タロットの使い方

社会不安と占い、タロット

社会不安になりますと、占いが流行ると言います。

これは日本だけではなく世界的傾向もあるようです。

例えば、昔の話になりますが、フランスにおいて、有名なフランス革命後、社会情勢が不安定になり、やがて左傾が反転、右傾化してナポレオンによって帝政時代を迎えるようになります。

その間の時代では、占い、特にカードやタロット占いが流行したと言われています。かのナポレオンも実は占いで戦争を決めていたといううわさもあるくらいです。

日本では、タロットと言えば占いの道具という認識が一般的ですが、おそらく、この頃のタロットの使い方(占いとしての)が、世界的に汎用化されたのではないかと、歴史的に見れば考えられます。(それまでは、タロットはゲーム道具の要素が強かったと見られます)

まあ、要するに、占い、そしてタロット占いなどは、社会不安ととも作られてきた面があるわけです。

さて、今や新型コロナウィルスのパンデミックから始まった、世界的社会情勢の不安、問題が広がっています。

さらにアメリカでは、人種差別が発端のデモや暴動のようなことも起こっています。とはいえ、これについては、陰謀論ほどではないにしても、かなり策略的においがするのに、多くの人は気かづいているかもしれません。

ですが、たとえ何かの陰謀や策略であったとしても、つまりは、人心や社会が不安な様相を呈しているから、それを利用する輩・勢力も出てくると考えられます。

さきほど、フランス革命とその後の話にふれましたが、この時と今の時代とでは、不安の要因は違うとはいえ、左的なものの運動・革命の機運から、結局は全体主義とか右的なものが台頭してしまうという流れは、第二次世界大戦時のドイツのナチス支配の流れを見るまでもなく、似たようなことを繰り返しているように感じます。

思想自体はあってもいいですが、もう右や左とかで、どちらも暴力や支配で決着をつけようと争うようなレベルから脱却したいものです。国や環境、技術が変わっても、やっていることやシステム的には、、数千年、同じなのが人類と言えます。

ちょっと話が占いやタロットからそれていますが、話を元に戻しますと、このように、社会不安が起きると占いが流行るというセットみたいな話があるわけです

それで、今日言いたいのは、ふたつのことなのです。

ひとつは、人々が不安になれば、やはりその不安を解消したい、癒しを求めたい、希望を持ちたいという思いで、何かに頼りたくなります。

占いの流行も、そうした心理的不安から起きてきているわけですが、とはいえ、占いと言っても、意外にも、機械やコンピューターの占いでは安心できない、癒されないということがあるのではないでしょうか。

となると、実は、人は占いを求めながらも、、誰か「人間」に話を聞いてもらいたいというところがあるのがわかります。

人に相談して解決策を求めたいという気持ち以上に、悩みや気持ちを吐露して聴いてもらい、少しでも自分をわかってほしいという感情があるのです。

もちろん、占いにおいては、普通の情報以外の、目に見えにい力に頼りたいということもあるでしょうが、人に話を聴いてもらい、また聴いてもらうだけではなく、占い技術によって、通常わかりえない情報を得ることができる期待もあるので、対人占いは、不安な時期には特に流行るのだと思われます。

前置きが長くなりましたのが、だからこそ、今、もし占いを学び、実践したいと思っている人には、それで稼ぐという意味よりも(それはそれでよいですが)、何より、身に着けた占い技術によって、人々の安心・癒し・常識を超えた情報提供などで、貢献していくチャンスだと言いたいわけです。

コンピューターの時代にあっても、やはり、人々は生身の会話を求めています。オンライン鑑定は増えましたが、それでも、オンラインを通してやっているのは、人と人の会話・コミュケーションです。求められているのは、あなたという「人間」なのです。

ここで、私は占いの技術に自信がないという人もいるかもしれません。

それはうまくできなかったことの評価へのおそれ、他人に提供するには、よいものをなさないと失礼になるなど、結局、過剰な自分への関心ベクトル方向と、経済的価値と自分の価値をイコールにしていることが多いのです。

まずは、自分のことより(関心ベクトルを他人のほうに向ける)、そしてお金のことより(仕事や作業はお金でしか評価、換えられないものと思い込み過ぎない)、世のため人のため、今のできる範囲で精いっぱいやってみるという姿勢が大切だと思います。

自分は意識していなくても、タロット占いやタロットリーディングをすれば、それは相手のためになるだけではなく、いや、もっと言えば、相手のためにたとえならなくても、実はほとんど自分のためにやっていることであり、それは自己浄化につながるのです。

