リーディング技術・内容
人からタロット、タロットから人
今日のは、前回の記事にも関係するものです。
以前、「質問(問い)なきタロットリーディング」の話をしました。
これは、あえてタロットに質問や問いをすることなく展開し、その展開された内容から、逆に自分(クライアント)が問いたかったものを見つける(知る)という性質のものです。
普通のタロットリーディングとかタロット占いは、質問することがあってからカードを引きます。そして、問いとカードの意味を照らし合わせて解読したり、占ったりするわけですが、その逆方向のスタイルが、問い(質問)なきリーディングと言えますね。
ところで、タロットカードの読みにはいろいろな方法がありますが、方向性で分けると、人からタロットの方向性と、タロットから人への方向性のふたつがあります。
このうち、人からタロットというのは通常のスタイルで、先述したような、問いとかテーマがあって、それをもとにカードを展開したり、引いたりする方法です。
もうひとつのタロットから人への方向性は、問い・テーマなしで、タロットを引いて、タロットが示すものを人が受け止めるという方法になります。
そして、このふたつの方向性は、問いのあるなしに関わらずに存在します。
それは、普通のカードの読み方である、出たカードの意味を問いに重ね合わせるという方法と、リヴィジョンと呼ばれる、タロットカードが呈示するものをもとに、問いやテーマを見ていくというふたつの方法です。
実は、タロットリーダーにも、このふたつの方向性のどちらかに、向き不向きがあるように思います。
タロットを人格(人間)的に、より扱える人は、タロットから人への方向性が向いており、その逆に知識や理論が好きな人は、人からタロットの方向性が合っているでしょう。
さらに言えば、直感性や受動的なスタイルで、タロットからインスピレーションを得る人、チャネリング傾向を持つ人は、タロットから人への方向がよく、反対に、読む人間が主体性を持って、コーチング的にアドバイスをしていくようなスタイル、または占いで、カードよりも占い師の言葉(の解釈)にインパクトや特徴を持つタイプは、人からタロットの方向性が向いているでしょう。
もちろん、シチュエーションにより、方向性を変えて、両方技術として持っていてもよいです。
スタイルに向き不向きがあるとは言いましたが、あえて、自分が合っているものとは逆のやり方を時々採用したほうが、タロットリーディングにおいても、自身の統合を働かせることができます。
特に、普通は、人からタロットへの方向性で読む人が多いので、その反対の、タロットからの声を聴くようなスタイルを意識してやってみてもよいでしょう。
その場合、問いとかテーマは、あまり強く意識しないほうがよいです。
重要な案件とか、問題としてとても意識しているような時は、どうしても、問いを強く設定してしまいます。
例えば、恋愛の問題とか、仕事(職)での転機とか、人間関係で困っているというなケースは、問いを意識しないわけにはいかないでしょう。
ですが、それでも、あえて問いから少し離れ、とにかくタロットカードを引いてみることです。一枚引きくらいの少ない枚数でも構いません。
そして、こういう方法(タロットから人への方向性)を取る時、大アルカナを使う(マルセイユタロットの場合)ことをお勧めします。大アルカナは絵柄がはっきりしているので、タロットからの意思を感じとりやすいからです。
例えば、マルセイユタロットの「13」が出たとします。
通常は、問いに対して、この13の意味をあてはめたり、図像のどこかを関係させたりして、読み解きます。
しかし、タロットから人への方向性だとタロットが主体ですので、問いやテーマはひとまず置いておき、カードの印象とか、カードそのものを人間のように見立て(人格化し)、まるでカードがしゃべっている、あるいは何か動きをしているようにイメージします。
まさにカードとの対話と言ってもいいですし、カードが、舞台に出て何か演目をやっているように見立ててもよいです。
そうすると、自分の中にカードの声とか動きが伝わって来るような気がします。
そのカードがどんなことを言っているように思うか、どんな動きをしているように感じるか、何をあなたに告げようとしている気がするか、そんなようなことを感じて(想像して)みます。
それは、カードにセリフを言わせるような感覚でもあります。
