タロットの使い方

小アルカナのアイテム

タロットには小アルカナというパートがあります。

そもそもタロットは「アルカナ」と呼ばれる秘密のカードで構成されているカード群ということになりますが、そのアルカナに、大と小の区分、パートがあるわけです。

枚数的には小のほうが多く、特にマルセイユタロットの場合は、小アルカナの中でも数カードの絵柄が独特(記号的)で、そのため、小アルカナのパートはがまだまたあると言ってもよいかもしれません。

とは言え、小アルカナは4つの組に分かれているところは、マルセイユタロットとほかのカードにおいても、たいてい共通していますから、この4組を理解することが、小アルカナ解読の鍵にもなると考えられます。

さて、その4組にもいろいろな解釈ができるので面白いのですが、今日は、ゲームアイテムのごとく、この4つを見てみようかと思います。

ところで、私たちは、言わば「人生」という大変困難で、しかしなかなか面白いゲーム(苦笑)に参入していますが、ここで私たちは数々のアイテムを入手しながら、ゲームを進めています。(私たちは人生ゲームのプレイヤーと言えます)

このゲームは、何か敵を倒すとか、宝物を手に入れるとか、何かを育成するとか、プレイヤー全員に共通するようなテーマはなく、そういう性質のゲームでもないようですよね。

もちろん、個々のプレイヤーにおいては、今述べたような目的をもってやっている(人生を過ごしている)人もいますが、「人生ゲーム」そのものを見た時、「このゲームの真の目的はこれです」ということを、なかなか言い当てることができないのではないでしょうか。

それがわかれば、悟ったも同然かもしれません。

ただ、逆に、いろいろな目的や遊びが可能なゲームだと見れば、目的自体がそれであることも言えるかもしれません。言ってみれば、なんでもできる(わけではないかもしれませんが、かなりのことはできますよね)体験型ゲームというわけです。

しかし、ゲームにはルールがあり、フィールドも限定されています。そうした中で、この世界の中で、私たちは精神的なことや物質的なことを、様々な体験や方法で手に入れて行きます。

もし、それらを象徴的に「アイテム」種として分類すれば、意外に、小アルカナの4組になるのではないかと思うのです。(やっと小アルカナの話に戻ってきました)

タロットの4組は、マルセイユタロットののもので日本語訳的に言えば、「剣」「杯」「杖」「玉」となります。英語的には、ソード・カップ・ワンド・コインです。

そのままモノとしての道具であれば、切るためのもの、ためる(あるいは流す)ためのもの、補助・前進させるもの、使われ、交換させるためのもの(それぞれ、ほかの言い方もできますが)と言えるかもしれません。

面白いことに、剣と杖は、縦長の道具で、攻撃と防御、運動などに使用でき、動的な感じがします。一方、杯と玉は、器や固まりで、玉、つまりお金も鋳造されるものとすると、それを生み出すものからして、入れ物的で静的な印象が強くなります。また地に置くものとして、縦より横幅が重要かもしれません。

これらはわざと対比的な関係にある(されている)と思えます。

もう一度、純粋に、4組をモノとして見て、人生における必要道具だと思ってみましょう。

そすると、あなたには今、が必要でしょうか? それとも? (棒)? (コイン、古い時代なら石のような交換道具)? どれですか?

さきほども言ったように、道具の使用目的から考えると、切るもの、受け入れるもの、支えるもの、交換・購入するものというような感じでしょうか。

道具そのものとしてみれば、そんな機能が浮かびますが、タロットは象徴ですから、ここから、さらに比喩的に拡大変換させていくことも必要です。

その簡単な方法は、道具・機能を、精神的なものや人間的なものとして表現することです。

例えば、剣は切るものでしたら、人間関係を切るとか、モノや人を処分する、断つ、戦うとかになるかもしれません。杯ならば、受け入れたり、ためたり、注いだりですから、感情の潤いとか受容とか、喜び、満足感など精神的なことを中心に出てくるかもしれません。

とにかく、四つのアイテムがそろうことで、あなたの人生は充実したり、うまく事が運べたり、ゲームそのものが楽しくなるよう、設定されているのだと思うとよいです。

そして、それは道具としてのアイテムの意味もあるのですが、まさにゲームアイテムと同じように、魔法的とも言える効果を出す(魔法道具にする)ことができるのです。

魔法的効果というのは大げさな表現かもしれませんが、タロット的に言えば、象徴として扱えば、それは単なる道具的機能にとどまらず、この世界のあらゆるシーンと場所で、四つのアイテムによって、ほかのものを、同じ四つのアイテムのどれかに変化させることができるという話なのです。

