スピリチュアル

暑さに変化を見る

今年は暑いですね。


この暑さは、さすがにいろいろと記録ずくめみたいです。


ところが、不思議なことに、これほど暑いのですが、この異常な暑さに対応せず、今までと同じ過ごし方でいたり、やり方を変えずに続けていたりするものがありますよね。


私なんかも、今年ほどではないにしても数年前の暑い夏にこんなことがありました。


この時の私は「自分は暑さに強い(やせていることもあって)」と過信しているところがあって、あまりクーラーもつけずに過ごしていたのでした。(実際、それまでは少々の暑さには耐えられていたところがありました)


しかし、ある日クーラーをつけずに我慢して作業を続けていたら、急に頭が痛くなってきて、気分もかなり悪くなってきました。吐き気もあり、何かすべてがボーとした感じなのです。「これはまずいぞ」と気がついた時には熱中症になりかけており、何とか治療を施すことで事なきを得ました。


このことで、私は気がつきました。これからの時代、これまでの常識にとらわれていたり、柔軟性を持つようにしたりしないと、とんでもないことになるぞと。


暑さにしても、昔は精神論で乗り越えて行けた部分もあるかもしれませんが、もはや気合いだけでどうにかなる暑さではなく、従来の無策で耐える過ごし方では生命の危険性すらあるほどです。


これは暑さを例えにしたひとつの例示です。


おそらくこれからは、気候だけではなく、あらゆることが激変していくことになるのではないでしょうか。しかし、表面的にはそれがわからない、感じられないこともあるかもしれません。


というより、「そんなに早く変わってきているはずはない」とか、「そんなに大きく変わっていると思いたくない」、あるいは「思わせない」古い思考が私たちの中に残っており、変化を認めることに抵抗していることもあるでしょう。


また、言ってみれば、あまりに変化のスピードと振り幅が急激なので、ついていけない状態だともいえます。


となれば、今までの方法ややり方、特に頭で考えた理論的なことは通用しないことが考えられます。


冷静な現状分析による理論の場合は逆に有効でしょうが、常識とか習慣などといったことで例えられるものを鵜呑みにする事は、場合によっては問題となるでしょう。


また気温で例えますが、


「今日、これ特別に暑いよね?」と自分が感じて質問し、


「いやいや、今の時期だから暑いのは当然」と答えられて


「そっか」


と納得するのではなく、


「やっぱりこれ暑いよ、よし計ってみよう。ゲッ、気温40度もあるよ!暑いはずだわ」


という「自分の感性を信じる力と磨く力」、そして「冷静に確かめる目と行動力」が必要なのだということです。


ちなみに、この暑さで何も考えられないのなら、「頭を使うな」というメッセージだと思って、直感や感性で動くこともありかなと感じます。


タロットカードに流れる「マグダラのマリア」のエネルギー

昨日は7月22日でしたが、この日はマグダラのマリアの記念日(西方教会)でもあります。


マグダラのマリアといえば、近年、小説「ダ・ヴィンチ・コード」でも有名になりましたが、イエス・キリストの妻であったといわれる女性です。(イエスジュニアを身ごもり、産んだという伝説もあり)


ただマグダラのマリアについては様々な伝説があり、一般的にはイエスによって自分の罪を悔い改めた人物、イエスの磔刑後、その復活を最初に見届けた女性として知られています。(当然ですがイエスの妻であるとは公式には認められていません)


カモワン版マルセイユタロットでは、マグダラのマリアとの関連を説きます。


タロットカードの絵柄(単体もしくは複数のカードの組み合わせ)によって、マグダラのマリアの数々の伝説を見ることができるのですが、ここではそれらについては言及しません。


ただ、一枚だけ挙げるとすれば、17の数を持つ「星」というカードを示すことができます。


西洋の宗教画において聖母マリアと違い、マグダラのマリアは長髪の金髪であり、裸で描かれることが多かったようです。


星のカードをみると、まさにそのような女性が二つの壺から水を流している姿で描かれています。


私たち日本人が見てもすぐにはわかりませんが、きっとキリスト教、特にラテン系の国の方々にはこの「星」の女性を見ると、マグダラのマリアだとすぐ思われることでしょう。


マグダラのマリアは伝説によれば、イエスの受難のあと、イエスの子をお腹に宿しながら、イエスの秘儀を受け継ぐ者たちとともに地中海に船出し、今の南仏マルセイユ界隈の海岸に漂着したのち(「サント・マリー・ド・ラ・メール」という地名で残っています)、その地に留まってイエスの教えを広めたといわれています。


イエスジュニアを産んだあと、マグダラのマリアは山の洞窟にこもって修行を続け、悟り(というと仏教的ですが)を開いたとも伝えられています。裸の姿と長い髪の毛はこの時の修行状態を表しているとの説もあります。