13のカードは、なかなか強烈な印象を一般的には与えますが、人からタロットへの方向性だと、無理してポジティブな意味を(人が)捉えようとしてしまうこともあります。
しかし、タロットから人への方向性では、タロットから来る怖いという感じがもしあれば、その印象をそのままにして、その怖さをもとに、13と会話してみるのも一興です。
「おれが怖いのか?」と13は言って来るかもしれませんが、その(会話の)続きは、自分が思っていたより面白いことになるかもしれません。
また人によっては、怖さとはまったく違う感覚とか言葉を、あなたは13から聴く(感じる)こともあり得ます。
最終的には、タロットとの会話の結果、実は問いの答えになっていたとか、問いへの大いなる気づきがあったとかになることがあります。
さらには、通常の、人からタロットへの方向性のやり方の場合と、同じ答えになることもあります。
要するに、これはルートが違うだけで、本質的には同じものなのです。
ただ、違うルートを通るというそのこと自体が、重要な意味をもっていて、そのことを意識化すると、私たちの世界(言い換えれば自分の意識)が単一ではないことに気づくようになってきます。
原因と問題、タロットリーディング
タロットリーディングでもそうですが、問題の原因がわかると、対応策・解決策も出しやすいですし、人は安心できます。
しかしながら、必ずしも原因がわかるとは限りません。
病においても、現代医学でさえ原因がわからないことは結構あるものです。
いや、すべてに本当は原因と言いますか、問題が起きている根本的な理由というものはあると考えられます。
それでも、その起こっている現象の原因はひとつではないかもしれず、たいていのものは、様々な要因がからんで、結果として出てきているのではないかと思います。
とすれば、原因追及というのが、問題解決の最善とは言えないこともあるでしょう。多くの要因をすべて明らかにすることは難しいからです。
また、たとえひとつの原因だったとしても、それがわからないことも、実際的にはあるでしょうし、原因が発見できたからと言って、現象が消えるとは、また言えないことでもあります。
ところで、マルセイユタロットの「月」というカードがあります。
このカードの象徴性に、あやふやなこと、はっきりしないことというのがあげられます。
このことから、時には、そういう(はっきりしない)状況も受け入れたほうがよいことを言っているとも考えられます。世の中、白黒つけられることばかりではないからです。
一方、「月」と同じ「8」という数を持つ大アルカナカードに、「正義」があります。
面白いことに、「正義」の場合、「月」とは真逆の、それこそ、白黒決着がつくような、明確なものを示唆します。
「正義」と「月」は同じ数でつながりながら、反対の意味合いにもとれるのです。(ただし、やはり同じ数を持つ共通性もありますが、今回はそれについては省きます)
今回言いたいのは、原因を求めて(はっきりさせて)の解決策という視点ではなく、状況(現象)を受け入れ、その状況と、どう向き合うか、つきあっていくか、あるいは、原因追及はせず、起きている問題・現象そのものを、とにかく改善したり、生活ベースにおいて気にならなくしたりするようにしていくことに重きを置く対応も、必要な場合があるという話です。
さらに、そのことは、最初に出した、タロットリーディングにおいても言えることだと、つけ加えておきたいです。
「こういう原因でそれが起こっている」と知りたいのは山々ですが、知ったところで問題が解決するわけではないこともあるのは、前述した通りです。
そこで、タロットリーディングにおいても、ふたつの方法が考えられます。
1.原因追及的アプローチをするのではなく、先述したように、原因はともかくとして、どう対応するかに重点を置くリーディングをする方法
2.原因それ自体は本当ではないかもしれないが、ストーリー(物語)として、あえて原因をタロットから読み、その解決策もタロットから、一連の(クライアントの)ストーリーとして創作的リーディングを行うという方法
1はわかるかと思いますが、2はどういうことなのか?と不審に感じる人もいらっしゃるでしょう。
実は、私の思うところ、タロットリーディングというのは一種の創作であり、クライアントと一緒に、リーダーがクライアントにふさわしい物語(ストーリー)を、タロットというツールを駆使して作り上げる行為なのです。
創作物語なので、極端な話、嘘のこともあり得るわけです。正確には、真実か嘘かはわからないというところで、結果的に、クラインアントの問題が解決したり、よい方向に行ったりすればOKというものです。