これが魔法のからくりです。

ですから、ただアイテムを道具として手に入れるだけでは魔法は発動しないのです。

アイテムをアイテムたらしめている原理を理解することです。

そうすれば、この世界はアイテムに満ちていることに気づいてきますし、それをうまく使って、自分なりの目的を作り、それを達成したり、プロセスを楽しんだりする、この不思議な人生というゲームを味わうことが、よりできてくるでしょう。

実は私たちは、もともと生まれた時からと言いますか、自分自身が四つの性質からできているのです。

つまりは、すでにアイテムはゲットしていることになります。ただ、それを知らず、また魔法の発動法もわからない(隠されている)と言ったところでしょう。

タロットをやっていると、そのありかや秘密にたどり着くことができそうです。少なくとも、四つのアイテムやその世界を知るには、タロットは手っ取り早いです。

四つはエレメントとしての、風・水・火・地と言ってしまえばそれまですが、それでは抽象化し過ぎていて、アイテムとして実態感覚が出ません。

だからこそ、タロットの4組なのであり、それは道具・モノの形をしているのです。

あなたには四つの聖なる道具があり、さらには四つの領域の天使や使い魔がいるようなものです。

ゲームアイテムとの相性のように、人それぞれ、得意分野やアイテムの使いやすさ、使いにくさが個人差としてはあるでしょう。それを知るのもまた人生ゲームのだいご味のひとつです。

そしてゲームでパーティーを組めば効果的なように、それぞれの個性が補い合い、ある目的を早く効率的に達成することも可能となるでしょう。しかし、パーティーによっては、非効率になったり、ライフポイントが減ったりして、大変な目に遭うこともあるかもしれません。

あなたも、タロットを手にして、今いるゲームの世界を、もっと視覚化してみませんか?

もしかすると、行き詰まった問題に打開策が出るかもしれませんし、ゲームイベントのクリアーに寄与することもあるかもしれませんよ。


一枚引き 「タロットの宇宙」の本から

カルト映画の巨匠で、演劇家、創作家、詩人、サイコセラピストなど、多彩な方面と才能を見せるアレハンドロ・ホドロフスキー氏は、タロット研究家・タロロジストでも知られており、日本ではカモワンタロットと呼ばれるマルセイユタロットを、カードメーカー子孫のフィリップ・カモワン氏とともに製作されています。

ゆえに、カモワンタロットは、むしろ、ホドロフスキー・カモワン版マルセイユタロット(もっと言うと「ホドロフスキータロット)と言ったほうが世界的には通用するかもしれません。

さて、そのホドロフスキー氏の著作である「タロットの宇宙」という本があります。

個人的には、かなり前、タロット大学時代の上級コース時に、フランスでの氏のワークショップに遭遇する機会があって、その時に売っていたフランス語版のものを入手していたのですが、なにせフランス語ですから、私には訳せず(苦笑)、宝の持ち腐れとなっていました。

その後、英語に訳され、その英語版も手に入れましたが、英語もできるとは言い難い私には、これまた完全に理解することは難しいものでした。まあ、英語のできる方と協力したり、ちょっとずつ自分で訳したりはしていましたが。

そうこうするうちに、なんと、日本語で本が出ることになり、大変驚くと同時に、うれしく思いました。

この本は大部なものですし、タロット本と言っても専門的であり、日本ではマイナーなマルセイユタロットを扱っているわけなので、およそ日本語版が出るなど思っていなかったのですが、やはり、映画監督としてのホドロフスキー氏の知名度がモノを言ったのでしょう。

この「タロットの宇宙」は、さすがとしか言いようのない内容なのですが、やはり、まったくの初心者が読むには難しいと言いますか、誤解してしまうところもあるような気がします。

いや、タロットのすばらしさを知る意味では、タロットを知らない初心者が読むには、タロットの印象をよい意味で決定づけるうえでもお勧めできるのですが、ちょっとだけマルセイユタロット、それも、カモワンメソッドを中心に学習した人には、内容的には違和感を持つ人も少なくないと思います。

これは私の生徒さんにも言っているのですが、カモワン氏とホドロフスキー氏のタロット観には違いがあり、究極的には同じものを目指すとしても、方法論、システム論、直感性においても異なっているので、カモワン氏側のものをメインに学んだ方からすると、タロットの解釈などにも違いを感じ、自分の中でどう統合すればよいのかわからなくなるおそれがあるのです。

