タロットの使い方

直感は正しいか?

よく、「直感(直観とは異なるので、文字を変えています)に従えばいい」ということを言われることがありますよね。

実際、私も「直感やインスピレーションを重視して選択すれば・・・」とタロットでリーディングしたりアドバイスしたりすることがあります。

しかしながら、その直感が正しいのかどうかという点で悩むことも多いと思います。

直感的なものを表すタロットカードは何枚かありますが、やはり「恋人」カードがもっともそれを象徴していると言えましょう。(カモワン版マルセイユタロット)

ここでは天使が上空からをつがえており、下では人間達が三人話をしたり、誰かを選ぼうとしたりしている姿が描かれています。

この状況から見て、人間達は天使に気付いていないように見えますし、天使の矢が下の人間の誰に命中するかもわからず、結局選択していることが正しいのか悪いのか、人間では判断がつかないように感じられます。

つまり、直感での判断に、正邪や正誤的なものはなじまないのではないかということです。

ただそうは言っても、「直感に従ったから助かった」「直感通りで正解だった」ということはよく聞かれる話であり、無視できない何かがあるとも考えられます。

仮に直感が地上(人間世界・物質世界)を超える天上的なインスピレーションや思考から来ているとした場合、直感というものは地上レベルでの正しさではなく、天上レベルでの正しさに由来すると見ることができます。

それはわれわれの通常思考・常識からすると、時にはかなり矛盾した選択であるかもしれません。いや、むしろその方が多いのではないでしょうか。

ともかく、いずれにしても直感が天上的に正しいものであったとしても、私たちはその基準や判定の「モノサシ」を知りません。普通は選択のあとでその正しさを知るということになります。

では、それでも選択の時点で正しさをある程度まで判断することはできないかということですが、私はこれはあると考えています。

ですが、それは直感とは正反対とも言える論理的なものです。

どういうやり方かと言いますと、直感というか、「何となくこうではないか」と感じていることに対して、いろいろな方法で確かめてみるということです。いわば証拠を集める作業のようなものです。

例えばタロットでもいいでしょうし、本を読んだり、尊敬する人に聞いてみたりしてもいいでしょう。あるいは、何気ない日常で、そのことに関連するようなこと(メッセージ)を見つけ出すことでもよいと思います。

そうした中で、何度も繰り返し現れていること、同じようなことを言っているように感じた場合は、やはり最初の直感は正しさに近いと判定することができます。

なぜなら、物理的にも「再現されること」が正しさを証明するからで(物理の厳密さでは、「同じ条件の元で」ということがありますが)、繰り返しはシンクロニシティとして意味があると見ることができるからです。

そしてカモワン流の展開法では、たくさんのカードが出ることが多く、その中に数々のシンボルや意味の連繋(つながり、同じもの、繰り返し)を見ていきます。

ですから、直感が正しいかどうかをシンボルの連繋の繰り返しよって確認することができるのです。

私のタロット講座においても、何度も自分のテーマや課題を、受講生皆さんが一緒になってタロットで見ていきます。

そうすることで、複数の視点とタロットの多角的構造が相まって、さらに自分のあやふやだった直感に確信を得ることができるようになります。

私も皆さんに、そうして最後には晴れ晴れとして講座を終えてもらいたいと思っています。


タロットで幸せになれるか?

