リーディング技術・内容

ソウルナンバーで見る、残り二か月。

11月になりました。

早くも、今年も、あと二か月です。令和という新しい元号の時代が始まりましたが、いろいろな事件、災害の多い年で、これからの激動を予感させます。しかし、実はその分、希望もあるのではないかと見ています。

ところで、11/16(土)に、マルセイユタロットの体験会を行います。そこでも時代についてのことを、タロットに関連させてお話をさせていただこうと思っております。個別に参加者公開制にはなりますが、マルセイユタロットでリーディングも行います。マルセイユタロットにご関心のある方、タロットリーディング(占いでもOK)を経験してみたい方、席にまだ少し空きがありますので、ぜひ、この機会にお越しください。

 

さて、今回は、今年もあと残り二か月ということで、2019年の締めに向けて、テーマや課題、フォーカスするものなどを、大きな意味ではありますが、マルセイユタロットで見てみたいと思います。

まず、ある数を計算してもらう必要があります。

それは、いわゆる「ソウルナンバー」というもので、西暦での生年月日を並べ、一桁にばらして合計します。

その数が二桁だと、さらに一桁になるまで、ばらして足していくというやり方になります。最初に合計した数が、35であれば、さらに3+5にして、8になるので、この数はひと桁ですから、これでOKですが、最初の合計数をばらして足しても、まだ二桁の場合は、さらに足して、ひと桁の数になるようにします。

例を示しますと、1985.12.3生まれの人の場合、1+9+8+5+1+2+3=29、29を2+9にして合計11、 さらに、1+1とし、合計数は2です。これで一桁になりましたので、計算はここまでになります。

結局、1から9までのどれかの数になると思います。その数があなたのソウルナンバーと呼ばれる数になります。

では、次に、ソウルナンバー別に、こちらでタロット(大アルカナ)を引き(メインカードと、補助的なカード数枚)、それらからの示唆を、簡単ではありますが、書かせていただきますので、自分のソウルナンバーの項目をご覧いただき、残り二か月の参考にしてください。

もっと具体的に知りたい、さらに来年の傾向も・・・なんていう方は、体験会に来てください。(笑)

なお、毎月のものは、私のホームページでも載せています。(興味ある人は、毎月一日に掲載していますので、継続してご覧いただければと思います)

 

●ソウルナンバー「1」

メインカードは「世界」です。ゆえに完成、もしくは、さらなる拡大ということがテーマとなるでしょう。今がすでに、とても充実しているのなら、そのままを堪能する、味わい尽くしていくというのもありかもしれません。ほかのカードでは、受容をテーマとするカードが何枚か出ていますので、調子に乗り過ぎることは危険で、謙虚さ、受け入れる要素を持つことは重要てす。

●ソウルナンバー「2」

メインカードは「力」です。「力」には、自分自身が力を発揮する意味と、他者の力を取り入れたり、装置を操縦するなどして力に変えたりするような意味もあるのですが、ほかのカードから見ても、どちらかと言えば後者でしょう。独力よりも、グループ、自分を信頼してくれる人たちを、さらなる自分の力にすることであり、何より、自分に自信を持つことが大切となります。

●ソウルナンバー「3」

メインカードは「正義」です。ほかに「節制」なども出ていますので、バランスや調整ということがテーマとなります。まさに硬軟、緩急、陰陽など、相反するエネルギーや要素、性質をうまくコントロールし、片方に偏らない公平性・調和が求められます。同時に、メリハリも重要で、中途半端は止め、やるならやる、しない時はしないと、はっきりした態度を取りましょう。

●ソウルナンバー「4」

メインカードは「女帝」です。「女帝」といえば創造性、クリエイティヴィティにありますが、もちろんそれもテーマなのですが、計画をもって事を進め、終わらせるという意味も、ほかのカードと関連して考えられます。行き当たりばったりは避け、先を見据えた行動を取りましょう。一方で、友人・パートナーとの交流が深まりそうで、人間関係は新たな進展が期待できます。

●ソウルナンバー「5」

メインカードは「運命の輪」です。このカードには様々な解釈がありますが、タイミングとしてゴーなのか待ちなのかで見ることもでき、全体的には、今回はゴーと見てよく、この二か月でチャンスをものにする必要があるでしょう。しかし、迷いの中にある人、やるべきことが見えていないような人は待ちのほうがよく、誰かにアドバイスを聞くタイミングと言えそうです。

●ソウルナンバー「6」

メインカードは「悪魔」です。面白いことに、ほかのカードに「正義」も出ており、その他のカードの様子から見ても、あなたの枠(正しさ、こだわり)を超えることがテーマと考えられます。有体に言えば、枠を外す、今までの自分をルールを破る、飛び越えるみたいなことです。自分が考えるいけないこと、無理なことにチャレンジし、実はそうでもなかったと思えるとよいです。