ある意味、対人タロット占い、対人タロットリーディングという形を借りた、自己対話なのです。

ですから、マルセイユタロットの「力」と「手品師」の並びのように、新しいことに一歩踏み出す勇気を持ってみましょう。

次に、ふたつめは、占いの話をしておきながらなんですが、社会不安になったら占いが求められ、だから占いをするという、その、ずっと続くパターンから変化をつけてみたいということです。

時代的にも、次元が変わりつつあり、これまでのような、昭和的ともいえる占い・占いしたものをやるには時代遅れのところもあり、また元のパターンを強化したループに落とし込むような問題があるように思います。

ですから、占いをしながらも、ただ気持ちを安心させたり、先行きの情報を与えたり、物事の現実選択の悩みを吉凶的(現世利益的)に判断したりするのではなく、もっと別の次元やレベルの情報も提供し、悩める人々の意識を転換していく姿勢が、これからの占いにも求められる気がします。

不安をただ沈めるのてはなく、もっと意識そのものを上昇させていくような感じです。

いわば、マイナスからゼロに戻すだけではなく、プラスに変えるもの、いや、マイナスやプラスと思っていた世界から脱出していくような気づき、意識を獲得してもらうような内容です。

タロットで言えば、読みのレベルを上げる(たくさん持つ)ことであり、それには、レベルの違いとは何なのかということをタロットを読む側がよく認識しておく必要があります。

この区別ができていないことで、自分のやっているタロットリーディングが、占いなのか、セラピーなのか、チャネリングなのか、何をしているのか、何をしていいのかわからなくなり、結局、クライアント・相談者の求める情報レベルに合わせて、相手に迎合したものになる方がいるのです。

もちろん、相手の求めるものに応じること、悩みを解消していくことは重要ですが、それだけだと、これまでの占いレベルのままで、人や社会をよい意味で、改革させる(無限ループのような罠から脱出させる)ことは難しいです。

相談者の悩みや葛藤の階層に一緒に住むのではなく、占いやリーディングしている時だけは、その技術・ツールをもとにして、自分の階層レベルを上げ、悩める人を新たな世界へ導ける視点をもってやっていくとよいでしょう。

私の講座や勉強会でも、特に時代・次代を意識したタロットリーディングを解説しているところです。

タロットを習った皆さん、あるいはこれからタロットを学習してみようかという方、タロット占いやタロットリーディングによって、社会不安の中でも、自他に役立てることにチャレンジしてみてください。


タロット関係を継続する方法

タロットを学習しても、タロットが続けられる人は、案外少ないのかもしれません。

独学か、学校や先生について学ぶかで言いますと、意外と、独学の人のほうが続けられている気もします。

もちろん、学校や先生において習う場合でも、継続率が高いところもあります。

やはり、習ってそれで終わりだけではなく、継続して興味が持て、学習できる体制があるのとないのとでは、その差も大きくなるのは当然と言えます。

私自身のことで言えば、かつて一緒に学んだ方々でも、今でもタロット活動をされている人は、ほとんどいない感じです。

当時、その学校関係でアフターフォロー的なことも少しはありましたが、やがて学校自体がなくなるに等しくなったことで、その時点からタロットをやめる人が増大した印象です。

たぶん、当時習った皆さんでも、カードは残されているとは思いますが、同時期やその後数年間において、同じ学校で学んだ人で、いまだ名前をお見かけしたり、実際にタロットをされていることを知っていたりする人は、ほんのわずかです。

あと、趣味の場合は、タロットが本当に好きならば長続きしますが、ビジネスや対外的に事業としてやっていくとなると、純粋にタロットだけの問題とはいかなくなりますから、結局、事業が立ち行かなくなると、タロットへの関わり自体もやめてしまう場合があります。そういうのはちょっと悲しいですね。

ということで、せっかくタロットを習っても、それっきりで終わらないようにするために、アドバイスや注意点をポイント別に書きたいと思います。

●習う費用と期間の問題で変わる

入門的に、あるいはちょっとした興味ということで、内容がライトなコースとか、一日とか数日の短期間のコースを選択してタロットを習うと、結局、タロットに対して軽い感じになり、興味もすぐ冷め、そのまままやめてしまうことがあります。また、料金があまりに安いコースだと、お金の重みが感じられず(つまり真剣さや重要度が薄くなる)、継続意欲・活用への興味もなくなりやすいです。

