日本の組織

このところと言いますか、日本で起こっている様々なことを見ていますと、以下のような日本の特徴が顕著になっている気がします。

それは、組織的に、末端は非常に優秀なのに(よく働くのに)、トップ・管理する立場のものがあまりに未熟、無能(立場上の能力として)ということです。

軍隊で言いますと兵卒はすごくても、指揮官が無能ということです。

これのまずいところは、なまじ、実労部隊が優秀で頑張りすぎるがゆえに、通常の事態・ケースには何とか現場で対処できてしまい、そのためトップの責任がうやむやになり、そのまま組織的に継続されたり、指揮側のまずさが隠され続けて行くことです。(組織の本質的問題、構造的問題が先送りにされる)

結果、緊急事態や、通常の予想を超えるケースに陥った場合、つまりは現場だけで対応できない事態が起きた時、つまるところは最終的に指揮側の能力に委ねられますから、状況は非常にまずいことになるわけです。

対策の稚拙さ、決断の遅さ、全体的な混乱、下への責任転嫁、保身のための逃避、放棄、自暴自棄、特攻の押し付けにまでになって、末端の者は置いてけぼり、犠牲を食らいます。

非常事態というのは、たいてい大問題の時であり、場合によっては多くの人の命に係わることになるでしょう。

だから、最悪、トップや指揮層の無能さは、末端や一般層の多くの人の命が危険にさらされることになるのです。

普段、平時においては、現場任せや、のほほんとしていてもいいかもしれませんが、いざという時には、強いリーダーシップと迅速性、正しい決断を下せる能力がトップには必要です。

もちろん失敗時の責任を取る事と、自分がまずかった代わりに、それを修正してくれる後任の選定への目も必要と言えましょう。

日本人の末端(一般)の人の頑張りは、尋常ではないと思います。

むしろ、やり過ぎ、頑張り過ぎている面もあるでしょう。日本が何とかこれまで持ちこたえてきたのも、ひとえにあまり表には出ない、一般の人の相当な努力・犠牲があったればこそです。

不思議なことに、漫画とかアニメでは、普段は昼行燈のような無能な態度を見せつつも、いざとなれば実は優秀というトップとか指揮官を描くものが多いです。(笑)

これも、現実が投影された理想を見ているのかもしれません。「本当はトップはすごいんでしょ、ここぞという時は実力を発揮してくれるんでしょ、私たちのことを守ってくれるんでしょ・・・」という皆さんの期待とも取れます。

が、今の現実は、「いざとなっても実は無能でした・・・」という最悪のオチ、実態が明らかになっているように思います。

なぜこんなことになっているのかというのは、もはや日本の伝統とも言え、一朝一夕には変えられないように思います。

ですから、変えようとするよりも、このような性質をあえて受け入れ、日本的な問題対処の方法とか組織的あり方を見出す必要があるのかもしれません。

それがどんなものなのかは、私にはまだわからないところもありますが、感じとしては独立性を保った共有的な組織とでも言いましょうか、そんなイメージがあります。ピラミッド型ではないものですね。

突飛かもしれませんが、意外に人工知能(AI)とかを間にはさんで、まとめとか、合理的な結論や指示はそれに出してもらい、人が責任をもって実行をしていくという形もいいのかもしれません。

責任の所在があいまいにしてしまうのが日本の特徴でもあるので、それならば、逆に責任を分担するようなものに組織を分け、それに権限を持たすというのも考えられます。ちょっと地方分権的なイメージになりますが、少なくとも道州制みたいな形で、それぞれが独立性をもったほうが、日本は意外に動きやすいのではないかという気もします。

あと、これには反対意見も多いですが、個人的にはエリート教育というのもあっていいかと思います。

民主主義が悪くなると、衆愚政治にもなってしまうので、優秀な人材が優秀な教育を受けて、大きなことを担う責任と能力を持たせることで、無能な者がトップに就くということも少なくなるのではないかと思います。

まあ、逆に一般の優秀な者が重要な職や役に就けないという危惧もあるのですが、それらのバランスを取ることも重要ですね。

今回はタロットとは何ら関係ないような話ですが(苦笑)、しかし、マルセイユタロットの大アルカナの象徴性と関連することでもあり、組織の問題も、結局は一人一人の理性・智慧の向上、覚醒に関係して来るとも言えますので、まったく別の話というわけでもないのです。

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