ただ、タロットはその象徴世界において真実だと言えますから、出たカード(の意味するところ)がまったくの嘘であるということはあり得ないというが、タロッテイスト的な考えになります。従って、クライアントに何らかに関係するカードは出ているはずなのです。
けれども、それを脈絡のある話として作り上げられるかは、また別のことです。ですから、カードは真実であっても、ストーリーそのものは嘘であることもあるわけです。
とは言え、嘘か真かは、問題とその解決(癒し・気づき、改善も含む)においては、さほど重要ではないのです。それは原因がわかることと、問題現象の解消とは別であるのと似ています。
要は当人が楽になればよいので、真実か嘘か、原因がわかる・わからないは、実質、関係ないのです。
それでも、クライアント・カードの当事者が納得するには、それなりの物語性が要求されます。でたらめだと、やはり、説得力に欠けます。
先述したように、タロットが本来、当人や問題と関係あることを必ず出す(表している)というのなら、すべてデタラメになることはないです。ですから、タロットカードは、説得(納得)感あるストーリーを作りやすいわけです。
ここまでは、原因追及をしない話を主にしてきましたが、当たり前ですが、それは絶対ではなく、原因追及をしたほうがよいケースもあります。むしろ、その方がノーマルかもしれません。
ただ原因そのものも、タロットリーディングにおいては、ストーリーを作るもの(素材)であるので、それが事実かどうかはあまり重要ではないこともあります。
原因がわかれば、ほっとし、安心できることで、現象は消えなくても、悩みがほぼ消えることもあります。
あるいは、問題そのものが消えることがないとわかったとしても、よい意味のあきらめ(諦観)で、問題状況を受け入れ、うまくその状態と折り合いをつけ、原因がわからず悩んでいた時よりも、積極的に生きていくことができる場合もあるでしょう。
原因追及がよいかどうかは、まさにケースバイケースと言えます。そして、タロットリーディングにおいては、さらに、ストーリー創作の要素として、原因が本当か嘘かも、あまり関係ないこともあるという話でした。
他人向けリーディングが自分用になる
今日はちょっと、プロタロットリーダー向けの話になるかもしれません。少なくとも、他人に対して、マルセイユタロットを使ってリーディングした経験がある人でないとわかりづらいでしょう。
と言っても、プロタロット占い師向けということではありません。何度もここで言っているように、私自身は、占いを教えていませんし(ただし、占いを否定しているわけでもありません)、タロット活用は占いがメインとは考えていませんので、あくまでも私が考える「タロットリーダー」においての話だと思ってください。
タロットリーディングには、大きく分けて、他人(相談者・クライアント)に対してタロットを展開し、リーディングしていくものと、自分に対してタロットを使い、読んでいくものとのふたつがあると言えます。
簡単に言えば、他人向け、自分向けというリーディングのスタイルです。
しかし、これは私の経験上と、実践されている生徒さんたちの気づきからも言えることですが、他人向けにタロットリーディングをしているのに、まるで自分のことを言っている(自分のことが言われている)ように感じる場合があるのです。
割と初期から、私自身は、他人をリーディングした際に、あとで、じっくりその展開と内容を、自分にも当てはめて検証してみるということをやっておりました。
すると、ことごとく、自分にもあてはまる内容であったことに衝撃を受けました。
とはいえ、まったくそのまま当てはまるというものではありません。これにはタロットにおける象徴機能を理解し、活用する必要があります。
例えば、タロット展開は同じでも、別の意味で読むことができるというのも、それに該当するでしょう。
重要なのは、クライアントの質問とか、自分の問題・問いというよりも、まずはタロット展開なのです。(展開されたタロットカード、その内容)
私はカモワン版から学んだ口ですので、展開法もカモワン流をベースにしています。すると、通常、カモワン流は、相手・クライアントがいた場合、クライアントを中心としてタロットを展開しますので、タロットリーダー側は逆向きに並べられたタロットを見ることになります。(クライアント側がタロットの正立・逆向き、展開視点の主ということ)