ですから、きちんとマルセイユタロット全体としての、ある程度のベースや俯瞰性ができたうえで「タロットの宇宙」に取り組まないと、混乱をきたしてしまうこともあるので、注意が必要です。

例えば、数秘術などでもそうですが、ある数字の意味が教える人によって異なる場合があります。

しかし、「1」は1の本質、「2」は2の本質があるように、根本では同じだと言えます。それが人によって、教え伝える人の個性によって、言葉としての意味が変わってくることがある(表現の違いがある)わけです。

ですから、どの数においても、本質はこうなのだなと理解してくると、人によってその意味や言葉が違うのもわかるようになりますし、それぞれが間違いでもなく、また正解はひとつでもなく、関連していることに気づき、たくさんの解釈にふれるほど、より本質にも近づけるようになるのです。

これがまだ浅い段階で、本質もわからず、ただそれぞれの言葉・表現だけにとらわれていれば、その言葉に惑わされ、あの人はああいう意味を言っているのに、別の人はまるで違う意味を言っている・・・これはどういうことなのだろう?わからない・・・と混乱するわけです。

ホドロフスキー氏は情熱家であり、彼なりの家族的背景が、ここ数年の新しい映画でも語られているように、色濃くあります。その表現か投影され、一枚一枚の大アルカナの解釈などにも影響しています。それをそのまま一般解釈としてしまうと、あてはまらないと感じることもあるでしょう。

「タロットの宇宙」を理解していくには、単にタロットの知識や経験だけではなく、ホドロフスキー氏の人となり、表現を知り、特に氏の映画鑑賞は欠かせないと思います。同時に、もう一人の製作者、フィリップ・カモワン氏のメソッドやタロット観にもふれることで、より、ホドロフスキー氏のタロット観というのも浮かび上がってくるでしょう。

さて、この「タロット宇宙」、理論だけではなく、いろいろな技法・技術も書かれています。そのどれもがとても興味深く、効果的だと思えるのですが、かなり実際には難しいものでもあります。

しかし、タロット(リーディング)を訓練したり、自分自身を知ったりするという意味では、やってみると面白いものも多いです。

ひとつご紹介すると、「1枚のアルカナを用いた練習」というのがあり、大アルカナ一枚引きをして、出たカードに対して、具体的レベルで見るのと、心理的レベルで見るのと、霊的レベルで見るという、三つの見方で読む方法が書かれていますし、例えば「私の心にあるのは何か?」と質問して、一枚引きし、その出たカードをそれとして読むなどの方法も書かれています。(詳しくは国書刊行会「タロットの宇宙」をご覧ください)

たった一枚でも、自己省察に大いに使えるということが語られています。

これを公開制でブログなどでやるのもいいかもしれません。

よく、毎日、一枚引きなどして、そのメッセージや占いを書ている人がいますが、これを他人に対してではなく、主として、自分に対してやってみるのです。

毎日、一枚引きをして、そこから受け取る情報、直感的なもの、普遍的な意味のものなど、何か出てきたもの、思いついたこと、リーディングしたことなどを書きます。そして、それは読んでもらう人のためというより、自分に出たメッセージ、自己への提示、自分の心や無意識を探るものとして見るのです。

けれども、ここが重要ですが、自分に対してメッセージを出すみたいに意識しすぎると、逆にカードが読めなくなります。自意識過剰での固まりというやつです。(笑)

ですから、他人や一般、ブログを読む人に書くという意識でやり、しかし結果的には自分へのメッセージとして読むということをします。

すると客観的なものとして、自分に対して出すことがやりやすくなるのです。

これも逆に、人に読んでもらおうとか、集客しようとか、そういう意識てやってしまうと、他人への意識過剰になって、タロットをうまく読むことができなくなるおそれがあります。ましてや、自分に対してのメッセージ性もぶれてきます。

従って、宣伝としてやるのではなく、また自分に意識を向け過ぎてやるのでもなく、他人向けを装いつつ、自分に書くというスタンスでやってみるとよいでしょう。

大事なのは、毎日やるということです。それくらいの決め事、縛りがないと、自分に甘えが出てしまい、単なるお遊びになり、これをやる意味がなくなってきます。

誰かが見ていてくれると仮定し、とにかく大変でも毎日、一定期間やり続けるのです。もともとは自分のためのものですから、アクセス数などにやきもきする必要もないです。ですが、公開制にすることで、自分への甘えや遊び感覚を排し、それなりの修練だと思って取り組むことができます。

