使うことで磨かれる 小アルカナ

これは身体や筋肉について、よく言われることですが、使わないと衰えるということが指摘されます。

また同時に、もともとある能力(身体能力)なのに、それを使わなければ、やはり無駄にもったないことになります。

極端な話、歩く足があるのに、歩かないことを続けていると、最後には歩けなくなってしまうということです。

これは実は、身体とか物質のことだけではなく、精神や心など、目に見えないことでも同様のところがあるのではないかと、タロットを扱っていて感じます。

例えば、思考することを避けていると、思考力が衰え(鍛えられず)操られやすくなったり、悪い意味で単純になったりしがちであり、また感じることを避けていると、感受性は豊かにならず、自分や人の感情・機微、自然の微細な感覚に疎くなります。

ところでタロットリーディングにおいて、マルセイユタロットの流派によっては、小アルカナをあまり使わないところ(教え)もあります。

確かに、カードの特徴を見てみれば、マルセイユタロットにおける小アルカナの、特に数カードは、記号的な絵柄であり、推測になりますが、大アルカナ及び宮廷カードのグループと数カードは別のシステムとしてもともと作られていて、後に合体してひと組になったのではないかと思えるところもあり、大アルカナだけでもリーディング実用に耐えるところも多い気はします。

早い話、小アルカナ(特に数カード)はトランプと同じで、ゲーム用だと割り切ることもできるのです。

ここまで極端ではなくても、、教えられ方によっては、小アルカナはリーディングでほとんど使わないという場合もあるでしょう。

そうしますと、自然に小アルカナを使う時間と機会が減りますから、使わないものは衰える、上達しないということにるのも自然です。

私の考えでは、小アルカナと大アルカナは、一般に思われている以上に適用次元と読み方の違いがあり、それさえわかっていれば、むしろ小アルカナを活用しないのはもったいないことだと言えます。

特に実践的リーディングにおいてはです。

実は小アルカナは読みうんぬんよりも、使うことによって、その象徴原理である四大元素的感覚と思考を自分の中に回復させるという効果が目的だと思っています。

もちろん、実践的に対人リーディングする場合は、読めることも重要ですが、その絵柄の特徴から言って、マルセイユタロットの小アルカナ数カードのリーディングは、的確な答えを最初からリーダーが読み取るということではなく、抽象的次元と具体的次元の行き来によって、相談者自身が持っている答えを一緒に探り当てる作業がその意味だと考えています。

その過程で、どうしても四大元素を意識せざるを得なくなるので、それ自体が訓練になっているのです。

大アルカナで言えば、まさしく「手品師」の作業です。

私の講義を受けている人(基礎コース以上)は、「手品師」が小アルカナと結びついていることはご存じだと思います。これは意図的な描き方なのです。

四大元素的思考や感覚がわかってきますと、実はそれが宇宙や現実の仕組みを理解するのに役立つことがわかります。仕組みを推察してくる力が増してくるような感じです。

四大元素と言っても、単純に4つで分けるものではありません。

マルセイユタロットの小アルカナ数カードが記号的なので、シンプルに4つの意味で分ける人がいますが、それは最初の、あくまで入り口における段階でしかありません。

本当は「4つ」がいくつもの重なっているのです。

一枚一枚を記号や単語の意味のように覚えても、特に小アルカナは余計混乱するばかりでしょう。覚えるなら、まだ「数」の意味を覚えたほうが読みやすくなります。

絵柄は記号なのですが、よく見ていると、絵柄としての特徴も数カードにもあります。それらを眺め、使い、四大の空気や雰囲気を味わうことも大切です。

その意味で、使っていくことは、ある種の能力開発につながり、鍛えられていくのです。

自分が何かにうまくなりたい、何かを向上させたいと思うのなら、頭ばかり・知識ばかりで固まらず、実際的に筋肉のように使っていくことです。

使わないものは衰え、強くなりません。そして一定レベルまで達すると、使わないブランクの期間があっても、そこに戻ることは、前よりも時間がかかりません。

ですから、闇雲に「使う」「実践」するだけではなく、そこはやはり頭(思考)を使い(これも「使うこと」と関係します)、到達レベルや目標を意識しながら行っていくと効果的です。

タロットを眠らせていた人は、せっかくですから、そろそろ使ってみましょう。

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