リーディング技術・内容
二極をカードでとらえるリーディング
マルセイユタロットでも陰陽や男女などの、二極で表されるエネルギーのことは至るところに描かれています。
また言ってみれば、この二極のエネルギーを統合したり、循環させたりすることを述べているのがタロットでもあると考えられます。
しかしながら、一口に「二極」と言っても、その表現される内容は様々です。
確かに人としては「男」と「女」かもしれませんが、よく言われるように男性の中にも女性性はあり、女性の中にも男性性はあります。
また積極・消極といわれるものでも、環境や立場・設定が変われば交互に入れ替わることも普通にあります。
たとえば、あなた自身、慣れたところや好きなフィールドでは積極的になれるでしょうが、不慣れな場所、あまり知らないところでは消極的になることもあるでしょう。
このように二極というものは、完全に分離しているものではなく、見方によってどちらにもなるものであり、大元の1つから派生した観点の違いに過ぎないということになります。
結局それは、複雑なようでいて実はシンプルでもあるという宇宙の原理を表しているように思います。
つきつめれば二極しかないのです。たった二つです。
もちろんそれが三つや四つと次第に分化していく「分類」もあるでしょうが、ひとつに戻る前、あるいは1つからわかれるのはいきなりの多数ではなく、まずは二つなのです。
そして、その二つが循環し、入れ替わることもあるので複雑に見えるわけです。
この考えをタロットリーディングに応用させることができます。
大アルカナ一枚一枚を「陰・陽」にわけてとらえ、なおかつ陰としたものの中に陽があるとし、陽としたもの中に陰があるとします。
これでわかりづらい場合は、カードの絵柄の特徴・人物などの動きによって、「融合」か「分離」かにわけます。
そしてこれも同様に、「融合」の中に「分離」を見て、「分離」の中に「融合」の要素を見ます。
このようにして見ていくと、展開されたカード群が何をいわんとしているのかわかってくるでしょう。それは象徴的には二極どちらかのエネルギーの方向だということです。
先述したようにたった二つなので、結局、私たちは複雑な問題であったとしても、どちらかに偏っているものを修正することでバランスを取ると見れば、シンプルでわかりやすいものです。
ただその(方向)中に、細かくいえば反対のエネルギーを取る必要があるものを見るのがコツでもあります。それが具体的な行動や取るべき方策を示していることがあるのです。
解決策や答えを出す必要性について
私はもともとカモワンタロット(カモワン版マルセイユタロット)を教えておりました。
カモワン流の独特の展開法のひとつの大きな特徴として、解決カードを置くという技法があり、このためにリーディングは比較的具体性を持ち、問題を放置しないという傾向になります。
しかし、それにあまりにごたわり過ぎると、「必ず解決策をタロットから導かねばならない」という縛りが自分にかかります。
カモワン流に限らずとも、タロットリーディングにおいては、特に最初の頃は誰もが「答え」や「解答」、「指針」「方向性」「結論」白黒」を出さねばならないと思いがちです。
それは何とかしてカードからのメッセージをくみ取ろうと、カードの意味や言葉を思い出したり、クライアントとの問題を結びつかそうとしたりして、不自然に力が入ることにもなってしまいます。
それでも答えが出ればよいのですが、たいていはかえって思考や直観力も硬直し、通り一遍のものかひどい時には何も出てこない場合もあります。
ところが、意外にも人は解決策を本当の意味で欲していないことも相談にはあるのです。
ただ話をしたい、気持ちをわかってほしい、私の存在価値を知りたい、私が間違っていないことを確認したい・・・これが相談者の本当の気持ちということがあります。
そのような場合に、無理矢理「こうすればいい」ということを導き出しても、さしたる意味を持たないのです。
それよりも大切なのは、相手・クライアントのこと(人生・人間)を認め、話を聴き、受け入れることにあります。
解決策を言うのはそれから後のことです。先述したように、場合によっては解決は言わなくていいこともあり得ます。
ということは、原点に戻れば、タロットリーディングは素直に出たカードを読んで伝えればよいことになります。
具体性をともなわずとも、象徴的にカードからのことをそのまま伝えれば、本人(クライアント)が今度は自分のことと結びつかせ、具体性を自分からもたせることができます。
たとえばカードから「融合」や「統合」ということが象徴的に読めたのなら、クライアントが「結婚すること」「友人とショップを経営すること」など、自分に即した具体的な事に落とし込んでくれるのです。
ただし、いくら解決策や答えを言わなくていいと言っても、それを出せる基本情報や話の流れを示さないと相手が答えを見つけることは難しいです。
いわばヒントを言ってあげるような感覚でしょう。それが導きであり、リードとなるのです。
「こうしたら」「ああしたら」・・・とをあせってどんどんとクライアントに提示し続けたら、かえって混乱してわけがわからなくなります。
