タロットの使い方

タロットの学びについての一考

タロットを学ぶには、独学か、誰か先生につくか、あるいはスクールに入って学ぶかという方法が現実的には考えられます。

何事も長所と欠点があるように、どの方法であっても、完璧で欠点のない学び方というものはないでしょう。

いきなり大きな話になりますが、宇宙や世界という巨大な範疇になればなるほど、私たちの共通点も大きくなり、究極的には、ただひとつという何も特徴(個性)がないような、いわば「(くう」)と例えられるような抽象的な状態になっていきます。(「空」は何もないようですべてあるということにもなりますが)

しかし、逆に言えば、小さな範疇になればなるほど、違いや区別、色が出てきて、悪く言えばバラバラになり、よく言えば個としての特質(個性)を持つようになります。

結局レベルや階層、次元によって見え方と言いますか、表現方法が変わるだけなのだ言えますが、私たちの認識する通常の世界観(レベル)では、個性のたくさんある現実世界となりますから、一人一人にまさに「違いがある」と考えたほうがいいわけです。

ここでタロットの学びに戻りますが、そうしますと、現実的に見ても、タロット学習の方法は、個人によって違って当たり前ということになります。これは何もタロット学習に限らずのことですが。

よって、全員が納得し、完璧にタロットが習得できる方法というのは、具体的・現実的にはあり得ないことになります。

ただし、タロット学習というものの性質や内容のレベルを上げて行けば(抽象度や意味合いを上げる、変えれば)、ほとんどの人に有用で共通な方法は出てきます。

しかし、通常レベルにおいては、一人一人違った方法になることを想定する(認める)のがよいと思います。

その前提で、タロット学習を自分のために効果的にするには、目的など学ぶ意味を細分化していくことにあると言えます。また自分の置かれている環境や個性なども考慮していくことです。

ちょっと前までは、むしろ全体に配慮した学び方、つまりは、自分ではなく他人や外に合わせた学び方が主と言えました。例えば、あるタロット講座の期間と場所、学ぶ方法が決められていて、自分がそれに合わさなければ学べないという具合です。

しかし、今は個別の選択肢がかなり増えたと言えます。それが時代の流れです。提供する側も多くなり、そちらの個性も増えたので、受ける側の個性に応じていく可能性も高まっているわけです。

ということで、これからは、全体に当てはまるようなことを考えるのではなく、自分ならとか、私に与えられていることでとか、自分自身が好きで前向きになれることではとか、より個性(自分)に沿った方法や場所、人を選ぶとよいということです。

具体的には、自分に今あるお金、予算はどうか、リアルかネットのどちらが自分には学びやすいか、タロットの学習後、(経済的な)仕事を意識しているのか、精神や魂の向上として学ぶのか、趣味として学ぶのか、自分にとって学べる期間や日にちはどうか、教えてもらう人は自分の求めるものを提供してくれそうか、性格や志向などが合っているのか・・・などいろいろと細分化すれば出てくると思います。

そして、タロットは便利なもので、四大元素、四組という概念があります。

まだ学ぶ前でわからないのは当たり前ですが、少し、この四つを、学びの観点で紹介すると、知識・スタイル、精神・関係性、技術・モチベーション、経済・生活みたいなものになります。

平たく言えば、知りたいことを教えてくれるのか、自分の気持ちはどうか、学ばせてもらうところや人との相性はどうか、どんなタロットの技術や活動方法を教えてもらえるのか、講座料金は適切か、自分が支払えるのか、学びは自分の仕事とか生活に支障はないか、みたいな観点で見ると、いろいろ存在する考慮点が整理できてくるわけです。

先生につく場合、先生との相性は軽視できませんが、それより、もっと見ておかねばならないのが、先生の理想とするものや目指しているものは何なのかということです。

タロットを通して、その先生は何をしようとしているのかということです。

直接、習う前に聞いてみるのもよいかもしれませんが、たぶん先生クラスになると、何か外向けに発信・活動をしているので、それを読んだり、見たり、体験したりすることでわかる場合もあるでしょう。

ここで、その先生の実績が重要だと考える人もいるかもしれませんが、確かに、実績は無視できませんが、実績よりも、先述したように、何を目指しているのかということのほうが大切なように思います。

