「太陽」 自分との対話と共感

今日は、マルセイユタロットの「太陽」のカードの、ある使い方(とらえ方)を書きます。

その前に、タロットの読み方や、タロットから何か気づきを得ることにおいて、初心者の人に、基本として伝えておきたいものがあります。

それはタロットは象徴だということです。

今日のテーマになっている「太陽」のカードについても、その絵柄を見ますと、二人の人物が描かれているのがわかります。

その二人の人物が、自分とパートナーとか、自分と友人とか、言わば、自分と別の人を表していると見ることがあるでしょう。これは、まあ、見たままと言いますか、普通に絵柄を見て持つ実際的(外面的)な印象かと思います。

一方で、この二人は、もしかすると、自分の中にいるもう一人の自分ではないだろうか、と考える人もいるかもしれません。こちらはどちらかと言えば、内面的な見方、心理的なとらえ方と言えるでしょう。

タロットの読み方がまだよくわからない初心者の人(あるいは、象徴が何であるかというものが教えられていない人)にとっては、この「太陽」のケースだと、特に前者の見方をして、それで決まりだとしてしまいます。

つまり、タロットの絵柄そのままで解釈して、さらには、その解釈した考えや意味を一度決めてしまうと、ほかの見方・読み方を思いつこうとしなくなる態度になるわけです。

「太陽」の二人は、自分とパートナーかもしれないし、自分の肉親(兄弟・姉妹・親子)かもしれず、はたまた学校の友達同士、職場の同僚、趣味の仲間、同じ考えを共有している同志ということも考えられ、さらには、先述したように、自分ともう一人の人物(表の自分と裏の自分、意識的な自分と無意識の自分)、低次やエゴの自分と高次・トータル的な自分ということも考えられるのです。

もっと言えば、人間同士とも限らず、とにかくこの二人の人物という絵柄が何の象徴を表しているかを理解できれば、それは動物、モノ、国、宇宙など何でも解釈は可能になります。

ただし、表している象徴からはずれている場合は、この限りではありません。(タロットは、どんな読み方もありではあっても、それが全部、タロットの表しているルールに適用しているわけではないということ)

それから読みに必ずひとつの正答がある(数学的な解がある)と思うのは、タロットリーダーの誤りがちな初心者の態度です。

同じカード、同じ展開であったとしても、質問によって、または状況・個人によって、タロットの解釈は異なってきますし、多くの読み方があるのです。そういう考えになじむところから、タロットリーディングの第一歩は始まります。

さて前置きがほとんど本文みたいになってしまいましたが(苦笑)、マルセイユタロットの「太陽」の二人について、今回は、自分が二人いるという見方をします。

この見方は、すでに述べたように、多分に心理的な解釈になりますが、それだけに自己の内面を統合していくツール・方法としても大変有用なカードの見方になります。

自分の中には、様々な自分がいるという考えはわかると思います。これもある種の象徴的な見方ではありますが、本当は実際的な意味もあります。(本当に別の人間のような存在がいるという考えもあります)

それはともかく、まず、この心理的な解釈を自分が受け入れることが重要です。

もう一人の自分とは何者か?というのは、ここでは詳しく述べません。それも色々な解釈があるからです。

ただ、自分が自分だと思っている意識の通常の自分、この自分は、周りの環境や人間に配慮しながら(気を使いながら)生きている自分とも言えます。この自分をAとしましょう。

一方、普段は表にあまり出ない潜在的な自分、言い換えれば、本音の自分、どちらかと言えば子供的な自分(しかしインナーチャイルドとは言い切れず、むしろ本来の自分とも言え、こちらのほうが本当の意味で大人なこともあります)がいるとします。この自分をBとします。

「太陽」の二人は、言わば、このAとBの対話であり、相談であり、共感と調和、統合を示しているようにも思います。

自分との対話ということは、よく心理的な手法でも言われることですが、実はなかなか普段はできないものです。

ですから、ここにカードの重要性があるのです。「太陽」というカードをあえて自分の前に置くだけで、二人の人物という絵柄が目に入ってきます。

そこで、Aである自分が、Bである自分の声を聴こうというシチューエーション(場)が作られます。

内的な声を聴くというのは案外、慣れない人、わからない人も多いので、私が個人的に思うのは、聴くというより、「共感」する(共に感じてみようとする)ということで、もっと簡単に言えば、一人二役を演じてみるという感じになります。

「ほんとは嫌なんだよね」「それは怖いよね」「もっとこうしたいんだよね」「悔しいよな」「泣きたいよね」「そら腹立つわな」…など、Bの気持ちを、ただAがわかってあけようとするという態度でしょうか。

このようなことを書いている私自身もそうですが、私たちは、なかなかBの存在を気に掛けるということ(機会)が普段ありません。

また、自己の統合ということを難しく考え過ぎて、専門家に任せたり(深刻な場合は専門家の助けは必要です)、何とか自分(B)を理解しようと、なぜそうなったのかとか、隠れている(隠している)ことを、とことん探ろうとするようなことをします。

これは、追及となり、結局、Bを責めるみたいになることがあります。それよりも、寄り添うという態度が最初は大切かと思います。

一人二役の対話と共感(特にBへの)、もっと言えば、自分の本音を知ろうとするという態度だけでも、変化は起きてくるでしょう。

本音をごまかし、抑圧するエネルギーは、様々な矛盾とねじれ、心身の異常を来します。

しかしながら、現代社会では、Aで生きないといけない部分もあるのは当然で、ここで言っているのは、少なくとも普段無視している、あるいはごまかし、やむなく生きている状態の中で、本音を知ろうとすること(表に浮上させる)だけでも、ずいぶんと違うということです。

また、必ず本音で生きなくてはならないという意味でもありません。AとBの協力で、実際を生きる(乗り切る)という意味に近いです。

長年、対話は放置され、Aの論理と対策(それは外的なことに配慮したガチガチのルールに基づくことが多い)で続けられていたことなので、かなりパターン化され、オートマチックに働き、悪い意味での堂々巡りに陥っていることでしょう。

それを崩すのは容易ではないかもしれませんが、少しずつ雪解けを目指し、対話と共感という習慣を続けて行けば、それこそ「太陽」カードのような、二人の融和・統合が果たせ、分離したモノゴト、二元間の落下や移動(振幅)の恐怖・不安、幸不幸の荒波、焦燥感、矛盾感などが静まって来ると思えます。

「太陽」のカードは、そのきっかけを作る象徴の絵図となり、マルセイユタロットは、言わば、宗教的にはイコンの役割もあるのです。

 

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