カードから見る異質の時間や世界

人は何か不確かな状態や、曖昧模糊のはっきりとしない感じが続くと、落ち着かないものです。

まあ、性格による個人差も大きいとは思います。

何事もきっちりとしていないといやだという人もあれば、テキトーでいいや、という人など、世の中にはいろいろな人がいます。

人間関係、恋愛関係においても、あまりにこうした(違いの)部分が大きいと、きっちりとした人のほうがイライラし、関係自体、ギクシャクすることも多いでしょう。

世の中、意外にテキトーな性格のほうが、腹が立つことも少なく、何かにこだわることも減り、楽に生きられるのかもしれません。ただ、そういう人は、案外、たくさんの人を自覚なく傷つけていたり、不快にさせていたりすることもあります。

ともあれ、性格というものはなかなか変えることができず、結局のところ、自分の性格をうまく扱い、他人ともつきあっていくのがよいのでしょう。

何でも人に合わせるのではなく、自分の性格を認め、受け入れ、そのうえで他人との違いも自覚し、他人は他人、自分は自分として割り切るところと、調整や妥協もしつつ、お互いに合わせられるところは合わせていくのが、人間関係的にも求められることのように思います。

さて、人間の性格による物事のとらえ方、印象の違いは先述したようにあるわけですが、一方、外の世界側の法則やリズムのようなもの、言い換えれば自然の流れというものもあり、これに反したり、無視したりすることで、うまく行かない時があります。

つまりは人対人の問題だけではなく、人対自然という対立(不和、不調和)みたいなものも、問題の要因として考えられるというわけです。

人対自然については、近代以降の基本姿勢みたいになってしまいましたが、人がすべてをコントロールできるとし、あまつさえ、最近は生命にも手を出して、遺伝子操作などを施し、自分たち人間の支配下に自然を置こうとしています。

しかし、今年のコロナ禍のように、人の外側では、コントロールできないことが起こってきました、今までも、人がすべてを理解し、支配下にできたことは一度もなかったはずです。

まあ、新型コロナウイルスも人工説がありますが、たとえそうであったとしても、ウイルスのもとは自然のものだったでしょうし、それに手を加えて、かえってコントロールができなくなってしまったのかもしれません。

だからと言って、昔に戻れとか、すべて自然の意のままにということを主張したいわけではありません。

ここで、マルセイユタロットの大アルカナを見てみますと、自然のリズム・流れを表しているように思えるカードたちがあります。また、流れといようり、動きそのものが止まっているもの、はっきりとしていないものもあります。

その典型的なものは「月」のカードであり、ほかには、「運命の輪」とか、「吊るし」のようなものがあげられるかもしれません。さらには、「愚者」については、数もないですし、ある意味、混沌としているカードと言えます。

これらのカードは、もし現実的な時間の枠で当てはめようとしても、つかみどころがないというか、過去・現在・未来という、人が認識する時計的な時間感覚にも収まり切れない印象も出ます。

私たちは、今太陽歴で世界標準として動いていますが、旧暦を使う文化のところでは、月の暦、太陰暦を使用している国・地域もあります。日本でも季節を感じること、伝統行事、農業・漁業など自然相手の仕事では、月の暦のほうが使われ、その分野では合理的なのです。

毎日は時計時間で過ごしますが、熱中(集中)している時、楽しい時、反対にものすごい苦しい時など、時間が静止してしまったかのような感覚に陥ることがあります。これなど、まさに「吊るし」と言えましょう。

それなのに、内的には人がどう感じていようと、外の世界は、やはり時間が現実では一様に動いて行きます。それは、地球や惑星が回転(自転・公転)しているからです。いわば、時間は回転によって生み出されています。

すると、タロットの「運命の輪」は明らかに、回転運動の絵であり、こうした時間を生み出している「そのもの」のようにも見えます。

しかし、すでに述べたように、私たちには、時計の時間での日常とは別の、それぞれの感覚による時間(止まっていたり、ものすごく速く動いたりする時間)があり、そして、ほかには、これも回転によって生じているものですが、自然のリズムとしての月などのほかの天体の時間があります。

そう、時間の質の差によって、人対人、人対自然、人対宇宙・・・と対比が作られているのかもしれません。

私たちは、現実での時間が「時計での共通時間」だけだと思っているので、そこからすべてを判断・決定してしまいがちになります。

自分や人の幸不幸、成功・失敗、うまく行くいかない・・・なども、普通の一般時間で見ているから、同じような(正しいと皆が客観視するひとつの)答えしか出せないのです。

タロットカードを見ていると、時間には種類があり、いわば、それだけ世界も違ってくるのだということです。別の質の時間の世界では、明らかに通常世界と違っているところがあり、時間世界の認識(の相違)によって、モノごとの価値観も変化しているのだと考えられます。

私たち日本人が太陰暦(太陽太陰暦)で暮らしていた時間の世界と、現代の太陽暦(のみ)の世界とでは異質になっているのは、何となく、今の私たちにもわかるのではないでしょうか。

実は月の時間世界で生きてきた存在というものもおり、それらは太陽暦になって、見えなくなってしまっています。こうしたものたちには異形(自分とは別存在)のものだけではなく、私たちの中にも存在していたもの(自分の一部であり、今も影としてい存在しているもの)でもあります。

タロットカードは、そうしたことを思い出させてくれます。

「月」などのカードが重要なカードとして出ると、今の常識的で、物事がはっきりと決められる時間の世界とは違う感覚の大切さを示している場合もあると言えます。

ということは、こちらの常識の世界ではあやふやであったり、はっきりとしていなかったり、時には否定されたりすることのほうが、むしろ正解の場合もあるということです。

ただ、この記事中に書いているように、昔に戻れとか、未開の文明時代に帰れというのではありません。

太陽歴になるのにも意味があり、それはタロットの流れとも同じで、タロットは数的に言えば、「月」の次に「太陽」のカードが配置されているのがわかります。

その理由はここでは言いませんが、今の時間の世界になる必然性のようなものが宇宙(の進化)にはあるのだということです。

しかしながら、月の時間のようなものを見捨てていいと言っているのでもありません。

要は、それらの統合にあります。

月が陰、太陽が陽と言われるように、陰陽そろって太極です。

よく「太陽のように輝け」とか、「太陽にように明るく生きよう」とか・・・太陽的に生きるのが正しいことのような感じでたとえに出されますが、何も太陽だけが目指すべく手本とは限りません、月もあれば、その他の惑星もあるのです。

それは個人個人の選択でもあり、合う合わないの、まさに“タイミング”があるのです。

わけがわからない、何をしていいのかわからない、普通に見てこれは失敗だ・・・と思っていても、別の時間の世界では、それはまったく逆であったり、正解や望ましいことであったりするのです。

一般的に言う「正義」であることが、必ずしもあなたにとっていいこととは限りません、タロットカードには「悪魔」や「愚者」もあります。

マルセイユタロットは、常識の世界(多様に見えながら、幻想の唯一オンリーに支配される世界)を一度壊し、そしてあなた自身があらゆるものと調和していく新たな世界(本物の、ひとつでありながら多様でもある)世界を創り上げる装置でもあるのです。

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