ですから、他人をリーディングしている時は、タロットの向きにおいても、タロットリーダーは相手(クライアントとその質問)にフォーカスしてリーディングします。そもそも、相手に集中するのは、他人向けリーディングとしては当たり前のことですが。
ところが、その展開されている(出ている)タロットカードを、改めて自分(タロットリーダー)向きに変えて並べてみると、今度はまさに自分のことが表されているように見えてくるのです。
さらには、通常時、反対の視点であるタロットたちでさえ、反対(の視点)なりの意味が、自分(タロットリーダー)にあることも、気づくケースがあります。
結局、たとえ他人向けであっても、タロットカードは、両者(クライアント・タロットリーダー)に関する何らかの示唆を表すのではないかと考えられるわけです。
内容はリーダー側の焦点によって変わり、通常は、もちろん他人・クライアントに関してのもの(クライアントに意味あること)として、展開されたカードたちを読むのですが、これを自分自身・タロットリーダーに関係することだと見た場合は、まさにリーダーへの象徴としてカードたちが意味をもってくるという仕組みです。
あえて悪い言い方をすれば、どんな展開だろうが、どんなカードだろうが、自分に関係すると思えばそう見え、相手に関係すると思えば、相手のものとして見えてくるのかもしれません。
それではカードを引く意味もないだろうとなりますし、ひろゆきさんではないですが、単に「それって、あなたの感想ですよね?」「あなたの思い込みの世界ですよね?」(笑)となります。
これを否定することも難しいです。(苦笑) なぜなら、タロット(リーディング)はほぼ主観の世界だからです。
とはいえ、検証を繰り返してきて思うのは、主観を超えた客観的とも言える、カードの出方があるのも確かです。それも主観と言ってしまえばそれまでですが。
カードは全部で78枚、大アルカナだけでも22枚ありますが、その中で、わざわざなぜこのカードが出るのかと言った驚きは、一度や二度ではないのです。
他人向けの場合はもちろん、今説明している、他人向けなのに自分として見た場合も、そういうケースが多々あるのです。
他人が引いたカードなのに自分にとって意味があると見える、またその逆もあるのがタロットの世界です。
自分が引いて、自分に関係しているのなら、それは当たり前とも言えますが、他人が引いたのに自分に関係している、ということも普通にあるわけです。偶然や思い込みとも言い難い、カードの意思のような出方があるのです。
あくまで、カードを出方に人間の意識や思念が関わっていると考えた場合、他人であっても自分と(意識やデータが)つながっていると見ることができ、それならば、誰が引いても自分に関係するようなカードが出る理由も、わかる気がします。
それが正しいかどうかもわかりません。
ただ、タロットリーディングという、儀式であり、ゲームとも言える、ある設定の場において、質問する者と質問される者、カードを引く者とカードを読む者など、両者の関係性は、一時融合する瞬間があり、それによって、カードは両者に関連する内容で引かれる(出る)と想像できます。
この性質を利用すると、自分リーディングは、他人リーディングをしている時でも、あるいは、そのあとでも可能になります。
また、次のようなやり方もあります。
それは、自分一人で自分をリーディングする場合、あえて想像上の他者を置いて引くという方法です。
自分をクライアントとして想定し、他人向けの形式でタロットを展開し、リーディングするのです。これによって客観性も出ますし、他人向けとして集中して引いたものを(それは自分に対してのものではありますが)、あとで冷静に振り返って読むことができます。
もっと客観性を持たす方法としては、自分の問題ではなく、まったくの他人をイメージし、その人に何か問いがあると仮定して作り出し、その設定でタロットを引いてみるということもできます。
自分一人であっても、イメージ上は他人で、問題(問い)もその他人のものですから、自分とは関わりがないように思え、主観過ぎること(気持ちが入る過ぎること)から逃れられます。
ですが、これまで説明してきたように、他人向けで他人の質問として展開したタロットであっても、タロットリーダーとして関わっている限り、タロットリーダー用に意味があるものと解釈することも可能なのです。