それはイデア(理想のもの)と言ってもいいかもしれません。イデアは先生によって実現されていなくても、そのイデアさえ自分と合って入れば、そのイデアに向かって、自身を進ませることができるからです。

そして、そもそも、そのイデアが自分の思いとはかなり違っていると、いわばゴールや目的地自体が異なるのですから、そのルートに入るのは自分にとって間違いになります。

マルセイユタロットで言えば、「星」か「世界」で例えられるでしょう。

この「星と」か「世界」をイデアや目標として旅している先生であれば、自分もその「星」や「世界」を目指すことが苦ではなく、同じ目的の旅をする者ということで、あなたも同行できるはずですし、たとえ途中で先生がいなくなっても、あるいは託されれるような形で先生とは旅ができなくても、あなた自身に「星」・「世界」の像があれば、さらに自分で道を進んでいくことができます。

学びで道でよく言われる、「師の求めたるところを求めよ」ということです。

ということで、一応、私もタロットの講師・先生をしておりますので、同じものを求める方がいれば、一緒に旅ができると思っております。

ただ、また元に戻りますが、同じものを求めていても、これまた個性がある世界が現実ですから、細かく言えば、一人一人、やはり道は違うものです。

それでも志として、いわばマルセイユタロットの「星」の輝きを目指すことを共有して、「世界」に行こうとする者は、同じグループとして学び合い、支え合う気持ちが持てるでしょう。

あなたがタロットに出会うのも縁で、学ぶのも縁と言えます。タロット種は何であれ、少なくともタロットに興味を抱いた時点でタロットに縁があるわけです。

タロットに出会っても、それを学ぶかどうかは、次なる縁とも言えますし、自分が縁を作るという実際の行動にも関わってくるでしょぅ。

マルセイユタロットの「恋人」カードのように、天使(キューピッド)の矢が放たれても、あなたが人として現実世界で行動しないと、実際での変化は現れません。(逆に言うと縁の機会が訪れたことは、矢が何らかの形で放たれているわけです)

こうして、タロットに単に興味を持つだけで終わるか、タロットを深く学んだり、それを使って実践したりする世界に進むかが決まって来るのです。

あなたはあなたに生じている縁をどうするでしょうか? それもまた、あなた自身の個性として決定できるのが現実世界でのあなたの力なのです。


年の初めにタロットカードを引くこと

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2021年の始まりにあたり、去年は世界的にも大変な年となりましたので、ふと、昨年のはじめにはどんなことを自分が書いていたのか、確認したくなりました。

すると、自分でも『2020年は一般的にも「変化」を実感する年となるのは、間違いない』と書いていますね。

なぜそう思ったのかは、もはや忘れましたが(苦笑)、私のことですから、間違いなくタロットカードを展開した結果、そう判断したのでしょう。

もっとも、毎年「変化」を言う人も多いので、よくあるように、誰しもに起こるようなことを抽象的に指摘すれば当たっているように感じてしまうという、それでもあるかもしれませんが。(笑)

まあ、私は占い師ではありませんので、書いたことが当たる・当たらないなんてことはどうでもよいのです。

ここで重要なのは、人が言ったことを自分が受け入れたり、同調したりする感覚があるのかないのかということが、あげられます。

当たり前の話ですが、他人の言葉に納得できるのも、反感を持つのも、自分に何か基準とする思いがあるからで、それと照らし合わせれば同意もしますし、反発もするというわけです。

逆に言えば、普段、自分がどう思っているのかが、他人の言葉からの自分の反応でわかるということです。意外にも、自分の気持ちや自分の思いには気づいていないこともあるのです。

よって、例えば「今年は変化の年になるよ」と誰かが言ったのを聞いて、自分が「そうなんだ」と思えば、「変化したい」と自分が思っているか、逆に「変化に抵抗がある」ということが多いのです。つまりは、「変化」ということに、何らかのこだわりや思いがあるということです。

そして、さらに、マルセイユタロットで言えば、それぞれの大アルカナの象徴性に関係し、例えば「変化」であると、「13」とか「愚者」などにあてはめられ、そのカードを自分が引く(タロットを扱っている者では)こともあるわけです。

