占いコーナーはいらない?

マツコ・デラックスさんが、「もう、そろそろいらないもの」というテーマで、「朝の占いコーナー」を、そのひとつにあげられていたということです。

テレビだけではなく、最近ではブログとかSNSでも、毎日のように占いをして、掲載されている方がたくさんいらっしゃいます。

その目的は、毎日占いをして、純粋に皆さんに何かの参考にしてもらいたいと思っている人もいれば、自分が占い師であったり、占いサロンなど経営されたりしていて、占いビジネスに関わっていることで、その集客や宣伝のためという場合もあるでしょう。

また、自分の占い技術を高めるために、修行的な意味でやっていらっしゃる方もあるかもしれません。

そして、見ているほうも、テレビや雑誌等で、たまたま流れていたり、書かれていたりするため、なんとなく目に入ってしまうという人、いつの間にか習慣のようになってしまって見るようになった人、占い好きで、自ら好きな占い師さんや、興味のある占い技術のページを積極的に見て参考にしているという人など、受ける(占いを見る)側にも理由は様々です。

占いを提供する方・される方、どちらにもいろいろな目的や理由があるので、いわゆる「世界のバラエティさ」として、材料や情報はたくさんあったほうが選択の幅とか、文化の多様性とか、そういう観点でも面白いと思いますから、占いを提供する・見ることが日常的にあってもいいとは思います。

しかし、中には、科学的に見て、何の根拠もない占いを垂れ流しているのはどうか(特に放送では)、という意見があるのもうなずけます。

まあ、占術を勉強していくと、それは今の見方では非科学的ではあっても、象徴システム別の体系と論理では合理性があることがわかってくるのですが、それは今の時代のノーマルでは理解できない話なので、一般的にはうさんくさいものと思われるのも仕方ないところがあります。

それでも、テレビなど、メディアがやるということは、単純に言えば、それだけ需要がある、つまり一般でも見たいと思う人がたくさんいるからだと推測されます。

巷でも、占いサロン・占いの館は、まだまだビジネスとしても成り立っており、それだけ消費者、占いに行く人、占いで自分のこと(悩み)を見てもらいたい人は多いということです。

これに個人でやっている占い師趣味で占いを勉強したり、実践したりしている人も含めると、占いフィールドというものはなかなか広く、市場としても無視できないところがあるのだと言えます。

どんなものでもそうですが、占い(それ)そのものより、占いを提供する側の姿勢や思い、使い方によって、受け取る側、提供される側の影響も変わってきますし、反対に受け取る側の思いと活かし方によっても、占いの意味が変化します。

今のように、エンターテイメントや視聴率稼ぎ、または枠埋め、つなぎのために、占いが利用されているのなら、マツコ・デラックスさんが言われるように、もうやめてもよいのではないかと個人的には思います。

なぜなら、テレビで提供される朝の占いなどの「占い」の質は、精度としも一般化しているために薄まっていますし、ランキングみたいに、運の良し悪しが強調される方法が取られることが多く、運に左右される人生という側面を無意識的に強化してしまうことがあるからです。(また、占いでさえも常に勝ち組・負け組のようにランキングされる、視覚的提供の問題性があります)

占いは、確かに占術によっては、運の流れを見ますが、良し悪しを判定するのが目的ではありません。

良し悪しに見えるのは、波のような「流れ」や「(宇宙の)法則」であり、それを良く取るのか、悪く取るのかは、置かれている状況、何を人生のその局面において重視し、達成したいかによって変わってきます。つまり、人間が自分の価値や生活状況によって、運というものの良し悪しを決めているのです。

運そのものにいいも悪いもなく、先述したように、それは、ひとつの法則であり、よいか悪いかは、繰り返しますが、社会の状況や個人が決めるようなものなのです。

最初はあまり気にしなくても、日常、習慣的にテレビをつけているうちに、占いコーナーを見るようになり、いつしか、とても気になるようになっていくと、それは、その人の中でリアリティを持ってきます。

テレビなどの占いコーナーは、すでに述べたように、運の良し悪しを際立たせる傾向が強いので(これもエンターテイメントとの兼ね合いがあります)、例えば、西洋星占いで、今日の自分の星座は最低の運でランクされていたとなると、気分的にも悪く、実際に自分で一日を悪くしてしまうことになるのです。

これが占いを見ていない時、あるいは、占いを信じていない時、または占いを見ていても、ただの番組の一コーナーとしてしか意識がない時は、運の良し悪しも気にせず、ニュートラルに、その日を過ごすことができます。

今の占いコーナーは、少なくとも、運勢的にネガティブな要素を必ず放送しますから(要するに、今日、運勢の悪い人というものがあるということ)、それに属するかなりの多くの視聴者が、気分を悪くして出かけたり、一日を過ごしたりすることになるわけです。

逆に言えば、運が良い人の分も放送されるので、そういう人たちは、ハッピーで過ごせるかもしれませんが、その人たちでも、明日になると、運勢は悪い部類に入れられるかもしれないのです。

結局、朝の占いを信じれば信ずるほど、毎日それに振り回されていくことになります。悪い言い方をすれば、洗脳であり、自分の行動や気分は、朝の占いが決めていることになります。

ここで当たり前のことを問いますが、皆さんそれぞれの、人生の「主人公」は誰で、人生は誰のものですか?

そう、自分自身ですよね。

それならば、たかが朝の占いコーナーで、自分の人生が決められるというのは、どうなのでしょうか?

いやいや、そんな大げさなことではなく、占いなんてちょっと参考にするだけで、影響はほとんどない(気にしていない)ですよ、という人が大半だと思います。

しかし、知らず知らず、毎日見ている中で、一部の人は、気にするようになり、それがリアリティを持つようになるのです。正しくは、自分が現実感を持たせるのです。

そうなると、文字通り、その人の「現実」に影響してきます。

一部の人と書きましたが、テレビなどのマスメディアになってきますと、そもそも見る人の数自体巨大です。一部であっても、無名の個人が書くブログなどの読者の比ではありません。

ライトなエンターテイメント、ただの番組のつなぎと提供側は思っているかもしれませんが、実は、意外に影響大なのが「占いコーナー」だと言えるかもしれません。

ポジ・ネガ(占い運勢情報)で、クルクル回されるよりも、朝からニュートラルな気持ちで、よいことも悪いことも最初から判断せずに、経験していくほうが、霊的・統合的な成長観点からもよいと、私自身は思います。

もし、占いコーナーをやるにしても、むしろ、ポジティブなことだけを放送する内容にしてみてはどうでしょうか。

例えば、月生まれ占いでも、一月生まれの今日のよいことはこれですとか、こういう見方をするとよいですとか、何かアドバイスになったり、発展的・創造的になったりするようなものを放送されるほうが、同じ洗脳されるにしても(笑)よいかと思います。

確かに人生はよいことばかりではなく、悪いと思うこと、ネガティブなこともありますし、注意や備えをしていたりしたほうがよい場合もあります。

だからネガティブな内容の占いも、注意喚起や修正の意味で、まずいわけではありません。

しかし、人類は全体的には、あまりにも今までネガティブなことをやったり、思ったりし過ぎたように思います。

だから、せめて占いにおいても、明るいこと、ポジティブなこと、良い方向になることを記したほうがいいのではないでしょうか。

あるいは、もういっそのこと、マツコ氏が言われるように、占いコーナーなどなくしてしまったほうが、本質的・全体的にはよいことになるのではないかと思います。

それは占いのフィールドとか、業界においても、長い目で見ればよいことだと感じます。

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