ムーミン少年(少女)の末路と僥倖
今も刊行されていますが、オカルト雑誌に「ムー」というものがあります。
この雑誌の読者、ファンのことをムーミン(ムー民)(笑)と呼びます。
実は、私はムーミンでした。まさに創刊の時以来、中学生の頃から愛読していたのです。
メインの記事も興味深いものでしたが、中綴じの付録のようなものも面白く、それには魔術や特殊能力開発のための簡単な実践記事が書かれていました。
その大体はやってみたのですが、いかんせん、飽きてしまうことが多く、効果もすぐ出るわけではないので、途中で投げ出してしまうことが問題でした。
今思えば、コツコツとちゃんと継続していたら、中には、それなりの力が出たものもあるのではないかと思います。(苦笑)
と言うのも、怪しげなものも結構ありましたが、それなりに西洋魔法テクニックの初歩的なものとか、東洋的な気功術とか、サイキック修行の一部が出ていたように記憶しているからです。
実際、これで、“氣”の何たるかを実感できた時もあります。
まあ、そんなムーミンの私でしたが、さすがに大学生の頃には読むのをやめてしまいました。
しかし、大人になってから、いろいろと悩みが深くなっていた時、再び書店でムーを手にしたのです。
それがマルセイユタロットとの出会いになろうとは、思ってもみませんでした。
私にとっては、ムーを読ことは運命的であったとも言え、人生を逆から見ると、未来にマルセイユタロットをやるために、過去の中学生からの私がムーを読んでいたわけです。
もちろん、ムーに載っているようなことが好きだったから、タロットに惹かれたという当たり前のことも言えるのですが。
ただ言っておきますが、ムーミンであった私でも、タロットにはまったく興味がなかったのです。先述したように、あることがきっかけで、大人になって、たまたまムーを開いたことで、マルセイユタロットを知り、タロットへの関心が初めて出たのです。
ムーを読み始めて20年くらい経って、タロット(マルセイユタロット)に興味が出るというのも、考えてみれば不思議な話です。
さて、そんなムーですが、今の内容は読んでいないのでよくわかりませんが、昔の記事を思い返してみると、まあ、ほとんど荒唐無稽、真剣に信じてはいけないものだったなとわかります。(苦笑)
例えば、UMA(未確認動物)の話があります。
日本ではツチノコとか、ヒバゴンとか、湖に住む巨大な動物とか・・・まあ、世界的にもいろいろ言われていますよね、ビッグフットとかネッシーとか。
当たり前ですが、生物学的に言えば、繁殖しないと個体数も存続できないわけですから、巨大な生物などは特にですが、まずえさとして食べ物も大量にいりますし、繁殖には最低雌雄二匹いないといけないわけで、その子供がほとんど見つからないくらいの数だと、その生物種はすぐに滅亡してしまいます。
雌雄の必要のない、単体で増やすことができるのなら別ですが、微生物ならいざ知らず、通常は無理でしょう。
よって、言われている未確認動物のほとんどは、三次元的に存在しないと考えるのが論理的です。
動物とかではなくても、UFOのような未確認の物体でも、同様に、論理的・科学的に考えればそんなものはないと見たほうがまともです。
強いていえば、新しい時代においては、どこかの国の兵器説はまだ信じられる可能性があると言えますが、宇宙人の乗る円盤とかなると、もう眉唾もの、妙な話になってきます。
ムーミンであった私がそんなことを言うと、なんか元も子もないと言いますか、大人になって夢を失った悲しい人みたいに思われるかもしれませんし、逆に、まともになってよかったねと、ほっとされるかもしれません。(笑)
しかし、今、タロットをしている私なのですから、ガチガチの常識に固まっているわけでもありません。
ただ小学生・中学生のような考えで信じるようなことはしなくなったというだけで、実は、そうした未確認の動物とか物体の存在を、違う形や別の考えで思うことができるようになったわけです。
さきほど、「三次元的に存在しない」と書きましたが、もしこれが異次元的な存在、異世界的動物・物体たったら話は別となってきます。
