タロットの使い方
タロットと神の内在、神の外在
タロットで「神」という概念をどうとらえるか?
これは、なかなか難しいテーマだと思います。
私の扱うマルセイユタロットでも、そもそもマルセイユタロットもヨーロッパの産物ですから、基本的にその文化圏において「神」といえば、イエス・キリスト、あるイエスの伝える父なる神ということになるでしょう。
マルセイユタロットが形成されてきた時代で言っても、おおむねキリスト教カトリックの信仰する「神」の影響が、タロットにあるのも当然と言えます。
しかしながら、キリスト教と言っても、まったく同じ教義とは限りません。ローマ時代に国教化されて、やがてカトリック的な教えがノーマルになって行ったとしても、以前は、イエスを神ではなく、人間と見ていた教えもありますし、その中間的な立場におくものもありました。
さらには、今ではオカルト的に扱われている節もありますが、イエスの教えには秘儀的なものがあり、表に現れているキリスト教とはかなり違う、いわば、グノーシス的な教えが込められていたという話も伝わっています。
実際、中世の頃、東欧から南仏にかけて、異端派のキリスト教が流行った時代があり、例えばカタリ派と呼ばれる宗派も、善悪二元論的なものではありますが、グノーシス的(もっというと、古いペルシアや東方の宗教に近いよう)な雰囲気があったように感じられます。
グノーシス主義は、カトリック的な教えと反するもので、どちらかと言うと神は内在的なものであり、自己のうちに隠されてしまった神性・完全性を「神」として表しているところがあります。
一方、キリストは教に限らず、ほとんどの一神教的な宗教は、神を外側に置き、私たちや、この世界を創った偉大な創造神ということになっています。
厳密には外側(に存在する)というものではないとは思うのですが、布教のために、いつしか外在的に神を置く(人格神のような存在にする)ことで、人々にイメージしやすいよう変化していったのではないかと考えられます。
個人的には、グノーシス的な教え(の神)も、それと対立する外在的に神を置く宗教も、本当は根本的には同じものであったのではないかと見ているところがあります。
先述したように、宗教化した場合、信徒に神を理解してもらうことと、信仰者を増やす必要があるので、次第に神を、内より外側に置くようにされてきたのでしょう。
今、霊的な分野が「スピリチュアル」と言われて、ライトなものからヘビーなものまで、様々な種類に分かれて、宗教の域を超えて多くの人に語られるような時代になりました。
そして、共通しているのは、そういったスピリチュアリストたちの語るものの多くは、神の内在性です。
ですから、グノーシスにも近いですし、かなり昔の、大元の感覚に戻ってきている(戻るというより、一部は進化していると見ていいと思いますが)ように思います。
ですが、神の内在性という理論と感覚は、ともに難しいものです。従って、現代の霊性(スピリチュアル)を高めようとする人、そうした方向性を目指そうという人でも、いきなりの(神の)内在的認識は困難があるかもしれません。
宗教的には偶像崇拝が禁止されているものも結構ありますが、一方で、禁止されていても、実質は偶像(神の像)を作って、信仰している人たちもいます。
そのほうが、人間的に、神のイメージがしやすいからでしょう。
これと同様に、神の内在性(自身における神性の認識)をストレートに見出していくより、最初は神をあえて外在性に置く方法を採用し、例えば像や絵、モノ、仕掛け(舞台装置)などを、(自己の)神のイメージ喚起ツールとして使っていくのもありではないかと考えます。
祭壇、仏壇、神棚というものも、一種の神(神性)の認識のための仕掛けと言えましょう。
実はタロットにおいてもそれは言えて、神性認識のために絵のカードを使うわけです。おそらくマルセイユタロットの役割のひとつに、これがあると私は見ています。大アルカナがまずはわかりやすいツールでしょう。
どのカードにも、神性の表現がありますが、特に、「神」という言葉が出て来る16「神の家」というカードは、神性や自分にとっての神というものを考える(感じる)のには重要だと思われます。
またいずれ、「神の家」については書きたいとも考えていますが、大事なのは、マルセイユタロットの大アルカナナンバー16の絵柄でなければならないということです。
