ささやかな救いの世界
今の時代、情報機器とシステムの急速な発達によって、誰もが自分から発信することが簡単になりました。
ちょっと前は、文章で、そして次第に映像や動画でと移っていき、おそらく、ほとんど普通の状態と変わらないくらいリアルな感じで、すぐに思いついたら、あらゆるところから自由に発信できるようになるのもすぐでしょう。
そうなると、いわゆるメディアというものが、企業とか組織だけではなく、普通に個人それぞれが情報局、発信・放送局になってくるわけで、テレビ的に言えば、人口分だけチャンネルがあるようなものと言えます。本当に選びたい放題で迷いますね。(笑)
とはいえ、そうなってきますと、テレビで視聴率が気にされるように(まあ、これはお金を出すスポンサーの意向が関係しているわけですが)、自分の発信や情報は多くの人にどう見られているのか、そもそもそ関心を持ってくれているのか・・・というような不安も出て来るものと思います。
いや、すでに、SNSではそのような状態になっているとも言えます。
目立つ人、エッジの立つ人、とても個性的な人、コンテンツや内容が面白く、それを皆に提供できる人・・・このような人は、ますます持てはやされ、人気者となり、カリスマ化されることでしょう。
一方で、前にも書いたことがありますが、これだけ誰でも気軽に自分から表現や発信ができる時代になってきますと、それにうまく適応できなかったり、自分から特によいと思えるものを出せなかったりする人も、それだけ多く出ることになると思います。
簡単になったとは言え、例えば動画でも、それなりに企画力や編集技術などがいりますし、文章を書くことや、話しをするのが苦手だったり、そもそもネットとはいえ、人前で何かを表現するというのには抵抗があったりする人もいるでしょう。
ですから、この、メディア表現の過渡期とも言える時代のこれからとして、ますます二極化が進むのではないとかと危惧しています。
その二極とは、どんどん自己表現・自己発信して、自我としての自信、言い換えれば、自分自身を生きているという実感を持つ者(平たく言えば、人生が充実していると感じる人)と、一方では、多くの人に埋もれ、目立つこともなく、得意なものがあるとは自分で思えず、平均以下のように自身を思い、自我が喪失気味になる人(人生が空しい、つまらないと思う人)との二極です。
しかし、最終的には、本当の意味で、誰もが簡単に自己を発信できるようになれば、それが当たり前となるので、定番の自己紹介みたいな形で、自己表現の世界は、一度、フラットなものに統合されていくのではないかと予想しています。二極化はそれまでの間の、移行期に起きる特徴と推測しています。
しかし、移行期がどれだけ続くかは、まだ予想がつきませんので、しばらくは、前述した二極化で、特に後者の人は、自分を見失い、世界に落胆、ひどくなれば絶望することもあるかもしれません。
ここで重要なのが、やはりリアルな関係や交流、ふれあいだと思います。しかも、何かリーダー的な一人のもとに集まるという(集団・組織的な)ものではなく、一対一とか、少数グループによる交流、ふれあいみたいなものが特に重要でしょう。
精神の世界では、距離や場所は関係ありませんが、現実の世界では、やはり、それは無視できないものです。つまり、直接会うのと、ネットをや何かを介してのものだと、情報・交流の質が違うと言えます。直接会い、話すことで、響く世界があるとでも言いましょうか。
スピリチュアルなことで言えば、それはアストラル空間やその世界の話に関係すると考えられますが、人との、特に生身の交流によって感情の刺激が起こり、それによって不快なことや嫌な気持ちも生じる一方で、逆に、心地よさ、いわゆる「愛」というものを感じる世界が、心の中に現れます。
それがまさに「救い」となることがあるのです。これはマルセイユタロットで言えば、「節制」のカードに象徴されることだと私は思います。
皮肉なことに、人は人によって傷つきますが、同時に、人によっても救われ、つまりは、人の気持ち(心)を避けていては救いも訪れない仕組みが、どうやらこの世界にはあるようなのです。
ということで、昔からも言われていましたが、ますます、これからの時代は、特に自己表現が苦手だったり、ポジティブに多くの人と交流できなかったりする人は、だからこそ、極少数の人とのリアルな関係、あるいは(特に直接会話するような)時間を大切にするとよいかと思います。ただ、そういう人やグループに依存するという意味ではありません。
なお、タロットを学ぶ人は、これを他人に対するタロットリーディングによって、行える場合があります。
他人リーディングと言っても、何もプロでする必要はありません。
ボランティアでも、趣味でも、自分がタロットリーディングが少しできるということで、他人に対し、リーディングする機会を持つことができるわけです。
普通、なかなか他人といきなり接するのは難しいものです。
ですが、「タロットリーディングができます」と言えば、それをきっかけに、人と会話する機会が持てます。もちろん、リーディングを行うことで、相手も自分も、問題における何らかの解決策、指針、癒しなどを得ることもできるでしょう。
でもそれ(リーディングによる問題解決)が目的でなくてもよいわけで、とにかく、ライブやリアルで人と会話したり、時間を過ごしたりすることが、タロットリーディングによってできるわけです。
こうすると、いわば空虚で乾き、色のなかった自分の心の状態にも潤いが与えられ、少しは自分がいてよかったこと、生きていく価値のあることを思い出すこともあるでしょう。
そのことを多くの人に発信できなくても、自分(と相手と)の中では、確かなものとして存在することができ、外の世界はどうあれ、愛の世界(エネルギー)を自分にチャージすることができます。
別に自分を無理に高めたり、評価したりしなくてもよいのです。
人は人、自分は自分てす。それでも、この世の中、人と比べ、落ち込んでしまう自分がいることもあるでしょう。
そうした外の世界や時間は無視できないものではありますが、これとは別に、自分の世界、自分に流れる優しくゆっくりとした世界もあるのだと思ってください。
そして、それは閉じこもっていては逆に見つかりにくく、またたくさんの人と関わってしまうと、エネルギーを失い、閉じこもりたくなります。
だから、ほんの少しの人とリアルに関わる、そうした時間と空間を持てばよいのだと思います。
さらに、そうした人物(相手)に自分がなってあげると、意外に(自他に)救いをもたらすことができるのではないかと想像します。そのツールとして、タロット使ってみるのはいかがでしょうか。
タロットは、これからの時代、意外に、必要で、よいツールになるのかもしれません。
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