●ソウルナンバー「7」

メインカードは「13」です。ただし、ほかのカードが、別のソウルナンバーの人たちとかぶるものも多く、いわば、今回に限り、このソウルナンバーの人は、他のソウルナンバーのメッセージがどれも参考になるということです。自分がピンと来たものを信じてもよいかもしれません。それでも、「13」が出ているので、思い切った変容・改革は必要と考えられます。

●ソウルナンバー「8」

メインカードは「愚者」です。他のカードには現実的な動きを示唆するカードがあり、このことから、心の面だけではなく、実際に場所を移動したり、変えて行ったりしていくイメージが出ます。また旅をすること、仕事の移り変わりなども考えられますし、それも深刻にならず、興味や関心のままに、少々の冒険でもOKだという気持ちで、前向きに進んで行くのがよいでしょう。

●ソウルナンバー「9」

メインカードは「手品師」です。ほかの出たカードと合わせても、どちらかというと、内面というより、物質・環境面を新しくするということが示唆されており、「手品師」の意味である「仕事」だと、転職も考えられますが、やり方、技術などを新しくするのが望ましいでしょう。全体的に情報が鍵を握り、より高度で詳細な情報、新規の情報を入手することが重要です。


一枚引きの力

世にタロットのスプレッド、展開法(並べ方)は、たくさんあります。

伝統的なものや、メジャーなものはネットや書物で紹介されていますが、オリジナルなものも結構あるはずですし、プロ・アマ関係なく、いろいろな人がタロットの独自の並べ方を試みていると思いますから、それこそ、数えきれないくらいあるでしょう。

かく言う私も、オリジナルなものは、いくつか持っています。

ただ、それ(種類)を分けていくと、おそらく、いくつかのパータンに収まると思います。

今は細かい区分けをしませんが、だいたいにおいて、何かもとにあるもの(形)を象ったもの、時系列的に並列に並べるもの、縦に積み上げていく(集積させていく)か、下に分散化させていくものなどのパターンがあると考えられます。

さて、そのように数多ある展開法・スプレッドの中でも、もっともシンプルなのが、一枚引きです。

これはタロットの束(山)から、一枚だけカードを引くというやり方です。

ここに正逆の位置を入れる(取る)かで、またちょっと複雑化してしまいますので、正逆の位置は取らず、ただ正立のみで見ていくのが、一枚引きの中の一枚引きと言えるかもしれません。

前にも書いたことがあると思いますが、実はこの一枚引きが、一番読みでは難しいと言えます。

シンプルというのは、何も簡単という意味とは限らないのです。一枚引きの場合、たった一枚のカードしかないのですから、情報として最低の量になります。

また情報量だけではなく、一枚という、あまりにも少ない枚数のシンプルさゆえに、具体的に見るのが難しくなる欠点もあります。具体的に見られないというのは、問い(タロットに対する質問)を当てはめにくいということです。

言い換えれば、抽象的なリーディング(読み)になりがちなのです。

例えば、「私は何をすれよいのか?」と質問して、一枚、「隠者」が出たとします。

ここ(この一枚)から、どう具体的に答えやアドバイスを導き出すのか、案外、難しいものです。

ありがちなのは、「隠者」の意味をそのまま出してしまうみたいな読みです。

秘密、孤独、探求、追求、危機、覚醒、イニシエーション、経験、知識、蓄積、隠遁、後退、光明、専門性、霊的な師、ハイヤーセルフ・・・それこそ、隠者の意味はたくさんありますが、ただ単純に、こういった単語を思い浮かべてみる、みたいな読みをするわけです。

ですが、問いは「自分(私)は何をすべきか?」です。今あげた言葉の中で、これに具体的に答えてくれたものはありますか? ほとんどないでしょう。

だから、一枚引きは難しいのです。

ですが、逆転の発想ができます。

確かに、一枚引きは抽象的になりがちで、読みとしては具体的に当てはめにくい、カードから導きにくいところがあります。しかし、タロットリーディングとは、本来そのようなものなのです。(アテモノの占いではないということ、象徴性・抽象的なものから類推し、具体性を調整していくもの)

いきなり具体性を出すことは、専門的に言えば、地上性・現実性にダイレクトに落とし込むようなもので、それは換言すれば、限定する、絞るということと同じになります。ということは、いきなり答えを絞り過ぎて(当てはめ過ぎて)、間違っている(厳密な言い方をすれば、下に降りる枝分かれの過程で、ルートを間違えている)こともありうるわけです。

逆に抽象度の高い答えは、包括性・蓋然性が高くなりますから、いわば、どれを言っても当てはまるような答えになってきます。ここから、クライアントの情報とともに、実際のフィールド(クライアントの現実)に具体的に当てはまるようなことに、下降(加工でもあります)していくことで、「大外れ」を防ぐことにもなります。(なお、この過程を直感が優れている人は、一瞬で、しかも正確に、ルートを間違わずに行うので、いかにも霊感で当てているように見えることがあります)

さきほど、一枚引き「隠者」が出た例で、「隠者」の意味としての言葉をたくさん出しました。これら(隠者の象徴から出る言葉)を総合的に見て、何か共通した特徴はつかめるはずです。

そもそも、その共通したものこそ、一言では言い表せませんが、「隠者」のカードの表す象徴なのです。言葉や意味は、その象徴をわかりやすい形で言語化したものです。

さて、言葉からでもいいですので、「隠者」の共通するようなイメージはつかめましたでしょうか?