しかも大アルカナ象徴性は、全体性(大きな流れとか人類全体のようなマクロ的なもの)も表しますので、単に自分の個人的な思いだったものも、タロットで見れば、その思いが大きなものと関連しているのがわかることもあります。

というように、個人的な思いが反映されると同時に、集合的な意識と言いますか、人類全体が変化を予測していたり、それを種として望んでいたりする場合は、たくさんの人の意識に浮かんで、同じようなことを起こす場合があります。

だから、例えば、タロットで言えば、今年一年を見ようとすると、まったく同じカードとはいえませんが、似たような傾向を皆が引くということもあり得るでしょう。

ただし、占いとして、自分のことの細部(具体性)まで見ようとすると、具体的なことは、かなり占う人によって違ってくると思います。

私自身は占い師ではありませんが、タロットは占い業界での定番であり、占いとは無縁ではありませんので、占いについて考えることはあります。

そしてマルセイユタロットをやってきてわかってきたことは、この世界は個別と全体とで分けられながらも統合される構造にあるということで、それゆえ、個別(個人)や具体の次元になってくると、実は一人ひとり異なってくるのが当たり前であることなのです。

つまり、当たる・当たらないは、具体(個別)次元になればなるほど、極めて困難になるという至極当然の話に行き着きます。

そしてここがとても大事なことなのですが、だからこそ当たる・当たらないに固執していても意味がないばかりか、統合的見地、宇宙的全体性視点から見れば、個別の占いで個人の未来予測を具体的に当てるのは、ゲームとしては面白いかもしれませんが、天の意思に反するようなものと言えるのです。

なぜなら、個別次元では、それぞれ異なるようになる仕組みであり、システムであるからで、それを天(神)のデザイン・オーダー・システムだと考えれば、その意図を尊重するのが人の本分と考えられるからです。(しかし、これももっと深く言えば、そうではないところもあるのですが、このことはまた別の機会にお話します)

まあ個人的な、自分がこの先どうなるのか知りたいという思いは、人としてわかります。

しかし、一人一人、細かいことを言えば、みんな違うので、それを当てて当人は喜んだり、面白がったりしても、全体としてはあまり意味がなく、個人占いは一種のゲームとして見るのがよいのではないかということです。

ところが、反対に、全体的には同じ流れや傾向があると考えられ、いわば、全体はひとつの大きな象徴性を持っていると言えますから、それを読むこと、推測することは悪いことではないと思います。

個人の未来は(過去も)千差万別で、一人一人にとっては重要なことであるのは確かでしょうが、バラバラで違いがあり、どう生きるか、どう選択するかは個人の自由と言っていいでしょう。

ですから自分で自分を評価すればよく、結果をどう解釈するかも、自分に委ねられるのですから、先のことが起こったあと、それがどうだったのかも、自分次第で意味づけられるのです。ここに未来を占って知ることの意味のなさが出ると思います。

(まあ、個人占いで先を見ることも自由と言えるので、それも人それぞれに任されるわけですが・・・)

しかし、全体としては意思が形成されると言いますか、宇宙の進化の巨大なうねりのようなものがあると考えられ、バラバラな個人の表現がひとつにまとめられ、人類としての進化や方向性も決まって来るように思います。

ですから、個人では自由なものの、全体としては何か意図の中にあるか、その意思を汲んで(あるいは影響されて)の個人的人生となるわけで、そこを全く無視していると、とんでもない方向に全体としては行ってしまうおそれがあるかもしれないのです。

簡単に言えば(逆の言い方をすれば)、人類全体の舵取りは、実は一人ひとりの思いにかかっているということです。

あなたも私も、舵を動かす一人であり、一人一人は微力でも、全体としてまとまれば、確実にひとつの方向性に進むのだと考えられます。

自分個人の先行きを占って一喜一憂している間に、全体の舵はふらふらとまとまらず、蛇行して船は沈没してしまうかもしれません。(笑)