例えばウェイト版だと、名前も「塔」になり、その絵柄からは、恐怖しか感じさせません。
聖書的にはバベルの塔の話のモチーフと関係していると言われる16のカードですが、たとえ崩れるにしても、何が象徴的に崩されるのかということがわかっていないと、ただ絵だけに引っ張られ、誤解を与えしてしまうのです。
この点、マルセイユタロットの場合、塔は崩れておらず、多少の破壊的イメージはあっても、崩壊するような絵ではなく、むしろレンガなど、しっかり積みあがって行くことも感じられます。(破壊的でありながらも、実はかなり創造期・生産的・着実でもある)
「神の家」の検証には、ナンバー的には前後のカード、「悪魔」と「星」と比較するのが効果的です。特に、「悪魔」との対比は、神と悪魔という名前だけからしても、非常に意味深いと言えます。
ただ、「悪魔」も、マルセイユタロットの場合、一般的な悪いもののイメージで悪魔をとらえていては、それこそ「悪魔」の罠に陥ります。
高次になればなるほど、善悪の概念(観念といったほうがいいかもしれませんが)は、普通の人間には理解しがたいものとなっていくからです。
その点で言えば、マルセイユタロットにおける「神の家」と「悪魔」は、非常に高次の善悪だと表現してもよいでしよう。
そして、ここが肝心なのですが、高次でも低次(通常の人間状態)に入り込んでいて、言ってみれば、普通の生活においても、神の家とか悪魔を意識することは可能だということです。
もっと簡単で宗教的な言い方をあえてすれば、神の御心にかなう生き方と悪魔を退ける(負けない)生き方として表されます。
それは一見、低いレベルの善悪のようではあるのですが、高次の善悪のエネルギー(影響)を受けているものであり、それが自覚できた時、自身のうちに本当の(神の)力が宿ることになると思えます。
これは神の内在の自覚であり、外在的な神の感覚では、神がおられること(神の恩寵)の実感でしょうか。
とにかく、神の内在(の理解)にも外在的なモノを介してのルートがあり、それはマルセイユタロットを使うという方法にもあるという話でした。
三枚引きと時間感覚
タロットの展開法(スプレッド)で、三枚カードを引く技法、いわゆるスリーカードというものがあります。
これは、結構、いろいろな展開法の基本となっているもので、あの、特定の展開形を持たない、カード人物の視線の方向性にカードを並べていくカモワン流でさえ、最初は三枚引きから始まります。
三枚それぞれについては、様々な解釈(所定の意味)が付与されているのですが、時系列的に見れば、たいてい、過去・現在・未来というように意味付けされます。
私たちの通常の時間感覚では、今現在を基準にして、すでに過ぎた時間の過去、いまだ起こっていない時の未来というようにとらえるので、すなわち、現実的時間とは、三つの観点による時間の流れということになります。
従って、カードをそれぞれ過去・現在・未来と振り分ければ、必然的に三枚(三つのパート)となり、それがつまりは、私たちの経験している時間の舞台を表現していることになるわけです。
ですから、三枚引きは、時系列感覚においては、とても現実的であるのです。
しかし、タロットといえば象徴が機能しますので、むしろ、現実を超えたもの、非現実、超現実、見えない領域や通常の認識していない部分を表すことが多いものです。
とすると、三枚引きで時系列的に見る(タロットの)シーンは、現実のようでいて、そうではないところもあるわけです。
ここが非常に重要なポイントで、現実と非現実との境界線にゆらぎが生じ、これにより私たちは、常識的な自分、自我が固まった世界観が崩壊してくる体験を(タロットリーディングで)します。
すると、気がついていなかったこと、表面や現象ではない、本当の問題とか核心にふれていくことにもなります。
ところで、スピリチュアル的によく言われるのが、「今この瞬間に生きる」という戒めのような言葉です。
これは確かに、そうしたほうがよい場合もあるでしょう。私たちは、どこか、今に集中せず、ああでもないこうでもないと考えを巡らせたり、過去や未来のことを心配したりしていて、今をおろそかにしていることがよくあります。
今に集中していれば、余計な考えも少なくなり、エネルギーや意識も現在に収束され、作業効率とか目標達成力も上がるでしょう。
けれども、一方で、今に生きないということもでき、必ずしも、今に集中しなくてもよいケースがあると思っています。