隠者の象徴からして、何となく、激しく動いたり、今まさにGOだという雰囲気ではありませんよね。

また表立って前に出たり、積極的に率先して活動したりするという感じでもありません。むしろ、穏やかに、隠れるかのように静かに過ごすイメージが伝わります。また「隠者」のような人が見守ってくれ、何か光を当ててくれそうな気もします。

こういうような総合的なイメージから、質問にまた立ち戻り、考えてみるのです。

質問は「私は何をすればいいのか?」なので、つい、何か具体的で行動的な答えを求めたくなります。

しかし、先ほど見た「隠者」の総合的意味合いは、むしろ、隠れよ、静かでいよ、じっとしていよ、引退せよ、離れよ、智慧者に伺い立てよ・・・みたいな感じに見えます。

もしかしたら、「隠者」の象徴として、知識・智慧をつけるために、学べと言われているのかもしれませんが、何を学ぶのかは、これだけでは、具体的には出ません。

そのため、その何をとか、どれをとか、誰にみたいな具体性は、別のカードを引いてはっきりさせるか、本人(質問者・クライアント)がすでに知っていることがあります。(学びたいと思っていることがそもそもあって、隠者が出たことで、そのことが後押しされたと感じる)

言い換えれば、具体性を持たせていくには、クライアント自身の実際の情報とともに、カードを何枚か引いていくことで、かなうわけです。

けれども、一枚引きは具体化こそできにくいですが、一枚を通して、まさにその一枚が示す「象徴」というものを私たちに見せてくれます。

象徴・シンボルなので、抽象的ではあるのですが、その特別の機能により、多層(多次元)な世界にも通じることができます。(現実から心理、霊的なものまで、あるいは、時代や人の個性を超えたところまで)

ということは、たった一枚の中に深遠なる多層で多次元な情報が含まれていることにもなります。含まれるというより、見る側のフォーカスしたものにタロットが合わせてくれるみたいな感じでしょうか。

つまりは、タロットの示す「象徴」という世界を見る(象徴を通して情報を知るという古代や野生の思考的な)ことに、一枚引きは訓練としても働くのです。

もし一枚引きでも、なるべく具体的に読みたい場合は、質問を最初にはっきりさせておくことです。問う側が具体的であれば、答えも自ずと具体性を持ちます。それでも、一枚引きは、やはり情報としては少ないので、判断には困ることもあるかもしれません。

ですから、一枚引きは、どちらかといえば、タロットによる象徴世界を味わうため、象徴でもって、あらゆる世界に旅をするためのトレーニングとして問いかけ、見て(読んで)みることをお勧めします。

さらに、今ここでは書けませんが、一枚引きには、すごいやり方と言いますか、タロットカード全体を回転上昇(もしくは内転集中)させるような、使い方が隠されています。一枚なのに全体、全体なのに一枚という方法です。

少し長時間かかってしまうのが難点ですが、強いエネルギーを持つと考えられるものです。受講生の方にはいずれ紹介し、勉強会などで、皆さんでやってもらいたいと思っています。

ともかく、たかが一枚引き、されど一枚引きなのです。


小アルカナの読み方のコツで。

マルセイユタロットを使ってリーディングする人は、あまり小アルカナを使わない人が多いようです。

その理由で、まず考えられるのは、日本のマルセイユタロット界では、2000年以降、通称「カモワン・タロット」、カモワン版マルセイユタロットが広まったからではないかと推測しています。

私もカモワン流から入った者ですので、それはよくわかります。

「カモワン・タロット」は、その名前の通り、フィリップ・カモワン氏が復刻したマルセイユタロットなのですが、映画監督・芸術家・サイコセラピストなど、多芸多才で知られるアレハンド・ロホドロフスキー氏との共同製作によってできたもので、むしろ、ホドロフスキー氏の名で、ホドロフスキー・タロットと呼ばれることもあります。

とはいえ、日本では、カモワン・タロットとして普及し、その中心がカモワンメソッドと呼ばれる展開とリーディング方法であり、伝えられた当時から、大アルカナをメインとして使うやり方でした。今はわかりませんが、初期は、カモワン氏自身も、小アルカナについては重視していない(ほぼ使わないものである)ことを述べていたようです。