三か月間はやる、半年はやる、一年はやるぞと決めたのなら、その期間やり続けてください。きっと効果は出ます。

もし、今やっているブログではできないのであれば、別のブログを作ってやってもよいでしょう。

やはり、継続は力なりです。

それから余談でずか、毎日タロットを引いて占っている人も、それは何の目的でやっているのか、自分なりに明確にしておくとよいです。

もし他人に自分の書いたものを見てもらい、自分(のリーディングや占い)に関心を持ってもらうことを目的とするのなら、漠然とただ書き流していてもあまり効果はないかもしれません。

考えてもみてください。有名でもない人の占いを毎日見るのは、何の意味があるのか、見る人がいるのか、ということです。知り合いとかは別として。

仮にあなたが他人の毎日の占いとかリーディングの内容を見に行っているのなら、なぜそうしているのかを分析する必要があります。それをしているのは、その人のを見たいという理由があるからであり、それは何であり、なぜなのかという点が大事です。

結局、「毎日占い」の記述も、それをやることに、自分なりの理由、きちんとした意図をもっているのなら、それはそれでOKだと思います。無名の人でも、やり方次第では、ほかの人が見たくなる書き方・方法があるはずですから。

例えば、毎日読んでくれた人だけにわかる暗号を入れるとか、それを発見した人には無料占い・リーディングをプレゼントするとか、そういうことも考えられますし、漠然とした抽象的な占いをするのではなく、恋愛の、しかも「片思いに悩んでいる人」用の占いを続けてみるとか、個性を出す方法はたくさんあると思います。

人は自分のことに関心があるのです。

「〇〇さん、そうそう、あなたです、あなたには、これから「戦車」のような男性が近くにいるか、近づいて来ていますよ」と言われるほうが、「皆さん、今日は、戦車的に行きましょう」と言われるよりも、自分のことのように感じるはずです。

一般的・抽象的な言い方は、それだけ自分のことではないとして、スルーされることも多いのです。

少し違う話になりましたが、一枚引きブログ、やってみたい人は、ぜひ、チャレンジしてみてください。


社会不安と占い、タロット

社会不安になりますと、占いが流行ると言います。

これは日本だけではなく世界的傾向もあるようです。

例えば、昔の話になりますが、フランスにおいて、有名なフランス革命後、社会情勢が不安定になり、やがて左傾が反転、右傾化してナポレオンによって帝政時代を迎えるようになります。

その間の時代では、占い、特にカードやタロット占いが流行したと言われています。かのナポレオンも実は占いで戦争を決めていたといううわさもあるくらいです。

日本では、タロットと言えば占いの道具という認識が一般的ですが、おそらく、この頃のタロットの使い方(占いとしての)が、世界的に汎用化されたのではないかと、歴史的に見れば考えられます。(それまでは、タロットはゲーム道具の要素が強かったと見られます)

まあ、要するに、占い、そしてタロット占いなどは、社会不安ととも作られてきた面があるわけです。

さて、今や新型コロナウィルスのパンデミックから始まった、世界的社会情勢の不安、問題が広がっています。

さらにアメリカでは、人種差別が発端のデモや暴動のようなことも起こっています。とはいえ、これについては、陰謀論ほどではないにしても、かなり策略的においがするのに、多くの人は気かづいているかもしれません。

ですが、たとえ何かの陰謀や策略であったとしても、つまりは、人心や社会が不安な様相を呈しているから、それを利用する輩・勢力も出てくると考えられます。

さきほど、フランス革命とその後の話にふれましたが、この時と今の時代とでは、不安の要因は違うとはいえ、左的なものの運動・革命の機運から、結局は全体主義とか右的なものが台頭してしまうという流れは、第二次世界大戦時のドイツのナチス支配の流れを見るまでもなく、似たようなことを繰り返しているように感じます。

思想自体はあってもいいですが、もう右や左とかで、どちらも暴力や支配で決着をつけようと争うようなレベルから脱却したいものです。国や環境、技術が変わっても、やっていることやシステム的には、、数千年、同じなのが人類と言えます。