ですから、個人ではなく、全体としての(船の舵取りとしての)象徴的な予測、占い、傾向的判断はあってもいいかと思います。

一方の個人的占い、個人的予測も、全体的意思を汲んだうえでなら、どのように自己を表現するかを見るためには許されることもある気がします。

要するに、自分のことだけを考え、利己的な現世利益獲得のための占いとか、予測判断している時ではないかもしれないですよ、と言いたいわけです。するのなら、全体部分も考慮したうえで、自分の活かし方を知ることです。

話は変わりますが、昨年に引いたカード(ブログ読者向けのもの)は、昨年のブログを見ると、「節制」を中心にして、「悪魔」と「恋人」のようでした。

今思えば、コロナウィルスによる行動の制限と、各人の選択を余儀なくされる様子にも見えてきます。(あとづけですが(笑)、このような事後検証も、時にタロット学習においては必要です)

マルセイユタロットを学んでいる者には、「恋人」カードの構造の意味を知っていると思いますので、「悪魔」と「節制」も、「恋人」一枚に見ることが可能になり、実はこの三枚は、実に面白い形で出ていたのがわかります。

一昨年(2019年)、次の年(2020年)にウィルスのパンデミック、コロナ禍が世界的に起きることを予想したり、占いを示したりする人は、ほぼいなかったと言えますから、いかに具体的な占い予測が信用できない(あまり意味がない)のかも、これでわかったと思います。

ただ、大きな変化や危険性を指摘した人は少なくなかったでしょう。それが全体性としての象徴とも言えます。

先述したように、特に一年スパンのようなものでは、いきなり個別や具体を見るのではなく、象徴的に全体性の意図を見定め、個として自分はどうすべきを考えるほうがよいと思います。

去年に出た「節制」「悪魔」「恋人」の象徴性から、2020年の意味を、今の2021年から遡って受け取ってみると、また新たな視点が生まれると思います。マルセイユタロットを学んでいる者にはなおさらです。

では、今年も皆さまに向けて、三枚のカードを引きます。占い的にならないよう、あえて引いた順番は記さず(出たカードの順を記すと、出たカードのことが順番に起きると解釈する人がいるからです。下に書いている三枚のカードは、順不同と思っていただくとよいです)、三枚それぞれで、自分なりに組み合わせ、意味を見出してください。

●2021年の三枚

「悪魔」 「女帝」 「手品師」

さきほど、「見出す」と書いたように、自分で意味づけることにまさに「意味がある」のです。最初のほうにも書いたように、「意味」が今の自分の心であり、思いである可能性が高いからで、それを自覚することが大事だからです。

ひとつだけ、参考で言いますと、ブログでの上記三枚だけではなく、ほかの場面においても、今年について展開した結果から言いますと、霊的な向上をもとにしながらも、現実に向き合い、実際への対処という傾向が全体的に強くなると感じられます。

では、皆さまにとって、今年が、現実的にもそうですが、特に魂・霊の意味でよいことになるよう、祈っております。


タロットの視覚効果

タロットカードは、絵でできているカードですので、当然ながらビジョンやイメージという視覚的な効果と関係します。

視覚と言っても、実際に目に見える部分と、心で想像(イメージ)して見えている(気がする)部分とがあります。

前者は誰でも同じに見えますから(厳密には、同じものを見ていても、ひとりひとり違うでしょうが)、一般化や元型として、言わば人の共通のパターン・あり方などを見ていくのに機能します。

つまりは、軌道修正であったり、調和を図ったり、自分の立ち位置を見たりして、客観的に判断するのに向いているわけです。

一方、後者の場合は、個人個人でカードから心の中でイメージするものなので、それは人によって異なるシーン・絵を見ていることが想像できるでしょう。

ということは、個人の心にあるデータ、思い込み、願望のようなものが現れてくると言えます。

ですから、カードを心でイメージすることは、個人的な問題の解決やセラピーを目的とするのには有効な方法だと考えられるわけです。

ただし、カードの絵を見て、心でイメージする(させる)場合、ある程度、カードの意味を知っておいたほうがよいです。

マルセイユタロットの場合、誰が見ても同じようにそのカードから感じられるような内容になる仕組みがあるのですが、それでも、意味を説明されないと、そのカードがどんなもの(こと)を描いているのか、わからない部分もあります。

