成長のために、苦労したほうがよいのか?

ちょっとお知らせです。


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では今日の記事です。


最近は心の解放ブロックはずしなどか心理的・スピリチュアル的にもよく言われていて、「心を楽にすることがいいんだ」と思う人の傾向が増えているように感じます。


これは結構大切なことだと私は考えています。それと言うのも、私たちは何かと自分で自分を縛っていることが多く、そのことに気がつくと、とても生き方が楽になるからなのですね。マルセイユタロットは解放のツールとして有用です。


しかし、一方でこういう考えもあります。それは「人間、苦労しないと大成しない」「しんどい目にあって、なんぼや(関西弁)」「厳しさが自己を鍛える」・・・というようなものです。


これも本当の面があると思います。


そうすると、「楽にすること」と「人間的成長」は矛盾するのではないかと迷うことが出てきます。


ただ、いわゆる「甘え」と「自分を楽にする」ということは違いますので、この区別は比較的容易かもしれません。


問題は成長のためには、苦労や大変さを味わったほうがよいのかどうかです。


私はこの答えには、「本質を見ること」が重要だと思っています。つまり「そもそも論」に戻ってみるのです。


そもそもなぜ、苦労や試練が人を成長させるのかということです。


そうすると、何も苦労そのものが人を成長させるのではなく、何か圧力や負荷が自分にかかることによって、耐性やアイデアが引き出されることで、今までの自分とは違った、ある意味それまでの限界を超えた新しい自分が再生され、それが成長という言葉で表現されるのではないかと考えられます。


であるならば、負荷がかかる状況をただ待つのではなく、自分にあえて課せばよいのですが、それがいわゆる荒行などをする修行者と言えます。


では一般の人で圧力や負荷をかけて、これまでの限界を超越させるようなことが自主的にできるのかといえば、スポーツなどはできる可能性があるかもですが、普通のことではなかなか難しいものです。


従って、やはり仕事や環境から来るある程度の苦労のようなものを体験する機会を持つのが自然な成長につながることになり、やはりその意味では苦労はしたほうが成長はしやすいと言えるかもしれません。


けれども、もう一度そもそも論まで引き返しますと、成長とは自分の拡大発展、あるいは対応力の幅の拡がりだとも言えますので、苦労(圧力・負荷)なしで限界を突破する方法もないわけではないでしょう。


それは自分の次元やレベルを上げるということです。


極端な例で言えば、動物から人間に変われば、動物だった時の問題は一気に解消してしまうというようなものです。


もう少し現実的に言えば、レベルが変わればある仕事の苦労経験がなくても、問題(たとえば売り上げ問題)の本質がわかるので、きちんとした対応策と行動ができるというものです。


業種が変わっても同じトップとしてうまく関わることができる人は、もちろんそれまでの経験と努力も必要かもしれませんが、それよりも問題の本質と対応を学んで普遍的に適応できる能力を身につけていることが大きいと想像できます。ただし、学ぶうえではやはり苦労はいるものだと言えばそれまでではありますが・・・


いずれにしても、一般的にはいきなり次元を上げるのは困難を伴うことが多いです。


やはり土台として総合的に鍛えて行かないと(これは苦労することばかりではなく、無駄な苦労をせずに済む効率的に物事を成し遂げる知恵の獲得との両方を意味して総合的と言っています)、人間的に薄ペラになるのはどの分野にも当てはまるように感じます。


ということで、理想的には自分を壊してしまわない程度の負荷・圧力をかけながら(あるいはそういう環境に置きながら)、同時に自分の心の縛りも解放していく(それは時には楽を求める方向にもなります)という緩さ・柔らかさも適宜入れていくことがよいのではと思います。


まさに硬軟・剛柔・緩急みたいなことです。


気をつけなくてはいけないのは、負荷のかけすぎで自分を真に破壊してしまうことと、圧力をかけていること(かけられていること)自体を快楽にしてしまうことです。目的と手段の取り違えと言ってもよいかもしれません。


苦労していることがよいのではなく、苦労している圧力と負荷によって鍛えられ、成長することがよいのであって、手段(圧力をかけること)が正当化されたり、そのこと自体が快感や喜びとなっていたりするのは問題です。


また目的をもっての大変さは、苦労というより楽しみに変わることすらあります。


無駄な苦労、自分をつぶしてしまうような試練はしなくてもよいのです。


自分に変な思い込み(これは呪いに近いものです)や、何かを強制することで悦楽を生んでいるゆがんだ心理構造がないかチェックすることは大切です。それが心の解放につながるからです。

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