タロットの使い方
本当のタロット体験とは。
タロットを深く理解していくには、知識と実際の体験が必要です。
知識は学んでいけばいいので努力した分に素直に比例すると言えますが、体験のほうはどちらかといえば自分からというより、向こうからの訪れるかのような感覚的なものなので、力業(ちからわざ)でどうにかなるとは言い難いところがあります。
この体験とは、タロットがまさに自分の人生や生活、そして実体験・実際の世界とリンクしていることに、カード一枚でもいいから心の底から感じる体験のことを指しています。これが本当の「タロット体験」なのです。
しかし、そのような「体験をする」にも、やはり自分から求めていく努力もいるのです。
たとえば人をリーディングしていくことや、常に自分の経験をタロットで考えていく(あてはめていくこと)などがこれに当たります。
タロットを学び、ただ待っていればタロット体験が必ず訪れるというものではなく、自分の行動によってその機会やチャンスを広げていく意識が重要になります。タロットに対する真摯な姿勢とも言えましょう。
そうすれば、タロットの精霊がそのような体験をあなたに必ず用意してくれます。
いつそれが訪れるかは人によって違うのですが、実はタロットの知識・学習の量・期間・質にも関係してきます。だから感覚だけではなく、知識と行動も大切なのです。
何もこのことはタロットに限らず、ほかのどの分野でも言えることです。
何かのことを考え、実行していても壁にぶち当たり悩む時があります。アイデアも行き詰まり、解決の糸口さえ見つからない一種の膠着状態です。
そして、「もうだめかも・・・」「もう何も思い浮かばない・・・」というようなギリギリの状態になった時、突然インスピレーションがわいたり、思わぬところから援助の申し出があったり、突破口が開いたりするものです。
これはそれまでの努力があればこそ、いわば天がそれに応えたということでもあるでしょう。
言い方を変えれば、自分の必死の努力によって、天(通常の感覚を超えたもの)に至る道をその時つなげた(開いた)ということになります。
このあたりはタロットカードの「恋人」や「審判」、「吊るし」「13」「節制」などに描かれていることです。
とはいえ、なかなか自分一人でタロット体験を目指すのも大変なことです。
そこで、私は今までのタロットを教えてきた経験を活かし、秋から予定しているマルセイユタロット講座では、そのタロット体験をなるべく味わっていただくことを講座の中で企画しています。
一度コツをつかむと、あとは自分で経験を増やすことができます。その一種のモデルや原初体験を自分からつけていくことを指導しようと思っています。
そのほかの点でも大幅に講義内容には改良を加え、使えるタロット、感じるタロット、知識としてのタロット、行動(ビジネス)に活かせるタロットということを中心にして、マルセイユタロットをお伝えしていくことになります。この講座はどこにもない私のオリジナルなものです。
マルセイユタロットを深く知り、自分の体験と結びついてくるようになると、もうそのタロットは魂が吹き込まれたも同然となってきます。それはあなたにとって、本当にすばらしい生きた宝物となるのです。
目に見えない世界の情報はこうして現れる。
昨日は、目に見えない情報もそれなりのルールに基づいている可能性があり、それが信じられれば目に見える情報とともに有効に機能する(活用することができる)というようなお話をしました。
では、目に見えない情報の現れ方、受け取り方、ルールとはどんなものなのでしょうか?