例えば霊体のようなものだとすれば、人によっては見えることもあるかもしれませんので、次元の違うものなら存在の可能性はあります。
動物の場合、雌雄とか繁殖の概念は物質・肉体を持つというものが基本となるので、それが霊体のようなものだとすると、そもそも概念自体、変わってきます。
つまり、物質的・三次元的な見方をしている限り、ほとんどの謎現象・謎存在を証明することは無理だということです。ほぼほぼ、信じるに値しない話となります。
ですから、これは個人的に思うことですが、謎めいた話を具体的・物質的、三次元的に、物事や存在を説明しているものは、そのまま鵜呑みに取るのはかなり滑稽と言いますか、幼いレベルであり、大人の見方ではないと思います。
例えば、なになに宇宙人が地球と人類を創ったとか、その宇宙人が円盤に乗って来ていたとか、なになに星から私は来た(たとえ魂の話でも)とか、そんなような類のものです。ほかに、日ユ同祖論なども、今の時代のままで信じると、とんだ間違いを犯します。
陰謀論などのほとんどは、今の目線や見方でとらえているものが多く、誰それが、どの組織がとか、かなり具体性と言いますか、特定の団体とか民族とか個人とか、またその逆に、いきなり宇宙人とか未来人とかが関わっているというような話になるのも、同じだと言えます。
結局、そのどちらも、実は今の一般レベル(というより、もっと低いレベルですが)の人間による、物質的な見方だからです。
ではどうすればよいのかと言えば、いろいろな(怪しい話、不思議な話を)象徴的な話として考えるということです。
象徴なので、暗示とかメタファー、抽象的な示唆とかとなり、言われているそれそのもの(具体的な名前とかモノ)ではなくなります。
スピリチュアルが好きな人の中でも、星とか、星座、星雲の出身、その文明、宇宙人との関連が言われることもありますが、例えばマルセイユタロットにも描かれているとみられる「シリウス」という星も、実際のシリウスという意味もあるにはありますが、象徴としてのシリウスを考察したほうが、より本質に近いと言えます。
タロットは象徴のカードです。
タロットにおいても、具体的・実際的に見過ぎてしまうと、「カードが示すことが現実で起きてしまう」というような運命カードのような扱いになってしまいますし、実際の当たりはずれを強調するような見方(が価値の中心)になります。
また、カードの解釈も、ひとつとか数個の意味に決めてしまい、それ以外読めなくなってしまいます。
これはカードを象徴として見ていないからです。
タロットが象徴でできるていること、それが本質理解の手順・方法になっていることを理解すれば、世にあふれるオカルト・陰謀論的な話も、現実的に見るのではなく、象徴として見ることとができ、なぜ説として人々は信じたがるのかということや、その背景(流されている意図等)も、はっきりわかってくるでしょう。
警告しておきますが、三次元的な見方で不思議説を信じていれば、簡単にだましやすい(だまされやすい)人とみなされ、知らず知らず、いいように扱われますので、注意してください。純粋さは大切なことですが、同時に、思考し、洞察して、大人として正常な認識力(判断力)も持っておかねばなりません。
ムーに載っているようなオカルト話を本当の意味で楽しむためにも、すべて鵜呑みに、現実性としてとらえるのではなく、象徴として置き換えてみることをお勧めします。
これは、オカルトをすべて排除する姿勢を言っているのではありません。オカルトに接することで、実は魂的には僥倖にもなるのです。それは話をどう扱い、解釈していくかの姿勢によります。(そもそもオカルトは、隠されたものの意味で、崇高な叡智にもつながるものです)
言ってみれば、純粋な少年少女の心と、すべて疑い、考察していくような冷静な大人の視点との両方がいるということです。どちらかだけだと、おそらく真理には到達できないのではないかと思います。
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