もうひとつの理由は、小アルカナの数カードが、マルセイタロットの場合、例えば日本で広く使われているタロット、ウェイト版(通称ライダー版)タロットと比べ、絵になっていない、記号みたいでイメージしにくいというのがあり、言わば、絵柄のない記号カードのようになっていて、タロットらしくない(トランプに近い)感じがあるからだと思われます。つまりは読みにくい、質問に当てはめにくいので使いづらいということです。

ということで、現状、日本でのマルセイユタロットリーダーの多くは、ほとんど大アルカナ使用中心になっているわけです。

しかし、タロットは78枚で一組(デッキ、セット)になっているものです。特に、マルセイユタロットは一枚一枚の絵の象徴も、また全体としての構造も、ロジックな根拠があることがわかっています。(例えば、ホドロフスキー氏の「タロットの宇宙」など読めば、そのすごさの一端はわかるでしょう。)

ということは、78枚でなければならないきちんとした理由があり、もちろん、小アルカナははずせないものであるはずなのです。

必要なパート(部分)であるのなら、当然、リーディングにもそれに応じた理由で、(小アルカナとして)使うことができると考えるのが普通になってきます。

私は、このこと(マルセイユタロットで小アルカナの必要な理由)を研究の末にいくつか見出していますが、リーディング方法となると、まだまた研究・開発の余地はたくさんあると思っています。

ここで(マルセイユタロット・小アルカナの)リーディング方法の全部をご紹介するのは紙面(ネットですが)上でも難しく、また講座とブログは異なりますので無理ですが、すごく当たり前で、基本的なことを少し、書いてみましょう。

小アルカナの基本構造・基本コンセプトは4組であり、これは四大元素を象徴しています。小アルカナのリーディングの鍵は、この4組を理解することにあります。

これに人物のイメージを重ね合わせるのが、宮廷(コート)カードの読み方になりますし、数(の意味)をかけ合わせると、数カード(数札)の読み方になります。

ただ、この4組のイメージと考え方が、案外、難しいのです。数や人物のイメージの前に、まずは、ここをしっかり押さえておく必要があります。

厳密に言えば、四大元素と4組は同じようでいて、実は異なります。いや、本質的・象徴的には同じであるからこそ、4(つ)なのですが、カードに表されている4組はモノになっています。すなわち、剣・杯・杖・玉(一般的にはソード・カップ・ワンド・コイン)です。

一方、四大元素は、風・水・火・地(土)です。これは自然のものと言いますか、より本質(根源)を示します。

風とか、水だとかは、自然物としてイメージではわかりますし、実際に水などは水道や、ボトルに入った水とか、雨とか、海・湖沼とかで見ることができますが、ひとつのモノとして固まっているわけではありません。風が一番いい例です。そもそも風は目に具体的には見えません。(四大元素は、自然の中で私たちが見ている風・水・火・地とはまた別とも言えるのですが、ここではわかりやすく、自然のものをあげています)

ところが、タロットカードの小アルカナ4組となれば、モノになるわけで、とても具体的になります。ですから、四大元素の自然的な本質性(それは抽象的でもあります)よりも、もっと具体的でイメージしやすいモノになっているのです。この違いが、誤解を生じやすくします。

つまり、四大元素のイメージや意味と、モノである4組から出る具体的なイメージ・意味には、違いが出て当たり前であり、同時に、本質・抽象概念としては同じであるわけです。

何が言いたいのか言えば、リーディングにおいては、考え過ぎると小アルカナは余計わからくなる(読めなくなる)ということです。

風・水・火・地と4組とのイメージを何とか合わせようとか、大元があれだから、こういう意味になるのでは・・・と思考を巡らし過ぎると、ますますわからなくなってくるのです。

だから、四大元素の理解は必要ではあるのですが、単純に4組のモノとしてのイメージから出る意味や感じを出すほうが読みやすくなります。

大アルカナでは、キーワード的に、一枚一枚、ガードから出る意味や言葉を覚えていくと、実は、かえって読みにくくなってしまうことがあります。

それは大アルカナの絵が具体的でありつつも、表している世界は多様で重層的(言い換えれば具体性と抽象性の両方を含むもの)であるからです。簡単に言えば、見える世界も見えない世界も、現実も精神も、すべて象徴するみたいなものです。

ですから、最初から言葉(意味)を決めつけ過ぎると、その豊かな象徴性が制限され、固定化した読みに囚われやすくなります。結局、絵を見ても、覚えた言葉が邪魔をし、絵のイメージから出るほかの意味と混乱を来し、固まるようなことになります。

一方、小アルカナ、特に数カードはその逆とも言え、マルセイユタロットでは記号的な模様になっていますので、絵のイメージはどうしても限られます。もそもそイメージせよ、というのが無理です。