ちょっと話が占いやタロットからそれていますが、話を元に戻しますと、このように、社会不安が起きると占いが流行るというセットみたいな話があるわけです

それで、今日言いたいのは、ふたつのことなのです。

ひとつは、人々が不安になれば、やはりその不安を解消したい、癒しを求めたい、希望を持ちたいという思いで、何かに頼りたくなります。

占いの流行も、そうした心理的不安から起きてきているわけですが、とはいえ、占いと言っても、意外にも、機械やコンピューターの占いでは安心できない、癒されないということがあるのではないでしょうか。

となると、実は、人は占いを求めながらも、、誰か「人間」に話を聞いてもらいたいというところがあるのがわかります。

人に相談して解決策を求めたいという気持ち以上に、悩みや気持ちを吐露して聴いてもらい、少しでも自分をわかってほしいという感情があるのです。

もちろん、占いにおいては、普通の情報以外の、目に見えにい力に頼りたいということもあるでしょうが、人に話を聴いてもらい、また聴いてもらうだけではなく、占い技術によって、通常わかりえない情報を得ることができる期待もあるので、対人占いは、不安な時期には特に流行るのだと思われます。

前置きが長くなりましたのが、だからこそ、今、もし占いを学び、実践したいと思っている人には、それで稼ぐという意味よりも(それはそれでよいですが)、何より、身に着けた占い技術によって、人々の安心・癒し・常識を超えた情報提供などで、貢献していくチャンスだと言いたいわけです。

コンピューターの時代にあっても、やはり、人々は生身の会話を求めています。オンライン鑑定は増えましたが、それでも、オンラインを通してやっているのは、人と人の会話・コミュケーションです。求められているのは、あなたという「人間」なのです。

ここで、私は占いの技術に自信がないという人もいるかもしれません。

それはうまくできなかったことの評価へのおそれ、他人に提供するには、よいものをなさないと失礼になるなど、結局、過剰な自分への関心ベクトル方向と、経済的価値と自分の価値をイコールにしていることが多いのです。

まずは、自分のことより(関心ベクトルを他人のほうに向ける)、そしてお金のことより(仕事や作業はお金でしか評価、換えられないものと思い込み過ぎない)、世のため人のため、今のできる範囲で精いっぱいやってみるという姿勢が大切だと思います。

自分は意識していなくても、タロット占いやタロットリーディングをすれば、それは相手のためになるだけではなく、いや、もっと言えば、相手のためにたとえならなくても、実はほとんど自分のためにやっていることであり、それは自己浄化につながるのです。

ある意味、対人タロット占い、対人タロットリーディングという形を借りた、自己対話なのです。

ですから、マルセイユタロットの「力」と「手品師」の並びのように、新しいことに一歩踏み出す勇気を持ってみましょう。

次に、ふたつめは、占いの話をしておきながらなんですが、社会不安になったら占いが求められ、だから占いをするという、その、ずっと続くパターンから変化をつけてみたいということです。

時代的にも、次元が変わりつつあり、これまでのような、昭和的ともいえる占い・占いしたものをやるには時代遅れのところもあり、また元のパターンを強化したループに落とし込むような問題があるように思います。

ですから、占いをしながらも、ただ気持ちを安心させたり、先行きの情報を与えたり、物事の現実選択の悩みを吉凶的(現世利益的)に判断したりするのではなく、もっと別の次元やレベルの情報も提供し、悩める人々の意識を転換していく姿勢が、これからの占いにも求められる気がします。

不安をただ沈めるのてはなく、もっと意識そのものを上昇させていくような感じです。

いわば、マイナスからゼロに戻すだけではなく、プラスに変えるもの、いや、マイナスやプラスと思っていた世界から脱出していくような気づき、意識を獲得してもらうような内容です。

タロットで言えば、読みのレベルを上げる(たくさん持つ)ことであり、それには、レベルの違いとは何なのかということをタロットを読む側がよく認識しておく必要があります。

この区別ができていないことで、自分のやっているタロットリーディングが、占いなのか、セラピーなのか、チャネリングなのか、何をしているのか、何をしていいのかわからなくなり、結局、クライアント・相談者の求める情報レベルに合わせて、相手に迎合したものになる方がいるのです。

もちろん、相手の求めるものに応じること、悩みを解消していくことは重要ですが、それだけだと、これまでの占いレベルのままで、人や社会をよい意味で、改革させる(無限ループのような罠から脱出させる)ことは難しいです。

相談者の悩みや葛藤の階層に一緒に住むのではなく、占いやリーディングしている時だけは、その技術・ツールをもとにして、自分の階層レベルを上げ、悩める人を新たな世界へ導ける視点をもってやっていくとよいでしょう。