ただ反対に、入口がライトだっただけに、さらに深いものを学びたいと、逆に興味と感心が増してくることもあります。

●アフターフォロー(体制)の充実があるか

タロット講座が終わると、「あとは自分で勝手に・・・」というような感じで放置されるものだと、先にも書いたように、どうしてもタロットへの定着率は下がります。また、習う組織や学校自体がなくなったり、組織改編などあって事後体制が変更されたりして、継続学習ができなくなると、同じようなことになります。まさにタロット学習難民と化すわけです。

●学習仲間や自主的なタロット学習のグループを作る

習う側においても、学校や組織、先生ばかりを頼りにせず、自分たちで学習グループや研鑽組織を作り、学ぶ意欲を継続させていくとよいです。私自身も、昔、習った者たちで学習グループを立ち上げ、それがあったからこそ、何人かの人とともに、タロットが続けてこられたというのもあります。

やはり仲間がいると、タロットを続けて行きやすいです。

●学校や先生のスタッフ、ヘルプをする

タロットの学校とか先生の場合、タロットが仕事であったり、生きがいであったりすることがほとんどでしょうから、タロット活動が一般の人よりも続いていく可能性は高いです。ですから、当然、そこにスタッフとか何かお手伝いするヘルパーとして入れば、タロットとの縁が途切れず、自分もタロットと関わり続けることができます。

●自分なりの課題やルール、あるいは目標を設定する

タロットにおける目標、課題、ルールなどを決めておくと、それを達成するまでは続けることがモチベーションにもなってきて、気づけば、タロットを長くやっていることになってきます。例えば、毎月何人リーディングするとか、あのカードのこの謎を解明するとか、なんでもよいですが、具体的なほうが効果は高いでしょう。

●ビジネスとタロットへの思いとを切り離す(分けて考える)

タロットがビジネスとからんでしまうと、お金や経済的なことと結びつき、何でもそうですが、好きなことをビジネスにしたつもりが、ビジネス自体がうまく行かなくなって、好きなことそのものも嫌いになる、あまり扱いたくなくなってくる・・・という悪い影響を及ぼしてしまうこがあります。

逆に言えば、ビジネスが好調であれば、タロットも余計好きになり、長く続けていくことも可能になります。しかしながら、純粋な意味でタロットが好き、タロットに興味があるという気持ちがあるのに、ほかの要因・要素によって、それが影響されてしまうことは避けたいところです。

お金儲けや成功することが好きなのか、タロットができる自分を評価してもらうことが好きなのか、それとも、タロット自体が本当に好きなのか、それらをいつの間にか、混同してしまうわないように注意しましょう。

●タロットをアテモノだけの興味で考えない

タロットを占いとして、当たる当たらないの観点で見てしまうと、当たらない時にタロットの予測と実際の結果にがっかりして、タロット自体への信頼、興味を失ってしまうおそれがあります。これはそもそも、タロットをアテモノ的な占いで見ているからこうなるわけです。

だとすれば、自分の興味を失わない使い方を、タロットにおいてするべきなのです。

●自分の興味や価値観と、タロットの活用とをリンクさせる

自分は何のためにタロットを習い、使うのかということを、今一度、はっきりさせることです。

自分の目的や好きなこと、自分が高い価値を置いているもの(これは人によって違います)に対して、タロットを活用することができるか、もしタロットを活用するとすればどんなことができるのか、どのように使えばよいのか、このように考えることで、タロットと自分が大きく乖離することなく、使い続けることができるでしょう。

もし、自分の価値観、人生において、あまり役に立たない、活用する方法が見つからないということであれば、タロットはお蔵入りとなってしまうのもやむを得ないでしょう。

 

いろいろと書きましたが、結局、一番大事なのは、タロットが本当に好きかどうかが一番肝心かと思います。

そして、別に長く続けることがよいこととは限りません。タロットの縁、その意味にも、個人差があります。

人によっては、タロットは単に学びのひとつ、ある目的のために一時的に接したツールという場合もあるのです。その後、別のもっと強い関心を抱けるものに出会うこともあります。

要するに、タロットとの出会いと学びは、自分にとっての(必要な)過程である(であった)という場合です。

ですから、自然に興味が離れ、タロットを扱わなくなってもよいのです。

まさに人それぞれで、あなたがタロットを選びつつも、タロットのほうもまたあなたを選びます。あなたがタロット必要としないのなら、タロットからも働きかけは弱くなり、あなたから離れていきます。

それでも、タロットとその奥底に流れるものに縁のある人は、一度離れても、再び戻ってくることもあります。その時は、前よりも、タロットが身近に感じられたり、以前とは違った面を見せてくれたりするようになるでしょう。

