自分はネガティブか?ポジティブか?

人は誰でも、ポジティブな面とネガティブな面の両方を持つものです。

ただ、人によって癖や性格のようなものがあり、ネガティブ寄り、ポジティブ寄り、という具合に、どちらかに傾きがちで、それも個性と言えるでしょう。

さらに、たとえネガティブな人でも、その対象や興味の程度によっては、ポジティブになることもあり、その逆も言え、もともとポジティブな人でも、苦手な分野、嫌なことはネガティブになる場合もあるでしょう。

スピリチュアルな観点からすれば、人は本来、完全性を有し、ネガでもポジでもどちらでもない状態なのでしょうが、肉体を持って限定的な命で、いろいろな現象に反応・経験していく中で、傾きとしての個性(言い換えれば癖)が形成されてくると思えます。

「生まれ持った星」という表現があるように、占星術ではありませんが、もともと性質(の傾き、散らばり)としての個性があるとも考えられますから、この世に生を受ければ、ネガティブ・ポジティブの波や回転(現実)の中で、誰もが泳いで行かざるを得ないのだと思われます。

まさに、マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」が思い浮かぶところです。

その「運命の輪」の絵柄を見ますと、三匹の動物と回転する輪が特徴的な図柄として観察できます。

輪が自分の人生だとすると、輪にしがみついているような二匹の動物は、言ってみれば「ポジティブ」や「ネガティブ」な傾向の象徴とも言えます。

この二匹の動物は、うさぎのように見えますが、実は上に向いているのが「犬」で、逆の下に向かっているのが「猿」だと言われます。

奇しくも、日本では犬と猿は「犬猿の仲」と言われるように、相反する関係性となっていますね。

さて、あなたの反応は、犬(ポジティブ寄り)、それとも猿(ネガティブ寄り)の、どちらのパターン(が強い)でしょうか?

※ちなみに、ここでは犬と猿を、話の都合上、ポジティブとネガティブに表現していますが、本当はもっと深い意味があり、それは講座で解説しているところで、単純なふたつの違いのことではないのです。今回は、わかりやすさを出すために、あえてポジティブとネガティブという例えにしています。よって、今回の記事を読んで、「運命の輪」の(動物の)意味を理解したとは思わないでください。(それでも、大いなるヒントはあります)

成人くらいになりますと、いや、すでに学生時代には、人はたいてい、自らの傾向とか性質を知るでしょう。

どうも自分は心配性だなあ、ネガティブシンキングだなあとか、その反対に、細かいことは気にならない性格、快活・いつも明るい、悩みがないのでは?とよく人から言われるなど、およそ、どちら寄りかは自分でもわかると思います。

では、タロットを持っている人(できればマルセイユタロットがいいのですが、それ以外でもOK)は、タロットで試してみましょう。

まず、数カード(数札)を用意ください。

組は何でもいいですが、とりあえずは、「杯」(カップ)の組でよいでしょう。

それを数順に、表向きに、並列で並べてください。(横に並べて行く)

つまり、1から10までの数カードを横に並べるわけです。

そして、その数が年を表すとします。1は2021年、2は2022年、3は2023年・・・という感じで、10は2030年になります。

次に大アルカナをシャッフルし、数カードの上に、その年であることを意識して、裏向きに一枚ずつ、重ねるように置いていってください。

10枚引き終わると、大アルカナは表に返して、どのカードであるか確認します。

1の位置は2021年で、すでに終わっていますが、その他は現在か、未来の年になりますので、その出た大アルカナに象徴されるような年だと想像してみます。

また、昨年2021年はどんな年であったか、今年2022年も、まだ終わっていないとはいえ、あと一か月ちょっとですから、どんな年だったかという風に見てもいいでしょう。それも、出た大アルカナに照らし合わせてとなります。

すると、特に未来位置のカードについては、カードの内容にもよりますが、全体的にネガティブに見て(読んで)しまうか、ポジティブに見るかは、人によって違ってくるでしょう。

さらに言えば、ネガティブ傾向の人は、悪いとか、よくないとか思うカード(本来、吉凶はカードにはないのですが)に注目が行き、ほかのカードが比較的よくても、そこに意識が向かいがちになるでしょう。

反対にポジティブな人は、あまりカード自体気にならない上に、自分のよいことが起こる年を、カードから強引に解釈してしまうかもしれません。

すでに終わった昨年、また今年についても、自分はどう思うのかが、カードだけに左右されるのではなく、自分の性質、感情、思考によって支配されていることに気づくでしょう。

そして、出たカードを他人に見てもらうことで、もっと、自分の傾向がよくわかります。

他人が見た場合と自分が見た場合で、同じように見えているのであれば、それはカードの象徴性がなせる技で、確かに、カードから読んだような年となる(というより、そういうテーマがあると見るほうがよいのですが)のかもしれません。

同じカードを見ても、人と自分とは、感じるニュアンスが違っているとなりますと、それは個性による捉え方の違いが大きいと考えられます。

このほかにも、大アルカナだけを使っても、カードの中立性を思い、ネガティブに見えるカードは、あえてポジティブ面の意味を見出すようにし、逆にポジティブな側面が強いと思う場合は、ネガティブさを取り出すということもチャレンジしてみるとよいでしょぅ。

ほかのカード種では「死神」「悪魔」「塔」と呼ばれるカードたちを、通常状態でよいカードとして見るのは、なかなか難しいことになっていると思います。

この点、マルセイユタロットでは、「13」「悪魔」「神の家」と、「悪魔」以外は名前も変わり(「13」は名前がないのですが)、そこからでも、偏りから少しは逃れられます

いずれにしろ、本来、私たちは両性、中立、完全性であると考えれば、この現実世界での偏りは、その経験によって、両極の幅を拡大させ、より大きな統合性の存在へとならしめるための世界であると思うこともできます。

ですが、いくら経験が大事とはいえ、「運命の輪」の犬と猿のように、ただ反応して振り回されている(グルグル回っている)状態では奴隷みたいで、エネルギーが使われている(浪費させられている)だけのようにも見えます。

やはり、意識的に両面を見て、気づきを増やし、自分を整え、解放して行くことは重要でしょう。

マルセイユタロットは、その装置、絵地図でもあるのです。

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