これがわかれば苦労はないわけですが、全部とは言えないまでも、ひとつの有力な表出方法(理解の方法でもあります)があります。
それは目に見えない情報は象徴(シンボル)の形で発信されており、だからこそ、こちらも象徴として理解しなければ(受け取らなければ)ならないということです。
たとえば、先日も私にはこんなことがありました。
このところ暑さで、私は家ではTシャツを着て作業しているのですが(^_^;)、その日は適当なものがなく、「もう何でもいいや」と思って、タンスの奥にあったシャツを取り出して着ました。
そのシャツはサッカーワールドカップの時のものでした。
そうしてお昼になったので、休憩しようとテレビをつけてみました。
普段私はテレビを見ることはほとんどないのですが、天気予報が気になったことともあって、何となくその時はつけてみたくなったのですね。
局はNHKで、番組は誰かをゲストに呼んでアナウンサーがいろいろと質問していくというものでした。
普段は歌手や女優などの芸能人が多いようですが、その日のゲストはなぜか前サッカー日本代表監督・岡ちゃんこと、岡田氏でした。
それで当然ながら岡ちゃんへはサッカーの質問になってくるわけですが、最後の方では今の岡田さんが何に取り組んでいるかの話にもなりました。
岡田さんは今、北海道のあの富良野塾(シナリオ作家の倉本氏主催の塾)の関係で、環境や人としてのあり方の問題などをテーマに、若い人に対して講義しているようでした。(岡田氏が環境や人間のあり方について学ばれ、活動されていたことは知っていましたが)
その時出たお話の中で、ある科学者のことが、岡田氏の口から飛び出てきました。
しかもさりげなくです。まさに偶然出たというような感じでした。アナウンサー側でも流してしまったほどです。
ところが、私はとても驚きました。なぜならば、その科学者の書いた本を、その日の昨日に私自身が偶然のような形で本屋で手にして、思わず購入していたからです。
この流れは私にとっては不思議な偶然が重なっています。
本屋で、ある本を手にしたこと、ワールドカップのTシャツを着たこと、サッカーに係わる人をテレビで見たこと(W杯で「二度」指揮した日本人監督です)、その人が自分が入手した本の著者の主張を語っていたこと・・・
ちなみに私の来ていたワールドカップのTシャツは2002のもので(古くて恐縮です・・・)、その時の日本代表監督はトルシエ氏でフランス人でした。
フランスは岡田さんが最初に指揮した時のW杯の大会でもあります。そして、私はマルセイユタロットをしています。もうひとついえば、トルシエ氏はフランスのマルセイユのチームを2002年以降指揮していた時期がありました。
単なる偶然といえば偶然ですが、これを偶然の必然と思うことが、実は目に見えない情報の受け取り方のひとつなのです。本人(私自身)しかわからない形であるということも重要なポイントです。
そう、いわゆるシンクロニシティを見る(意識する)という方法です。
偶然ではあるけれど、意味をもって連繋している、関連しているその「つながり」や「本質」を読み解くのです。
そしてその関連性を表すのが「象徴」なのです。
逆にいえば、象徴によって、意味のないと思われた事柄同士が意味をもって結びついてくるのです。
そこから、天や神・大いなる存在というものが、自分に何を示そうとしているのかを理解するわけです。
たとえば朝に鳥が二羽飛んでいたのを見たこと、お昼の食堂でコップがふたつ出てきたこと、帰りの電車で遅れが生じ、いつもとは違うルートで二回乗り換えなくてはならなかったことなどあれば、ここにシンボル・象徴として「2」という数が導き出され、それに意味をもたせれば、自分へのメッセージと取ることができます。
こういった「シンクロニシティに意味を見いだす」「象徴として世界を見る」というようなことは、通常の私たちの思考方法ではありません。
けれども、こうした別種の思考方法があるのだと思えば、あなたは違う世界からこの世を見る能力を獲得したに等しくなってきます。
ひとつの方面からの見方では解決しなかったことも、違う世界の視点から見れば氷解することもあります。
目に見えないことを信じられないのは、実は単に、その世界のルールや現れ方を理解する手段を知らないからに過ぎません。
もちろん目に見えない世界の情報を完璧に受け取り、解き明かすことは難しいでしょう。
しかしながら、象徴やシンクロニシティという形で現れ、受け取ることがひとつの方法だと思えば、まったく未知の世界ではなくなってきます。
この訓練をしたり、象徴そのものを理解したりするのにとても役立つのがタロットというわけなのです。
タロットを使えるようになれば、わさわざ自分の周囲に起こっていることを象徴として解釈することをしなくても、タロットを展開すればすでにタロットが象徴そのものでもあるので、それだけで目に見えない情報に迫ることができるのです。
