運・運気を強く意識する「運命の輪」
私はタロットで、遊びや特別な理由の時以外は占いはしませんが(占いを否定しているのではなく、占いツールとしてタロットを見ていないということです)、占いは現実的に見て、実は人生をよくする可能性があります。
この現実的に見て、という言い方は、普通の意味で使う「現実的」というのではなくて(それもありますが)、どちらかといえば、本人の感じるリアリティ(現実感)の世界においてという意味のほうが正しいでしょう。
占いは、過去や未来の情報を読んだり、当てたりするものですが、つまるところ、個人の運や運気を見るものでもあります。
これはマルセイユタロットのカードで言えば、「運命の輪」と関係します。
いわゆる「運」とか、「運勢」とかいうものは、私たちは普段はあまり意識していないものです。
意識するといえば、まさに「運」が極端に傾いたと感じる時です。
つまりは、「ついている」「運がいい」と思うような時か、逆に「ついていない」「運が悪い」というような時のどちらかに、「運」や「運気」を意識することが多いということです。
「運」の傾きによって「運」が意識されるとは皮肉なものですが、このことは結構重要な示唆があります。
ところで、私たちの現実の世界は、ふたつのもの、ふたつの違い、二元のもので実体を感じる世界となっています。このことはこのブログで、何度も述べて来ていますね。
要するに、違いがあるからこそ、私たちは人して、現実として生活を味わうことができる仕組みになっているのです。
さて、そこで、さきほどの「運」です。
運は傾きによって意識されることはすでに述べましたが、傾きというのはどちらかの極端であり、これも二元表現と言えます。
私たちが「運」や「運気」というものを強く意識すればするほど、それは二元のものとして、実体化してくる(現実のものとして感じやすくなる)のです。
実体としての「運」が見えてくれば、その運気を「形」のようにとらえ、よい運気・悪い運気という区分のもとでそれを読み、よい運気を選択したり、よい運気の流れに乗ったり、いい運の方向に、仕事・恋愛・経済・生活面全般を整えて行ったりすること(選んでいくこと)がやりやすくなります。
いわば、運気の二元(良し・悪し)で、自分の世界を構築し直すようなものです。
言い換えれば、自分が認めるいい・悪いという運気の目によって、自分の世界を眺めることであり、世界は自分の知る「運気」によって、色分けされて見えるようになるのです。
従って、あなたが運・運気を知れば知るほど、あなたの世界はその運気で判断できる世界に変化し、極端に言えば、あなたの世界フィールドにいる人・物事は、すべては、あなた(の判断する)運気に従うようになってきます。
これは、運気(の判断)によって自分の人生をいいように変えていくことができることと同じです。
またもし、あなたがその状態で占い師になっていたのなら、あなたのもとに相談に来るクライアントを、あなたの信じる運気と世界のもとで、的確なアドバイスをすることもできます。
あなたが運気を絶対だと信じる力が強いほど、あなたのアドバイスが効果的になります。
もっと言えば、あなたの運気の判断に沿わない人は、あなたのもとにはやって来なくもなるでしょう。
一般の人は、運の良し悪しを、何かのことで(傾きを意識する事件の発生で)意識することはあっても、その時だけのもので、のど元過ぎれば、よほど悪いことが続くなどしない限り、やがて運のことなど忘れてしまいます。(意識しないようになる)
だから、多くの人は、運気は安定せず、運は文字通り運任せみたいになります。
しかし、運気をつかみ、その活用で現実の人生をよくしようと思えば、運・運気を意識して、実体化するくらいに「形」として感じる(見る)必要があります。
これがマルセイユタロットでいえば、「運命の輪」を強化する(輪・自分の運気の世界を濃密に感じる)ことでもあります。
運・運気を知るためには、やはり占い技法・技術(の学習)が役に立ちます。
その意味において、占いの勉強、あるいは非常に強力に自分の占術を信頼している占い師の鑑定を受けることは、役に立つものと言えましょう。
とはいえ、これは諸刃の剣のようなもので、輪・自分の信じる世界を強固にして、自分の運気・人生(輪で表現されるもの)をよくすることに使える一方、逆説的ですが、その輪自体が囚われとなることもあるのです。
なぜなら、運命の実体化・現実化は、つまるところ二元の強い分離であり、霊的な意味での統合とは逆方向にあるからです。
結局は、自分の価値観や興味の方向、趣味志向性によって、運の扱いをどうするかは決まってくると言えるでしょう。
「運命の輪」で言えば、輪の回転力を上げる方向、あるいは輪の推進力を強める方向(輪の中の二匹の動物の入れ替わり)か、輪を意識せず、上の動物(スフィンクス)のように泰然とし、別のことを意識するかとなります。
どちらがいいとか悪いとかではなく、まさに自分自身の選択の問題・テーマ次第となります。

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