リーディング技術・内容
「手品師」と「吊るし」を見て。
タロットの「吊るし」(マルセイユ版)を見ていますと、あることが浮かんできました。
すると、「吊るし」の人物の服装とよく似ている「手品師」が横にならんでくるイメージが出てきました。
「なるほど、そういうことか」と納得し、今日の記事に移ります。(笑)
もしマルセイユタロットをお持ちの方、そして私の講座を受けられた方ならばなおさら、「吊るし」と「手品師」の二枚のカードを出してみてください。
そしてこれらを逆向きにして、「手品師」が「吊るし」を見ているような形で並べてみましょう。
この場合、大きく分けてふたつのリーディングの見方ができます。
ひとつは「手品師」と「吊るし」が別人物のように見るやり方。そしてもうひとつは同一人物であるという見方です。
前者の場合、「手品師」の人物が「吊るし」の人物を見ていて、「彼に何かしてやろう」という風に見えてきますね。
それは例えば職場で困っている人を助けようとしているようにも見えますし、「とんだ頑固なヤツだな、人の助言を聞き入れやしない。これじゃ何もしてやれないよ」とさじを投げているようにも思えてきます。(笑)
「手品師」はテーブルの上に手品道具をたくさん並べているところから、道具や技術を持っているとも読めます。
そこで「吊るし」逆の、狭い世界に閉じこもっている人物と重ね合わせると、「たとえある技術を持っていたとしても、相手が自分の殻に閉じこもってしまったら、手の施しようがない」という示唆が得られます。
つまり心や世界を閉じていると、いくら技術があってそこから救い出せないこともあるということです。かたくなな心や抵抗は、悪い意味で強力なバリアーになるわけですね。
さてもうひとつ、「手品師」と「吊るし」を同じ人物として見ていくと、これも面白いことが得られます。
「手品師」は数にローマ数字の「1」を持っていますので、始まりとか新しいことというのに関係します。
何かを始めたい、行いたいと「手品師」は思っていると見ましょう。
しかしそれが仕事や勉強として気の進まないことで、けれども課題や宿題としてやらなければならないことだとします。
皆さんも経験があると思いますが、仕事や勉強をしなくてはならないのにそれが嫌で、まったく意味のないゲームやインターネット、電話、読書など別のことをやってしまったり熱中してしまったりしたことがあるでしょう。
これは心理学的には異常固定と呼ばれる現象ではありますが、とにかく意味のない行動をして本来しなければならないことから逃げているわけですね。
それが「手品師」の視線の先の「吊るし」の逆だと見ます。「吊るし」は「手品師」本人の状態であり、心の様子です。
こうした状況は実は短期的なことに留まりません。一年も二年もやらなくてはならないことから逃げて、あまり意味のないと思える行動を長期的に取り続けていることが人にはあるのです。
こここから脱するのも、実は「手品師」と「吊るし」が示します。それぞれ正立にしてみましょう。
すると「手品師」の視線は外に向き、何かを第一歩として始めている様子がうかがえます。
つまり、とにかく簡単なことでもいいから始めることが大切なのです。勉強なら机に向かう、仕事ならパソコンを立ち上げるみたいなことです。
そうすると「吊るし」も心が決まったかのような安定した状態になります。そして冷静に事態を見ていることにもなってきます。もっというと「吊るし」の奥の意味である段階的なステップも踏んでいるということになります。
このようにカードはそれ自体で問題と解決方法をリーディングすることも可能です。
ただ私が今回述べたかったのは、リーディングの技法だけのことではなく、「手品師」の逆と「吊るし」の逆から得られた教訓を、思い当たる人には活かしてほしいということでもあるのです。
「神の家」の良さ
タロットカードに「神の家」(マルセイユ版)というカードがあります。
これは他のカードでは「塔」などと呼ばれ、崩壊の象徴として非常に不吉なカードとして扱われることが多いのですが、私の考えるタロット観では大きな意味で吉兆(よいこと)だととらえます。
というより、何度もここで書いてきているように、タロットカードには本来、いいも悪いもなく中立であるというのが私の考えです。
しかしながら、「神の家」、ほかの呼び名では「塔」とされるカードが、あまりにもマイナス的な意味合いで語られることが多いので、今回はその吉兆的な意味合いを考察していきましょうということが趣旨です。
さてその「神の家」ですが、このカードはおおむね他のタロットでも共通しているのは、雷のような光(閃光)が降りそそいでいるということです。
