恋愛 結婚
人はなぜ恋をするのか?
今日、ふと浮かんだカードは「恋人」でした。
そこから、「人はなぜ恋をするのか?」というテーマも出てきました。
おそらく古今東西、詩人、作家、哲学者のような方から一般の恋で悩む市井の人々まで、多くの人が考えたテーマなことでしょう。
ところで、マルセイユタロットの大アルカナは、合計22枚であることと、「愚者」がほかのカードとは異色(数を持たないカード)であることから、「愚者」とその他のカード21枚を3段7列で分ける方法が知られています。なお、この区分による図は、カモワン流では「タロットマンダラ」と名付けているくらいの重要な絵図ではあります。
3段7列が基本ですから、カードたちは、7の数をもとに3枚ずつ関係していくことになります。そして、こうした図では、「恋人」カードの場合、「名前のない13」(以降「13」と略)、「審判」と関係し合うことになります。
さきほどの「人はなぜ恋をするのか?」というテーマですが、恋と言えば、マルセイユタロットでは「恋人」カードが、もっともそれを表すカードだと言えますが、同時に、「13」と「審判」も恋に関係すると見ることで、このテーマに、面白い回答を導くことができるように思います。
ただ、あくまで、マルセイユタロットを通じて出てきた、ひとつの仮説に過ぎませんから、「ふーん、そんな考えもあるのね」みたいに受け取っていただければと思います。
さて、「人はなぜ恋をするのか?」について、ずばり結論から言いますと、なんか月並みですが、「愛を知るため」と答えておきましょう。
この場合の「愛」は、宗教的な意味合いで言われる「愛」に近い、まさに神の愛というようなものです。愛にも次元や範囲、対象の違いがあると考えられ、それらによって愛のイメージ・種類も変わってくるように感じます。
しかし、そのような種類の違う愛でも、最後にはひとつひとつが統合され、大きな愛に昇華されていくでしょう。
いわゆる小さな愛とか、エゴ的な愛というものは、大きな愛に至るための過程に過ぎず、過程であるからこそ、色々な道や方法があり、人によって異なる道程も歩む(体験する)と考えられます。
そして、小さな愛のひとつには「恋」というものがあり、「恋人」カードが示すように、それは地上的には男女間、あるいは自分とは違う魅力を持った存在に恋をするという現象になります。
恋は、ほかの地上的現象と同じく、能動と受動(的行為)でできており、日本語では、時にそれが「愛する者」と「愛される者」と表現されるように、(恋が)「愛」で語られることもあります。
恋愛で相思相愛(中)であると、最高の境地(幸せ)に浸れるかもしれませんが、片思いや失恋、思われたくない人から恋されるなどの場合、不幸であり、苦痛や悲しみ、恐怖でもあります。
このように、恋は、人にとって、幸福と不幸の極致を味わわせる現象とも言えましょう。
また、恋をしようとしても、自由意志でできるものでもなく、また、相手とか、何かしら対象が必要です。従って、自分一人で勝手に、例えば勉強のように、計画的にできるものではありません。
そうした自分でコントロールできない状況や、不確かなもの、対象が必要ということを、マルセイユタロットの「恋人」カードでは、主に上空(天上性)の天使(キューピッド)で表し、人間の予測を超えたものとして描かれています。
キューピッドは矢をつがえていて、一般的な話では、矢が当たったものと恋をする(つまり縁を取り持つ)ことになりますが、別の話では、縁を切るための矢でもあると聞きます。
よい出会いがあり、愛し合う恋人同士になったとしても、人間世界ではやがて死を迎えますので、結局、二人は別れること(別離)が運命づけられています。まさにキューピッドの矢の例えのごとしです。
恋の成就は嬉しく、幸せなものですが、反面、現実世界では成就しない恋も当然ありますし、熱が冷めたり、浮気などで別れがありますし、先述したように死での別離は必ずあって、恋の不幸、悲哀が対比されます。
「恋人」カードの上次元とも言える「13」は、恋の喪失や別離、苦しみを表すのかもしれず、死も象徴するカードです。
しかし、さらにその上の次元とも言える「審判」のカードは、祝福、誕生、復活がイメージされ、死からの再生が「13」から「審判」でセットになっているのがわかります。