タロットにも種類があるように、それぞれの種類別で関わる縁があります。

 

マルセイユタロット縁がある人には、私のほうで門戸を開いておりますので、一度、扉をノックしてみてください。マルセイユタロット難民(笑)の方もご相談くださいませ。


大・小アルカナの関係と使い方

タロットには大アルカナと小アルカナというパート、カード構成があります。

このふたつの違いは、大と小と名前があるように、簡単に言えば、大きな見方と小さな見方が適用されるものと言ってもいいかもしれません。

ただし、ここでいう、大と小は、良い悪い、優劣の意味で高い低いというわけではありません。

要するに、適用される分野や次元が異なるということです。

マルセイユタロットの場合、大アルカナと小アルカナ、特に数カード(数札)の絵柄とはかなり違っていますので、明らかにこのふたつが別であることが示されています。

しかしながら、タロット全体としては必要なセットとして組み込まれているわけで、タロットシステムからすれば、そこにはきちんとした理由があると考えたほうがよいです。

ということは、タロット全体からすれば、大も小も必要で等しく、しかし、絵柄の違いからして、別物と見ることも自然になるわけです。

全体としては同じ、しかし個別としては異なる・・・これは何かと似ていませんか?

そう、まるで宇宙全体(完全性)と私たち一人一人(の世界、個別性)の関係を見ているかのようです。

タロットが宇宙や私たちの象徴・モデルであるということは、このように、タロットの構成を検証するだけでもわかってくるものなのです。

こういう見地からすれば、自ずと、大アルカナと小アルカナの使い方、適用する分野というものも理解できてきます。

講義ではこのことはしっかりとお伝えし、具体的にタロットの使い方・読み方を、大アルカナと小アルカナで説明しておりますが、ここで簡単に大と小の関係性と使い分けをご紹介しておきます。

まず、大アルカナは一種の元型・アーキタイプのようなものと設定します。

そして、小アルカナは大アルカナひとつひとつに対して、4つの分野に細分し、表現されたものと考えます。

この4つとは、四大元素(風・水・火・地)思想をベースとした四組のことです。すなわち、剣・杯・杖・玉(一般的にはソード・カップ・ワンド・コイン)となります。

四組のとらえ方、表現分野には諸説ありますが、一般的・簡略的に述べるとすると、思考・感情・行動・物質(環境・結果など形)と表現できます。

このうち、内的なものとしては思考と感情があり、外的なものとしては行動と物質的環境があります。(杖は火の象徴なので、内的な情熱やモチベーションを表すこともありますが、今は便宜上、あえて簡単に種類分けしています)

元型的な大アルカナ一枚一枚に対して、この四組の表現方法や働きかけがあると見るわけです。

構造的には1対4(大アルカナ1と小アルカナ四組)の関係性です。

これは、大アルカナ自体にも、「手品師」や「世界」のカードに図像として表現されています。特に「世界」がわかりやすいでしょう。「世界」のカードには、真ん中の人物と、周囲には四つの生き物が配置されている絵になっています。

では事例として、「節制」のカードで説明しましょう。

「節制」という元型に対して、四つの表現方法があり、どの分野を自分が選択するかという向き不向き・適合不適合も考えられますが、同時に、「節制」を完全に理解、自分のものとする(現実化する)には、四つの分野それぞれが必要であるという考えにもなります。

「節制」は救済や治療を表すとすれば、そのために必要なものは四つのうちどれか、あるいは、四つのバランスで歪になったり、ないがしろにしていたりする部分はどれかというような見方ができます。

どこか調子が悪いのなら、まず内(思考・感情)か外(行動・環境)か、というものを見て、さらに内・外のそれぞれの因子を調整したり、取り入れたり、過剰さを排除したりすることで、元型としての(この場合は「節制」)本質が現れてくるというイメージです。

ほかにも、「節制」を別の意味にして、例えば経済的節制、つまりお金を節約する課題として考え、小アルカナ的に四つの分野からアプローチする、手段とすると見ることができます。

今は単純な例でやりましたが、実は四組構造はもっと複雑化したり、逆に単純化することもでき、かなり具体的・個別的に絞っていくこともできれば、元型次元にまで抽象化して、ほとんど元型と変わらない意識までもっていくことも可能なのです。

こうしてみると、特にマルセイユタロットの大と小のアルカナ構造は、本当によくできていると実感させられますし、マルセイユタロットを使う多くの人が、小アルカナをあまり活用されていないのではないかと残念に思うところもあります。