言ってみれば、過去に生きる、未来に生きるという考え(意識)です。
実は、多くの人は、過去や未来に生きる選択をしている場合があります。
さきほどの「今に生きろ」という戒めも、偏って過去とか未来に意識が飛んでいる人を注意しているだけで、過去とか未来を思ってはならないというわけではないのでしょうが、それでも、あえて過去か未来に生きるという方法もありだと述べておきましょう。
まず、現在ではなく、過去とか未来の時間に意識を飛ばすのは、ポジティブや、よいと思う自分になる場合ではないとなりません。
ネガティブな場合は、それに囚われ、まさに時間の虜になってしまいます。過去だと後悔とかトラウマ、未来だと不安とか恐れでイメージしてしまう自分(や状況)の場合です。
よい時間への跳躍とは、平たく言えば、過去の良かった自分に戻る、未来の理想的な自分に浸るというようなものでしょうか。
とは言え、なかなか思いだけでは(イメージ)が難しいので、タロットの図像(絵)を援用するわけです。
さきほど、三枚引きが、過去・現在・未来を示すという解釈があると言いましたが、それを使い、過去に良かった時代があれば、過去のカードから想像し、未来によいものを描きたければ、未来パートのカードのイメージを借りるわけです。
カードを展開する時も、自分がよくなるにはどうすればよいかというテーマで行えば、それ相応のカードをタロットが出してくれるでしょう。
現在は現在で、今の自分をイメージするのに役立ちます。
ここで注意しなければならないのは、カードは正立で出すということです。逆位置を取らないわけですね。逆位置には、どうしてもネガティブなイメージがついてしまうので、正立のみの展開で三枚引くとよいでしょう。
時間の跳躍は、言わば、現実逃避(笑)なのですが、よい現実逃避は、現実を変える(超える)効果があるのです。なぜならば、私たちは今の自分を作りあげている自分(自我)ルールに縛られ、その範囲からなかなか抜け出せないでいるからです。
自分を変えることは現実を変えることにつながります。そのために人は、学んだり、経験したり、運動したり、新しいことに挑戦したりします。それは、すなわち、今の自分を壊す作業でもあるのです。
従って、今ではない過去や未来に飛ぶということは、今を変える可能性があり(過去の認識が変化すれば今も変わります)、現実逃避も悪くはないのです。
また現実逃避は、自己を保護する役割もあり、傷つき、疲れ切った自分を癒す作用が期待できます。
本当は、三枚それぞれを関連させ、現実時間の流れを無視して調和させることで、大きな変革や癒しが起きるのです。
ですから過去だけ、未来だけの跳躍は一時期な避難みたいなもので、そのあとに、三枚を統合させて、新しい意識を作り出す必要があります。
結局、それは「過去」→「今」←「未来」のように、今に集約されてくるものです。その意味では、やはりスピリチュアリストの言われるような、「今に集中」「今に生きる」というのも、理に適ったことになってきます。
今の常識的な自分を変える(超える)には、時間の流れを、過去→現在→未来ではなく、その逆方向や、三つが輪になって回転しているようなイメージを持つことです。「運命の輪」のカード図像にも関係してくることです。
そうすると、無意識の領域では、時間の流れというものがないことに気づくかもしれません。
過去の問題は今の問題であり、未来もまたしかりで、現在に悩みがあれば、実は過去も未来もよいようには見えてきません。
すべてが関連しているのですが、現実時間にいる私たちが実際に行動できるのは今の自分だけなので、三次元的には今の自分の行動と選択が重要になります。
反面、意識(心)の中では、行動ではない部分も効力を持つので、思いとかイメージの力が有効になります。ですから、時間的には、今だけ大事とは限らないのです。
そういうことを、たった三枚でも、タロットからは感じ取ることが可能でしょう。
タロット三枚と時間意識について、タロットを展開しながら考えてみる(体験してみる)のも面白いことです。
タロットの活用 雑記
しばらくコロナ罹患とその後遺症でブログを休載しておりました。
その間は、あまり頭が回らない感じでした。思考停止というようなものに近い感覚です。
マルセイユタロットでは、「吊るし」の印象が出てきます。