だからむしろ、記号的な意味(キーワード的なもの)をあてはめて覚えたほうが早いのです。イメージを使うとすれば、先述のモノとしての4組であり、剣・杯・杖・玉のイメージと(そこから派生する)典型的な意味を覚えて、リーディングをしていくとよいのです。

なお、マルセイユタロットの数カードでも、4組のイメージがしやすいように、1の数(エース)は、大アルカナや宮廷カードのように絵になっているのも、まるでこう使ってくれ、といわんばかりの配慮になっています。

あと重要なのは、4組は、単純に4つに分けたものではないということです。最初は分けたほうがわかりやすいのは確かですが、その分け方にコツがあると言いますか、分かれる考え方が、普通の常識とは違うのです。

私たちは、通常、分けるということを思った場合、その数の分だけ、区分けするというイメージがあります。

例えば、饅頭が8個あり、それを4つに分けてくださいと言えば、2個ずつ分けるでしょう。もしここで、10個の饅頭があり、それを4つに分けてくださいと言えば、割り切れないから無理です、となります。

ただ、饅頭の種類で10個を4つに分けるとすれば可能かもしれません。つまり、この場合は、種類で分けており、数ではないのです。

饅頭の種類で分けることにより、4つに何とか分けられましたが、種類ではなく、大きさとか、中に入っているものとか、色とか、製別とか、いろいろ分ける方法はあります。

仮に、まったく同じ饅頭ばかりでも、自分が決めた方法で、何とか分けることができるかもしれません。

話を戻しますが、小アルカナの4組とは、上記の、数で分けるのではない饅頭のように、質や種類、4つのルールで「分けられるもの」であり、「分けたもの」ではないのです。

哲学的には、分けているのはこちら側で、あちら側が分かれているわけではないというの本質です。(ここは難しいので、リーディングのコツとは別だと思ってください)

要するに、こちら側の分けるルールの統一が必要だということです。

4組は四大元素から来る意味や性質がありますが、それは基本ではありつつも、4組に、共通したステージやレベルを設定しておかないと、具体的に何を読んでいいのかわからくなります。逆に言うと、多くのレベルやステージが、4組としてあるのです。言い換えれば、4組が何重にも入れ子構造・フラクタルになっているのです。(4つの中にさらに別の4つがあり・・・みたいな連綿と続く構造)

例えば、こういうことです。

お金の問題がテーマだとしましょう。

お金と言えばコインであり、4組の玉で象徴されます。

しかし、お金を稼ぐための仕事は?と、さらに具体化していくと、玉の中の剣(コインでありつつ、ソード)、玉の中の杯(コインでありつつ、カップ)、玉の中の杖(コインでありつつ、ワンド)、玉の中の玉(コインの中のコイン)という感じで、4組構造から重層的にアプローチすることができます。

この場合、玉という設定とともに、(お金を稼ぐ)仕事というステージをさらに設定することで、具体化し、読みやすくなるわけです。

この設定をしているのはこちら側だというのが、さきほど述べた、「分けているのはこちら」というのに関係します。

 

ちょっと講座的になりましたが、私の講座では、このように、考察性と活用性との両面で、タロットを解説しています。

やり方を教えるのはもちろんですが、それだけではなく、なぜこのように使えるのか、使うのかという理由づけと、その理由を見ていくと、自然に深いものに接するようになってきて、タロットのすごさを知ると同時に、自身のスピリチュアィにもふれていくことになるのです。最終的には、タロットを通して、あなたの神性・霊性を発見し、向上させていくことが目的です。


タロットへの質問 いろいろな考え方

タロットへの質問(クライアント、自分がタロットに聞きたいと思っている問い)について、これまでも何度かこのブログで書いてきました。

私の考え方としては、一見、矛盾するようですが、タロットへの質問は、あまり意味を持たない(いらないわけではありません)という立場と、質問の工夫によって、タロットをうまく活かすことができるという立場との両方が混在しています。

アメブロで、1年前に書いた記事が自分のページに提示してくれる機能があり、偶然かシンクロか、ちょうどその1年前に書いたものとしてあがってきた記事が、後者(質問の工夫によってタロットリーディングも変化し、機能すること)について、わかりやすいと思いますので、それを再アップしておきます。

この過去記事では、まず、占い的な「なになにはどうなりますか?」のような受動的な問いより、「なになにする(なになにを実現する)にはどうすればよいか?」という能動的な質問にすることで、創造的な視点に変換できることを述べています。

当然、タロットからの指針も、「運命的にこうなる」というのではなく、自分が思い、行動するためのメッセージ、情報として扱うことができ、主体は自分自身であると自覚することができます。(タロット占いへの依存や、変に神秘性にあこがれるような事態になりにくい)

