反転する人生、心の解放
マルセイユタロットの表す道というのは、スピリチュアル的に言えば、宇宙や大自然へと戻る一元化の過程という感じでしょうか。
しかし、それではあまりに抽象的で、つかみどころのない話となります。
従って、もう少しレベルや次元を下げて、自分の心の中、内側の世界として、現実的には心理ベースで見ていくとわかりやすいかもしれません。
心理ベースであっても、内が外に反映している(言い換えれば、自分の心が外側の世界を創り出すかのような仕組みになっている)霊的なレベルにも気づくようになってきますので、結果的に行き着くところは同じと言えます。
いきなり霊とか魂、スピリチュアルという世界観に抵抗のある人は、まずは自分の心の探求(これは相対的には他人の心にもなります)において、(マルセイユ)タロットを扱っていくとよいと思います。
それで、たとえ心理的な観点からであっても、やはり、タロットの表す道というのは最初に述べたことと同じで、これを心理次元に下げて解釈すれば、すなわち自らの「心の解放」という表現になるでしょう。
それは、心も自然体に戻ることと同意儀です。
とはいえ、人間、大人になって行く過程で社会性を持つほど、自制していくようになります。それは当然のことで、ある意味、心の成長と言えます。
いつまでも子供の心のままでは社会に適応していくことはできず、人に迷惑をかけて、必要以上に誰かの世話になることになります。
ただ、自分を律するあまり、本当はしなくてもいいことまでやってしまい、自分を知らず知らず追い込んでいることが多いものです。
いつしか、心から楽しむこともできず、しかし刺激を求めて、あたかも成長しているかのような幻想に囚われて、資本主義経済の発達した今の世の中で、お金や地位、名誉を中心とした成功、または反対にそれらをあきらめて、身の丈人生みたいな惰性的な生き方をしてしまう人が増えます。
そうした中で、それでも人間は欲求が出るものですから、自分の望み・欲求をかなえよう、また、不快にならないよう、過程と結果をコントロールしようとやっきになります。
意外にまじめな人や完璧主義である人ほど、物事を(自分の思い通りになるよう)コントロールしようとします。
それは結果によって自分の評価が決まると思っているところが大きいのと、人によっては敏感過ぎるがゆえに、傷つくことを恐れ、その(恐れた)結果にならないよう、必死で事態を最初からコントロールするわけです。
ですが、自然や宇宙は人にコントロールされるほど、軽い存在ではありません。むしろ逆で、人自体がそれらからコントロールされている(存在)と言ったほうが正しいかもしれません。
なのに、人は自分では制御不可能なものに向かって、愚かにも立ち向かっていこうとします。まさにドン・キホーテです。
これをしていると、莫大なエネルギーを無駄に注ぐことになり、疲れるのも当然で、しかもコントロールしようとした(よい結果になるよう頑張った)のに、結果は悪かったということもよくあるため、費やしたエネルギーの分、ショック度も大きいのです。
これが人生を不幸に思わせている要因のひとつでもあります。
マルセイユタロットに戻ると、特に大アルカナの絵柄は、ずっと二元の分離を統合・融合していく世界観を示しています。
よく見ると、絵柄のすべては、人物がコントロールしているようで、コントロールしていないことに気づくでしょう。
例えば正義とか節制、力、戦車、悪魔のようなカードがあり、それらは一見すると、何か人や動物、規則などをコントロールしているように見えるかもしれません。
しかし、カードの象徴的意味を理解していくと、決してそうではないことがわかってきます。もし束縛するようなことがあったとしても、それは解放のための仕掛けとしてとらえられるのです。
マルセイユタロットが表すのは、心理的には心の解放であり、サイキック的には自然サイクルとの調和への働き、霊的には宇宙や自然への大回帰と言えます。それらはすべて、分離から統合が鍵となります。
コントロールするということは、天地(神と人、宇宙と人間、天上と地上、男性性と女性性など)の分離が激しい状態を示します。
分かれているからコントロールしたくなるという、まるで禅問答のような話です。自分と一体だったら、コントロールも何もいらないわけですから。
しかしながら、人は逆のことを経験しないと、その反対のこともわかりませんから、束縛、分離を経験することも必要です。
むしろ若い頃は、そうした経験を味わう時期と言えるかもしれません。
そして、人生の頃合いで、反転転移し、それまで不自由だった人生から自由な人生へと変わって行くことになります。不自由を知ったからこそ、本当の自由の意味がわかるからです。
本当の愛を知りたいと思う人は、逆の愛のない世界、愛されない環境や裏切り、人間関係不全の場所などを経験するでしょう。
ところが、本来は反転して本当のことを味わっていく人生の時期を見失い、錯覚のまま、仮の牢獄経験が本当の世界だと思って、そのまま抵抗や戦い、失望のままで最期を迎えるのが普通になってきているのが現代人です。
苦しい、空しい、生きていて意味があるのか・・・など、究極的に思わされた時、それはあなたが(本当に味わいたかったことに生きる人生に)反転するチャンスに来ていると言えるのです。
マルセイユタロットはそのことも示すでしょう。

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