タロットは怖いものと思っている人がいるようですが、それは正解でもあり、間違いでもあります。


また反面、タロットはとても楽しいものと思っている人もいらっしゃるでしょう。


それもある面正解ですが、間違いかもしれません。


まあ、言ってみれば、タロットにおいて「すべてはあり」なのです。


もっとわかりやすく言えば、結局は自分がどうタロットと向き合うのかというスタイルで決まってくるということです。


そう、まさに自分次第です。


楽しいと思えば楽しくなりますし、厳しいもの、怖いものと考えればまさしくそのようにタロットはなります。


つまり、タロット自体はニュートラルだと考えればいいのです。タロット自体に罪も善もないのです。


私自身はタロットは大きな意味で楽しいものだと思っていますが、実際的な意味では怖く、厳しいものでもあると考えています。


どういうことかと言いますと、私はタロットによって自分自身を見つめたり、向上させたりする意味で活用しているからです。


当然ながら、ハッピーや楽しいことばかりで自分や世の中が成り立っているわけではありません。


時には厳しいこと、見たくないことに直面し、それを認め、受け入れなければならないこともあります。


「幸せ」になるために占いやタロットをするという人もいますが、幸せとはそもそも何なのかということは難しい定義です。


物質的に豊かになることなのか、心が充実することなのか、あるいはその両方なのか、人によってその定義は異なりますし、時代や状況によっても変わります。


「幸せになることは悩みがなくなること」だと思うかもしれません。


おそらくそれは現実的にはあり得ないでしょう。私たちはどの人でも、またたとえ今悩みがない人であっても、何か悩むことができるように出来ているとさえ言えるからです。


ということは、「幸せ=悩みなしの状態」だととらえている限り、あなたに「幸せ」は永遠にやってこないことになります。


ではどう考えればよいのでしょうか。


シンプルに言えば、幸せと思える時間や思いの状態を増やしていくということになるでしょう。


世の中はいいことと悪いこと(と思ってしまうこと)がいつもセットで現れます。言い換えれば、どの局面においても、二面性があるということです。


幸せを悩みなしの状態でとらえるということは、この二面性を一面でしか見ないことと同じになります。


とすれば、「二面性を最初から受け入れる」「悩みは当たり前であるとする」「悩み状態も幸せのひとつである」と考えるようになれれば、あなた自身が幸せと思う時間が増えることになります。


これは簡単なようで難しいことですが、その最初であり最後でもあるのが、やはり「自分を見る(見つめる)こと」なのです。


そのための道具としてマルセイユタロットはすばらしいと私は思っています。


タロットはこの意味では確かに幸せになるためのツールだと言えます。ですから、私は「大きな意味でタロットは楽しい」のだと述べたのです。


タロットを知れば自分も人もわかってくる。

昨日はタロットカードの大アルカナ22枚で自己認識を図ることができるというお話をしました。


実は自分だけではなく、他人も見つめていくことが可能です。


よく「自分を知れば他人を知ることにもなる」あるいは、「人を見れば自分がわかる」という話を聞いたことがあると思います。


これがタロットの大アルカナに関しても言えることなのです。


なぜかと言いますと、大アルカナの22枚は結局、どの人にも当てはまる人類共通ともいえる魂の反応、心の有りようが描かれているからです。


たとえばタロットカードには「悪魔」というカードもありますし、反対の「神」という名前が入っている「神の家」というカードもあります。(カモワン版マルセイユタロットを前提として書いています)


また恋愛模様を表す「恋人」のカードもあれば、孤独に探究している「隠者」のようなカードもあります。


つまり、人の心の中には誰しも悪魔もいれば神もいる、恋をする気持ちもあれば勉強して向上したいと願う心情もあるということであり、それをタロットを通じて自分にも人にも存在していることを確認する作業になるのです。


そんなことは言われなくても誰でも「ある」ことはわかっていると思うかもしれません。


本当にそうでしょうか?


自分には「こんな心はない」「こんな人間ではない」と考えているところはありませんか?


あるいは、「こんな人物になれるわけがない」「自分にはこれしか向いていない」と限定する気持ちになっていませんか?


そして、「自分とあの人はまったく違う人だ」「わかりあえるはずがない」「あいつはバカだ」「あの人はちょっとおかしいよね」などと最初から自分と人を区別しているようなことはありませんか?


タロットを通して自分の心と人の心を知ることで、自分の可能性や醜さ(アンバランスな気持ち)を認識し、結局それはどの人にも存在しているのだということがわかってきます。


自分で痛みを知れば人の痛みも理解できることと似ています。


やがて次第に人と自分の共通点の発見が増えていくことで共有意識が芽生え、人や世界の理解にもつながっていくことになるのです。


そうすれば逆にもっと自分自身を知ることもできます。


それは結局大きなものへと自分を統合していくことと、逆に自分の個性・役割・使命といったものを理解することに還元されていきます。


この両方ができるツールというのはなかなかなく、その点でもタロットはとても優れていると言えましょう。


タロットは自分を映すのか? 

このブログでは再三、タロットが鏡のように自分の心や意識を映し出す機能があると語っています。


仮にですね、そのことが嘘だとしましょう。


となれば、「心なんか映さず、ただ思いこみでタロットの絵を見て感じているに過ぎない」と言うことになり、タロットを見るのもばからしいということになってきます。


しかし、実は事の真偽が重要ではないのです。


タロットを見て、自分の心を見つめるという機会を持つ、その事自体が大切なのです。


極端なことを言えば、タロットが心を映し出す機能があるかどうかなどに関係なく、どんなものであれ、内観したり、自分を見つめたりする機会を作ることそのものに意味があると考えたほうがよいとなります。


第一、普段自分のことを鏡で見ることはあっても、自分が何を考えているのかとか、どんな心があるのだろうかなど、心理学にでも興味を持たない限り、なかなかそうしたことはやろうとしません。


またたとえ「よし自分を見つめてみよう」と決意して、一生懸命鏡を実際に見たとしても、そこに映し出されるのものはそのままの自分の物理的な姿・形であり、なかなか内面まで探ることは難しいはずです。