ちなみにこの洞窟はマルセイユ郊外のサント・ボームという山にあり、中腹にはやはり洞窟が存在し、そこにはマグダラのマリアを祭る教会もあります。私も実際にタロット学習の関係で行ったことがありますが、いろいろな意味ですごいところです。


マグダラのマリアが伝説の通りに実在したかどうかはわかりません。ただマグダラのマリアと語られる存在は、古代からの女神崇拝、女神・地母神信仰が反映されていると見てよいでしょう。


従って、女性的な癒しのエネルギーが「星」のカードには体現されています。


多くの女性の方がこのカードを見て特別な感情を抱いたり、自分の女性性について思いを馳せたりするのもそうした理由があるものと考えられます。


また女性だけでなく男性も含めて、このカードから大いなる浄化と癒しのパワーを実感することでしょう。


私自身も行き詰まっていた時、このカードと瞑想対話していますと、マグダラのマリアのような存在が現れ、「そのままでいいのですよ、がんばっていることは私が知っています」と告げられた感覚があり、涙がとまらなくなった経験があります。


カモワン版マルセイユタロットには、確かにこのマグダラのマリアに象徴されるような女性的な力が流れているように感じます。


それは、今の世で失われがちな何かだといえるでしょう。


月への願い事と月の役割

月に願いをかなえるという方法が、よくスピリチュアルな世界では使われているようです。


その効果のほどはわかりませんが、これだけ話題になっているということは、それなりにあるのだと思いますね。


タロットカードにも「月」というカードがあります。


タロット自体、主に心の分野を担当するものですが、中でもこの「月」はさらに心情や心理に関係の深いカードといえます。


月は昔から人々の想像をかき立てる存在でした。


狼男の伝説や、満月の夜には興奮するとか、カニが卵を産みにくるとか、伝説や事実も含めて不思議な雰囲気を漂わせているのは確かです。


願望をかなえる月メソッドがあることから、おそらく月には人々の思いを増幅する作用があるのではないかという気がします。


ということは、よい思いを月に投影すればそのままよいことが返り、悪い願いを託せば悪いものが反応するということになります。


これと最近は前にも書きましたように、タロットカードでいえば「運命の輪」の加速が増して行っている ように感じますから、余計に自分(自分だけではない集合的なものも含めて)の想念の反響も、これまで以上にストレートになってくると考えられます。


マルセイユタロットの大アルカナの数の並びでは、「月」のカードの次には「太陽」となります。


順列的に前のカードが次のカードの前兆や何かの示唆を表すのだと考えれば、「太陽」の前に「月」の作用があるということになります。


「月」のカードには二匹の犬が対立するかのように描かれており、「太陽」のカードには二人の人物が手を取り合って共存しているように描写されています。


そこから、統合や共存の前には葛藤や分離があることがわかります。


月によって増幅される私たちの想念には、よいものも悪いものもあるでしょう。


今までは現実への影響もゆっくりとしたものだったのですが、これからはそれにスピードとダイレクトさが増すであろうことは先述した通りです。


ということは、月によって私たちは鏡のように自分を見るよう試されていると言えないでしょうか。「こんなことを思っていると、本当にそうなる」のだということを見せられるわけです。


それは来るべき太陽のような輝きの時代になるための、ある意味、試練かもしれません。


単に「月に願い事をかなえてもらう」というお陰(月はまた「陰」を意味します)行為も、月の反響作用を知る上では効果的なことでしょう。


ただそれだけではなく、「自分がなぜよい思いができないのか」「その裏には何が隠されているのか」を見つめていくことも必要だと感じます。


表(よい想念、願い)と裏(悪い想念、願いをかなえたいと思う心、叶えられない理由)を、月の鏡像装置によって見ていくのです。


そういう意味ではタロットを利用し、特に「月」のカードで描かれている二匹の犬や、水たまりに出てきている本能を意味するザリガニなどの象徴によって考察してみるのも、その手助けになるでしょう。


せっかく太陽の前に月が出てきてもらっているのですから、ありがたくも月に感謝しつつ、太陽への準備を私たちは進めていくことが求められているように思います。


サッカーの神とタロットの霊

毎度サッカーネタですみませんが、なにせ、もともとサッカー好きなもので。。。しかもやっぱり昨日の日本代表の話にふれないわけにはいきませんよね。(笑)


サッカー日本代表、惜しくもPK負けを喫してしまいましたが、あの試合に限らず、今回の日本代表を見ておりますと、やはりサッカーファンの間ではまことしやかに語られる「サッカーにはサッカーの神がいる」という話を信じたくなります。


サッカーの神とは、サッカーの試合でたびたび信じられないような奇跡や考えられないような結果が起こることがあり、どうにも超越的な何かが試合を差配しているのではないかと思えてしまうことから、その存在を語られるものです。


またその他にも、サッカーの流れ全体において、あとから考えると何らかの大いなる意志が働いているたとしか思えないこともあるため、そこでサッカーの神がいると想像されることもあります。