タロットリーダーは解決策や答えを出すことにこだわらなくてもよいですが、話の整理のつけ方、流し方、象徴の理解とシンクロニシティの発見能力は磨いていかないといけません。
「相手に答えがある」というのは相談の本質かもしれませんが、それを引き出すこと、発見してもらう導きは技術的にも精神的にも研磨していくことが求められ、カードを引けば勝手に相手が答えを見つけてくれるわけではないということはきちんとふまえておくことです。
同じ質問で何回もタロットを引いてもよい場合があります。
このところの多忙さに、さすがに体力的限界を感じつつある今日この頃です。結構、体ヘロヘロになってきました。(^_^;)
タロットを引いてみると、「戦車」の逆ではありませんか。また違う角度から、最近の状況をということてでタロットを引いてみると、再度「戦車」の逆。
これだからタロットは面白いのですね。
この一枚でかなりのことがわかりました。ま、とりあえず、コントロールする、セーブすることは今とても重要だということは強いメッセージとしてわかります。
ちなみに少し前に引いたカードは「節制」でした。もちろんこれも関連します。このようにして、同じテーマでも質問を変えたりして、タロットを複数回引くことができるのです。
「同じ質問で何回もタロットを引いてはいけない」ということはよく言われますし、このブログでもそのことに言及したことはあります。
しかしタロットのことをよく理解してくると、むしろ数回引いたほうがよい場合もあることがわかってきます。
それは決してタロット(の出方)を信頼していないということではありません。
それどころか逆に信頼しているからこそ、複数回引くことができるのです。
どういうことかといえば、表現を変えれば「コンビネーション的な展開法を数回にわけて、一枚引きでやっている」ということになるでしょう。
カモワン流ならば、動的展開法を小分けしてやっているようなものです。
つまり、あるひとつのテーマを別の角度からホログラフのように眺めているわけです。
ホログラフの特徴は、別角度からの映像を集めることで立体的に、全体像を再現させることができます。
いわば本質を浮かび上がらせるわけです。
それと同じように、一回ごとのタロット引きが、ひとつひとつの光線であると見るのです。
そうして数回引いたことによる複数枚のカードを、ひとつのメッセージとして集約させます。
こうすることで単に一枚引いたときよりも、より核心に迫るものを導き出せるのです。その意味ではシンクロニシティ(偶然の必然性)も意味をなしてきます。
ですから、私の先の例でも「戦車」が二度、同じような形で出たことに大きな意味が出てくるのです。
そして「節制」もまた「戦車」とのつながりを色濃く見ることができますので、さらに本質を理解することが強化されます。
このように同じテーマで複数回、タロットを引くこともよい場合があるのです。
これも最初の型や原則として、「タロットは何度も同じ質問で引いてはならない」ということを実際に検証し、その理由について考えてきたからこそ、そこから別の形で抜け出る発想も得られたのです。
ですからいきなり掟破りに走るのがよいのではなく、まずは基本的なことの理解、よく言われていることの検証はしておいたほうがよいのです。
「神の家」と「審判」に共通する視点
タロットカードで、「神の家」(マルセイユ版)や「審判」と呼ばれるカードがあります。
私はこの二枚見ていると、ある共通するテーマを思い浮かべます。
それはやはり絵柄の特徴から出てくる事柄です。
マルセイユ版で「神の家」を見ますと、何よりも上から大きな光が降り注いできていることに注目できますし、一方の「審判」では、巨大な天使がラッパを吹いているのが目につきます。
そしてともに下方に目を移しますと、人間(のような存在)がいることもわかります。
ここから天と地、神と人の関係のようなものが想像できます。
言ってみれば、人からすると上を向く視線であり、視点です。
上に神や天使のような超越的な存在がおり、私たち人はそれを意識する必要があるのだということではないでしょうか。
人は時に、「神も仏もいるものか」と自暴自棄になることがあります。それは自分にとって不幸と思えることや、何も信じられなくなったような場合に生じがちです。
しかしながら、そのような時でも、神や天使は私たちを見ていると言えます。いや、むしろその事件や事態こそ試されるていることであり、実は恩恵であるかもしれないのです。
神とか天使といのうは、あくまで象徴です。実在感(リアリティ)を感じている人にとってはそのままの表現でもよいでしょうが、多くの人はそうではないでしょう。
ですから、自分にとって納得できる(リアリティのある)大きな存在を仮定すればよいのです。人にとってはご先祖ということもあるでしょうし、宇宙や天という表現を取る人もいるでしょう。
ただこの場合は通常で目に見える存在ということではなく、何か通常の人智では計り知ることの出来ない大宇宙の摂理のようなものと見るほうがいいでしょう。(場合によっては、親や上司というような、現実での目上の人を示す場合もあります)
また、こうも考えられます。
それは自分の神性であり、神聖な部分であり、また自分の中の高次の存在(ハイヤーセルフ)と呼ばれるもの、崇高な良心と言ってもいいでしょう。
