平成とマルセイユタロット

今日で平成が終わります。

平成のブログとしては最後となることを思うと、感慨深いものがあります。

平成は30年間でしたが、短いようて長く、また長いようで短いとも言えます。今回は天皇崩御での改元ではないので、新しい年号も一か月前に発表されたことで、混乱よりも、前向きに明るく受け入れた方も多かったのではないかと思います。

と言っても、今日と明日というのは、西暦的には、4月から5月に変わる単なる月の切り替えであり、改元に伴う感覚は、日本人であるがための思いでしょう。

つまりは、ある世界観を共有している者たちの間で、同じ感覚を得ることができるというものなので、逆を言えば、世界観やルールが違えば、その人たちは影響を受けないことになります。

今でこそ、クリスマスとかハロウィンなど、西洋系の(厳密には、その起源や象徴性をたどると別のところだとも考えられますが)特別な祝祭日も、日本人にはなじみにはなりましたが、先ごろあったイースター(復活祭)については、キリスト教圏ではメジャーですが、まだ私たち日本人にはそれほど広まってはいないものです。

マルセイユタロットを見た場合、イースターに関連すると思われる象徴性や表現が見られます。

しかし、すでに述べたように、これが世界観として共有できないと、それに意味が出てこなくなります。

マルセイユタロットは、ヨーロッパのフランスを中心に、17から18世紀にかけて主に作られたカードたちの総称(同じコンセプトの絵柄によるもの)です。

従って、当然、絵柄は西洋・ヨーロッパの人物とか宗教とか風習になっています。

ところが、私たちは東洋の日本人なので、ばっと見だけでは、描かれているものの意味や内容を理解するこができません。時には、西洋の歴史とか常識を知らないで、日本人風に解釈してしまい、誤解することもあります。

ヨーロッパではキリスト教、特にカトリックが、宗教というより日常のルール、規範、行動を決めるバックグラウンド、精神的法典で、支柱のようなものにもなってきた歴史があります。

ヨーロッパで作成されたタロットが、キリスト教と無縁であるはずがないのです。

だからと言って、私たちの扱うマルセイユタロットは、キリスト教の教義を絵で示したものというわけではありません。

歴史的に見れば、昔は文字が読めない人も多かったので、よく宗教的な話などを、絵で表示していたことがあったと聞きます。紙芝居のようなものですね。

ここから考えると、タロットというものも、その絵は、ローマ法王のように見える絵とか、最後の審判をイメージさせるものなどありますから、キリスト教の教えを伝える役割があったのではないかと想像することもできます。

また宗教だけではなく、「女帝」とか「皇帝」の絵もあることから、権威や身分、社会の仕組み(平たく言えば誰がえらいのか、支配しているのか)を教育するためのものであったと考えられなくもないです。

※一応、タロット史としては、タロットはゲームのための道具であったとする見解がノーマルです。

ともあれ、ヨーロッパの人がマルセイユタロットを見れば、キリスト教を中心に、その絵は、自分たちの日常的なものとして(作成され、一般的に流布していた)当時は見られたのは当然だということです。そして解釈も、その当時の常識や風習、宗教の掟などに基づくようになっていたことでしょう。

ここで最初の話に戻ってきますが、まず、マルセイユタロット(などのタロットは)、キリスト教中心の当時のヨーロッパの風俗・習慣的な要素という、共通する世界観でカードをとらえていたということになります。端的に言えば、キリスト教カードみたいなものです。

ところが、私たちに伝えられているものは、別の側面のことでした。

それは、むしろ反キリスト教、異端キリスト教ともいえる、古代からの秘密の教えでした。これも、「ある世界観」だと言ってしまえばそれまでです。ただ、こちら(秘密)側の世界観になるには、同じカードであっても、別体系の意味を知らなくてはならないことになります。

それが秘伝であり、暗号にもなっていたということなのです。

このように、タロットカードは、マルセイユタロットを例にしますと、一般的に共通する世界観での意味と、隠された特別なグループに口伝的なもので伝えられてきた意味によって見えてくる世界観とを、ともに内包しているのです。

加えて、もし日本人の私たちが、日本(人)的な解釈も加算していくとなると、カードは、また別の世界観を持つことになります。

ほかにも、カバラー的(古代ユダヤの)世界観、占星術的世界観、ピタゴラス的数秘術世界観など入れていきますと、それぞれがまた別ものとして浮かび上がってきます。

これができるのは、マルセイユタロットならではの、根源的な型をそのシステムに有しているからだと言えます。別の言い方をすれば、どの体系や世界観にもなじむように、うまく作られているということです。

さて、平成という時代の終わりでマルセイユタロットを振り返ると、昭和の時代、世界的にメジャーであったグリモー版を中心に、本当にマイナーな感じで日本では使われていたように想像します。

しかしやがて、日本で言うところのカモワンタロット(ホドロフスキー・カモワン版マルセイユタロット)が、ある機関(旧タロット大学)によって日本に流入しました。西暦では、ほぼ2000年前後(カモワンタロットができたのは1998)のことで、平成にすると10年からの数年になります。

ここから約10年にわたって、カモワンタロットが日本でのマルセイユタロットとして普及してきた経緯があります。もちろん、グリモー版など、ほかのマルセイユタロットを教える人もいらっしゃいましたから、カモワンタロットオンリーではありません。

それでも、カモワンタロットの威力は大きく、ウェイト版(ライダー版)に比べると、まだまだ微々たるものではありましたが、以前より、日本でのマルセイユタロットを使う人、知る人の比率がかなり上がったと思われます。

こうやってみると、平成の時代は、タロット界でも、カモワンタロットを中心に、マルセイユタロットが大きく進展、一般化した時代だとも言えます。

その後、カモワンタロットを普及・教育していた機関が分裂したため、今は混沌とした状態になっていますが、下地として、日本でマルセイユタロットが多く知られるようになったという功績は、大きかったのではないでしょうか。

このことを、視点を変えて考えてみますと、日本の平成の時代に、この西洋のカード、マルセイユタロットが広まる理由・目的・使命があったのではないと推測することもできます。

広めたという見方だけではなく、広まることを求める層や人々が、この日本に多く存在した(無意識的にも)ということです。なぜ日本なのかということも、不思議と言えば不思議です。

物質を拡大し、多く持てばよいという昭和から、平成は物質的には縮小を余儀なくされた時代でもありましたが、逆に言えば、精神性の熟成が、昭和よりも進んだように思います。

まだまだ物質的観点や競争意識が強くはありますが、昭和の高度経済成長のような時代から思うと、平成はインターネットも出てきたことで、情報の共有も飛躍的になり、物質だけではない精神や心、個性の観点も増幅したように見えます。

平らかに成ると書く平成は、まさに文字通り、平たくつながるネットワーク的な情報交換と、その中継点・発信点である個も際立つ結果となりました。

少しずつ、ただの塊、モノ、物質、それが多い少ないという評価から、質や中身、精神、心、あり方というものに価値が移行してきたのが平成だとも言えます。そういう時代に、マルセイユタロットが広まってきたというのも、何か大きな流れや意図のようなものを感じます。

そして、次は、「令和」の時代です。

もしかすると、タロット的には、あるタロットが消えるようなこともあるのかもしれませんし、今のような占いの道具とする使い方は、変わっていくのではないかという気もします。

タロットというモノがなくなっても、タロットが示唆していた「ある世界観」を、私たちは受け取り、いや思い出し、より霊的な覚醒、進化へと歩みを進めるのではという思いがあります。

果たして、令和の時代に、マルセイユタロットはどうなるのでしょうか。興味深いところです。

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