カードの使い方、数の順と図像
タロットは占い(吉凶、状況判断)や何かの決め事、選択するために使うツールだと一般的には思われています。
確かにそれはその通りの側面もあるのですが、こと、マルセイユタロットに関しては、それは本来的な使い方ではないだろうなというのが、長年やってきている私の個人的な感想です。
では、何のために使うのか?と言えば、これまた難しいのですが、一言でいえば霊的な成長、言い換えれば全人(まったき人)へと成長していくための象徴絵図・指針だと言えます。
従って、実は私は、今やほとんど、何かの選択のためとか、決定のために、タロットを使うということがほとんどありません。
また、自分のためにカードを引いたり、展開したりすることも少ないです。
言ってみればエアータロット状態(笑)で、すでに心の中に図像と象徴性が組み込まれていて、あらゆることの整理道具、理解促進や補助の道具として、自動的に機能してくるような感覚にあります。
慣れてくれば、タロットを引かなくても、その人(の問題や課題に)に応じたカードも浮かぶようなことにもなってきます。(とは言え、人の心はぶれやすいので、自分が思い浮かんだタロットではなく、きちんとカードを引いて、実際に出すことで、中立性・客観性を保つことのほうがよい場合もあります)
タロット種によっては、なかなか手に入らないカードがありますが、究極的なことを言えば、一度現物としてのカードを入手し、そのタロットになじみ、図像を自分の印象に刻み込むことができれば、タロットがなくても機能させることは、一部においては可能かもしれません。
さきほど、言ったように、霊的な成長指針や気づきのために使うということであれば、カードを引く必要が実はあまりないので、カード図像を記憶したり、象徴を理解することのほうが重要となってきます。
ところで、マルセイユタロットの大アルカナの数順が、何らかの成長や発展を示していることは、今やよく知られています。
これがウェイト版だと、「正義」と「力」の数が入れ変わっていますので、別のルール(象徴性)によるものはあるにしても、やはり、「正義」が8で「力」が11という順序での見方が、タロット的に見た人の成長・発展にはふさわしいと個人的には思います。
このような、ある種の段階・プロセスのようなタロットの図像(の並び)があって、私たちは自らの位置や心・霊的な状態を知ることができます。ただし、絵を見たから、数の順を意識したから、と言って、すぐに活用できるわけではありません。
そこには、一枚一枚のタロット図像・象徴への深い理解と探求が必要になってきます。
そこが単純な数字を並べたような成長段階の見方と、タロットの図像による成長段階の違いなのです。
例えば、ここに、1から7までの数(算用数字で)を並べたとしましょう。
1 2 3 4 5 6 7
わかりやすく、またあえて順番を強調するため、間間に→も入れます。
1→2→3→4→5→6→7
こうすると、7に向かってぐんぐん進んでいるような、まっすぐな進歩、増加というものがイメージされるのではないでしょうか。
しかし、それ以外のことを想像するとなると、ちょっと難しいです。
では、同じ数と順番で、マルセイユタロットの大アルカナを並べてみましょう。
1の「手品師」から7の「戦車」までを見て、ただの番号の並びと比べると、明らかに感じ方は異なると思います。
よく見れば、人物の視線の方向もカードによっては違いますし、単独の人が多いとはいえ、5の「法皇」以降は、ほかの人物や、天使のような存在、動物も見受けられます。
少し観察を詳細にすれば、全体の流れの中でも、6の「恋人」が異質だと感じるかもしれません。
それは6の「恋人」が三人の人物たちだけではなく、先述したように上空に、天使(キューピッド)も描かれており、一枚の絵柄の構成的に、ほかの図像と違っていることが大きいからです。
ですから、人物だけ追っていると、6に来て、急に谷間に落ち込むような印象にもなってきます。
数順に成長や発展を示していると言われているのに、谷間で落ち込むような状況とはいかなる事態でしょうか?
しかも、そのカードには「恋人」という名前もつき、どうやら恋愛にも関係しそうですし、天使とかキューピッドとか、現実離れしたメルヘンチックな絵にもなっているわけで、これまた不思議なところでもあります。
というように、絵がつけば、単純な数字の進みだけの印象とは異なって来て、何らかの物語や、個人的な印象・思い、投影なども出現してくるわけです。
言わば、数字だけの羅列は機械的な成長で骨組みと言えますが、タロットの絵(図像)があることで、そこに肉付けがなされ、全体性(普遍性)だけではなく、個別(個人)性も付与されてくることになります。
だからこそ、同じ1から7と言っても、人それぞれ、あなたにとっての「手品師」から「戦車」があり、また途中の「斎王」「女帝」「皇帝」「法皇」「恋人」にも、それぞれ個人としての物語や意味があるのです。
同じ道を通りながら、千差万別の物語があるようなものです。それは一人一人の人生にも例えられるでしょう。
同時に、個人しての生き方があったうえで、全体としての流れ、共通点、統合などにも思いを馳せることができます。
カードでは、1から7にストレートに進むのではなく、行きつ戻りつ、人によっては「皇帝」(実績)にこだわる期間があったり、それこそ「恋人」カードのように、恋愛に悩む時期もあるわけです。
それが6の恋が先になる人もいれば、「手品師」としての仕事・社会経験がまずは重要という場合もあります。また、それら(1から7)が一緒に巻き起こることもあるでしょう。
タロットの象徴というのはそういうものです。だから、あるレベルとか状態に固定されたり、ひとつだけの正答があったりするわけではないのです。
しかしながら、数順に成長していくという普遍的規則を思い、高いレベルで、その順序とともにタロットカードを考察していけば、個人的なブレ・誤謬を修正するばかりではなく、大きなことを言えば、人類全体の進むべき道のようなものがわかってくるのです。
その「わかってくるもの」こそが、霊性の方向性、光明だと言えます。
タロットカードで個人的な悩みとか現実的選択を見るのもよいのですが、こうした使い方・見方があることは、特にマルセイユタロットを志す方は、知っておくとよいかと思います。
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