新たな「手品師」の誕生に向けて
マルセイユタロット、アルカナナンバー1、私たちは「手品師」と呼んでいるカードがあります。
ちなみに、ウェイト版などのほかのタロット種では、同じ数のアルカナは「魔術師」と呼ばれ、そのほうが一般的です。
しかし、マルセイユタロットの図柄を見てもらえばわかるように、このカードは大道芸を披露している人の絵であり、彼はテーブルの上で手品道具を見せ、やはり手品をしていると想定するのが、素直な見方だと思います。
ですから、「手品師」、もしくは「奇術師」、あるいは広い意味で「大道芸人」と呼ぶのがふさわしいと個人的には思います。
さて、これからの時代、この「手品師」をモチーフにした時代が新たに始まるのではないかと予想しています。
実は、タロットカードに時代を象徴させることもでき、それは逆に考えれば、タロットに時代の進展も描かれていると見ることができるのです。
そういうと、ナンバーごとに時代が進むのでは?と予想する人もおられるでしょう。確かに、それも一理あるのですが、ことはそう単純なものではないのです。
これは宇宙の進化の構造を考えないと見えてこないところがありますが、それだけに、宇宙の進化・発展のプロセスがおぼろげながらでもつかめてくると、その時、改めてマルセイユタロットを見直すと、タロットがすでにそのシステムを描ていること、タロットのシステムと宇宙のシステムがシンクロするように作られていることに気がつきます。
それはまた、自分の理解や気づき、解放が現れれば現れるほど、タロットは宇宙の秘密を開示させていくようなものになっています。
最初は、そうしたこと(タロットの象徴システムの基本知識)を誰かにに教わる必要はあるとしても、やがて、自分でいろいろと気がついてくるようになります。だからこそ、タロットは智慧の宝庫、あらゆるものの象徴図と言われる所以になります。
話を「手品師」に戻します。
「手品師」について、書物やスクールでマルセイユタロットを学んだ人においては、主な意味に「仕事」として覚えられた人も少なくないと思います。
実際それは言えることで、しかも、アルカナナンバーが1であることで、現実的に暮らしていくための基本の「最初、始まり、第一の理」として、人との関わり、仕事を持って報酬を得て生活していく象徴として「手品師」をとらえてきたこともあるでしょう。
私たちの社会・暮らしを見ても、その意味では、ほとんどの人が「手品師」であり、それを経験していると言えます。まあ中には、「愚者」のように、仕事や定住性を持たず、フリーに生きている人もいますが。
そうすると、「手品師」になるということは、現実生活の基本をマスターする、経験するみたいな、ちょっと固い意味と言いますか、とても堅実な感じがしてきます。
しかし、最初にも述べたように、この「手品師」は大道芸人で手品をしているわけです。たとえそれが彼の仕事であっても、大道芸人は、今でいうサラリーマンではないでしょう。
中世から近世の頃のヨーロッパの風習・民俗性をもとに描かれているマルセイユタロットです。その頃の大道芸人と言えど、今でも芸を披露して生活する人がそうであるように、(特に収入的に)安定した確実性のある仕事とみなされていたわけではないでしょう。
ならば、この「手品師」の意味は、忠実に絵柄を見ると、今でいう雇用者、普通に勤務して仕事する人を象徴しているとは言い難いことになります。
もし、そのまま大道芸人の意味を中心に据えるとどうなるでしょうか?