そもそも日本においては、ホドロフスキー氏の著作以外、本格的に、あまりマルセイユタロットとしての小アルカナの解説や使い方が教授されていないので、仕方ないのかもしれません。

私自身も、もとはカモワン流から入りましたので、当時のカモワン流ではほとんど小アルカナを使わない技法ということもあり、自力で小アルカナと大アルカナの両面の活用について探求・実践してきたところがあります。

その過程で、やはり小アルカナはタロットシステムにおいて必要不可欠なものだということがわかりましたし、一般的に言われている小アルカナの考え方・使い方とは、また別の方法もあるということも気が付いてきました。それでも、大アルカナとはセットで考えたほうがよいのです。

何事もそうですが、使わないものは衰えたり、疎遠になったりします。

タロットもしかりで、大アルカナばかり使っていては、小アルカナを理解することから遠ざかりますし、小アルカナとあなたの関係はよそよそしいままです。

実は、小アルカナは現実と強く結びつく性質があり、大アルカナばかり使っていると、現実逃避や地に足のつかない状態になってしまうこともあります。(しかし、リーディングしたり、占ったりする内容が現実性を持てば、大アルカナもその次元にシフトしていくことができるので、必ずしもそうとは言いませんが)

ということで、せっかく小アルカナのパートがタロットではあるのですから、使ってあげるとよいです。魔法的には四大の精霊と仲良くなる感覚でもあるでしょう。

面白いことに、ゲーム世界では四大の精霊はよく表現されていて、子供たちは名前も知っているはず(笑)です。

ゲーム世界では、四大はアイテムや能力においても不可欠な要素で、ロールプレイングゲームでは、その四大要素の特質を持つ人物も現れ、パーティーを組みます。それがアンバランスだと、パーティーも、最悪、全滅します。

つまりは生きる力と関係しているのです。これはゲームを私たちの現実世界(これ自体もゲームだと考えることができます)の例えだとすると、よくわかると思います。

タロットの活用は、78枚あってこそなのです。


マルセイユタロットとふたつの思想型

タロットの学習は、それ自体がタロット以外の学びにつながっていると、つくづく思います。

例えば、小アルカナを貫く基本コンセプトともいえる「4組(四大元素)」も、自分にとっての四つの分野の過不足、調整、統合などを示唆し、ただ単に四分野のバランスを取るという意味だけではなく、自分にとっての個性、言い換えれば得意な分野・方法をも見ることがてきます。

それによって、自分という存在が、いかにただの一部分(ひとつの方向性)からしか見ていなかったことがわかり、最初は愕然とすることもあります。

しかし、さらに進めば、自分から他者、つまり自他構造やその関係性まで派生し、最終的には大アルカナの「世界」のカードが示すように、世界、いや宇宙全体も同じ構造や関係性をもっていて、自分というものがまさに世界そのもの、いわば小宇宙であることに思いが至るようになります。

このことから考えても、タロットは占いの道具で作られたのではなく(表向きはトランプのような遊技道具だとしても)、私たち自身が個人としても、全体としても気づき、成長し、全体と個を統合して、人類全体を進化させる目的で作られたのではないかということが想像できるのです。

このことは、マルセイユタロットのいろいろなことからも証明というか推測できるもので、マルセイユタロットを知れば知るほど、実感できてきます。

いつも思うのは、何者がマルセイユタロットに関わったのだろう、製作者や完成させた者はどんな存在だったのだろう、ということです。

これについては、歴史(特に裏歴史のようなもの)を丹念にたどっていけば、だいたいのところは想像がつくところなのですが、具体的に誰とか、どういう組織だったのかというものを突き止めようとすると、それは逆にわからないようになっている感じがします。

ただ、少なくとも、マルセイユタロットが実際に世の中に登場し、広く出回るようになった時代のことを思えば、17~18世紀を中心としたヨーロッパ完成の時期を見ることはできるでしょう。

ということは、その頃に何かがあったということも逆に考えられのです。

もちろん、カードが生産がしやすい状況が発達してきた(整ってきた)という社会的条件もあったでしょうが、裏向きの理由として、私たち人類に必要でるあからと、この時期に完成させた存在と言いますか、勢力、意図があったのではないかと想像されます。

