タロットの学びについての一考

タロットを学ぶには、独学か、誰か先生につくか、あるいはスクールに入って学ぶかという方法が現実的には考えられます。

何事も長所と欠点があるように、どの方法であっても、完璧で欠点のない学び方というものはないでしょう。

いきなり大きな話になりますが、宇宙や世界という巨大な範疇になればなるほど、私たちの共通点も大きくなり、究極的には、ただひとつという何も特徴(個性)がないような、いわば「(くう」)と例えられるような抽象的な状態になっていきます。(「空」は何もないようですべてあるということにもなりますが)

しかし、逆に言えば、小さな範疇になればなるほど、違いや区別、色が出てきて、悪く言えばバラバラになり、よく言えば個としての特質(個性)を持つようになります。

結局レベルや階層、次元によって見え方と言いますか、表現方法が変わるだけなのだ言えますが、私たちの認識する通常の世界観(レベル)では、個性のたくさんある現実世界となりますから、一人一人にまさに「違いがある」と考えたほうがいいわけです。

ここでタロットの学びに戻りますが、そうしますと、現実的に見ても、タロット学習の方法は、個人によって違って当たり前ということになります。これは何もタロット学習に限らずのことですが。

よって、全員が納得し、完璧にタロットが習得できる方法というのは、具体的・現実的にはあり得ないことになります。

ただし、タロット学習というものの性質や内容のレベルを上げて行けば(抽象度や意味合いを上げる、変えれば)、ほとんどの人に有用で共通な方法は出てきます。

しかし、通常レベルにおいては、一人一人違った方法になることを想定する(認める)のがよいと思います。

その前提で、タロット学習を自分のために効果的にするには、目的など学ぶ意味を細分化していくことにあると言えます。また自分の置かれている環境や個性なども考慮していくことです。

ちょっと前までは、むしろ全体に配慮した学び方、つまりは、自分ではなく他人や外に合わせた学び方が主と言えました。例えば、あるタロット講座の期間と場所、学ぶ方法が決められていて、自分がそれに合わさなければ学べないという具合です。

しかし、今は個別の選択肢がかなり増えたと言えます。それが時代の流れです。提供する側も多くなり、そちらの個性も増えたので、受ける側の個性に応じていく可能性も高まっているわけです。

ということで、これからは、全体に当てはまるようなことを考えるのではなく、自分ならとか、私に与えられていることでとか、自分自身が好きで前向きになれることではとか、より個性(自分)に沿った方法や場所、人を選ぶとよいということです。

具体的には、自分に今あるお金、予算はどうか、リアルかネットのどちらが自分には学びやすいか、タロットの学習後、(経済的な)仕事を意識しているのか、精神や魂の向上として学ぶのか、趣味として学ぶのか、自分にとって学べる期間や日にちはどうか、教えてもらう人は自分の求めるものを提供してくれそうか、性格や志向などが合っているのか・・・などいろいろと細分化すれば出てくると思います。

そして、タロットは便利なもので、四大元素、四組という概念があります。

まだ学ぶ前でわからないのは当たり前ですが、少し、この四つを、学びの観点で紹介すると、知識・スタイル、精神・関係性、技術・モチベーション、経済・生活みたいなものになります。

平たく言えば、知りたいことを教えてくれるのか、自分の気持ちはどうか、学ばせてもらうところや人との相性はどうか、どんなタロットの技術や活動方法を教えてもらえるのか、講座料金は適切か、自分が支払えるのか、学びは自分の仕事とか生活に支障はないか、みたいな観点で見ると、いろいろ存在する考慮点が整理できてくるわけです。

先生につく場合、先生との相性は軽視できませんが、それより、もっと見ておかねばならないのが、先生の理想とするものや目指しているものは何なのかということです。

タロットを通して、その先生は何をしようとしているのかということです。

直接、習う前に聞いてみるのもよいかもしれませんが、たぶん先生クラスになると、何か外向けに発信・活動をしているので、それを読んだり、見たり、体験したりすることでわかる場合もあるでしょう。

ここで、その先生の実績が重要だと考える人もいるかもしれませんが、確かに、実績は無視できませんが、実績よりも、先述したように、何を目指しているのかということのほうが大切なように思います。

それはイデア(理想のもの)と言ってもいいかもしれません。イデアは先生によって実現されていなくても、そのイデアさえ自分と合って入れば、そのイデアに向かって、自身を進ませることができるからです。

そして、そもそも、そのイデアが自分の思いとはかなり違っていると、いわばゴールや目的地自体が異なるのですから、そのルートに入るのは自分にとって間違いになります。

マルセイユタロットで言えば、「星」か「世界」で例えられるでしょう。

この「星と」か「世界」をイデアや目標として旅している先生であれば、自分もその「星」や「世界」を目指すことが苦ではなく、同じ目的の旅をする者ということで、あなたも同行できるはずですし、たとえ途中で先生がいなくなっても、あるいは託されれるような形で先生とは旅ができなくても、あなた自身に「星」・「世界」の像があれば、さらに自分で道を進んでいくことができます。

学びで道でよく言われる、「師の求めたるところを求めよ」ということです。

ということで、一応、私もタロットの講師・先生をしておりますので、同じものを求める方がいれば、一緒に旅ができると思っております。

ただ、また元に戻りますが、同じものを求めていても、これまた個性がある世界が現実ですから、細かく言えば、一人一人、やはり道は違うものです。

それでも志として、いわばマルセイユタロットの「星」の輝きを目指すことを共有して、「世界」に行こうとする者は、同じグループとして学び合い、支え合う気持ちが持てるでしょう。

あなたがタロットに出会うのも縁で、学ぶのも縁と言えます。タロット種は何であれ、少なくともタロットに興味を抱いた時点でタロットに縁があるわけです。

タロットに出会っても、それを学ぶかどうかは、次なる縁とも言えますし、自分が縁を作るという実際の行動にも関わってくるでしょぅ。

マルセイユタロットの「恋人」カードのように、天使(キューピッド)の矢が放たれても、あなたが人として現実世界で行動しないと、実際での変化は現れません。(逆に言うと縁の機会が訪れたことは、矢が何らかの形で放たれているわけです)

こうして、タロットに単に興味を持つだけで終わるか、タロットを深く学んだり、それを使って実践したりする世界に進むかが決まって来るのです。

あなたはあなたに生じている縁をどうするでしょうか? それもまた、あなた自身の個性として決定できるのが現実世界でのあなたの力なのです。

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