私の講座や勉強会でも、特に時代・次代を意識したタロットリーディングを解説しているところです。

タロットを習った皆さん、あるいはこれからタロットを学習してみようかという方、タロット占いやタロットリーディングによって、社会不安の中でも、自他に役立てることにチャレンジしてみてください。


タロット関係を継続する方法

タロットを学習しても、タロットが続けられる人は、案外少ないのかもしれません。

独学か、学校や先生について学ぶかで言いますと、意外と、独学の人のほうが続けられている気もします。

もちろん、学校や先生において習う場合でも、継続率が高いところもあります。

やはり、習ってそれで終わりだけではなく、継続して興味が持て、学習できる体制があるのとないのとでは、その差も大きくなるのは当然と言えます。

私自身のことで言えば、かつて一緒に学んだ方々でも、今でもタロット活動をされている人は、ほとんどいない感じです。

当時、その学校関係でアフターフォロー的なことも少しはありましたが、やがて学校自体がなくなるに等しくなったことで、その時点からタロットをやめる人が増大した印象です。

たぶん、当時習った皆さんでも、カードは残されているとは思いますが、同時期やその後数年間において、同じ学校で学んだ人で、いまだ名前をお見かけしたり、実際にタロットをされていることを知っていたりする人は、ほんのわずかです。

あと、趣味の場合は、タロットが本当に好きならば長続きしますが、ビジネスや対外的に事業としてやっていくとなると、純粋にタロットだけの問題とはいかなくなりますから、結局、事業が立ち行かなくなると、タロットへの関わり自体もやめてしまう場合があります。そういうのはちょっと悲しいですね。

ということで、せっかくタロットを習っても、それっきりで終わらないようにするために、アドバイスや注意点をポイント別に書きたいと思います。

●習う費用と期間の問題で変わる

入門的に、あるいはちょっとした興味ということで、内容がライトなコースとか、一日とか数日の短期間のコースを選択してタロットを習うと、結局、タロットに対して軽い感じになり、興味もすぐ冷め、そのまままやめてしまうことがあります。また、料金があまりに安いコースだと、お金の重みが感じられず(つまり真剣さや重要度が薄くなる)、継続意欲・活用への興味もなくなりやすいです。

ただ反対に、入口がライトだっただけに、さらに深いものを学びたいと、逆に興味と感心が増してくることもあります。

●アフターフォロー(体制)の充実があるか

タロット講座が終わると、「あとは自分で勝手に・・・」というような感じで放置されるものだと、先にも書いたように、どうしてもタロットへの定着率は下がります。また、習う組織や学校自体がなくなったり、組織改編などあって事後体制が変更されたりして、継続学習ができなくなると、同じようなことになります。まさにタロット学習難民と化すわけです。

●学習仲間や自主的なタロット学習のグループを作る

習う側においても、学校や組織、先生ばかりを頼りにせず、自分たちで学習グループや研鑽組織を作り、学ぶ意欲を継続させていくとよいです。私自身も、昔、習った者たちで学習グループを立ち上げ、それがあったからこそ、何人かの人とともに、タロットが続けてこられたというのもあります。

やはり仲間がいると、タロットを続けて行きやすいです。

●学校や先生のスタッフ、ヘルプをする

タロットの学校とか先生の場合、タロットが仕事であったり、生きがいであったりすることがほとんどでしょうから、タロット活動が一般の人よりも続いていく可能性は高いです。ですから、当然、そこにスタッフとか何かお手伝いするヘルパーとして入れば、タロットとの縁が途切れず、自分もタロットと関わり続けることができます。

●自分なりの課題やルール、あるいは目標を設定する

タロットにおける目標、課題、ルールなどを決めておくと、それを達成するまでは続けることがモチベーションにもなってきて、気づけば、タロットを長くやっていることになってきます。例えば、毎月何人リーディングするとか、あのカードのこの謎を解明するとか、なんでもよいですが、具体的なほうが効果は高いでしょう。

●ビジネスとタロットへの思いとを切り離す(分けて考える)

タロットがビジネスとからんでしまうと、お金や経済的なことと結びつき、何でもそうですが、好きなことをビジネスにしたつもりが、ビジネス自体がうまく行かなくなって、好きなことそのものも嫌いになる、あまり扱いたくなくなってくる・・・という悪い影響を及ぼしてしまうこがあります。