情報のふたつの種類
私たちは今、様々な情報にさらされています。
今は情報が多すぎて、選択に困るという時代かもしれません。
ところが、この情報の種類にも大きくわけて、ふたつのものがあります。
それは目に見える情報と目に見えない情報です。
現実(私たちが認識する世界)の情報と非現実的(通常認識できない世界の)情報と言い換えられるかもしれません。
ただ、私が思うに、後者の目に見えない情報というものは、まだそれを誰もが目に見えるような形でわかる技術やレベルに達していないだけだと思っています。
科学の進歩とは少し違うのですが、やはり技術的にも人々の認識力においても変化が訪れれば、やがて今、目に見えてない情報も、誰もが受け取れ、解読できるようになると考えています。
しかしながら、現在の「常識思考」ではまず否定されがちの「目に見えない情報」とも言えます。
それゆえ、そういった情報の類は、怪しい、信頼できないと普通はなります。
その一番の原因は、そういった情報のシステムが「わからない」ということにあるでしょう。
私自身は目に見えない情報(世界)にもきちんとした合理性やシステマチックな法則がある考えています。
ただし、それは私たちが普通思う「合理性」や「論理性」とは別種のものだということです。
たとえばゲームの世界では、現実の世界とは違うルールが適用され、それがゲームの世界では通用します。
「こういう方法で願い事をすれば、このレベルでかなう」ということが、ゲームの中では「実際に」起こります。それはそういうシステムの世界だからです。
しかし、現実では同じような方法で願い事しても、ゲームのようにかなうことはありません。それはこの世界もそういうシステム(ゲームのような方法で願ってもかなわない)になっているからです。
ただし、ゲームと違うのは、一見まったく違うシステムのように見えていて、実は同じルールとシステムも内包されており、その共通根のようなものがわかれば目に見える情報も目に見えない情報も、やはり情報としては同じであるということがわかってくるのです。
究極的には、私たちが創るゲームの世界でさえ、現実の世界と共通したものがあり、実は同じ世界の別表現であることにも気がついてきます。
とはいえ、目に見えない世界はなかなかわからないので、そういうものは信じない、無視しておくというのも、ある意味賢明な選択かもしれません。
自分がわからないものに信頼をおくよりも、自分がわかっている、見えているものを根拠とするほうが客観的・普遍的であり、他人への説得力もあるからです。
ただ、「現実に認識できる以外の情報がある」のだと自分の中での信頼性を獲得することができるのなら、より情報量も増えますし、通常のモノの見方と別の方面からアプローチすることができます。
それが膠着した状況を打開させたり、ブレイクさたせりすることはよくあることです。
いわゆるひらめきとか、インスピレーションとかいわれるものもこれに当たります。
この時あなたは、目に見えない世界の情報を受け取っていたのです。その受け取り方が現実世界の目に見える情報の場合とは異なっていただけです。
しかし、このケースでは受動的なものです。
では能動的に自分からアクセスする方法はあるのかということですが、それがひとつにはタロットを使うということになるのです。
絵と音楽の記憶
絵(絵画・写真)と音(音楽)は実に不思議なものと言えます。
ともに心に大きな影響を与えることができます。
それも、どこか忘れていたような、あるいは自分でも気がつかなかった感情、気持ちを思い起こさせる効果があるように思います。
まるで深層心理の記憶、あるいは潜在意識へのスイッチに関与しているかのようです。
たとえば、昔自分が聴いていた音楽を何かのことで久しぶりに聴いた時、その当時の記憶や光景、匂いまでもが再現されてきますよね。
言ってみれば時間を超えた再現性があるのです。
しかもそれだけではありません。
実際には時間が経過していますから、やはり今の自分の気持ちというものがあります。その今の気持ちとかつての自分の思いが交錯して、実に複雑な何とも言えない気分を醸し出すのです。
センチメンタルといえばそうかもしれませんが、単に郷愁というもので片付けられない何かがあります。
音楽ほどでないにしても、絵(写真)にも同じようような効果があります。
少し話はずれますが、人はセンチメンタルにひたる時、実は結構重要なことが起こっています。
音楽や写真、絵などで昔の記憶が呼び起こされた時、最初は印象的なシーンが浮かんでくるでしょう。
それで、さらにそのシーンを追い続けていると、ある時、ふと何でもないような光景・場面を意外にも自分が覚えていることに気がつくはずです。
たとえば友人と行った先で見た建物の影、窓、車の座席、家族と一緒に過ごした時の太陽が斜めに差し込む光線、学校の教室の廊下の輝き、水飲み場の蛇口、夏の逃げ水、林間学校でのキャンプファイヤーの炎の横のゆらめき・・・などなど。