ですから、この場合、相手は架空であっても、タロットリーダーは自分であるので、その展開で出たタロットは、自分のこととして読むこともできるのです。
ほかにも、他人向けに展開されたタロットたちが、タロットリーダーに向けて、あるメッセージを示している(タロットリーダー自身へというより、あくまでタロットリーダーという役割において)という読みと解釈もあるのですが、これは実践してきた人でないとわからないので、ここでは説明しません。
とにかく、タロットの象徴機能というのはとても多岐にわたり、多重次元に関わるものだと実感します。
逆に言えば、私たちを今の次元認識から脱却させるためのツールとして働きかけがあるのが、タロット(マルセイユタロット)なのかもしれません。
同じ質問で何回もカードを引くこと。
タロットリーディングとか、タロット占いでは、同じ質問で(何度も)カードを引いてはならないというの暗黙のルールがあります。
これはタロットに限らず、特に占いの易の世界だと厳しいと聞きます。
それはなぜなのか、実はいくつかの理由があるのですが、もっとも当たり前で単純なこと(笑)を、事例をもってお話しましょう。
端的に言えば、同じ質問で何回もカードを引くと、答えがどんどんわかりづらくなるからです。
実例を示しましょう。
一人の女性が以下の質問について、マルセイユタロットを一枚引きして解釈しようとしているというシーンです。
※ここはタロットリーディングというより、あえて占い的な質問でやってみます。
問い 「あの人は私のことをどう思っているのでしょうか?」(恋愛系)
最初に出たカード
「力」
(引いた当事者の感想)
うーん、わかりづらいなあ。私がこの力の女性なのか、相手のことなのか。でもライオンが私にも相手にも見えるし、どっちなんだろう。ライオンだったら私が彼に委ねたい気持ち? いや、私が相手任せなのかな? まあ、なんか力強いカードだから、相手がどう思っていようと強気で押せば何とかなりそうかも? でもちょっとよくわからないから、もう一回やってみよう。
二回目に出たカード
「手品師」
(引いた当事者の感想)
あ、これは男性のカードだから、相手のことかな。確か仕事を意味するカードだし、どうも恋愛感情というより、単に仕事関係の仲間、つきあいという感じで私のことを思っているような… でも前は「力」のカードが出たし、女性である私が押し切れば何とかなる? それともまずは職場で仲良くなるべき? いったいどうしたらいいんだろう。相手の気持ちもまだわかりづらい…えーい、もう一回引いてみようっと。
三回目に出たカード
「力」逆位置
(引いた当事者の感想)
えっ、また「力」、しかも今度は逆位置。いったいどういうこと? やっぱり失敗する関係なの? どうも逆に弱気になってきた。二回も「力」が出たから何かシンクロはあるのかもしれないけど、今回は逆位置だし、余計わからなくなった。「力」とライオンはひとつみたいだから、気持ちは通じ合いそうだけど、逆位置だから、反対に気持ちは離れているということ? もう何が何だかわからない…
以上のように、確実に解釈が混乱していくわけです。(苦笑)
同じことですが、ほかの質問でもやってみましょう。今度は当事者は男性で、転職に関してのことです。
問い 転職したいが可能か?
最初に出たカード
「節制」
(引いた当事者の感想)
強引にやらなければ、何とか行けそうな感じ。救いの手もありそう。では、少しずつ転職の準備をするか。念のため、もう一回やっておこう。
二回目に出たカード
「吊るし」
(引いた当事者の感想)
「吊るし」かぁ。このカードの感じだと、むしろ転職は止めて置いたほうがよいような気もするな。じっとしている図像だしな。いや、逆さというスタイルも気になるぞ。今の職場は苦しいから、逆に考えて、ここから抜けたほうがいいと言っているのか?なんかわからなくなってきたぞ。さて困った…
やはりこの人も、複数回引いてしまったせいで、わかりづらくなったようですね。(苦笑)
イエス・ノー的なことも含めて、何度も同じ質問でやってしまうと、最初は肯定的だと思ったものが、次には否定的なカードが出たりと、その逆もあったりで、とにかく何回も同じ質問で繰り返し引くと、何をタロットが示唆しているのかがわからなくなるのが普通です。
まったく同じカード(正逆も含めて)が出たり、似たようなことが読み取れるカードが続けて出れば、むしろ共時性という感覚で、意味をつかみやいかもしれないのですが、そういうケースは(同じ質問を繰り返すパターンでは)実は少ないです。