雷の光を「稲妻」というように、雷の年は稲が豊作になる昔からのいわれがあります。
加えて、ギリシア神話の最高神ゼウスの登場には「雷光を伴う」とあるように、神が顕れ(現れ)ると雷が響くともいわれています。
いわば雷は神聖で強力な成長促進剤ともいえます。
このことからタロットで「神の家」が出てくると、何か自分を成長させる大きな試練が与えられると考えられます。(全部が全部そうではありませんが)
その選択には厳しいものが待ち受けているかもしれませんが、やり切ることができたなら、予想以上の収穫と成長が望まれるものなのです。
またそのために、小さな願望や目先のことでとらわれてはいけないことでもあると考えられます。
高い目標を持ち、着実に成果を目指して進んでいく意志があるかを試されているのです。
逆に言えば自分に準備不足を感じたのなら、また振り出しに戻るようなリターンも必要だといえます。無闇につっこむと、それこそ不吉なカードとなるでしょう。(そのため、悪く解釈されることが出てくるのです)
神の光をよいものとするためには、「神の家」の荒々しさと神聖さ、有り難さを心に刻んでみることです。
神の光を受けるということはそれだけ栄光あることですし、象徴的にいえば神に選ばれたということですから、その事件はショッキングな出来事だとしても、何がしか神の意思が反映されたものだととらえることができるでしょう。
隣の数を持つ「悪魔」と異なるところは、「神の家」に象徴される事柄は、「神」だけに安易に人間には悟ることができないものだということです。(「悪魔」は反対にわかりやすいところもあります)
ただ自分の視点や心構えを高次の部分に(自分の霊性)おいていれば、それは自ずと自分でも理解・把握できるものだといえるでしょう。
そのためには実は重要なのが「恋人」カードなのです。この「恋人」カードの体験が後の「神の家」体験につながるのです。
このことはタロット講座ではカードの意味とともに解説しています。
いずれにしても、一見確かに厳しいところもあるのが「神の家」ですが、本当は深い部分で自分にとっての恩恵であり、新しい自分が生まれる機会でもあるのです。
そういう意味では、一般的にあまりよくない意味で語られるもうひとつのカード、「13」(通常「死神」などと呼ばれるカード)とも共通しているところがあるかもしれません。
なるべく特定のカードにネガティブな意味、反対にポジティブすぎる意味を与えないよう注意したほうがタロットの活用の幅が違ってきます。
タロットでの質問の期間について
タロットを教えていてよく質問されるのは、リーディングする問いのスパン、占う期間についてです。
具体的に言いますと、「同じ質問はどの程度、間をおけばよいのか?」ということや、「同じ問いを占ってもよいのか?」ということになってきます。
結論から言いますと「決まりはない」と私は伝えています。
しかしなんでもOKというわけではありません。
そこにはリーディングや占いに対する考え方を整理したり、見つめていったりすることが求められます。
まず、なぜその質問(タロットを展開する際の問い)をするのか?ということを考えてみましょう。
そしてその質問が常識的に見て、どのくらいの期間を念頭におけばよいのかということも考えることです。
それは緊急を要することなのか、長いスパンで考えてよい質問なのかということですね。
次に問いやテーマをを絞る必要があります。
極端な例でいいましょう。ある人が明日の仕事のことを占いたいとします。
しかしこの人は「3ヶ月は同じ質問をしてはいけない」という縛りや決まりを自分に課しています。
もちろん明日の仕事のことなのでタロットを展開して納得するものが出ればそれで終了し、明日が来ればそれについて占うことはないでしょうから、実際に問題は生じません。
しかしまた一ヶ月くらいしたら仕事のことを問いたくなったとなればどうでしょうか? 同じ自分の仕事のことであり、しかも前の占いから3ヶ月は経過していません。
ここで問題なのは、「仕事」という漠然としたテーマの問いになっていることです。
仕事の中の何を占い、リーディングしたいのかによっては質問が変わってきます。そうすれば別に3ヶ月縛りとは無関係になりますね。質問が違っているのですから。
またテーマがもっと大きな場合もあります。
「自分の天命はどういったことだろうか?」といったようなものです。
これになりますと、3ヶ月どころか、半年・一年くらいはリーディングしなくてもよい場合もあるでしょう。
でもこのケースにあっても、一ヶ月くらいして「どうやら自分の天命のようなものが見えてきた」というような時は、再びその一ヶ月後の時点で同じ問いでリーディングし、確認や修正を行っていくことも悪いわけではありません。