人の世界は差のある世界で、だからこそ、自分と他人と引き(惹き)合い、恋もしますし、別れもします。
言ってしまえば、自分と違う存在にあふれている世界だからこそ落差の体験ができ、それが恋の本質(出会いと別れ、一体感と喪失感)でもあるわけです。
恋はその引き合いと別離の印象から、人間生活の中でも、なかなかに強烈な体験であり、それがたとえ対象が人ではなかったとしても、自分が熱烈に愛してやまないもの、恋するもの、熱中するものに出会うことは嬉しいことですし、それで人生は輝き、楽しくもあるものです。
同時に、それを失う体験、別れる時ということも体験し、大きな喪失感、痛手、落ち込み、怒り、苦しみ、悲しみなど、ネガティブな感情も味わいます。マルセイユタロットのカードで言えば「13」でしょう。
しかしながら、おそらく、人は自分が亡くなる瞬間、それらは走馬灯のように巡り、それが喪失感・別離の思いであっても、貴重なものであったことを知り、最終的にすべてが愛の表現であることを悟る(愛を高次に認識する)のではないかと思います。それが「審判」の状態なのかもしれません。
※マルセイユタロットが示唆するように、「13」から「審判」の過程は、必ずしも死後の話のことではなく、生きている間への認識を促す意味もあると考えられます。なぜなら、マルセイユタロットは生きている者のために作られているからです。
地上では、恋は対象が必要でしたが、次元が上がるにつれて、その対象と同化するようになり、結局は、自分への愛ということがわかるのだと思います。その自分というのも、エゴ的な狭い自我ではなく、広大な宇宙的な自己というものへの認識です。
他人への恋から始まり、それが次第に愛になっていき、他人への愛は、実は大きな意味での自分への愛ということに拡大していくわけです。
逆に言えば、恋によって、人は自己の認識をどんどん拡大し、恋は愛へと変容し、宇宙大へと自己(の認識)に至る仕組みがあるわけです。
だからこそ、人間生活での地上的恋愛(その対象は人だけとは限りません)体験がなされるのだと言えます。
いや、実は私たち自身は、恋の本質も、自分が完全性を持つこともわかったうえで、地上ではその記憶を喪失するゲームをし、個々人レベルで、地上的体験によって新たなもの(意識)を創出しているのだとも考えられます。
「審判」のカードに描かれている、復活している人の様は、地上で個々人が体験したものすべてを統合した証なのかもしれません。
すると、マルセイユタロットの「世界」のカードが表すように、文字通り、また新しい世界(宇宙)を生み出し、人が活動する領域も造られていくのでしょぅ。
「恋人」カードの次元からすれば、恋から始まる宇宙の壮大な循環・拡大です。だから、私たちが恋をしている時、そこには宇宙の卵が息づいている(新しい宇宙卵が育っている)と言えましょう。
最初に戻りますが、「人はなぜ恋をするのか?」に対して、「愛を知るため」と答えましたが、さらに言えば、(マルセイユタロットから見て)究極的には、宇宙の拡大・成長の意思を人として受け継いでいるため、と回答しておきましょう。
タロット的に結婚について考える。
前回の記事では、危機にあると、人はつながりを求める傾向にあるという話をしました。
人とのつながりで濃密なものには、恋愛や結婚というものがあります。
恋愛と結婚ではまた違いますが、今日は主に「結婚」をテーマにしたいと思います。
もしかすると、このような社会状況にあっては、意外と結婚する人が多くなったり、つきあっている人たちが結婚に向けて加速させるかもしれませんね。
しかし、今は例のモノの影響で、人と会わない、会えないという状態がノーマルになっていますので、逆に、結婚を考えている人でも、先延ばししたり、再考したりする方もあるかもしれません。
今年結婚式を計画していた人も、取りやめや、落ち着くまで延期、または挙行しても披露宴などを行わない形式にすることもあると聞きます。
そうなると、結婚そのものを考え直すカップルもいるかもしれませんし、反対に、式や入籍を待つことにより、ともに支え合う信頼関係が増すこともあるかもしれません。
そういう意味では、今年、結婚を意識しているカップルは、シビアに(純粋に)ふたりの関係性が問われることになります。