いつの世も、実際の形とか表現とかは、時代ごと、表現者ごとに違うのは当たり前です。

しかし、その奥底に流れる本質、本当に伝えたいこと、見せたいこと(わかってほしいこと)は、同じだと言えます。

自分の意見を伝えたいと大昔の人が思えば、普通に声を出すか、自然の木や石で何かを表現したかもしれません。やがて本ができれば本に書くということもあります。

今の時代はネットとか通信機器が発達していますから、そういったツール・方法を使って伝えるでしょう。

また、もしかすると、テレパシーのようなもので伝える文化とか方法もあったのかもしれません。(もしくはそういうことがわかってくる未来とか)

さらに言えば、世の中の状態、自分が置かれた状況によっても表現が変わるでしょう。

戦争時代に、戦争反対を訴える人がそのまま主張・表現しても、その国で逮捕されたり、制限されたりするのが普通だったでしょうし、今でも宗教や思想が自由な国はそれほど多くなく、認められていないことを述べたり、信じたりするのは命の危険もあります。

マルセイユタロットというものが、紙でできた図像であるのも、そういうものを作る工業的技術(と言っても家内制手工業に近いものだったでしょうが)がやっと整ってきたというのもあるのでしょうし、何かの理由(この理由も大体は推測されていますが)で、本当の主張を本などで書くことができず、カード図像に暗号のように隠したという説もあります。(個人的にはこれを採用しています)

つまり、マルセイユタロットとしての表現は、それに関わる人の、その時代と条件・状況に合った伝達方法として選択されたということです。

それぞれの時代・条件によっては、同じ主張であっても、違うやり方・方法が取られていたことは容易に想像がつきます。

外(表)に出ている表現や形だけで判断していると、本質が見えないことがあります。

本質を見ていけば、つながりもわかり、ある種の主張や思想の流れが連綿と続いているのが浮かび上がってきます。

それは、地域や国、時代とは関係なく、おそらく人類史としてずっと続いてきたものではないかと思われます。

結局、ふたつの対になるような思想の対立とその統合という歴史のように思います。それが、洋の東西、時代や国を超え、人々の中に元型的なものとして、ずっと流れてきているように感じます。

つまるところ、それもまた宇宙の構造・パターンなのかもしれません。

対立や葛藤の形は、その時その時によって形や表現を変えていきます。また、社会や国だけではなく、個人の中にも世相を通したり、個人的な課題(問題)として起こってきたりもします。

しかし、これもまた同じふたつの型の対立が、形や規模を変えて現れているに過ぎないと言えます。

今、世の中に起こっている大きな問題も、実はこのふたつの型の対立への気づき、そしてその統合のために起きていると見ることが可能です。

その時の対立を統合して乗り越えていくことができると、次の対立はまた起きるにしても、バージョンが異なりますので、これまでの対立による苦しみの世界からは抜け出します。

統合についても、本当は単純な構造だと思いますが、実際に統合される(する)には、分野の違いと言いますか、その時々と起きている問題の種別によっても違ってきます。

科学的なことが統合の助け・力になることもあれば、心の浄化によってそれが起きることもあります。それらは、別々の要素ではあっても、全体としては統合の力(視点)になっていると言えます。

ですから、最初に戻りますが、タロット学習においてもそうであり、感性や感覚を磨いたり、直感から得たりしたものだけが良いとは限らず、論理やシステムから考察したりすることも学習の向上、ひいては自身の統合に寄与することもあるのです。(その逆も当然あります)

対立は統合、つまり進化や発展、次元上昇の礎とも言えますから、自分の中においても、嫌いなものとか、受け入れがたいもの、単純に自分の思いや意見とは異にするもの(人)のことも、大切になってくるのです。

重要なのは、ただ対立に巻き込まれ、感情的になったり、理屈をこねて、自分(ある考え)を絶対化したり、相手(別の意見)を幻想化して持ち上げ過ぎたりしないことです。

これとあれでは何がどう違うのか、対立している要点を俯瞰できる立ち位置を見つけることでしょう。

対立すること(問題が起きること)で、どこに自分を連れて行こうとしているのか? (この時代・この状況)に何を学ばせようとしているのか?こういう視点です。

もう少し、非常に重要なことを言いますと、マルセイユタロットの「月」に秘められた内容と言えますが、対立はある種(存在)のエネルギーになっているのです。

だから、ずっと対立・葛藤・争いをしていては、それらのエネルギーの供給源になるだけです。(ただし、それはいいとか悪いとかの次元で見るものではなく、必要とされることでもあると考えられます)