結局、期間自体が問題ではないのです。
問いによって自分はどうしたいのか、どうなるべきなのかをタロット展開で探り、そのことを実行に移していく期間(変化の様子、効果の実測の期間)を見るということなのです。
よく言われる3ヶ月というのはあくまでひとつの目安に過ぎません。(これは人の意識と天体の動きから出た一般的なスパンだと考えられます、講座では説明しています)
問いやテーマをタロットで見て、それを自分が活かしていくための期間なのですから、質問やその発する個人個人の状況によって次の占いやリーディングまでの期間が変わってくるのは当たり前なのです。
ただまったく同じ質問を何度も繰り返すのは問題です。
それはタロットを信用していないということになるからです。
タロットは易と同じように「卜占(ぼくせん)」であるので、偶然出たことに「神意」や「宇宙・天の意志、意味」が込められていると見ます。
タロットの場合はさらにタロットの精霊による展開ということもあります。
それらの存在を疑うということにつながりますので、いわば天を信じない自分ということで自然の摂理に逆らうようなことになります。
またそういう目に見えない存在や意志を無視したとしても、タロットの出方や内容を情報として考えれば、何度も違った情報を同じ問いで出すということは混乱のもとになるのは常識で考えてもわかることです。
とはいえ、これも絶対に二度三度やってはならないというわけではなく、タロットや天を信頼しつつ、最初の展開ではどうしても自分ではわかりづらかったので、「再び敬意を払ってわかりやすいように出してもらうよう願いつつ行う」というのはありだと私は考えています。
それよりも質問のアプローチを変えるほうがよいこともあります。それはやはり問いをよく分析して、漠然とならないようにすることですね。
このあたりは詳しくはタロット講座でお伝えしています。
タロットのコンビネーションで現れるもの
昨日、メルマガ(受講者だけのメルマガ)号外を発行しました。
来月より始まる占星術講座のご案内です。この講座はタロットも使って楽しく、そして占星術の基本をみっちり学ぶもので、初めての講座としての募集でしたが、なんと昨日1日だけで予定人数に達してしまいました。
定員が余れば一般の方にもお受けしていただこうと思っておりましたが、今回は受講生特典といった形になりました。
お申込みされた方、よいタイミングであり、その決断力はすばらしく、またご自分の「運命の輪」をいい方向に回していくことになると思います。ありがとうございます。
さて今日のブログです。
タロットをコンビネーション(数枚・複数のつながり)でリーディングする時、「数」をその基礎とするものや、四大元素をそれとするもの、または様々な細かな象徴のつながりを見るものなどいろいろなやり方があります。
マルセイユタロットでかなり広まったカモワン流のリーディングは、いわゆるコンビネーションリーディングの一種で、それが複雑化したものと見てもいいでしょう。上記にあげたすべてを基礎として見ることがあるからです。
カモワン流に限らず、複数のカード同士のつながり、連なり、関係を見て読み解いていく方法はそれだけ情報が多くなるので難しいといえますが、逆にいえばその中からシンクロしたメッセージを拾い出すことになり、意味が余計際だつという結果にもなります。
マルセイユタロットは一見、無造作に絵が描かれているように見えますが、実は非常に計算された緻密な構成になっています。
その構図は幾何学が使用され、統一感のあるデザインで、構図自体に神秘的な意味もあります。
複数のカードを並べる時、それらが重なり合うように整然とした形で意味あるポジションで絵の象徴が登場するわけですから、特別なものを感じないわけにはいきません。
たとえばマルセイユタロットには「天使」がよく描かれています。
具体的には「恋人」「節制」「審判」「世界」に登場します。(直接的な表現ではないものを入れると、まだありますが)
これらのカードの「天使」の位置はそれぞれには無意味に思えますが、やはり意味があり、さらにはこうしたカードがどの位置にどう並ぶかによって深い示唆を私たちに与えてくれるのです。
ひとつ例を挙げれば、「恋人」カードの天使は子どもの姿で描かれていますが、「審判」の天使は大人の大天使のようなイメージで描写されています。
「恋人」と「審判」とでは同じ天使でも異なり、それらの出方と位置によって成長や発展・規模の度合い、あるいは個別性への変化の違いなども見て取ることができるのです。しかし「天使」という意味ではやはり共通しています。