また、この記事には書いていませんが、質問そのものを絞ったり、具体的にしたりすることで、本来抽象的ともいえるタロットの絵柄とその意味を、現実的なもの、判断のしやすいものに落とし込むことができます。(しかし、これには問題もあり、そのことは後半の記事に関係してきます)

あと、記事では、タロットに質問をするのではなく、タロットの象徴性が自らに問いかけているという「リヴィジョン的な見方」のことも取り上げています。

たとえ、タロットへの質問があったとしても、タロットの意味に質問をあてはめるのではなく、質問そのものをタロットの象徴でもう一度見直す(ゆえにリヴィジョンと言われる)方法です。

これ(リヴィジョン)は、質問を工夫することの一種でもありますが、最初に述べた「タロットへの質問は、あまり意味を持たない」という立場にも近い技法と言えます。

では、その、「タロットへの質問は、あまり意味を持たない」という考えについて、一部になりますが、お話します。

とりあえずは、よく混乱するケースで、見てみましょう。それは言葉の問題が原因のものです。

例えば、「この講座を受けることはよいですか?」というタロットへの質問を行うとします。

そして、出たタロットによい・悪いという意味があったとします。すると、明確に、よい意味のカードが出れば、講座は受けたほうがよいという判断ができますし、その逆に、悪いカードが出れば、講座は受けないほうがいいとなります。

ところが、同じような質問ですが、ちょっと違う言葉(文章)になった以下の場合はどうでしょうか?

この講座を受けるのはよくないですか?(講座を受けるのは、自分にはあまり価値がないことですか?)

これに対し、よい、イエスと思われるタロットが出れば、講座を受けることがよいのか、あるいは、「受けることがよくないのでは?」という質問なので、質問自体に「イエス」と答えているとみて、つまりは、「受けることはよくないですか?」「はい、よくないです」という読み方をしてしまうことも考えられます。

また、カードの正逆と、吉凶的な意味のよい・悪いを入れた見方をする方法を取るならば、ますますこの混乱が顕著になります。というのは、正逆で意味がまったく反対になると見るものがあり、それだと、悪い意味のカードの逆向きはよいことになり、言葉だけで見ていると、質問に対しての答えがわかりづらくなります。

この問題の解決は簡単なことです。第一には、カードを吉凶、よい・悪いで決めつけた見方を採用しないことです。

もうひとつは、要は、否定の問い方をしなければよいということです。「なになにするのは悪いこと(よくないこと)なのか?」「なになにするのはダメなのか?」みたいな否定の問いかけをすると、カードが否定の肯定をしているのか、否定の否定をしているのか、それとも質問内容そのものの肯定なのか否定なのか、わからなくなってしまうわげす。

まるで、バカボンパパの「賛成の反対、反対の賛成なのだ(賛成の反対に賛成する、結局反対のこと)」みたいな感じです(笑)。(ちなみにバカボンパパのこの言葉は違う解釈もあって、意外に含蓄があり、なかなか哲学的・スピリチュアル的には面白いです)

次に、たいていの具体的な質問は、二元的な判断によるものがどうしても多くなります。それは、人間の現実生活が分離(どちらかの)判断基準を強いられる世界が常だからです。

ですから、生身の質問、現実(生活)の悩みから出る質問ほど、どちらがいいかとか、どうすれば(一般的・現世的な意味で)幸福になれるか(つまり、幸か不幸の)二元的選択の問いになります。また具体的でもあるということです。

ところが、言葉としての問いは確かにそうではあるものの、自分、あるいはクライアントが本当に求めている質問や、知りたいこと、気づきたい内容は別にあることが多いのです。

もう少し違う言い方をすれば、二元的な判断を求める自分も存在しますが、ほかの質問と答えを欲する自分、さらには、答えはもともと知っていて、質問と答えをまるで自問自答、自作自演のようにして楽しんでいる自分などがいるのです。

いわば、複数の自分が内に存在し、それぞれ、求める質問と回答が異なるのです。

そのため、一般的な、よく占いであるような現実的・二元的質問と答えは、確かに、ある自分を満足させはしますが、一方で、ほかの自分は不満であったり、もっと別の回答を求めていたりするので、そうした(別の)存在が自分の中に重要となってきた人には、もはや、通常の質問と答えのレベルでは、違和感を覚えたり、どこか納得しないところを感じたりするのです。

あるいは、別の自分の存在がまだそれほどではないにしても、一般的な質問と答えの繰り返しでは、同じ次元をループするだけのことになり、特に、精神的・霊的成長が望みにくくなります。

言い換えれば、その場限り、一代限りの自分が物質的に満足すればOKみたいなことです。(それが悪いわけではないですが、全体的、中・長期的に見れば問題であり、実は大きく現実的問題にも関係して来るのですが、そのことはいずれ別の記事で述べるとします)