そもそもイメージというのも、意味や内容がある程度わからないと、湧きにくいものです。

従って、カードの意味・概要を知ったうえで、改めてそのカードのことを心でイメージしてみるというプロセスが重要になります。

比較的やりやすいのは、大アルカナのカードの意味を知り、そこに描かれている人物になり切るようなイメージをしてみる方法です。

そうすると、イメージしやすい人物とイメージしにくい人物とに分かれるかもしれません。

イメージしにくいものは、思い出したくないもの、過去(記憶)に問題のあることが多く、イメージしやすいものは願望、あるいは実現できそう(可能)なことなどを示す場合があり、時制では現在から未来方向の指針である傾向があります。

また、イメージをした時に、自分の気持ちの状態によって、ブロックや抑圧、その逆の、願望や期待する夢を見出すことも可能です。

とは言え、カードを見ての心の中に作るイメージは、もとは実際に目に映るカードの絵から始まっていますから、先述したように、実際の絵は客観的でもあり、カードからイメージする心の絵(心象)は、逆に主観的と言え、主観と客観、両方が相まっての想像(創造でもあります)になっているわけです。

主観は自分の感じ方ですから、意味を知らなくてもよいのですが(むしろあまり意味にこだわり過ぎると思考に傾き過ぎ、イメージが制限されることもあります)、客観としての絵は意味が必要と言えます。

言ってみれば、カードの絵の一般的象徴性(客観)によって、主観的(心に浮かぶ像や感覚的)なものを精査、新たに意味付けするような感じ(役割・働かせ方)です。

このあたりのことは、タロットが、例えばロールシャッハテストなどのような、心理的投影を見るだけのものではないことを意味します。

ということで、カードの絵からのイメージを使う方法でも、やはり、カードの勉強(カードの意味を知ること)はある程度しておかないと、うまく機能しないのです。

カードの意味がわからないと、ただ主観のみになり、心でイメージしたことが何の意味を持つのか、あるいはそのイメージをどう扱えばよいのか、わからなくなります。そして、カードの概要がわからないと、そもそも心でイメージする手がかりもつきにくいのです。

もうひとつ付け加えると、このように、人は主観と客観によって、より自分を知ることができますので、同じタロットを学んでいる他人との共同作業で、カードを使ってやると(自分を知るのに)効果は高いと言えます。

マルセイユタロットの「月」と「太陽」ではありませんが、主観と客観、自分と他人、二つの見方や立場の違いがあるほうが、実は本質が見えやすく、もし自分があるレベルに留まって問題状態であるのなら、そこからの脱出、成長も図りやすいと言えます。

タロットは心理カードとしての活用度は高いツールと言えますが、さらに霊的な活用まで目指すとなれば、カードが個人的にどう見えるか・どう思うかだけではなく、カード(タロット)そのものの象徴性を個別と全体でとらえ(体系・システムとして見る)、その設計シンボルと調整・調和させていくような視点が必要だと思います。

ですから、繰り返しますが、感覚だけではなく、タロットの学びが不可欠で重要となってくるのです。

学び、感じ、考え、スパークし、今の自分を超えて、新しい世界や自分と出会って行きましょう。

これは、言い方としては、成長とか新しい自分に向かっての脱皮みたいに思うでしょうが、実は本当の自分を思い出す旅のようなものなのです。換言すれば、元(本来に)に戻ることであり、忘却からの回復です。

こういうものが、タロット活用の醍醐味でもあると私は思います。


私のマルセイユタロット講座は、かなり様々な情報と知識をお伝えしています。

※もっともライトなコースとか、入門コースなどもあって、必ずしも全部がそういうわけではありませんが。

そういうたくさんの情報のひとつで、やはり重要なものとして私の中で位置づけているのが、タロットに関連する歴史です。

ただし、タロットの製作史とか、公やアカデミズムで言われている歴史というわけではありません。それも大事ではあるのですが、私が主に力を入れて解説しているのは、裏の歴史と言いますか、秘教・秘伝的な話なのです。

