「吊るし」の必要性
「吊るし」
マルセイユタロットのこのカードは、大アカナの中でも、特殊なカードと言えます
ちなみに、特殊な大アルカナカードは、数がないという「愚者」、そして名前のない「13」というカードが、ほかにも挙げられますが、「吊るし」は、逆さまに見えながら、それが正立という特別さを持ちます。(もっとも、逆さの人物や動物は、細かく言えばほかのカードにも存在はしますが)
大アルカナのナンバー順は、ある種の成長性を示すことは、すでに結構知られているところですが、「吊るし」のナンバーは12であり、その次は、さきほど紹介した名前のない「13」となります。
「13」のカードは、骨格状の人物が大きな鎌を持って、何かを刈り取っている、削ぎ落しているかのような図像です。このことから、変革や改革、大変な作業ということが想像されます。
しかしながら、その前の「吊るし」は、逆さまのスタイルではありますが、ぶらーんと宙づり状態になり、ほとんど動いていない様子に見えます。
しかも、逆さ吊りの姿勢ともなると、苦しそうであったり、何か拷問を受けていたりするように思えるのですが、このマルセイユタロットの「吊るし」の人物は、むしろ笑みを浮かべているようにさえ見えることもあり、つらさは感じさせません。
一般的には、「吊るされた男」「吊るされ人」など名づけられているこの12番のカードを、私たちは「吊るし」と呼んでいます。
それは能動的にこの姿勢を取っていると見て、あえてこのスタイルの必要性をカードから感じているからです。一般的名称では、受動的に、何かの刑罰を受けているかのようにとられてしまいます。
前にも書いたことがありますが、カードの名前をどう訳すか、どう覚えるかによって、印象・意味合いもまったく異なってくるので、名前は重要です。
私たちは「吊るし」と呼ぶことで、このカードの受動的でいながら能動的である側面やポジティブさを自然に見ることができるのです。
ところで、このカードの解釈は、様々ににできるのですが、霊的な意味では非常に深いものがあり、通常、それは教えられてはいませんし、気づく人も少ないです。
私自身もそれは教わることはなく、あとで、様々なスピリチュアルな情報に接したり、学んだりしたことで、この「吊るし」の霊的な意味をインスピレーションとして得たというところがあります。
ひとつヒントとして言えば、グノーシス思想を探求しないとわからないというものです。従って、タロットの中にグノーシス思想を見出せない教義・姿勢の場合は、「吊るし」の秘密に迫ることはできないと言えましょう。
まあしかし、それもあくまで「ひとつの説」ですから、別に知る必要のない人にはそれはそれでよいことです。
さて、今日は「吊るし」の意味でも、一般的な意味合いの部分で、今年に特に関係すると思えるので、指摘したいと思います。
「吊るし」は、吊るし姿勢のまま動いていないと見ることができ、つまりは、現実的な解釈では、動かないこと、休むこと、エネルギー補充、見直し、停滞・・・というような意味合いとして取れます。
もちろん、ほかの意味もあります。例えば、「吊るし」の人物は「ひも」でつながれているので、結んでいる支点を中心に、右や左、あるいは前後と揺れている(振り子運動をしている)と見ることもできます。
だから位置が安定しないとか、どちらともつかずとか、そういう意味にもなりますし、これをよい風に見ますと、どれにもつかない、中立、うまく自分というものを保った立ち位置を守り通していると考えることができます。
とすると、最初の動かないという意味合いと、振り子のように動く意味合いとは矛盾するようですが、あえて、このふたつを融合させると、「自分を守る意識で動く」、あるいは、「自分の内面の守りたいもの、大切なものは動かさず、外向きは臨機応変にする」ということが出てきます。
もっと本質的に言えば、自分自身を確立すること、どんな時にも自分を保つこと(自分自身を簡単に売り渡さない)ことと言えるでしょうか。
もしも、あなたが、環境や時代の変化などに翻弄され、どうしていいいのかわからなくなった時、だからこそ、あえて立ち止まる必要もあるのかもしれないのです。
新型コロナウィルスの影響もあり、変化を叫ばれる昨今ですが、中心軸のようなのが固められずに、支点も動かして右往左往してしまえば、そのうち、綱も切れて落ちてしまいます。
また、他人や強い影響力を持つムーブメントにいいように動かされ、あなた自身がその者たちの電池のように使われてしまうこともあります。
すでにあるもの(得ているもの・持っているもの)の中で待機し、見ようによっては引きこもりのような熟成期間も大事です。
自分を見失ってしまい、あせって、ただエネルギーを消費し、疲れてしまって、かえってわけがわからなくなる、どうすればよいのか迷ってしまうという人も多いです。
うつ病などでも、エネルギー切れによる不調ということが発端になることがあります。
「吊るし」のように、一度立ち止まり、自分を吊るし(ペンドし)て、今までのポジションから見て、まるで逆さになるかのように、違う見方をしてみるのは、特に今年は必要なのではないでしょうか。
精一杯、走り続けている、努力している人、成果やよい道が現れず悩んでいる人も、できる範囲でゆっくりする、何もしない、一度そのことを考えずに心身を休めてみるという時期を作ってはいかがでしょうか。空白期間もまたそれはそれで重要なのです。
自分が手を出せないようにしていると、過剰なエネルギーがそれまで働いていた場合(つまり、あなたが必要以上にやり過ぎていた場合)、修正が働き、他人があなたのしていたことをやらなければならなくなってきます。
でも、それはそれでよいのです。
あなたが無理して、自分を犠牲にしてまでやり過ぎていたことがあるのですから、自然のバランスで、ほかの人が本来やるべきことが回復してきただけです。そのほうが、あなたのためにも、また他人のためにもなるのです。
あなたがやり過ぎていたことで、他人の成長、物事の動きを止めていたこともあるからです。つらく、大変な思いをして、ますます周囲を停滞させていたとは、皮肉なことです。
「吊るし」は停滞のように見えて、むしろ停滞させているバランスの悪さを見させてくれるところもあります。「吊るし」が出る時、止まるべきはあなた自身であることがほとんどです。それが逆に停滞を解除し、次の「13」の変革に進ませるのです。
やたらと前進あるのみがよいわけではありません。
物事には陰陽があります。時には止まってもいいではないですか。いや、止まらなければならないことがあるのも自然の摂理と言えます。止まることで、本来のあなた自身や見失っていた自分を思い出し、真の自立や必要な変化を促進させることもあるのです。
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