、自分のいわゆるノーマル・普通状態というのはどんな感じなのかというのはわかりにくいものです。
こういうことは逆に考えてみるとわかりやすく、つまりは自分が「何かおかしいな」「普通ではないな」と思う状態がノーマルではない時ということになります。
ただ厳密には自分が普通だと思っていても、体の内部では異常事態が生じている、進行しているということもあります。しかしとりあえずは、今は自分の「感じ」を基準とすることにしましょう。
それで、いきなり結論になりますが、自分がノーマルではない時の「感覚」や「思い方」にも、それなりに(よい)意味があるのだということを知ってほしいと思います。
「何か調子がおかしい時」というのは「普通」ではない状態なので、当然あなたのいつものノーマル的な思考にならず、普通からはずれた思い方や考え方になりがちです。
そのことをネガティブなことだととらえてしまうと、まさに「ノーマル」な思考になってしまいます。
体や心の調子がおかしい時の思考こそ、普段とは異なるものですので、ある意味、多様なものの見方を獲得するチャンスなのです。
ここで重要なのは、調子の悪い時の思考にも調子のいい時の思考に対しても、「いい・悪い」と評価や審判を差し挟まないということです。
もちろん普通に考えれば、調子の悪い時の思いというのは、だいたいにおいて「あせり」があり、正常な判断は下しにくいのが常ですが、それは何か「判断」をしないといけない場合のことです。
思考をそのような判断材料にするのではなく、「ああ、今の自分はこういう風に考えているのだなあ」とか、「こんなことを思うんだ、私」という具合に思考している自分を感じ、見つめるのです。
これは病気になって気分が滅入っているような時や、報われない恋愛をして、とてもつらい状態にある時などには、いい意味で心のバランスを回復したり、複雑な心境を燃焼させたりする効果があります。
また意外なことに、変調状態にある自分の思考によって斬新なアイデアも出ることがあります。特に創造の裏側である破壊系・合理化系のアイデアは出現しやすいでしょう。
こうしてみると、不調と思える時でもいいことはたくさんあるとわかりますし、同じ「自分」という人間の中に、多くの存在がいることも確認できるでしょう。
それでも混乱してわかりにくい時は、マルセイユタロットを使って、自分の状態や心を確認することもできます。

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