逆に言えば、ビジネスが好調であれば、タロットも余計好きになり、長く続けていくことも可能になります。しかしながら、純粋な意味でタロットが好き、タロットに興味があるという気持ちがあるのに、ほかの要因・要素によって、それが影響されてしまうことは避けたいところです。

お金儲けや成功することが好きなのか、タロットができる自分を評価してもらうことが好きなのか、それとも、タロット自体が本当に好きなのか、それらをいつの間にか、混同してしまうわないように注意しましょう。

●タロットをアテモノだけの興味で考えない

タロットを占いとして、当たる当たらないの観点で見てしまうと、当たらない時にタロットの予測と実際の結果にがっかりして、タロット自体への信頼、興味を失ってしまうおそれがあります。これはそもそも、タロットをアテモノ的な占いで見ているからこうなるわけです。

だとすれば、自分の興味を失わない使い方を、タロットにおいてするべきなのです。

●自分の興味や価値観と、タロットの活用とをリンクさせる

自分は何のためにタロットを習い、使うのかということを、今一度、はっきりさせることです。

自分の目的や好きなこと、自分が高い価値を置いているもの(これは人によって違います)に対して、タロットを活用することができるか、もしタロットを活用するとすればどんなことができるのか、どのように使えばよいのか、このように考えることで、タロットと自分が大きく乖離することなく、使い続けることができるでしょう。

もし、自分の価値観、人生において、あまり役に立たない、活用する方法が見つからないということであれば、タロットはお蔵入りとなってしまうのもやむを得ないでしょう。

 

いろいろと書きましたが、結局、一番大事なのは、タロットが本当に好きかどうかが一番肝心かと思います。

そして、別に長く続けることがよいこととは限りません。タロットの縁、その意味にも、個人差があります。

人によっては、タロットは単に学びのひとつ、ある目的のために一時的に接したツールという場合もあるのです。その後、別のもっと強い関心を抱けるものに出会うこともあります。

要するに、タロットとの出会いと学びは、自分にとっての(必要な)過程である(であった)という場合です。

ですから、自然に興味が離れ、タロットを扱わなくなってもよいのです。

まさに人それぞれで、あなたがタロットを選びつつも、タロットのほうもまたあなたを選びます。あなたがタロット必要としないのなら、タロットからも働きかけは弱くなり、あなたから離れていきます。

それでも、タロットとその奥底に流れるものに縁のある人は、一度離れても、再び戻ってくることもあります。その時は、前よりも、タロットが身近に感じられたり、以前とは違った面を見せてくれたりするようになるでしょう。

タロットにも種類があるように、それぞれの種類別で関わる縁があります。

 

マルセイユタロット縁がある人には、私のほうで門戸を開いておりますので、一度、扉をノックしてみてください。マルセイユタロット難民(笑)の方もご相談くださいませ。


大・小アルカナの関係と使い方

タロットには大アルカナと小アルカナというパート、カード構成があります。

このふたつの違いは、大と小と名前があるように、簡単に言えば、大きな見方と小さな見方が適用されるものと言ってもいいかもしれません。

ただし、ここでいう、大と小は、良い悪い、優劣の意味で高い低いというわけではありません。

要するに、適用される分野や次元が異なるということです。

マルセイユタロットの場合、大アルカナと小アルカナ、特に数カード(数札)の絵柄とはかなり違っていますので、明らかにこのふたつが別であることが示されています。

しかしながら、タロット全体としては必要なセットとして組み込まれているわけで、タロットシステムからすれば、そこにはきちんとした理由があると考えたほうがよいです。

ということは、タロット全体からすれば、大も小も必要で等しく、しかし、絵柄の違いからして、別物と見ることも自然になるわけです。

全体としては同じ、しかし個別としては異なる・・・これは何かと似ていませんか?

そう、まるで宇宙全体(完全性)と私たち一人一人(の世界、個別性)の関係を見ているかのようです。

タロットが宇宙や私たちの象徴・モデルであるということは、このように、タロットの構成を検証するだけでもわかってくるものなのです。

こういう見地からすれば、自ずと、大アルカナと小アルカナの使い方、適用する分野というものも理解できてきます。

講義ではこのことはしっかりとお伝えし、具体的にタロットの使い方・読み方を、大アルカナと小アルカナで説明しておりますが、ここで簡単に大と小の関係性と使い分けをご紹介しておきます。