そこにタロットカードのような人物や出来事の絵が描かれている象徴的な絵があれば、これはやはり何もない状態よりも便利だと言えます。


ではタロットカードではなくても自分を内的に見つめられるような道具があればよいのではないかということになりますが、まったくその通りです。


ですからタロットにこだわらずとも心理的なカードでも、実際の絵画でも、風景写真でも図形でも人形でも可能です。


自分に合うもの、縁のあるもので自己と向き合う作業をしていけばよいと思います。


とはいえ、私が思うに、中でもタロットはやはり非常に優秀なツールだと感じます。


特にカモワン版マルセイユタロットの大アルカナは本当によくできていると思います。


このタロットは見ればみるほど、やればやるぼと気づきが増し、人間業とは思えない象徴体系が隠されていると受け取れます。


そして最初は自分を見つめたり、ある知識をタロットに照らし合わせて理解していったりするのですが、やがてそれはタロットを通して実感へと変わってきます。


この「実際に感じる=実感」こそが、真の理解と把握につながっていくのです。


別の表現では「腑に落ちる」と言ってもいいでしょう。ストンと入ってくる、まさに「ああ、そうだったのか」「なるぼと!」となるほどのもので、ある意味衝撃でもあります。


不思議なことに、それは生身で感じる経験と非常に似通ったものになってくるのです。


あるいは今まで体験したこと、自分の中に入っていたものを思い出して追体験し、さらに深い意味をともなって「いのち(生命)」を持つようになってくると言っていいかもしれません。


そう、まさにタロットは自己に眠る智慧や経験を息づかせる作用があるのです。


そうなると、もはや自己を見つめるということを超えて、新しい自分に出会うことにもなってくるのです。


豊かさワークを例にした四大元素

昨日は四大元素ということについてお話しました。


今日もそれに関連するお話です。



ところで、皆さん、自分にとってリッチなイメージとはどんなものでしょうか?


これ、案外、人によって違うものなんですね。


たとえば、豪邸に住んでいることがリッチだと思う人もいれば、海外旅行をしていることが豊かだと思っている人、おいしいものをどんどん食べられるのが裕福だと考えている人もいるでしょう。


もちろんもっと精神的で大きな意味で、世界中の人が喜びであふれかえっている状態が豊かであると思う人もいるかもしれません。


ですが、ここで想像していただきたいのは、もう少し個別で具体的なことです。


言ってみれば、何をしている(どんな状態である)とあなたは豊かに思うかということです。


私はこれを考えてみた時、豪華な船に乗っている時がそう思うのではとイメージできました。


妻に聞いてみると、果物がたくさん実っている状態(果物かごにあふれている)がそうだと言いました。


このイメージがなぜ、あるいは何から出ているのかについては追求しませんが、とにかく、このように人によって異なるリッチイメージが登場してきます。


いわばこれがイメージの源泉のようなもので、四大元素でいえば「」だとも言えます。風のようにあるところから息吹が発生したようなものです。


それで、当然ながらそのイメージを持ってひたるとするのなら、自分で豊かだと思っているイメージですから、気持ちとしても豊かになってくるでしょう。


満たされているような感覚ですね。ここからこれが「」だととらえられます。


そこで、実際はなかなかそのイメージのことを実現できない自分に気がつくわけですが、それはやはりお金がそのようなことをするのには少ないか、ネックになっているかだと思います。


つまりはやはり現実(お金)と対比しているので、これが「地(土)」と言えます。(堅い安定したものというイメージで「地」)


それでも、ひとまず現実「地」のことは置いておいて、自分が抱いたリッチイメージに近いことができないだろうかと考えてみます。


考えるというそのものが思考の「」を象徴し、火がついたように燃え上がって変化していく意味で「」としての「行動」に結びついてきます。


たとえば、私の場合だったら豪華客船とはいえないまでも「船に乗ること」が近い行為になるかしもれませんし、海外旅行していることがリッチと思う人ならば、国内でもいいので旅行をしてみるということになります。


似たような行動ではまるっきり意味が違うと思うかもしれませんが、ここで何が大切なのかと言えば、心・感情である「水」なのです。


規模が縮小されたとはいえ、似たようなことを行うことで、気持ちとしての「水」は器は小さくても同じものを映し出すのです。


それは結局、上記の例で言うと「豊か」だと感じる心ということになります。


そして小さいながらも着実な豊かさに向けたバイブレーションが発させられ、それは「地」として現実化へと進む作用と元になります。


何を言っているのかいえば、物事を四大元素でとらえ、それを相互に結びつけていくことを意識的にすればすべてが統合化し、レベルや規模の大小はあれど、具現化することが早まるということです。


四大元素によって「世界」や「物事」を作り出す行為に近いです。言ってみれば自分が小さな創造の「神」であり、錬金術師なのです。


ただ四大元素に物事を還元していく力、思考が普通はわかりません。知識と経験がないからです。


それを学ぶのは西洋古代哲学ということになるでしょう。タロットや占星術、カバラーなどがこれに当てはまってくるわけです。


あ、ちなみに私もまだまだ小さな錬金術師(知識)レベルで、国家錬金術師レベルにはほど遠いです。(すみません、アニメネタです(^_^;))


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