「天使」は高次への段階の飛翔、次元上昇・向上のための「使い」の形・イメージとして登場することがあります。
古来より、そのようなインスピレーション・啓示、特別なインパクトをもつ霊的な体験のメッセンジャー・状況として象徴化されてきた存在です。
これがカードを展開した時に多く現れるということは、それだけあなたにとって重要なタイミングにあるということであり、別世界とのつながり・交流の可能性が示されているのです。
そして別世界と響き合う(合える)のはあなたの神性部分です。
出たカードの「天使」の大きさ、服装、態度、表現、ポジションによってあなたの高次のものとのつながり、理解・関係性も見えてくることがあるのです。
タロットにおける天使(の表現)についてはまた機会を改めて書きたいと思っております。
それはともかく、カードは一枚より複数をもって展開するほうが情報も多くなり、意味も逆に強く浮かび上がってくるものだということをお話いたしました。
タロットリーディングの副産物のようでいて主産物であるもの。
昨日はタロットリーディングにおいての質問(問い・相談内容)のポイントを絞ることの重要性をお話しました。
そして実はタロットリーディングというのは、単にタロットを読むことの技術の意味だけではないということを予告しておきました。
今日はその話題です。
まずいきなり回答を言いますと、タロットリーディングによって身に付くことのひとつに、コミュニケーションの問題を解消したり、その能力が上がったりするということです。
特に人に対してタロットリーディングをする場合はそれが顕著です。
一人の時(自分リーディング)でも、自分とのコミュニケーションになりますので、やはり意味はあります。
自分とコミュニケーションする? おかなし表現ですが、タロットを使うとこれは可能です。
つまりはタロットによって自分の心を映し出すような働きであり、自分の内側をカードで象徴させながら自問自答していくわけですね。
これは皆さんが思うよりも高い効果があります。というより、本来はこのような使い方がタロットの本質に近いと思えます。
そしてもちろん人に対してリーディングする場合は、コミュニケーション(の能力・技術)は大きなポイントとなります。
相手との会話能力が試されますし、それも単なる雑談ではありません。人の悩み事を聴くのですから、そこには、あるテクニックも伴います。
タロットリーディングによってこうした訓練を重ねていくことになりますので、コミュニケーションの能力は必然的に上がります。(でたらめにやっても意味はありません、フィードバックや指導はいります)
そしてコミュニケーション能力だけではなく、問題の把握の仕方、とらえ方もこれまでとは違ったものになってきます。
相手の言おうとしていることは何なのか、問題の本質はどれなのか、こういったことがわかるようになってくるのです。(技術として、あるいは直観能力の向上として)
さらに物事の取り組み方への意識も変わってきます。
それは昨日の話で、クライアントの質問のポイントを絞ってリーディングするということを指摘しましたが、このことが理解できれば、普段の仕事などの分野においても活かすことができるようになるのです。
たとえば今まで漫然と作業に取りかかっていたものを、どこかポイントを絞ってやったほうが効率的になるというようなことです。
そんなこと(ポイントを絞ることなど)は知っているし、タロットリーディングしなくても当たり前に皆やっていることだと思うでしょう。
しかしながら知っていてもやっていない、あるいはやっていることを意識しないことがほとんどなのです。
タロットリーディングをすることによって実際にそれを経験し、その訓練を積み、習慣化することができます。さらにタロット画像として確認するのでイメージとしても心に刻印されます。
それが無意識の事柄を意識上に昇らせ、さらに整理して再度無意識に落とし込むことになり、無理のない行動力にもつながってくるのです。
大げさにいえばタロットリーディングすることは人間を磨くことにもなってきます。ですから実際、講座においてリーディング練習をすると自分の苦手なところも出てきます。
それはタロットを読む技術の問題も最初はありますが、実は自分のブロックであったりネガティブに意識したりしている人間(の成長)としての課題であることがあるのです。
「しんどい分」だけ、それを克服した時の喜びもまた大きいものがあります。
不思議なことに、リーディング(練習)で出るカードは相手の問題なのに、自分の課題であったり、時には自分を励ましてくれるかのような出方をしたりすることがあります。
私はこのような時、やはりカードは生き物であり、タロットの精霊が存在していると思うのです。