何事にも裏と表があり、私たちが見知っていることでも、すべてには二面性があり、それらが表裏一体となって、ひとつの完全を知ることになっているように思います。

もちろん、裏の歴史と言っても、さらに細かく言えば、それでも表裏のようなものが連綿と続いていると考えられ、私も知らない話、マニアックな人でも、ほとんど知られることのない話もあるでしょう。

それでも、常識的・表面的なものとは違う歴史の側面を知ることで、タロット、特にマルセイユタロットが何なのかを判断したり、理解したりする材料・情報として、得るところは大きいと考えられます。

タロット占いやタロットリーディングの技術を学ぶことに主眼を置く方には、こういった歴史的な情報はあまり価値がない、必要ないとさえ思う人もいるかもしれません。

実際、タロットに関連する歴史や情報を知らなくても、タロットを使うことができますし、特に支障があるわけでもありません。

むしろ技術面に集中し、それをしっかり学び、実践を繰り返していく中で、タロットを、特に他人に向かって活用するという意味では、有意義とさえ言えるかもしれません。

しかしながら、これは私の経験や体験、感覚も入りますが、こと、マルセイユタロットに関して言えば、たとえ他者向けにタロットリーディングを行っていくことを目的としてタロットを学ぶにしても、やはり、関連する歴史的なことは知っておいたほうがよいと思うのです。

その最大の理由は、目に見えない力とでも言いますか、そういうものの加護のようなものが、実際のリーディング場面でも感じられるからです。

マルセイユタロットが作られるために積み重ねられてきた人々の思いのようなものが、歴史を知ることによって、あえてネガティブな言い方をすれば、まさに「重荷」としてのしかかってくるという感じでしょうか。

それを逆にポジティブに反転させますと、「ご加護」ということになるのです。

そうですね、日本人ならば、自分と関わるご先祖に思いを馳せると、ご先祖のしがらみも背負うことになるのかもしれませんが、逆に、ご加護も得られるかもしれないというような感覚です。

さらに言えば、単にタロットを扱うというものではなく、タロットを“扱わせてらう”使命感・責任感のようなものも、歴史を知ることで出て来ます。

タロットが好きとか、タロットが占いに使えるからとか、そんな理由ではなく、まさに、タロットはご縁によって私に与えられたもので、その意味をかみしめながら、自分と他者に向かって、救済の道を目指して活用していくという自覚が芽生えてくるのです。

マルセイユタロットに関連する歴史的な事項や人々としては、例えば、キリスト教では異端とされたカタリ派の思想やそれを信仰する人々、よい悪い両面の噂もある「神殿騎士団(テンプルナイツ)」、キリスト教関連でも、洗礼者ヨハネとか、マグダラのマリアなどの人物の話などがあります。

もっと古い時代の歴史・話・人物も、たくさん関係してきます。

マルセイユタロットを知ることは、今まで裏で隠され、非常識とされてきつつも、実は表を支えていたり、私たちの中に眠る大きな力や智慧を象徴していたりしたものに近づくことになります。

これらは歴史の表舞台にはほとんど出ませんが、いつの時代も、そして今でさえ、実は存在し、認識されるのを待っているものです。

例えば、「蛇」という動物の象徴は、一般的には邪悪なものとして扱われ、普通は気持ち悪いイメージもあって、あまりよい感じはしないものでしょう。

しかし、これも裏の話、象徴の意味を知っていくと、逆転した見方が出ますし、仮に悪いものだとしても、私たちを締め付け、グルグル巻きにしている“蛇”のような存在は、いったい何なのか? それを知ることで大きな解放がもたされてるのではないか? ということに次第に気づいてきます。

蛇の締め付けも、逆方向の運動回転であれば、緩めることにもなります。

マルセイユタロットを学ぶうえで、伝説的な話として扱われてきた歴史的なものが、実は真の認識・覚醒には重要なものとなっていると考えられます。

「私は(裏の)歴史なんて興味ない」という人もいらっしゃるでしょう。タロットが使えれればそれでよいと。

それも個人の自由で、好みの問題です。

ただ、私は、マルセイユタロットに興味を抱き、それを学びたい方、マルセイユタロットをもって自他に役立てたいという方は、こうした秘密や裏の歴史に関心があり、ご縁がある人が多い気がしています。