では、質問の言葉を変えて行えばよいのか?ということですが、あなたが聞きたいことは、結局、本質的には同じなので、言葉を変えたところで、結果(解釈)の混乱は目に見えています。
また、セルフリーディングとか自分で占う場合にはよくあることですが、最初から期待するカードとか結果があって、それを引き寄せたいために引き、しかしそれが出なかった場合に、またカードを引いてしまうというケースがあります。要は、期待した結果になるカードが出るまで引くというやつです。
これは本末転倒で、自分の意思が現実に及ぶ力を試すにはよいかもしれませんが、偶然性から必然や意味を汲むというタロット占い、タロットリーディングとは別ものになっています。
まるで、おみくじで凶を引いてしまったので、気分が悪いから吉とか大吉が出るまでやってみるみたいなものと言えましょう。
個人的には、仮に同じ質問で何度もカードを引いたとしても、どのカードの結果も、大局的(高度)に見た場合、意味があると考えますが、解釈的には非常に困りますし、先述の事例のように混乱するのがオチです。
やはり一期一会的な気持ちで、最初に出たカード(たち)が表してくれているのだと思って、敬意をもって見ていくのが、タロットリーダー側の態度としてはよいかと思います。
※ここで言っているのは、一番わかりやすい理由の、カードが異なって出てしまうことにより混乱する事例を示していますが、ある条件下では、同じ質問で何回かカード引くことが悪いわけではない技術もあります。そして、禁忌の理由には混乱以外のこともありますし、この問題は単純なものでは実はないところがあります。
カードの読み、能動・受動、立場の違い
タロットカードの読み方(解釈の仕方)には、だいたい、核となる意味があって、そこから派生したものを想像するというパターンが多いです。
それは基本的には正しいと考えられ、カードには、その象徴性の元となるものがあり、それは言葉では本当は言い表せないものではありますが、あえて抽出すれば、上記の「核」となる意味に近いものと言えます。
ですから、その象徴の大元をつかんで、そこから関係(派生)する、いろいろな意味を見出すことは、手順としてはよい方法なわけです。
一番まずいのは、ただ単語としてカードの意味を無理矢理覚えるようなやり方です。
カードの象徴性を把握しないまま、機械的に、「このカードはこういう意味」と暗記するのは、タロットがシンボリズム(象徴機能)とそのシステムで構成されていることを無視するようなもので、タロットを本当の意味で活かすことができないでしょう。
ところで、カード一枚一枚には、さきほど述べたように、根本の象徴(性)があるわけですが、これが「象徴」であるがために、実は一見正反対だったり、対立したりするかのような意味合いを見出すケースがあります。
言葉にすると矛盾したり、正反対だったりしても、象徴することの本質では同じであるということに気がつかないと、なかなか理解が難しいかもしれません。
例えば、マルセイユタロットの「運命の輪」というカードは、今すぐやってみると読む場合と、しばらく待っておくというような、反対の意味合いで見ることがあります。
これは、「運命の輪」が回転するものという本質を考えれば、そこから時間やタイミングという象徴性が表出され、「タイミングを合わす」ことを主眼で考えれば、現時点でのゴーもストップもあり得ることになります。
それは「チャンスをつかむ」と言い換えてもよく、時期の早い遅いの問題ではなく、そのチャンスに自分をいかに合わせるかということがテーマになっていると考えれば、まさにタイミング(時間合わせ)の問題(課題)であるとわかります。
※(もっとも、個人的には、チャンスをつかむことがこのカード「運命の輪」の本質ではないと考えており、本当はもっと別のことにあると講義では説明しているのですが、今回は記事の内容に沿わすために、あえてわかりやす説明で一般化してお伝えしています)
というわけで、カードの読みによっては、正反対みたいな意味(言葉)も出ることがあるわけですが、もうひとつ、能動と受動(送り手・受け手)というエネルギー・動きとしての正反対の読みが、それぞれあることもふれておきましょう。
マルセイユタロットの場合、これは大アルカナも小アルカナも、すべて言えることだと思います。一枚一枚、能動的な読みと受動的な読みの両方が考えられるというわけです。
例をあげましょう。