その間、「結局、タロットを使って何ができるのか?」ということに、変な言い方ですが、考えずに考えていました。(深く思考せずに思い続けていたという状態)
おりしも、ChatGPTなど、AIの一般使いも始まり、よい機会ですので、試しにタロット関連の質問やリーディングなど、ChatGPTでやってみました。
すると、ほとんど簡単なリーディングはできることがわかりました。情報を与えれば、マルセイユタロットのリーディングでも、そこそこできていたのには、予想はしていましだか、少し驚きました。
知識的なことでは、間違いも結構ありましたが、それも蓄積・修正されて行けば問題なくなっていくでしょう。
まあ、占いの世界では、コンピューターにやらせるというのは大分前からありましたし、今もサイトで自動的に占ってくれるところは結構ありますよね。
こういうものは、もちろんデータに基づいているわけですが、「占い」は「統計」だと言ってる人には、まさに機械が占うのと同じになり、むしろビッグデータを簡単に扱えるAIだと、人間以上の占いができることになります。
しかし、占いも象徴の世界であるので、データだけで読むものとは異なるのです。AIが、象徴を人間のように理解できるのか、そこはこれから見てみたいところではあります。
話しを戻しますが、タロットでできることと言えば、主としてリーディングがあるわけですが、それも今述べたようにAIによって代替させることができ、タロットの役割、活用というのもこれから先、変わって行ったり、はたまたなくなっていったりする可能性もある気がします。
そもそも、悩み事や選択の迷いをタロットで解決するということも、問題自体、AIで解決を提案してくれるように、おそらくこれからはなるでしょうから、問題解決でのタロット使い(活用)も怪しいものです。
ほかに、一見、交わることのないと思える、AIと魔術やサイキックの世界も、実は非常によく似ているのではないかと思うところもあり、それは宗教にも言えます。
ですから、タロットの活用で、霊的(成長)ツールとしての部分でも、まかり間違えば、AIの創り出す世界に没入させられる(勘違い、幻想に囚われる)おそれもあるかもしれません。
要は、何が本物で、何が偽物かの区別が、ますますつきにくくなって来るわけです。
そもそも本物とは何か?という定義も、かなり難しく、あいまいになっていくように思います。
小説・アニメ「化物語」では、偽物を自負する「貝木」というキャラが登場しますが、彼の言葉に「真実を知りたければまず嘘を知れ」というのがあり、嘘や偽物の氾濫も、実は真実に近づくための過程なのかもしれません。
ともあれ、タロットをどう活用していくのかは、今後、私にとっても新たな課題だと考えています。もちろん、従来の活用法が悪いわけでも、時代遅れというわけでもなく、必要性は当面あると思います。
ただやはり、前々から思っていましたが、他人使いというより、自分使いにシフトしたり、パートナー的な、一種の人間的なカードとして意味づけられていったりするように、変化していくのではないかという考えもあります。
またAIの進歩により、これまで解明されてこなかった部分とか、一般的には価値が見いだせなかったところにも光が当てられ、タロット、特にマルセイユタロットの新たな価値が生み出されてくる(というより、再発見というのに近いでしょうか)可能性もあるでしょう。
今でも創造性の発露・刺激として、マルセイユタロットは大いに活用できるものですが、もっとその根源に行きつくような、いわば天使の梯子(霊と肉の架け橋)のようなものがタロットを通して見えて来ることも、これから期待できるかもしれません。
そう、私たちが、象徴的には天使階層に人間から飛翔していく、「運命の輪」が、今後、上昇方向に回転していくという例えでも表せるでしょう。
ただし、一歩違えば、人間が「運命の輪」の「輪っか」のようにマシーン化したり、輪に中に描かれている、動物二匹のような状態に堕落、もしくは固定してしまうおそれも、一方ではあるようにも思います。
結局、タロット活用においても、何を目指すのか、どうなりたいのか、何がしたいのかという、一人一人の意識によって変わって来るものなのでしょう。
それがわからない場合でも、タロットとともに探すことも可能です。
さらに言えば、(マルセイユ)タロットは、ある道筋を示していますが、それに合わない人、そのような望みがない者は、たぶん違和感を覚えたり、自分らしさも、タロットを使ったとしても、わかりづらかったりする仕組みがあるように思います。