そういう方は、おそらく、すでに魂的には知っていることでしょうし、もし前世的なものを設定するとすれば、これまでも何度もそういう側面と関わってきた人なのではないかと思います。

つまりは、マルセイユタロットを学ぶことは、かつての自分を癒し、その自分を応援者として味方につけ、あるいは、途上だった修行や救い・癒し・浄化・上昇を、今の自分が担っていくことになるのではないかと思うのです。

言い換えれば、究極的な意味で、自分を助け、自分を活かす(生かす)ことでもあります。


タロットとイメージ

タロットというのは、絵柄が基本ですので、視覚の効果、視覚の作用が中心となります。

ですから、逆に言えば、視覚以外の機能・センサーとタロットは、つながりにくい部分もあるわけです。

しかし、人間の感覚・センサーは、五感だけではなく、いわゆる第六感とか、直感のような、五感とは別だったり、超越したりする感覚もあると言われています。というより、そういうものは普通にあると考えたほうが、今や半ば常識的かもしれません。

そして、五感をはじめ、感覚器官は、一見、バラバラに存在しているようでいながら、情報として統合される形にあり、それは科学的には脳が行っているとされていますが、スピリチュアル的には、脳を超えた何か、本来の自分の何かが行っていると考える向きもあります。

とにかく、例えば、視覚の情報が中心であっても、ほかの感覚・センサー連動したり、情報が加味されたりして、ひとつにまとまって来ると推測され、その意味においては、タロットは確かに視覚中心とはいえ、ほかの感覚への刺激もあるのだと見ることも可能です。

それでも、視覚中心は確かですから、そうなりますと、イメージという言葉が思い浮かんできます。

そう、タロットはイメージと強く結びつくツールであり、絵がイメージと関係するのは誰にでもわかるので、そのことは当たり前のことではありますが、意外にイメージの力とか使い方については知られていないものでもあります。

イメージの力で大きいのは、思考では難しい方法や答えを簡単に導くことができることです。

私たちの悩みの多くは、考えることによって発生し、また、考えてもわからないから悩むわけです。(笑)

世間では、考え方を変えることで解決を図る手段がよく述べられていますが、考え方を変える方法そのものがわからなかったり、実際に考え方を変えても、悩みは消えないということもあります。

ところが、イメージを使うと、思いも寄らなかった解決方法とか、問題へのアプローチが見えてくことがよくあります。

それは、イメージと思考(考えること)の回路と道程が違うからで、イメージのほうが、一般的にダイレクトに潜在意識など、普段意識しないところとつながる傾向が強いからです。

ただし、ここで誤解されがちなのは、思考は役に立たない、思考を働かせると、本当の自分とつながりにくい(つながりにくくなる)と言われることです。

思考が問題なのは、同じ考え方のレベルに留まっていること、一般的・常識的・論理的回路によって問題と解決を見てしまうことにあります。

つまりは表面意識、顕在意識、普段の自分、社会的で合理的な意見をよしとする基準で見てしまうことが多いわけです。それでは、特に個人の問題が解決しにくいのはわかる思います。(集団と個人、普遍性と個別性の違いが大きいため)

しかしながら、思考が一段上になり、これまでより高度の思考に導かれると、問題のとらえ方と解決策のレベル・次元も上昇して、解決策もわかってきますし、高次の自分に、より近づく手段の一つにもなり得ます。

ですから、思考そのものが悪いのではなく、思考レベルと扱いの問題のほうが大きいと言えるのです。

ただ、思考レベルを上げるにも、それこそ、頭の回転を上げなければならないので、なかなか難しいところもあります。

それならば、堂々巡りのような同水準思考の中でグルグル回っている状態に対して、イメージという違う回路を使えば、案外あっさり、別の道が見えてくることもあるわけです。

ということで、タロットの絵を利用してイメージを喚起させ、今の悩み・問題への解決を、イメージの力でもたらせることを志向できるのです。

ところで、イメージというと、「私はイメージするのが苦手」という人もいます。

昔、カルチャーセンターのタロット講座の体験会をしていた時、こういう場所では、がっつりタロットに興味があり、学びたいという人より、なんとなく覗いてみたい・・・というライトな感じで来られる方も少なくありませんでした。