ということで、対立の深みに長くとどまるのは危険でもあるのです。ありていに言えば、覚醒が求められるということです。

マルセイユタロットはそのためのシンボル図、意識に作用するものだと言えるでしょう。

しかしながら、占いの使い方をしていては、対立と統合のシンボル図としての作用はなかなか発動が難しいかもしれません。(占い活用でもできないことはないとは思いますが)

占いを超えた、それなりのタロットへの見方、使い方を学ぶ必要は、やはりあるのです。

最近、占いをされる方も言われてますが、占いに来られる方(お客様)の質問とか悩みも変わってきている言います。(悩みは同じでも、知りたい答えが違ってきている)

すでに現場でも、占いではない占い(言い方は変ですが)にバージョンが変化してきているのでしょう。

ですから、占い師を目指す人であっても、タロットの読み方の視点を変えていく必要性は、特にこれからの時代、特にあると言えるのです。


時間を進めてみる

その名前を書くのも憚られるほどの、例のウィルス問題、世界的にも深刻な状態になってきました。

著名なコメディアン・タレントである志村けんさんも犠牲になってしまいました。子供のころから楽しませていただいた志村さんには、心からご冥福をお祈りしたいと存じます。

さて、そのような状況で、今、非常に一人一人が自覚をもって注意と節度を持ち、そして日本全体として協力して対応していく心構えがますます必要となりましたが、同時に、不安や恐れ、心配、ネガティブな思いも増大している人が多いのではないかと思います。

それは状況を見れば仕方のないことかもしれません。ウィルスの影響と被害が甚大なヨーロッパでは、精神的に病む人も増えていると聞きます。

実際の感染対策も急務ではありますが、このことにより、震災の時もそうでしたが、メンタルダメージを受ける人も多くなっていると考えられますので、メンタル面のケアも考え、実施していくことが求められます。

前にも書きましたが、昭和がモノを中心とする時代だとすると、平成は心や精神に注目が集まる時代と言えました。そして、令和以降は、モノと心、物質と精神を超えた(統合した)霊・魂ということに、一般的にも観点が移るのではないかと考えています。

ということで、振り返れば、平成の時代、メンタルに関心が行くことで、そのケアーや癒しをする人たちも増加したように思います。

もちろん、精神医療・保健という、公的な面、アカデミズム的な方面の発達もあったと思うのですが、民間や一般の人のメンタル(心・精神)への注目度、そしてそれに関する資格や技術的なもの、それを活かしての仕事をする人もたくさん出たように思います。

いわゆるカウンセラー的な人(仕事)など、その典型と言えます。

ですから、今こそ、平成で仕事を始めたメンタル・マインド関連の方々は、何か、皆さんに役に立つこと、セルフケアできることなど、伝えていくとよいと思いますし、経済的に不安があるクライアントに対しても、何か割引とか、サービスが受けられやすい仕組みを提供していただくのもよいのではないかと、個人的には思います。

もっとも、提供する側にも生活がありますから、その辺りはバランスが必要かもしれませんが。

私もタロットカードを使っての、メンタルやスピリチュアル系のはしくれみたいなところもありますので、先日からお知らせしているように、通常価格の7割引きで、今、タロットリーディングを提供しております。

えーとまあ・・・それをしている私は、全然裕福でありません。ですから、「そんな価格でやるのは、仕事としてはどうなんだ!」と、ビジネス的にはあきれられるのかもしれませんが、私にとってタロットの仕事は、生活のためにやっているだけではないので、こういうこともします。

ところで、心や精神が不安になる、鬱的になるという方に、時間の進め方を逆にしてみることを提案します。

普通は、現在から未来へと時間は流れると、皆、思いますよね。そうでないと、日常的、実際的にはおかしなことになります。

しかし、ここで、未来から現在に逆に流れてくると、時間感覚を反転させてみましょう。

つまり、今あなたに起こっていることは、すでに未来が何らかの形でできており、そこからの影響があって今の状態があるとみるわけです。

通常は、(確定していない)未来が不安、心配・・・ということで、それを想像して気持ちが萎えたり、悲観したりして鬱的になります。

けれども、これは、今のあなたが想像(創造でもあります)しての未来です。

ですから、よく言われるのは、今の自分の未来の想像を明るくすればいいという方法です。

それはもっともな話で、今の自分が、また決まってもいない未来を想像して、勝手に悩んでいるのですから、今の自分の未来への想像・イメージさえ変えれば、落ち着けるというのも道理です。

しかし、そう簡単に明るい想像ができないから困っているわけです。

もともと普段からポジティブシンキング傾向で、行動も活発、すぐ実行できるような陽キャラ(笑)みたいな人は、未来への想像をポジティブなものにするのは簡単なことでしょう。