12の「吊るし」のカード。
このカードは受動性が印象的に強いカードです。マルセイユタロットではない別のタロットでは、おそらく“吊るされた”とかの、明らかに受動的、もっと言うと犠牲的な意味合いでとらえられることが多いと思います。
しかしマルセイユタロットの「吊るし」では、名前からして「吊るし」としているように、実は自らが好んでこの吊りの姿勢をしていると考えます。表情的にも吊らされている苦しさというより、笑みを浮かべているかのような余裕を感じさせます。
ということは、変な言い方になりますが、能動的・積極的に吊っているわけで、逆さの姿勢をあえて取ること、または動きを停止することで、なされる(なすべき)ことがあるという解釈も成立します。
このような、カードそのものの能動・受動の反転した見方ができる場合もあれば、カードの図像に描かれているものを見て、どの立場に自分(タロットを読む人、タロットに相談する人)を置くかによって、能動・受動が変わるケースもあります。
例えば5の「法皇」では、メインは何か説教や話をしている法皇に見えますが、一方で、下の方には、その法皇の話を聞きに来ている聴衆が描かれています。
自分が法皇の立場なのか、あるいは聴衆の立場なのかによって、話をする側の能動と、話を聞く側の受動というように分かれるわけです。
ほかにも、20「審判」というカードでは、一般的には覚醒とか復活とか、中央下の、起き上がっている人物を中心に解釈されることが多いのですが、目立つのは、むしろ、ラッパを吹く天使であり、この天使の立場になれば、まさに起床ラッパのように、ラッパを吹いて人物を起こすという感じになります。
とすると、中央の人物は、天使から起こされていることになって、受動的になります。
もっとも、別の見方では、人物が起き上がることによって、天使がそのことを祝福してラッパ鳴らす(おめでとうみたいな演奏)ということも想像できますので、その解釈では、天使側も受動性を持つ(中央の人物の行動に反応した)ことになります。
※余談ですが、「審判」は、見た目、人間と天使という図像なので、人間である私たちは、自分(たち)を「審判」の人間側として見てしまうことがノーマルになり、あまり天使側を自分として読むことが少ないです。しかし、時には天使側になって、自分や誰かを起こすことが必要と解釈することができ、目覚めを待っている人が身近にいる(あるいは自分自身の)可能性があるのです。
いずれにしても、カードの図像の人物なり、動物や物事なりを、どう当てはめるかによって、読み方も変わって来るということなのです。
これが一枚だけのことではなく、複数枚以上でも成り立ちます。例えば三枚引きをしたとしましょう。
たまたま今三枚を引くと、「13」「斎王」「愚者」と出ました。
「13」の鎌を持つ者を自分とするか、あるい切られている首とか骨が自分と関係していると見るか、そして「斎王」は、斎王自身が自分としても、学びを自らが行っているのか、外からのものを受け入れて、学習されられているのか、さらには、「愚者」は、愚者が自分なのか、ついて行こうとしている犬が自分なのか、また同じ犬でも、愚者にすがっているのか、止めているのか、喜んで同行しようとしているのか、色々と立場や姿勢の変換によって、解釈が多様にできます。
それを活かして、この三枚のリーディングを事例的にすると、『解雇の危機を受け入れる自分は、すでに新たな資格の勉強をしたり、様々な情報の取得をしたりしており、そのおかげで、転職への希望か出ているし、身に着けたことは「犬」として、自分の新たな旅立ちを後押ししている』というものが一例としてできます。
大アルカナを中心として見ましたが、これまで説明したことは、小アルカナでも可能です。
たとえ玉のカード一枚でも、玉(お金)を作る(稼ぐ)のか、使うのか、貯めるのか、増やすのか、これもいろいろと解釈できるわけです。
もちろん、数カードの場合、奇数か偶数かとか、数の意味によって、傾向は決まってくると言えますが、小アルカナと言えど、あくまで象徴カードであるので、ひとつの意味に固定されるわけではないのです。
視点・観点・立ち位置・エネルギーなど、いろいろと考え、もっとも適した解釈を探って行くことも、タロットリーディングでは重要だと言えますし、自己活用するうえでも、普段とは異なる見方をして、新たな気づきを得たり、修正したりすることができますので、タロットカードを決まりきった見方・解釈で固定しないように注意しましょう。