すると、タロットを見て何かイメージするということが苦手と言いますか、「この絵を見て何でもいいですので、思ったこと、感じたこと言ってみてください」とこちらが指示しても、「別に何も出ません・・・」「イメージが浮かびません・・・」という方がちらほらいるわけです。

これには、いくつか理由があります。

そもそも、私も講師としてまだ経験が浅かったこともあり、カルチャークラスレベルの人に、タロットから自由に発想してもらうという作業自体、無謀であったのが、今ならよくわかります。(苦笑)

人は「自由にイメージして」「何か感じて見て」といきなり言われると、実はしにくいものなのです。(慣れてないと、ある程度、誘導がいります)

次に、「イメージする」というレベルや質の問題があります。

一般的に人は、「イメージしてください」とか、「何か思い浮かびますか?」とか言われると、具体的でしっかりしたカラーの絵柄とか、何か言葉とかメッセージとか、意味が浮かんでこなければならないと思い込んでいる節があります。

最初からそんなことができるのは、サイキック的な力があったり、ビジョン瞑想に慣れていたりする人などです。

普通は、うっすらと何か見える、感じる、出てくる、そんな気がする・・・レベルです。そして、それで最初はいいのです。

イメージは絵とは限らず、音とか、温度か、触感とか、視覚とは違う感覚も入れてのイメージの場合もあります(正確にはイメージを補強するもの)。

また、イメージが浮かんでも、言語化するのが困難な人もいます。それはイメージと言葉も、イメージと思考同様、回路が違うからです。

あと、イメージすること、感じていることを表現するのに、何らかの形でブロックしてしまっているケースがあります。このことはまた別項でいつか述べたいと思いますが、今日は詳しくは書きません。

いずれにしろ、このように、イメージひとつ取っても、レベルや質の違い、イメージから何かを見出す道筋の問題もあって、「これがイメージの正しい方法、使い方」というものは言えないわけです。

タロットによる、悩み事や問題の解決というのは、タロットリーディングで普通に行われることでありますが、タロットの絵柄から想起・刺激されるイメージを使った解決法と、タロットの絵柄(数などのサブ情報も含める)の象徴性を通じて、意味を探って解決法を考えるのとでは、実は違う回路を使っていると言えます。

それでも、タロットリーディングの目的が、自分やクライアントの問題解決、癒し、変化にあるのなら、結果的にそれができればいいわけで、方法や回路は違っていてもOKと言えます。

「押してダメなら引いてみな」という言葉があるように、タロットの意味を考えてもわからない(うまく当てはまらない、よい方法がわからない)のなら、タロットの絵柄からイメージを浮かべて見る、想像してみるというのでもよいですし、その逆もまたありで、イメージや絵からは、さして思い浮かばないというのなら、カードの意味、知識から思考的に、解決法を見出してもよいわけです。

要するに、情報の取り扱い、ソースからの通り道・ルートが違うだけです。

ですが、イメージの力と使い方によっては、ずっと考え続けてもわからなかったことが、突如ひらめいてわかったり、何をすればよいのかがイメージで見えたりします。

イメージの世界には、現在的・常識的思考の世界とは違うものがあり、それはいろいろな分野を超えた、悪く言えばごちゃ混ぜの混沌とし世界のように思えますが、それだけに、普段考えつかないような、多種多様で時間空間にとらわれない情報が眠っています。

そこへアクセスするには、タロットの絵柄が必要なのです。

メルヘン風に言えば、タロットの精霊の世界にあなたが入り込む、もしくは連れて行ってもらうようなイメージと言ってもいいかもしれません。

タロットを扱っていると、イメージにも慣れてきますので、魔法的には、イメージの世界のほうを現実と置き換える、塗り替えるみたいなことも可能だと言われています。

イメージをどう扱うのかは、「月」や「力」のカードに隠されてもいます。

最初は弱弱しいイメージしか出せない人も、タロットと接していると、自分の中にあるイメージ・ビジョンの力を発現させていくことができるようになるでしょう。

それをどう扱うのかもまた、本人次第ではありますが、大きくは、まさしく自分と周囲の世界を変えてしまう力を持つのです。


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