つまるところ、タロットも、ある種の情報・形のようなところがあり、そことリンクする(共鳴する)かしないかによって、タロットの価値・無価値が、人によって決まってくるとも言えます。
カードの使い方、数の順と図像
タロットは占い(吉凶、状況判断)や何かの決め事、選択するために使うツールだと一般的には思われています。
確かにそれはその通りの側面もあるのですが、こと、マルセイユタロットに関しては、それは本来的な使い方ではないだろうなというのが、長年やってきている私の個人的な感想です。
では、何のために使うのか?と言えば、これまた難しいのですが、一言でいえば霊的な成長、言い換えれば全人(まったき人)へと成長していくための象徴絵図・指針だと言えます。
従って、実は私は、今やほとんど、何かの選択のためとか、決定のために、タロットを使うということがほとんどありません。
また、自分のためにカードを引いたり、展開したりすることも少ないです。
言ってみればエアータロット状態(笑)で、すでに心の中に図像と象徴性が組み込まれていて、あらゆることの整理道具、理解促進や補助の道具として、自動的に機能してくるような感覚にあります。
慣れてくれば、タロットを引かなくても、その人(の問題や課題に)に応じたカードも浮かぶようなことにもなってきます。(とは言え、人の心はぶれやすいので、自分が思い浮かんだタロットではなく、きちんとカードを引いて、実際に出すことで、中立性・客観性を保つことのほうがよい場合もあります)
タロット種によっては、なかなか手に入らないカードがありますが、究極的なことを言えば、一度現物としてのカードを入手し、そのタロットになじみ、図像を自分の印象に刻み込むことができれば、タロットがなくても機能させることは、一部においては可能かもしれません。
さきほど、言ったように、霊的な成長指針や気づきのために使うということであれば、カードを引く必要が実はあまりないので、カード図像を記憶したり、象徴を理解することのほうが重要となってきます。
ところで、マルセイユタロットの大アルカナの数順が、何らかの成長や発展を示していることは、今やよく知られています。
これがウェイト版だと、「正義」と「力」の数が入れ変わっていますので、別のルール(象徴性)によるものはあるにしても、やはり、「正義」が8で「力」が11という順序での見方が、タロット的に見た人の成長・発展にはふさわしいと個人的には思います。
このような、ある種の段階・プロセスのようなタロットの図像(の並び)があって、私たちは自らの位置や心・霊的な状態を知ることができます。ただし、絵を見たから、数の順を意識したから、と言って、すぐに活用できるわけではありません。
そこには、一枚一枚のタロット図像・象徴への深い理解と探求が必要になってきます。
そこが単純な数字を並べたような成長段階の見方と、タロットの図像による成長段階の違いなのです。
例えば、ここに、1から7までの数(算用数字で)を並べたとしましょう。
1 2 3 4 5 6 7
わかりやすく、またあえて順番を強調するため、間間に→も入れます。
1→2→3→4→5→6→7
こうすると、7に向かってぐんぐん進んでいるような、まっすぐな進歩、増加というものがイメージされるのではないでしょうか。
しかし、それ以外のことを想像するとなると、ちょっと難しいです。
では、同じ数と順番で、マルセイユタロットの大アルカナを並べてみましょう。
1の「手品師」から7の「戦車」までを見て、ただの番号の並びと比べると、明らかに感じ方は異なると思います。
よく見れば、人物の視線の方向もカードによっては違いますし、単独の人が多いとはいえ、5の「法皇」以降は、ほかの人物や、天使のような存在、動物も見受けられます。
少し観察を詳細にすれば、全体の流れの中でも、6の「恋人」が異質だと感じるかもしれません。
それは6の「恋人」が三人の人物たちだけではなく、先述したように上空に、天使(キューピッド)も描かれており、一枚の絵柄の構成的に、ほかの図像と違っていることが大きいからです。
ですから、人物だけ追っていると、6に来て、急に谷間に落ち込むような印象にもなってきます。
数順に成長や発展を示していると言われているのに、谷間で落ち込むような状況とはいかなる事態でしょうか?