まず、大アルカナは一種の元型・アーキタイプのようなものと設定します。

そして、小アルカナは大アルカナひとつひとつに対して、4つの分野に細分し、表現されたものと考えます。

この4つとは、四大元素(風・水・火・地)思想をベースとした四組のことです。すなわち、剣・杯・杖・玉(一般的にはソード・カップ・ワンド・コイン)となります。

四組のとらえ方、表現分野には諸説ありますが、一般的・簡略的に述べるとすると、思考・感情・行動・物質(環境・結果など形)と表現できます。

このうち、内的なものとしては思考と感情があり、外的なものとしては行動と物質的環境があります。(杖は火の象徴なので、内的な情熱やモチベーションを表すこともありますが、今は便宜上、あえて簡単に種類分けしています)

元型的な大アルカナ一枚一枚に対して、この四組の表現方法や働きかけがあると見るわけです。

構造的には1対4(大アルカナ1と小アルカナ四組)の関係性です。

これは、大アルカナ自体にも、「手品師」や「世界」のカードに図像として表現されています。特に「世界」がわかりやすいでしょう。「世界」のカードには、真ん中の人物と、周囲には四つの生き物が配置されている絵になっています。

では事例として、「節制」のカードで説明しましょう。

「節制」という元型に対して、四つの表現方法があり、どの分野を自分が選択するかという向き不向き・適合不適合も考えられますが、同時に、「節制」を完全に理解、自分のものとする(現実化する)には、四つの分野それぞれが必要であるという考えにもなります。

「節制」は救済や治療を表すとすれば、そのために必要なものは四つのうちどれか、あるいは、四つのバランスで歪になったり、ないがしろにしていたりする部分はどれかというような見方ができます。

どこか調子が悪いのなら、まず内(思考・感情)か外(行動・環境)か、というものを見て、さらに内・外のそれぞれの因子を調整したり、取り入れたり、過剰さを排除したりすることで、元型としての(この場合は「節制」)本質が現れてくるというイメージです。

ほかにも、「節制」を別の意味にして、例えば経済的節制、つまりお金を節約する課題として考え、小アルカナ的に四つの分野からアプローチする、手段とすると見ることができます。

今は単純な例でやりましたが、実は四組構造はもっと複雑化したり、逆に単純化することもでき、かなり具体的・個別的に絞っていくこともできれば、元型次元にまで抽象化して、ほとんど元型と変わらない意識までもっていくことも可能なのです。

こうしてみると、特にマルセイユタロットの大と小のアルカナ構造は、本当によくできていると実感させられますし、マルセイユタロットを使う多くの人が、小アルカナをあまり活用されていないのではないかと残念に思うところもあります。

そもそも日本においては、ホドロフスキー氏の著作以外、本格的に、あまりマルセイユタロットとしての小アルカナの解説や使い方が教授されていないので、仕方ないのかもしれません。

私自身も、もとはカモワン流から入りましたので、当時のカモワン流ではほとんど小アルカナを使わない技法ということもあり、自力で小アルカナと大アルカナの両面の活用について探求・実践してきたところがあります。

その過程で、やはり小アルカナはタロットシステムにおいて必要不可欠なものだということがわかりましたし、一般的に言われている小アルカナの考え方・使い方とは、また別の方法もあるということも気が付いてきました。それでも、大アルカナとはセットで考えたほうがよいのです。

何事もそうですが、使わないものは衰えたり、疎遠になったりします。

タロットもしかりで、大アルカナばかり使っていては、小アルカナを理解することから遠ざかりますし、小アルカナとあなたの関係はよそよそしいままです。

実は、小アルカナは現実と強く結びつく性質があり、大アルカナばかり使っていると、現実逃避や地に足のつかない状態になってしまうこともあります。(しかし、リーディングしたり、占ったりする内容が現実性を持てば、大アルカナもその次元にシフトしていくことができるので、必ずしもそうとは言いませんが)

ということで、せっかく小アルカナのパートがタロットではあるのですから、使ってあげるとよいです。魔法的には四大の精霊と仲良くなる感覚でもあるでしょう。

面白いことに、ゲーム世界では四大の精霊はよく表現されていて、子供たちは名前も知っているはず(笑)です。

ゲーム世界では、四大はアイテムや能力においても不可欠な要素で、ロールプレイングゲームでは、その四大要素の特質を持つ人物も現れ、パーティーを組みます。それがアンバランスだと、パーティーも、最悪、全滅します。

つまりは生きる力と関係しているのです。これはゲームを私たちの現実世界(これ自体もゲームだと考えることができます)の例えだとすると、よくわかると思います。

タロットの活用は、78枚あってこそなのです。


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