ですから「神の家」や「審判」が出た時は、そうした高次の部分・存在から今の自分を観た場合、どう感じるか、どう思うか(思われるか)という、もう一人の客観的な自分(神や天使)の視点を意識することを思ってみるのです。
私たちが生きている中での人間や社会のルール、他人目線(人からどう見らるか)というものではなく、自分の純粋で高度な本質から眺めて、現在の自分はどうあるべきか、選択すべかということが示唆されていると考えるのです。(逆にいえば、自分の中に神性な部分を発見できるチャンスの事態が起きていると言えます)
その意味では、多数派の意見からはずれる決断もあるでしょうし、常識と思えることとは違う選択もあるでしょう。また楽でおいしい方向ではなく、あえて厳しい道に進むこともありえることなのです。
いつも神(天、高次の自分)からの視点を自分にもっていると、迷った時の判断に迷いがなくなってきますし、自分の生きる道も正されるでしょう。そして自らの使命のようなものもわかってくるかもしれません。
神視点を持つことで、「私は大いなるものに生かされている」という感謝と謙虚な気持ちが出てくることも大切かと思います。
「神の家」が「6」という数で「恋人」とつながっていること、さらにその「恋人」カードが、人と天使の状態が変化しながらも同じ絵柄の構図をもっている「審判」と関係していることがわかれば、さらに深い考察を得ることができます。
「手品師」と「吊るし」を見て。
タロットの「吊るし」(マルセイユ版)を見ていますと、あることが浮かんできました。
すると、「吊るし」の人物の服装とよく似ている「手品師」が横にならんでくるイメージが出てきました。
「なるほど、そういうことか」と納得し、今日の記事に移ります。(笑)
もしマルセイユタロットをお持ちの方、そして私の講座を受けられた方ならばなおさら、「吊るし」と「手品師」の二枚のカードを出してみてください。
そしてこれらを逆向きにして、「手品師」が「吊るし」を見ているような形で並べてみましょう。
この場合、大きく分けてふたつのリーディングの見方ができます。
ひとつは「手品師」と「吊るし」が別人物のように見るやり方。そしてもうひとつは同一人物であるという見方です。
前者の場合、「手品師」の人物が「吊るし」の人物を見ていて、「彼に何かしてやろう」という風に見えてきますね。
それは例えば職場で困っている人を助けようとしているようにも見えますし、「とんだ頑固なヤツだな、人の助言を聞き入れやしない。これじゃ何もしてやれないよ」とさじを投げているようにも思えてきます。(笑)
「手品師」はテーブルの上に手品道具をたくさん並べているところから、道具や技術を持っているとも読めます。
そこで「吊るし」逆の、狭い世界に閉じこもっている人物と重ね合わせると、「たとえある技術を持っていたとしても、相手が自分の殻に閉じこもってしまったら、手の施しようがない」という示唆が得られます。
つまり心や世界を閉じていると、いくら技術があってそこから救い出せないこともあるということです。かたくなな心や抵抗は、悪い意味で強力なバリアーになるわけですね。
さてもうひとつ、「手品師」と「吊るし」を同じ人物として見ていくと、これも面白いことが得られます。
「手品師」は数にローマ数字の「1」を持っていますので、始まりとか新しいことというのに関係します。
何かを始めたい、行いたいと「手品師」は思っていると見ましょう。
しかしそれが仕事や勉強として気の進まないことで、けれども課題や宿題としてやらなければならないことだとします。
皆さんも経験があると思いますが、仕事や勉強をしなくてはならないのにそれが嫌で、まったく意味のないゲームやインターネット、電話、読書など別のことをやってしまったり熱中してしまったりしたことがあるでしょう。
これは心理学的には異常固定と呼ばれる現象ではありますが、とにかく意味のない行動をして本来しなければならないことから逃げているわけですね。
それが「手品師」の視線の先の「吊るし」の逆だと見ます。「吊るし」は「手品師」本人の状態であり、心の様子です。
こうした状況は実は短期的なことに留まりません。一年も二年もやらなくてはならないことから逃げて、あまり意味のないと思える行動を長期的に取り続けていることが人にはあるのです。
こここから脱するのも、実は「手品師」と「吊るし」が示します。それぞれ正立にしてみましょう。
すると「手品師」の視線は外に向き、何かを第一歩として始めている様子がうかがえます。
つまり、とにかく簡単なことでもいいから始めることが大切なのです。勉強なら机に向かう、仕事ならパソコンを立ち上げるみたいなことです。
そうすると「吊るし」も心が決まったかのような安定した状態になります。そして冷静に事態を見ていることにもなってきます。もっというと「吊るし」の奥の意味である段階的なステップも踏んでいるということになります。
このようにカードはそれ自体で問題と解決方法をリーディングすることも可能です。
ただ私が今回述べたかったのは、リーディングの技法だけのことではなく、「手品師」の逆と「吊るし」の逆から得られた教訓を、思い当たる人には活かしてほしいということでもあるのです。
