自分の夢は他人が叶えている
近畿の台風、北海道での大地震と自然の猛威が続き、日本に不安も広がっています。
災害で被害を受けられ方のお見舞いを申し上げるとともに、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。
もはや、日本のどこにいても安心できない状況ですが、個人的には、個々人の限界もあるので、全体で日本を支え合うシステムが必要かと思っています。
あと、私は、昔、祈りなど現実的には効果がないと思っていた時代もありますが、心の不安は、少なくとも身体に影響はしますし、祈りによって、心が穏やかになるのであれば、たとえ現地や災害当事者方々に効果はなくても、祈っている本人には、何らかの落ち着きに向かわせるものがあると考えられますから、決して全くの無駄ではないと思います。
ただ、祈りのスピリチュアル的な効果から見ますと、不安のままに祈るより、まず気分を静めて、まだ大丈夫で守られている自分を思い、その感謝の気持ちのようなものが起こってから、土地や現地の方々のために祈るのがよいのではないかと思います。
つまりは、不安や恐怖の気持ちで祈ると、そのまま反映されてしまう恐れがあるということですね。これは、マルセイユタロットでの「月」を見て感じたことです。
人々の思念は、何らかの形では現実に反映されるのは、非科学的なようでいて、いずれ、その仕組みがわかる日が来るのではないかと思いますし、古代の人が大地を静める儀式をしていいたのも、迷信でやっていたわけでない、何らかの根拠があるはずだと想像できるからです。
さて、今日のテーマです。今日は、「自分の夢は他人が叶えている」のではないかというお話です。
若いうちはまだわかりませんが、中高年の年齢になってきて、ふと、自分の周囲(友人や知人など)を見ますと、意外なことに気づくことがあります。
それが、先述の、自分の夢が、他人によって叶えられているということです。これは負け惜しみとか嫉妬の気持ちでの、悪い意味で言うのではありません。
ここで言いたいのは、自分と他者のつながり、全体性の不思議さというものです。
タロットからでも言えることですが、よく、「他人は自分の心の鏡」ともたとえられ、そのようなことが、自分の抱いていた夢でも現れるのかもしれないという印象です。
皆さんもちょっと考えてみてください。自分がこういう職業につきたかったとか、こういう生活をしたかったとか、こういうことを叶えたいと思っていたことが、おそらく、自分の周辺で、まずそのひとつを叶えている人を見つけられるのではないかと思います。
また、もし世界中にその範囲を広げてみれば、誰かがきっと、あなたの夢を実現している人がいるはずです。
当たり前といえば、当たり前のような話なのでずか、それにしても、ちょっと不思議に思う話でもあります。
果たして、自分の夢や願望というものは、いったい、どこから来ているのでしょうか?
もっと言いますと、自分個人の夢・願望というものは、本当にあなたのものなのでしょうか?
あなたの周囲、あるいは世界の誰かが同じような夢を見ている人がいて、それを叶えている人もいる、ということは、夢や願望は、人類に共通のパターンとかシナリオのようなもの(イメージ・元型)があり、それがダウンロードされて、願望となってくるのではないかと思うこともできます。
それでも、ひとりひとり、願望や夢が違うのは、やはり個性を持って生まれているからで、その中でも、共通した要素で括られて、そのグループ・特徴ごとにダウンロードされる夢のパターンが異なるのだと考えることもできます。
残念ながら、その夢を実際に叶えられるのは、その中の一握りの人なのかもしれません。
もし全体のシステムとして見た場合、その(夢の)データのある大元が「ひとつの巨大な思念体、または中枢コンピュータ」みたいなものだと想定できます。まあ、神とか宇宙とかと言ってもいいのかもしれませんが、そういう個人や時空の枠を超えた大きな何かです。
それ自体が夢を持つ(夢を見る)と考えましょう。想像の創造と言い換えてもよいです。
ただ、人間個人のように、ひとつの夢をその人のやり方で叶えていくだけでは、夢自体の現実的完成が保証できません。たった一人では、それが実現するかは心もとないわけです。(笑)
それで、夢のグループを作り上げ、多くの個性に任せて、どのように夢を現実化するかを見ます。それは保険のようなものでもありますし、一人一人のドラマが生み出される興味や面白さもあるでしょう。
こうして、私たち側からすれば、ひとりひとり、それぞれで頑張って、夢・願望を叶えようとしますが、現実には、うまく行く人もいれば、うまく行かない人もいて、悲喜こもごもの人生が形成されます。まさにひとりひとりの人生劇場です。
きっと、夢の型グループのうち、誰かは叶えられる使命というか宿命はあるのでしょう。ゴールは、ひとつはあったほうがいいでしょうから。
そういう選ばれた(人生の途中からでもありえると思います)人は、夢を現実に叶えることができます。
では、選ばれなかった人、または、頑張っても夢が実現しなかった人はどうでしょうか。
確かに、個人で見ればその通りで、人によっては夢の実現という意味では失敗人生と思う人もいるかもしれません。
しかし、グループや全体から見れば、その人も夢の実現者の一人であり、貢献者でもあるのです。
グループは競争システムで実現を進ませるのではなく、おそらく、共有エネルギー場のようなものがあり、ひとりひとり役割が違っても、元型の夢の実現には役立つようになっているからだと考えられるのです。
夢のグループは、一見、まったく自覚できないように見えますが、裏を返せば、自分がある願望・夢を抱いた時点で、その夢のグループに入っていることになりますから、逆の発想をすれば、簡単にグループを見分けることができます。
自分が夢を抱けば、当然、その夢の実現に対して興味が出ますから、それを実現している人や、実現しようとするための仕組み、事柄に目を向けたり、行動したりしていくことになります。
誰も抱いたことのない夢というのもあるかもしれませんが、それでも似たようなもの、またはヒントになるような発想とか、事象はあるはずです。それが夢のグループとして、見えないところで組織されているのかもしれないのです。
また、夢のグループの中でも、きっと、あなた(自分)にしかできない表現があると思います。それが個性を持っている特色でもあります。
この現実世界は、全体からすれば、半分(一部)しか認識できない(わからない)世界と言われます。逆に言えば、真実は隠されている(認識できない)ところもあるわけです。
もしそれがわかれば、自分の夢や願望が叶わなかった意味や理由もわかるでしょうし、本当は叶っていたことも知るかもしれません。
もっと言えば、グループ、あるいは全体性の意思と合一すれば、それは自分と同意になりますから、自分の夢は叶えられていたことを味わうことができるのだとイメージできます。
修業的なことをしている人では、その境地を、現実の個人で生きている世界において経験できるので、いつも満ち足りた気分になることもできるのではないでしょうか。
そういうことをしていなくても、色々な人を見ていますと、普通の私たちにおいても、思考・感情、人生の経験、その他を通して認識力をあげていくことで、ある程度は似た状態を実感することも可能な気がします。
夢のグループがわかってきますと、不思議なもので、競争意識より、むしろシェア的な気持ちや、人を応援する気分が出てきます。
人々はやはり奥底ではつながっているものだと、こういう面からでもわかることがあるのです。
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