しかも、そのカードには「恋人」という名前もつき、どうやら恋愛にも関係しそうですし、天使とかキューピッドとか、現実離れしたメルヘンチックな絵にもなっているわけで、これまた不思議なところでもあります。
というように、絵がつけば、単純な数字の進みだけの印象とは異なって来て、何らかの物語や、個人的な印象・思い、投影なども出現してくるわけです。
言わば、数字だけの羅列は機械的な成長で骨組みと言えますが、タロットの絵(図像)があることで、そこに肉付けがなされ、全体性(普遍性)だけではなく、個別(個人)性も付与されてくることになります。
だからこそ、同じ1から7と言っても、人それぞれ、あなたにとっての「手品師」から「戦車」があり、また途中の「斎王」「女帝」「皇帝」「法皇」「恋人」にも、それぞれ個人としての物語や意味があるのです。
同じ道を通りながら、千差万別の物語があるようなものです。それは一人一人の人生にも例えられるでしょう。
同時に、個人しての生き方があったうえで、全体としての流れ、共通点、統合などにも思いを馳せることができます。
カードでは、1から7にストレートに進むのではなく、行きつ戻りつ、人によっては「皇帝」(実績)にこだわる期間があったり、それこそ「恋人」カードのように、恋愛に悩む時期もあるわけです。
それが6の恋が先になる人もいれば、「手品師」としての仕事・社会経験がまずは重要という場合もあります。また、それら(1から7)が一緒に巻き起こることもあるでしょう。
タロットの象徴というのはそういうものです。だから、あるレベルとか状態に固定されたり、ひとつだけの正答があったりするわけではないのです。
しかしながら、数順に成長していくという普遍的規則を思い、高いレベルで、その順序とともにタロットカードを考察していけば、個人的なブレ・誤謬を修正するばかりではなく、大きなことを言えば、人類全体の進むべき道のようなものがわかってくるのです。
その「わかってくるもの」こそが、霊性の方向性、光明だと言えます。
タロットカードで個人的な悩みとか現実的選択を見るのもよいのですが、こうした使い方・見方があることは、特にマルセイユタロットを志す方は、知っておくとよいかと思います。
自分はネガティブか?ポジティブか?
人は誰でも、ポジティブな面とネガティブな面の両方を持つものです。
ただ、人によって癖や性格のようなものがあり、ネガティブ寄り、ポジティブ寄り、という具合に、どちらかに傾きがちで、それも個性と言えるでしょう。
さらに、たとえネガティブな人でも、その対象や興味の程度によっては、ポジティブになることもあり、その逆も言え、もともとポジティブな人でも、苦手な分野、嫌なことはネガティブになる場合もあるでしょう。
スピリチュアルな観点からすれば、人は本来、完全性を有し、ネガでもポジでもどちらでもない状態なのでしょうが、肉体を持って限定的な命で、いろいろな現象に反応・経験していく中で、傾きとしての個性(言い換えれば癖)が形成されてくると思えます。
「生まれ持った星」という表現があるように、占星術ではありませんが、もともと性質(の傾き、散らばり)としての個性があるとも考えられますから、この世に生を受ければ、ネガティブ・ポジティブの波や回転(現実)の中で、誰もが泳いで行かざるを得ないのだと思われます。
まさに、マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」が思い浮かぶところです。
その「運命の輪」の絵柄を見ますと、三匹の動物と回転する輪が特徴的な図柄として観察できます。
輪が自分の人生だとすると、輪にしがみついているような二匹の動物は、言ってみれば「ポジティブ」や「ネガティブ」な傾向の象徴とも言えます。
この二匹の動物は、うさぎのように見えますが、実は上に向いているのが「犬」で、逆の下に向かっているのが「猿」だと言われます。
奇しくも、日本では犬と猿は「犬猿の仲」と言われるように、相反する関係性となっていますね。
さて、あなたの反応は、犬(ポジティブ寄り)、それとも猿(ネガティブ寄り)の、どちらのパターン(が強い)でしょうか?