ちょっとわかりにくくなりましたので、カウンセリング的なケースで簡単に説明しますと、例えば、恋愛の質問で「彼ができますか?」という人がて、それに対し、「いついつの恋愛運はよいですから、可能性があります。場所はこういうところで、相手はこのような人です」と占ってもらうことはあるでしょう。

しかし、実際にそのようなタイミングで、希望する人に出会え、恋仲になったとしても、すぐ別れてしまい、また、占い師のもとに、「次の出会い、彼はいつ現れますか?」と聞いて、同じように教えてもらったとしても、再び別れてしまったのなら、このクライアントの問題は、出会いとは別のところにあるのかもしれないことが予想できます。

このクライアント、彼女の質問は、現実的なものであり、彼との出会いについての質問ですが、それにそのまま答えることは、当人はおそらく満足し、実際に出会いがあれば、歓喜するかもしれません。

しかし、先述したように、これまでも、そして今後出会いがあったとしても、恋愛やあつきあいがいつもうまくいかないとすれば、本人の内面や、何か本人も気づていない問題データが残っているからとも考えられます。

このクライアントの質問自体は出会いへの方法やタイミングではあっても、本当の問題解決には、その質問を超えたレベルのものが求められることになります。

これは極端な例ではありますが、このように、当人の質問の言葉(当人が発する今の望みや疑問)をそのままをトレースして回答することは、一時的な満足や対処療法的なことになる場合があるわけです。

従って、「タロットへの質問は、あまり意味をなさないことがある」のも、これでわかると思います。

タロットへの質問はあくまで導入であり、そこから本人の気づいていないところまでアプローチし、最初の言葉とは別のレベルの回答を(本人がタロットリーダーととに)導き出すことも可能なのです。そのほうが、本質的に、タロットリーディングというものに近いと言えましょう。

ただし、必ずしもそれがよいと言っているわけではなく、ケースバイケースであり、現実的・二元的な質問に答える技術、タロット占い、タロットリーディングもありますし、それがクライアントの満足と救いのプロセスに乗せるきっかけになることもあります。

そして、最初に述べたように、質問に意味があるという立場を取ることもでき、それは質問、問い方によって、タロットをより活かすこともできるためで、ひいては、問い方そのものが、自分の人生を決めて行くことすらあると言え、その意味では、質問は非常に重要なものとなります。


タロットリーディングの場所

天・地・人という言葉がありますが、これら三つの視点から物事を見ていくのは有意義です。

このことは、タロットリーディングにおいても当てはまると思います。

まず「」ですが、「天から与えらるもの」として考えると、この場合は、タロットリーディングを行う時やタイミング、あるいは機会と言ってもよいでしょう。

そもそもリーディングする機会がないと始まりませんし、その機会自体は後述の「人」が作ることとは言え、やはりリーディングにふさわしいタイミング、時間というものはあると考えられます。それがピッタリと合った時は、いつも以上のすばらしさ、シンクロニシティ、神秘性を感じるかもしれません。

これは、巡り合わせや縁のようなものとも言え、お互いにふさしいタイミングで、クライアントとリーダーが出会うことがあるように思います。(うまく行かないリーディングであっても、それはある意味、ジャストタイミングなのかもしれません)

そして順番は後先になりますが、「」は、ほかならぬタロットリーダー自身の能力、知識、技術が関係することです。

当たり前ですが、タロットの知識、リーディングの技術が未熟では、リーダーにも、クライアントにとっても満足なリーテイングはできません。

素質というのもあるかもしれませんが、それよりも、学んで修練していく、その人の努力と行動がリーディングの技量を向上させます。

最後に「」ですが、これは、単純にタロットをする場所や環境に該当させることができます。

今回はこれについて中心に述べたいと思います。

タロットリーディングにふさわしい場所はどこかということを論ずる前に、実際に私が経験したところでは、リーディングの質が場所によって左右されることがあるという事実を、まずはお知らせしておきたいです。

一番ひどかったのは、詳しくは書けませんが、とある占いの館での経験(場所)です。

ここは、本来、占いにもリーディングにもふさわしい場所ではなく、大規模なゲームセンターの隣で、とにかく騒音が激しいところでした。また人通りも多く、一見、それは集客的にはよい場所と思われがちですが、人通りの質にもよりますし、占いなど、悩みごとの相談をするような場所は、あまり表立ってもまずいわけです。

人通りが多くても、そこから一歩奥まったところとか、少し落ち着いた雰囲気になっている場所のほうが、人の心理として、相談には訪れやすいものなのです。

衆目にさらされるような場所で、話している内容も丸聞こえのような環境では、よほどの目立ちたがりの人以外は、普通は避けるでしょう。(笑)

あと、静かな店内ではあっても、余計なものがあるところは、リーディングに集中できないことがあります。慣れてくれば、周囲のモノとか人とかは気にならなくなりますが、それでも、なぜかリーディングに入りにくい感じになる「モノ」とか「場所」はありました。