サッカーの神は、時に残酷な神である場合もあれば、女神として奇跡を起こすこともあり、ひとつの色では語りきれないものです。


日本代表でもドーハの悲劇(94’アメリカW杯アジア予選ギリギリ敗退)、ジョホールバルの歓喜(98’フランスW杯第3アジア代表決定戦、W杯初出場)、02’日韓W杯決勝トーナメント初進出、06’ドイツW杯惨敗に近い一次リーグ敗退、そして今回のパラグアイ戦でのPK戦までもつれ込む死闘・・・と見てきますと、


あまりにも偶然と考えるには不思議な流れがそこにはあります。まるで日本サッカーを苦難と快楽の繰り返しによって鍛えているとしか考えられないほどです。


このように見てきますと、サッカーの神というか、サッカーの精霊みたいな存在を仮定してみたほうが面白いといえます。


しかしながら、ひとつだけいえるのは、その精霊が働くのも、選手たちが全力をぶつけ合うものすごい試合であったり、日頃から努力した者たちに試練と恩恵を与えているような気がします。



さて、そこでタロットなのです。(前振りが長くてすみません...)


タロットにも「タロットの霊」と呼ばれるある見えない存在がいる とお話しました。


タロットリーディングは私たち人間と、そういった精霊とも呼ぶべきものとのコンタクト・共同作業によって行われます。(毎回毎回そうとは限りませんが)


この「存在」とは特別な方法によって交流を図らねばならないと言われていますが、しかし、そこまでではなくても、タロットに真剣に向き合う時、タロットの霊の働きも発動しやすいと私は思っています。


タロットへの熱意、思いがタロットの霊を動かすとでもいいましょうか。


そして、これまた「サッカーの神」と似たように、少し気まぐれであったり、女神的な場合であったり、いろいろです。


ただその根源としては一つであり、そこから「化身」としてリーディングの問いや状況によって様々な性格で現れるのだと感じています。


こうして様々なタロットの世界の感覚を受けつつ、サッカーと同じく、私たちはタロットによって鍛えられているのかもしれません。

やがて祭りは終わり、また現実生活に私たちは戻ります。けれども、サッカーでもタロットでも、特別な非日常的空間、思いの世界にいたことは自分の記憶に残り、見えざるエネルギー・認識の基を貯蔵することになります。

それが今度は日常での視点を変えるきっかけとなり、今までとは異なる自分に変容させることにもなるのです。


太陽のエネルギー

明日は夏至に当たりますね。


夏至といえば単なる天文学的な意味での分節点ではなく、スピリチュアルな意味からも特別な時点だといわれています。


夏至に限らず、冬至、春分、秋分などの4つのポイントをはじめ、一年を通じて何回かの重要な日があるようです。


カモワン版マルセイユタロットでも、明らかに夏至などの太陽の動きと関連したカードがいくつかあります。


その中でも、もっとも夏至にふさわしいカードは、ずばり「太陽」のカードでしょう。


もう見た目そのままで、顔のついた太陽が大きく描かれています。


このカードの中の太陽と、ある関連するカードとを透かして重ね合わせると、実際の夏至の太陽が特別なポイント(山の頂上や神殿の真ん中など)から昇ってくるかのように、意図的な位置を配されて描かれているのがよくわかります。


つまり、太陽の動きの観測には非常に重要な意味が古代からあり、それはとりもなおさず、「動き」を知る必要があったことをタロットが示しているのです。


海外のストーンサークルのなどの古い遺跡でも、夏至や冬至などには決まった位置から太陽が見えるようになっているとも言われています。


そのような事実と、タロットからの個人的解釈とを照らし合わせてみると、おそらく太陽のエネルギーが今以上に重要なものがあったのではないかと推測できます。


太陽エネルギーというものは、エコ意識の高まった今でこそソーラーエネルギーとして活用されはじめていますが、古代ではわれわれがまだ科学的には認識できてない別種のエネルギーが存在していたのではないでしょうか。


それは人体や精神にも影響し、さらに土地と共鳴して多くの奇跡的とも思える現象を引き起こしたかもしれないと想像しています。儀式的には、私のインスピレーションでは、手の印(手や指の特別な組み方)に秘密があると推察しています。


その発動は、やはり夏至などの特別な時点で極大となったり、変動のターニングポイントを迎えたりしていたものと考えられ、だからこそ、太陽の観測は非常に重大なことだったのではないかと私は思っています。


もちろん昔では、天体観察が季節や天候の予測と関係し、直接の農業などの種まきや収穫に影響を及ぼしていたので、太陽を観測したと普通に考えられますし、まともな意見だとは思います。


しかし私の言っていることはトンデモかもしれませんが、そういう夢想をタロットを見ながら、夏至の日にしてみてもロマンがあるといえるのではないでしょうか。(苦笑)


余談ですが、この「太陽」のカードは、個人的に相当な、ある治癒力のエネルギーがある気がしています。またいつか、この事例も紹介ができればと思います。


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