※ちなみに、ここでは犬と猿を、話の都合上、ポジティブとネガティブに表現していますが、本当はもっと深い意味があり、それは講座で解説しているところで、単純なふたつの違いのことではないのです。今回は、わかりやすさを出すために、あえてポジティブとネガティブという例えにしています。よって、今回の記事を読んで、「運命の輪」の(動物の)意味を理解したとは思わないでください。(それでも、大いなるヒントはあります)
成人くらいになりますと、いや、すでに学生時代には、人はたいてい、自らの傾向とか性質を知るでしょう。
どうも自分は心配性だなあ、ネガティブシンキングだなあとか、その反対に、細かいことは気にならない性格、快活・いつも明るい、悩みがないのでは?とよく人から言われるなど、およそ、どちら寄りかは自分でもわかると思います。
では、タロットを持っている人(できればマルセイユタロットがいいのですが、それ以外でもOK)は、タロットで試してみましょう。
まず、数カード(数札)を用意ください。
組は何でもいいですが、とりあえずは、「杯」(カップ)の組でよいでしょう。
それを数順に、表向きに、並列で並べてください。(横に並べて行く)
つまり、1から10までの数カードを横に並べるわけです。
そして、その数が年を表すとします。1は2021年、2は2022年、3は2023年・・・という感じで、10は2030年になります。
次に大アルカナをシャッフルし、数カードの上に、その年であることを意識して、裏向きに一枚ずつ、重ねるように置いていってください。
10枚引き終わると、大アルカナは表に返して、どのカードであるか確認します。
1の位置は2021年で、すでに終わっていますが、その他は現在か、未来の年になりますので、その出た大アルカナに象徴されるような年だと想像してみます。
また、昨年2021年はどんな年であったか、今年2022年も、まだ終わっていないとはいえ、あと一か月ちょっとですから、どんな年だったかという風に見てもいいでしょう。それも、出た大アルカナに照らし合わせてとなります。
すると、特に未来位置のカードについては、カードの内容にもよりますが、全体的にネガティブに見て(読んで)しまうか、ポジティブに見るかは、人によって違ってくるでしょう。
さらに言えば、ネガティブ傾向の人は、悪いとか、よくないとか思うカード(本来、吉凶はカードにはないのですが)に注目が行き、ほかのカードが比較的よくても、そこに意識が向かいがちになるでしょう。
反対にポジティブな人は、あまりカード自体気にならない上に、自分のよいことが起こる年を、カードから強引に解釈してしまうかもしれません。
すでに終わった昨年、また今年についても、自分はどう思うのかが、カードだけに左右されるのではなく、自分の性質、感情、思考によって支配されていることに気づくでしょう。
そして、出たカードを他人に見てもらうことで、もっと、自分の傾向がよくわかります。
他人が見た場合と自分が見た場合で、同じように見えているのであれば、それはカードの象徴性がなせる技で、確かに、カードから読んだような年となる(というより、そういうテーマがあると見るほうがよいのですが)のかもしれません。
同じカードを見ても、人と自分とは、感じるニュアンスが違っているとなりますと、それは個性による捉え方の違いが大きいと考えられます。
このほかにも、大アルカナだけを使っても、カードの中立性を思い、ネガティブに見えるカードは、あえてポジティブ面の意味を見出すようにし、逆にポジティブな側面が強いと思う場合は、ネガティブさを取り出すということもチャレンジしてみるとよいでしょぅ。
ほかのカード種では「死神」「悪魔」「塔」と呼ばれるカードたちを、通常状態でよいカードとして見るのは、なかなか難しいことになっていると思います。
この点、マルセイユタロットでは、「13」「悪魔」「神の家」と、「悪魔」以外は名前も変わり(「13」は名前がないのですが)、そこからでも、偏りから少しは逃れられます。
いずれにしろ、本来、私たちは両性、中立、完全性であると考えれば、この現実世界での偏りは、その経験によって、両極の幅を拡大させ、より大きな統合性の存在へとならしめるための世界であると思うこともできます。
ですが、いくら経験が大事とはいえ、「運命の輪」の犬と猿のように、ただ反応して振り回されている(グルグル回っている)状態では奴隷みたいで、エネルギーが使われている(浪費させられている)だけのようにも見えます。
やはり、意識的に両面を見て、気づきを増やし、自分を整え、解放して行くことは重要でしょう。
マルセイユタロットは、その装置、絵地図でもあるのです。