すると、興味深いことに、これからの時代の基本みたいなものが、もしかすると見えてくるかもしれないのです。
突飛な話に聞こえるかもしれませんが、これからは、皆さんが大道芸人化すると考えるのです。
例えば、すでにユーチュバーなどが一般化してきまして、誰もが動画で発信することが容易になり、まるでそれは「YouTube」という舞台(大道)で、芸を披露する芸人たちのように見えます。
この芸もいろいろです。
料理を作る人もいれば、歌やダンスをしたり、釣りしたりする人もいる、難しいことを簡単に解説する人もいる、怖い話や陰謀論を話す人もいる、自分の趣味や得意分野を皆に見せる人もいる・・・とにかく皆さん、なにがしかの「芸」を見せているわけです。
これには、YouTubeからの広告収入が入るという「仕事」の面もありますが、それだけのために、これだけの人がYouTubeで芸を披露しているわけではないでしょう。つまりお金や生活のためだけではないのです。
今、Zoomなどのオンライン会話・会議システムが一般化しつつあります。そのことで、これまでより、例えば人に何かを教えたり、伝えたりする講師的な仕事をしてみようと思い立つ人もかなり増えている状態です。
今までは「講師」というと、ちょっと堅苦しく、何か遠い存在であり、教えるための設備や準備もなかなか大変だと思われてきました。
ところが、コロナウィルスのことがきっかけでオンラインでのコミュニケーションが普通になり、案外、簡単に自宅からでも、全国、世界の人にモノごとを伝えられるということがわかってきました。
前にも書いたように、リアル(実際)でのものと、オンラインでのものが相対化してきたわけです。
今はまだ、経済的な意味で生活のための労働があり、また「手品師」の意味は、経済的・人間関係的生活の基盤の確保ということが大きいかもしれません。
しかし、もし新たな時代に、これまでのような、とにかく経済ベースで仕事を選び、働かなくてはならないという状況が変化した時、人はその時存在するツールを利用して、ほとんどの人が何らかの発信をしていくのではないかと予想します。
言ってみれば、皆が大道芸人(パフォーマー)になるような社会です。
それで報酬をもらう人もいるかもしれませんが、報酬・生活のためだけに芸を披露するわけではないので、そこに大きな自由性があります。
本当の意味で「愚者」と向き合う「手品師」であり、「手品師」と関係性の深いカードと言われる(マルセイユタロットを学んでいる人にはわかります)「恋人」とも結びついてきます。
これは「手品師」のレベルや次元が上昇したものと言えますし、本来の「手品師」に回帰した状態と言えるかもしれません。
タロットは時代をそのまま反映させ、それぞれのカードの意味さえ変えていくようです。
「手品師」が1の数を持っていることは、すでに述べました。
まさに新たな始まりがある時、「手品師」はそれにふさわい新しい「手品」を習得し、披露するのです。
今から、昔風の「手品師」を脱して、新たな時代の「手品師」になるため、準備したり、実践したりしていくのも面白いと思います。
それには。まず自分自身を「愚者」のように思い、軽やかに次に渡り歩いていく気持ちも大事です。「愚者」を逆向きにしてしまうとわかるように、悪い意味でこだわりを持ちすぎると、いつまでも動けない状態・人物になってしまいます。
それと、仕事とか報酬(お金・経済)を強く意識し過ぎないことも大事です。
芸を披露して報酬を得るのはすばらしいことですし、それが仕事だといえるかもしれませんが、すべてをお金に換算する価値観のもとではそうであっても、誰かに喜んでもらえること、また自分自身が楽しめること、という内的なエネルギーとして見ると、必ずしもお金にごたわらなくてよいと思います。
労働報酬や経済的基盤のための芸だとしてしまうと、いくら誰もが簡単に自分のものを出せる環境になったとしても、人に見てもらうため、人から選ばれるためには、競争意識が働き、最初はよくても、次第に厳しい「売れる」芸人のための生き残り、熾烈なレース社会に入っていくことになります。
それは旧来の、仕事は厳しくて当たり前、苦労して当然、勝ち組になるために頑張る・・・みたいな意識に囚われます。(「仕事」をなめてかかれとか、楽がとにかくよいと言っているわけではありません)
旧来意識をはずし、もっと愚者的になり、自分がただ大道芸人として発信することだけでも、思ってもみなかった人とのつながり、展開が現れるかもしれません。それがこれからの財産になる可能性もあります。
あくまで仕事として、報酬を目指す(芸)人はそれはそれでまたひとつの道です。そこは簡単ではないと思いますし、才能の問題や、相応の努力は、今しばらくは社会や全体が変わらないと、続くと思います。
それでも、新たな時代に向け、仕事や報酬の意味だけにとらわれない「手品師」になっていくのも、もしかすると、あなたの可能性をもっと開いていくかもしれませんので、気軽にチャレンジしてみるのもよいと思います。
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