それは記憶されているのですから、何気なくはあってもやはりインパクトを残しているものであり、何か意味があって残されているのではないかと考えられます。
私はこれは、天使(天上的な存在、通常を超えたもの)のいた瞬間の表現ではないかと思っています。
シンプルにいえば、大いなるもの・宇宙に私たちが生きている証であり、何でもないシーンと思える時にも、人智を超えたすばらしいもの、完全なるものがいつも私たちとともに存在しているのだという証拠だと感じます。
印象的なシーンは誰でも覚えています。
しかしそれと同時に、客観的に言えば「取るに足らないもの」と思えることが、それでも同時に記憶されているというのは、実は皆同じ価値があり、輝きはどんなものにも存在しているという現れだと考えられます。
逆にいえば、何かに価値をおけば、その周囲のものさえ輝くことになるのです。(マルセイユタロットの「世界」はこのことを、ひとつには表現しているとも言えます)
よって、過去だけではなく、これからもあなた自身が活き活きとすれば、あなたのその生きている時間と時代も輝くことになるのです。
話を戻しますが、音楽と同様に、絵にも記憶を再生させ、今の感情と合一させていく作用があると想像できます。
そのため、絵であるタロットに取り組むことは、かつての純粋な気持ち、封じ込めてしまった心を取り戻し、現在のあなたと融合させていくことができるということでもあります。
タロットは自己再発見と再統合としてのツールとしては非常に効果的なものなのです。
天体とのつながり
昨日は月食で満月の上に射手座に月が進行中だったので(私は太陽が射手座ですが、月と重要なアスペクトを形成していますので)、なにやら不思議な感覚にいました。
なかなか思考が働かず、まさに月のカードの中にさまよっていた感じでした。(おかげて逆に「月」のカードを一段と体感することになったり、感覚が先行するタイプの人のことが少しわかったりしました)
いつものタロットだけではなく、占星術の話もしているのは、秋からタロット占星術講座を始めるからではありません。(苦笑)
占星術講座を開講すると決めたことにより、再び星々を強く意識するようになりましたので、天体とのつながりや影響をこれまでより感じやすくなっているというのがあるのです。
このように意識を何かに向けると、たとえ自覚がなくても確実にその対象(人や物)とのつながりはできてくるのです。
ちなみに占星術では確かに実際の惑星や天体を対象にしますが、いわゆる物体としての星ではなく、天体自体を象徴として考え、さらにいえば神の表現やエネルギーとしても見ます。
月なら月、太陽なら太陽に象徴される奥底の何か、裏側の何かをとらえることに力を入れます。この「何か」は言葉で一言では言い表せないものです。
そうしていくうちに、天体の表している本質とつながってくので、影響を受けることもあれば影響を及ぼすということもにもなってきます。
「影響を及ぼす」というのは、天体に影響を及ぼすということではありません。天体はいわば宇宙のモデルであり、その宇宙は実は私たちの世界でもあり、私自身の内なるものでもあります。
従って、月に象徴されることに影響を及ぼすということは、私たち自身の月に表現される事柄に影響を及ぼすことと究極的には同じ意味になってきます。
ただそのためには天体の表す基本的な象徴の意味を、まずは知識として得なくてはなりません。
ただ感性だけではあなたの思っていることが、本来の天体の象徴ではなく、ほかの天体のエネルギーということもありえるのです。
そうすると秩序がとれなくなってきます。
天体は宇宙・神のモデルと考えますから、当然そこには整然とした秩序(私たちの通常考えている規則や法則とは異なります)があります。いわばハーモニー・調和です。
知識と整理、調和を前提とせず、ただ自由気ままに乱雑な思いや想像をするだけではただの妄想となります。
ここまで書いてきて、あまりタロットの話が出ていませんが、実はタロットも同じなのです。タロットの場合はカードが天体だと思えばよいでしょう。
そしてタロットと占星術は四大元素など、根底的なところでつながっています。タロットの絵柄の中にも数々の占星術の記号や考え方も出てきます。
ただ、根源は同じであっても、表現方法、見方は大きく異なるところもあります。人によっては好き嫌いや、向き不向きも出てきます。
とはいえ、根源が同じということは逆にいえば、根源、言ってみれば真理(秘められた教えの意味で)も同じであり、それにたどり着く、あるいは近づくための学習としては、両方あると心強いということにもなるでしょう。
占いの観点で見た場合、結果的に占いの技術として二種類(タロットと占星術)、同じ系統(西洋)で別々の得意分野のものを持つということなります。
