マルセイユタロットとふたつの思想型
タロットの学習は、それ自体がタロット以外の学びにつながっていると、つくづく思います。
例えば、小アルカナを貫く基本コンセプトともいえる「4組(四大元素)」も、自分にとっての四つの分野の過不足、調整、統合などを示唆し、ただ単に四分野のバランスを取るという意味だけではなく、自分にとっての個性、言い換えれば得意な分野・方法をも見ることがてきます。
それによって、自分という存在が、いかにただの一部分(ひとつの方向性)からしか見ていなかったことがわかり、最初は愕然とすることもあります。
しかし、さらに進めば、自分から他者、つまり自他構造やその関係性まで派生し、最終的には大アルカナの「世界」のカードが示すように、世界、いや宇宙全体も同じ構造や関係性をもっていて、自分というものがまさに世界そのもの、いわば小宇宙であることに思いが至るようになります。
このことから考えても、タロットは占いの道具で作られたのではなく(表向きはトランプのような遊技道具だとしても)、私たち自身が個人としても、全体としても気づき、成長し、全体と個を統合して、人類全体を進化させる目的で作られたのではないかということが想像できるのです。
このことは、マルセイユタロットのいろいろなことからも証明というか推測できるもので、マルセイユタロットを知れば知るほど、実感できてきます。
いつも思うのは、何者がマルセイユタロットに関わったのだろう、製作者や完成させた者はどんな存在だったのだろう、ということです。
これについては、歴史(特に裏歴史のようなもの)を丹念にたどっていけば、だいたいのところは想像がつくところなのですが、具体的に誰とか、どういう組織だったのかというものを突き止めようとすると、それは逆にわからないようになっている感じがします。
ただ、少なくとも、マルセイユタロットが実際に世の中に登場し、広く出回るようになった時代のことを思えば、17~18世紀を中心としたヨーロッパに完成の時期を見ることはできるでしょう。
ということは、その頃に何かがあったということも逆に考えられのです。
もちろん、カードが生産がしやすい状況が発達してきた(整ってきた)という社会的条件もあったでしょうが、裏向きの理由として、私たち人類に必要でるあからと、この時期に完成させた存在と言いますか、勢力、意図があったのではないかと想像されます。
いつの世も、実際の形とか表現とかは、時代ごと、表現者ごとに違うのは当たり前です。
しかし、その奥底に流れる本質、本当に伝えたいこと、見せたいこと(わかってほしいこと)は、同じだと言えます。
自分の意見を伝えたいと大昔の人が思えば、普通に声を出すか、自然の木や石で何かを表現したかもしれません。やがて本ができれば本に書くということもあります。
今の時代はネットとか通信機器が発達していますから、そういったツール・方法を使って伝えるでしょう。
また、もしかすると、テレパシーのようなもので伝える文化とか方法もあったのかもしれません。(もしくはそういうことがわかってくる未来とか)
さらに言えば、世の中の状態、自分が置かれた状況によっても表現が変わるでしょう。
戦争時代に、戦争反対を訴える人がそのまま主張・表現しても、その国で逮捕されたり、制限されたりするのが普通だったでしょうし、今でも宗教や思想が自由な国はそれほど多くなく、認められていないことを述べたり、信じたりするのは命の危険もあります。
マルセイユタロットというものが、紙でできた図像であるのも、そういうものを作る工業的技術(と言っても家内制手工業に近いものだったでしょうが)がやっと整ってきたというのもあるのでしょうし、何かの理由(この理由も大体は推測されていますが)で、本当の主張を本などで書くことができず、カード図像に暗号のように隠したという説もあります。(個人的にはこれを採用しています)
つまり、マルセイユタロットとしての表現は、それに関わる人の、その時代と条件・状況に合った伝達方法として選択されたということです。
それぞれの時代・条件によっては、同じ主張であっても、違うやり方・方法が取られていたことは容易に想像がつきます。
外(表)に出ている表現や形だけで判断していると、本質が見えないことがあります。
本質を見ていけば、つながりもわかり、ある種の主張や思想の流れが連綿と続いているのが浮かび上がってきます。
それは、地域や国、時代とは関係なく、おそらく人類史としてずっと続いてきたものではないかと思われます。
結局、ふたつの対になるような思想の対立とその統合という歴史のように思います。それが、洋の東西、時代や国を超え、人々の中に元型的なものとして、ずっと流れてきているように感じます。
つまるところ、それもまた宇宙の構造・パターンなのかもしれません。
対立や葛藤の形は、その時その時によって形や表現を変えていきます。また、社会や国だけではなく、個人の中にも世相を通したり、個人的な課題(問題)として起こってきたりもします。
しかし、これもまた同じふたつの型の対立が、形や規模を変えて現れているに過ぎないと言えます。
今、世の中に起こっている大きな問題も、実はこのふたつの型の対立への気づき、そしてその統合のために起きていると見ることが可能です。
その時の対立を統合して乗り越えていくことができると、次の対立はまた起きるにしても、バージョンが異なりますので、これまでの対立による苦しみの世界からは抜け出します。
統合についても、本当は単純な構造だと思いますが、実際に統合される(する)には、分野の違いと言いますか、その時々と起きている問題の種別によっても違ってきます。
科学的なことが統合の助け・力になることもあれば、心の浄化によってそれが起きることもあります。それらは、別々の要素ではあっても、全体としては統合の力(視点)になっていると言えます。
ですから、最初に戻りますが、タロット学習においてもそうであり、感性や感覚を磨いたり、直感から得たりしたものだけが良いとは限らず、論理やシステムから考察したりすることも学習の向上、ひいては自身の統合に寄与することもあるのです。(その逆も当然あります)
対立は統合、つまり進化や発展、次元上昇の礎とも言えますから、自分の中においても、嫌いなものとか、受け入れがたいもの、単純に自分の思いや意見とは異にするもの(人)のことも、大切になってくるのです。
重要なのは、ただ対立に巻き込まれ、感情的になったり、理屈をこねて、自分(ある考え)を絶対化したり、相手(別の意見)を幻想化して持ち上げ過ぎたりしないことです。
これとあれでは何がどう違うのか、対立している要点を俯瞰できる立ち位置を見つけることでしょう。
対立すること(問題が起きること)で、どこに自分を連れて行こうとしているのか? 私(この時代・この状況)に何を学ばせようとしているのか?こういう視点です。
もう少し、非常に重要なことを言いますと、マルセイユタロットの「月」に秘められた内容と言えますが、対立はある種(存在)のエネルギーになっているのです。
だから、ずっと対立・葛藤・争いをしていては、それらのエネルギーの供給源になるだけです。(ただし、それはいいとか悪いとかの次元で見るものではなく、必要とされることでもあると考えられます)
ということで、対立の深みに長くとどまるのは危険でもあるのです。ありていに言えば、覚醒が求められるということです。
マルセイユタロットはそのためのシンボル図、意識に作用するものだと言えるでしょう。
しかしながら、占いの使い方をしていては、対立と統合のシンボル図としての作用はなかなか発動が難しいかもしれません。(占い活用でもできないことはないとは思いますが)
占いを超えた、それなりのタロットへの見方、使い方を学ぶ必要は、やはりあるのです。
最近、占いをされる方も言われてますが、占いに来られる方(お客様)の質問とか悩みも変わってきている言います。(悩みは同じでも、知りたい答えが違ってきている)
すでに現場でも、占いではない占い(言い方は変ですが)にバージョンが変化してきているのでしょう。
ですから、占い師を目指す人であっても、タロットの読み方の視点を変えていく必要性は、特にこれからの時代、特にあると言えるのです。
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