ですが、普通の人とか、ネガティブ・心配性な人は、なかなか明るい未来をイメージすることは難しいものです。ましてや、今、世界中で大変になっているネガティブさが蔓延するような事態では、明るくなれ、というほうが無理です。

私など、この心配性の傾向を持ちますから、気持ちはよくわかります。

それでも、ここで、時間の流れを逆にした思考をしてみます。

その時のコツは、時間をかなり進めてみるということです。

だいたい、過去のパターンとか、直近の状態をそのままトレースして、現在→未来のイメージを多くの人はしています。

ということは、ここ最近とか、少し前の過去のものを題材にして未来予測をしてしまうので、どうしても、今がネガティブ状態なら、未来もネガティブなものしか想像がつかなくなってしまうのです。

ですから、時間のスパンを直近の過去と現在よりも長くして一年後、数年後、10年後くらいの未来へと飛ばしてみるのです。要するに、今に影響している色濃いネガティブ材料・要素を排除するわけです。

そして、白紙のような状態で、明るい、あるいは希望する未来を想像します。そうなっているということを強く思うのが大事です。

その未来が選択されているという思いが強くなればなるほど、未来はあなたの意識では確定状態に近くなります。

これは現実にイメージした未来を引き寄せるための確定というより、イメージや意識での確定の思い・傾向というものを作り上げ、その作業そのもの(プロセス自体)に大きな意味があるというものです。

それで、時間の流れが逆になると見ていますから、将来が明るいものならば、当然現在にそれが流れてきて、「今」がそれに向かうための過程ポイント(地点)になって、気持ちは明るくなってきます。

未来はたくさんの世界(未来像に至る)線に分かれていて、そのどれもが可能性として「今」にあっても、選ぶのは自分の「今」(の気持ち)であるということがよく言われます。

時間の流れが未来から来るという設定においては、たくさんの未来像があるのは同じでも、今(の気持ち)がそれを選択するのではなく、先に未来に飛んで決めてきてから、それが流れてくるのを待つという感じになります。

従って、今のあなたの状態・状況に関係なく、未来そのものをとにかく先に決めること、それがとても大事になってくるのです。

これはマルセイユタロットでは「女帝」と関係します。

今は破壊として「13」が起こっていると言えますが、破壊は創造の裏返しでもあり、セットと言ってよいものです。そして、「女帝」は同じという数を持ち、創造に関係します。

つまりは、あなたは「女帝」となって、今破壊されつつある(自分の)世界を、先に計画し、よいものを創造(想像てもあります)しておくことなのです。

ウィルス後の世界であなたは、よい意味で(希望的に)、何がしたいのか、どうなりたいのか、そういう思いを先回りして、時間を進めて、創造するのです。

これは、時間が過去→現在→未来という通常の感覚では、直近の過去と今現在のあなたが得ている情報に大きく左右されてしまうので、明るい未来、なりたい自分とか、希望する将来など、なかなか想像できないのが普通であることは、今までで述べてきました。

しかし、未来から現在へと時間の流れを逆転させ、通常思う未来の想像よりも、もっと先の未来へ時間を進めて想像することにより、今の囚われが少なくなって、ポジティブなものや、よいと思えるものが出やすくなるのです。

それが少しでもできると、未来から今に向かって時間が流れて来るわけですから、不思議に、気分は多少なりとも明るく変わってくるでしょう。ある意味、現実逃避(笑)をうまく使うテクニックと言えます。

パラレルワールド的に言えば、短期的ではないもっと先の未来の自分の世界に行き、そこの自分から、今の自分に念を送ってもらうみたいな感じですね。

少なくとも、完全によくなる世界は見え(想像でき)なくても、この騒動が収束している世界は意外と想像できるのではないかと思います。

もちろん何度も言うように、短期的には想像としても、今の状態なら無理だと思います。

けれども、長期的に見れば、誰でもそれ(収束)は思えるでしょう。どんなものでも、ずっと同じということはなく、この世の理として、必ず創造・維持・破壊、言い換えれば、発生、ピーク、収束となります。

あなたが永遠に現実世界では生きられないように、ほかのものも必ず衰え、滅びて行きます。それは自然のサイクルです。

ということで、収束する世界はわかるわけですから、その世界に自分を飛ばして、しばらく夢想するのも、実は今の自分に役立つことは、ここで述べた通りです。

悲観せず、あなたも時間を進めてみましょう。

これはまた、マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」を回すことにもなるのです。


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