カード人物で表現される型
自分は何者なのか?
これは人にとって永遠のテーマと言えるかもしれません。
「いやいや、何者とか、そんなことを考えるまでもなく、私は私じゃないですか」と簡単に言う人もいるでしょう。確かにその(今の)あなたはあなたで、ほかの誰でもないですよね。
ただ、自分というものに対して、哲学的にしろ、霊的にしろ、深く考察して行けばいくほど、自分はいったい何者なのか?ということがわからなくなってきます。
人格やパーソナリティ(性格などの傾向)として見ても、自分の自覚しているものと、他人から見た自分とでは違っている場合もありますし、家でいる時の自分と外で仕事をしている時の自分とでは、かなり異なるという人もいます。
一日のうちでも、穏やかなる自分と激情にかられる自分という、相反する自分が登場することもあるかもしれません。
多重人格のような(障害やコントロール不可のような)ものではないものの、誰しも、どうも自分というものはひとつの性格、キャラではないと感じるのではないでしょうか。
いわば多数の人格が(一時的に)統合されて、その時その時で振り分けされながら生きているのが人間なのでしょう。
とは言え、いくつもの人格が一人の人間の内にはあっても、代表的な人格とか、自分が表現しやすい人格というものがあると想像できます。
心理学者ユングによれば、人には集合意識として共通の型・パターンのようなものがあるとし、それを元型(アーキタイプ)と呼びましたが、ユングによって分類される12の人格元型パターンというものがあります。
それらを見ていると、マルセイユタロットの大アルカナに描かれている人物像と似ているところがあると思えます。まあ、ユングはマルセイユタロットを研究していたので、似ていても不思議はないのですが。
ということで、タロットでも人格の元型的なものは表せるとも考えられます。ただタロットの場合、全体では78枚あり、先述した大アルカナだけでも22枚で、ユングの12パターンを大幅に上回ります。
そこで、もっと削ぎ落としていくと、例えば、タロットでは大アルカナでも、人物ではない絵柄もありますので、それらを除いたり、複数以上の人物が目立つカードを省いたりしていくと、14~15枚程度に収めることは可能です。
あるいは、たとえ、人物ではない絵柄のカードであっても、人格化(人間のように)するなどして、さらにもともと人物が描かれているカードたちを含めて、一種のグループ分けをしていくと、これもまた限られた枚数(というよりグループとかペア・セット)にしていくことができるでしょう。
また、技法自体、ちょっと問題がないわけではないのですが、いわゆるソウルカードという数秘的な技術とタロットを合わせた手法で、9枚の元型的なカードを見出すこともできます。
いずれにしても、タロットに描かれる人物とカードによって、自分が何か特別な感情とか、シンパシー、つながりを抱くようなものには、自分の奥底に流れるタイプとの相性・特性が隠されている可能性があると考えられます。
それはもとは集合意識的なものから来ていると言え、必ずしも自分という個性そのものとは別なのですが、しかし、そういうパターン・あり方をデータとしてダウンロードしているかもしれませんし、ダウンロードしているということは、自分の個性の表現に何らかの形で関係している型であると言えます。
輪廻転生やカルマの概念を導入すると、そうした型の生き方を何度も繰り返してきたり、友人や家族、パートナー、グループなど、自分の過去生(あるいは未来生)で特に関係してきた(相手の)型だったりするかもしれないのです。
カードの意味と描かれている人物像を素直に見て、一枚だけではなく、数枚カードを選んでみると、自分の個性的な型・パターン、好む表現方法とか生き方というのが見えてくるかもしれません。
たいていは、それを今生でも示しているはずですし、そうではない人は、逆に違う型を演じてみたいと、今生では別の型を選択しているものの、やはり気になるということもあるでしょう。
例えば、私自身の例で言えば、おそらく「隠者」とか「法皇」とかと関係が深く、つまりは教師的な生き方の型が刻まれているように思います。
それはタロットの講師をしているからというだけではなく、昔から(小学生くらいから)、何か知っていることを教えたいという思いがよくあったからです。
一方で、先生的なキャラとは別の無邪気な型や戦士的な型も気になるところがあります。カードでいえば、「愚者」とか「戦車」でしょうか。「悪魔」や「13」も時にシンパシーを感じる(笑)ので、何か悪とか黒い部分と関係する時代もあったような気がします。
自分で感じにくい人は、タロットに聴いてみる(シャッフルして出してみる)のもよいかもしれません。
宮廷カードでは現実的で短期的なレベルでの人物像の型を示すことが多いですが、大アルカナ場合は、いろいろなもの(レベル)を含みますので、魂的な表現の意味もあり得ると思います。
どんな生き方をすればいいのか、あるいは、自分は何者なのか?と悩む時、カードの人物像にある型・パータンを象徴として汲み取り、今ある人生で、その生き方とか型の表現ができるものを選択すると、自分らしく生きられたり、何か充実感を覚えたりするかもしれません。
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