例えば、置物とか絵、石などの、何か特定のエネルギーとか念が入り混み過ぎているものがある場所、あまりにたくさんのモノがある部屋などです。

それから、タロットカードの種類や大きさによっては、そもそも机(テーブル)がタロットを展開するのに狭い(小さい)ところもあります。

この場合は、タロットのサイズが小さいバシージョンのものを使うか、広い場所(机)を確保するかになりますが、タロットは普通サイズのほうが、インパクトや印象の面でも違い、厳密にはカードの見え方も異なるので、それがリーディングに影響することもあり、できれば、タロットのサイズは小さくしたくないものではあります。(携帯的にちょっと行う程度の時には、逆にミニサイズは有用ですが)

本来ならば、タロットリーダーが落ち着いてリーディングに集中できる専用の部屋を用意できればよいのですが、物理的・経済的事情などによって、そうもいかないところはあるでしょうし、出張リーディングを行うのであれば、必然的に、リーディング環境は変わることになります。

外でリーディングをライブで行う場合、カフェなどの場所がよく利用されますが、ただこのようなところでは、ほかの人の目があること、場所が狭いところが多い(テーブルや間隔が狭い)ので、横の人が気になったり、タロット展開をするのに支障があったりします。

加えて、お店自体が占い(当人たちが占いではないと思っていても、タロットカードを広げることは占いだと見られてしまうことがあります)を禁止しているか、明確に禁止はしていなかったとしても、嫌がられる場合もあります。

タロットリーダーが採用しているタロットリーディングの方法が、必ず、相手(クライアント)自身がカードを引くべきというように決めている場合は、やはり、場所はそれなりにリーダー側で用意する必要がありそうです。

しかし、タロットを引くのは、リーダーや占い師のほうがやってもよいという場合は、今時でしたら、ネットを使って、オンラインでやる方法もできますし、あらかじめ、問いを聞いておいてから、タロットリーダー側がタロット展開したものを撮影し、その映像をタブレットで見せるなどして、リーディングすることも可能かと思います。

極端な場合、タロットを見せなくても結果だけを伝える方法もあるわけです。目的が、相談者・クライアントの癒しや問題解決にあるのなら、出たタロットを絶対見せなくてはならないというわけではないでしょう。

そうすると、全国とこでも、ネット環境さえあればOKとも言えますし、たとえネットがなくても、携帯一本でもリーディング(の結果を伝える意味で)は可能になります。

しかしながら、たとえそうであっても、自分(タロットリーダー)がタロットを引く(展開する)環境自体は、それにふわしい場所が必要です。

散らかっているキッチンテーブルの上で、片手間にタロットを引くとか、地べたにそのままカードを置いてしまうとか、家族がワイワイ騒いでいる中でリーディングするとかというのは、問題だと思います。(それでよいリーディングができるのではあれば別てすが、普通は無理ですし、タロットにも失礼に当たります)

ところで、前に、タロットの浄化について書きましたが、場所も浄化しておくことも、タロットリーディングでは重要だと思います。(場所だけではなくリーダー自身にも必要なことですが)

物理的にゴミが多かったり、モノが散乱していたりするような部屋・場所は言うに及びませんが、一見きれいに見えても、見えない領域で汚れている(穢れている)場合もあり、何となく嫌な感じとか、淀んでいる感覚があれば、浄化グッズや儀式などによって、空間・場所の浄化も図っておいたほうが、タロットリーディングの質もよくなるでしょう。

リーディングごとに場所を変えるよりも、リーディング部屋とか、リーディング専用の机とか、決まったところでやるほうが安定した感じにはなると思います。(エネルギーが感じられる人は、逆にむしろ、その日に合った場所というものがわかるケースもあり、それはそれで移動してもよいと思います)

まあしかし、タロットはすごいところがあり、環境が悪くても、それなりに適切なカードを出してきます。カードそのものは、環境に左右されないと言ってもよいかもしれません。

ただ、その象徴、メッセージをうまく人間側がくみ取れるか、読み取れるかということが問題で、人間はいつも安定しているとは言えませんし、体調や心理状態、環境によって変化しやすく、それがために、なるべく「人間」側のほうが整えておくことが、よいリーディングの質の維持につながるわけです。

タロットを趣味や自分のためにやっている人はともかく、プロならば、どんなところでも、どんな状態でも、依頼があれば完璧にこなさなければならないという人もいらっしゃいますが、個人的には、タロットリーダーも人間なのですから、自分の状態が悪いと自覚できている時は、無理せず、リーディングを断ったり、延期したりすることも悪くないと考えています。(あまりに自己都合や甘えでのものは別ですが)

そして、自分自身の体調や心理状態の管理、コントロールだけではなく、場所や環境を整えておくというのも、先述したように、安定したリーディングのためには必要なことなのです。


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