本当によい絆、信頼関係があるカップルは深い愛で結ばれるでしょうし、条件や勢いだけで結びついているカップルは、自分の本当の気持ちに気づいて、別れるようなこともあり得そうです。
ただ、世の中は、社会の変化とともに、次第に人々の価値観も変わって行き、いわゆる結婚観とか結婚の形も、これまでにも変化が見られつつあったように思います。
今年のはインパクトによっては、結婚観はさらに大きく変わる可能性もあるでしょう。
ところで、タロットではカード種に関わらず、「結婚」を示唆するカードはたくさんあると思います。しかしそれはカードの読み方によって、いろいろと変わってくることもあります。
つまり、あなた(カードを扱う人やタロットに相談する人)の「結婚の見方・思い方」によって、結婚を表すタロットカードも変わるということです。
そうなりますと、例えば、マルセイユタロットの場合、22枚の大アルカナ全部でも「結婚」が表せることになります。
「世界」のカードのような結婚を望むのか、「法皇」のカードのような結婚をしたいのか、見る人次第です。
ということは、カードはあなたの結婚観を示すというこにもなりますし、それがわかれば、カードによってこだわっていたスタイルや思いから解放された新たな結婚観へと変貌を遂げることも可能になります。
マルセイユタロットで、一般的には「結婚」より「恋愛」を表すと考えられる「恋人」カードにおいても、「結婚」を考察することは可能です。
ただ「恋人」カードから見る「結婚」というものは、恋愛にも通じる本質のようなものだと言えるでしょう。
それは結局、ある存在とのつながり、結合であり、反対に離別することへの恐れでもあり、それでいて離別と結合が同等であると意識てきる次元への回帰(想起)とも言えるのです。
妙な哲学的表現になってしまいましたが、今書いた「ある存在」とは、すでに予想がついている人もいらっしゃると思いますが、それは「自分」であり、自分の中に存在するものです。
しかし、現実次元においては、そのもう一人の自分というものがなかなかわからず、愛する人、恋人、パートナー、結婚相手として現れるように見えます。また、そういう相手側も、もう一人の欠けていると思われる(失っている)自分自身を見出そうとします。
それゆえに、恋人、パートナー、結婚相手は、同質に近いと思える人(似た者同士)か、逆に、かなり異質性を感じる相手となることが多いのです。
現実世界では個性(エゴ・自我・自分と他人の違いを自覚する自分)の世界ですから、常につながりの欠如、不足、どこか何か、誰かを失っている感覚がつきまといます。
これは実は、この世を生きる原動力(不足を補おうとする衝動)にもなって、カオスな世界をエネルギーと行動で満たそうとするわけですが、やはり空虚さは否めないところがあります。
そこで、補える片割れとして、友人やパートナー、形式的には結婚相手を求めることにもなってきます。
現実を超えた世界では、自分一人でも完全性、つまりは神的な存在と言っていいのですが、それであるために、不足感はないと言えましょう。
しかし現実世界では不足感があり、先述したように、そのために相手を求めます。
もし自分自身で完全であったということに気づけば、相手はいらなくなります。いや、相手は自分で、自分は相手でもあることになって、自他は結合すると言い換えたほうがいいかもしれません。
このようなことに思いが馳せれば、今の相手も過去の相手も、また片割れと出会っていないと孤独を感じている人でも、何かしらの示唆を得られると思います。
この考えに立てば、何も異性同士とか、ただ一人の相手とか、二人は恋愛状態でないといけないということはなく、あらゆる関係性に自分が忘れていたもう一人の自分を見ることができ、相手はいつも運命の人であり、魂の伴侶ということになります。
しかしながら、現実世界の中は個性の(濃淡のある)世界でもあるので、強くひかれあう者同士、逆に、つながりがあっても嫌ってしまうような人は、何かしらの濃い反映が隠されていると見てよいかもしれません。
今の現実世界では、結婚は法的な契約となっており、事実婚とか内縁の者でなければ、普通は籍を入れて一緒に暮らします。
ただ、次元やレベルに変化が現れれば、そうした法的な契約結婚の形式も変わってくることが考えられます。ですから、すでに形とか法律にこだわらない、実質的な結婚をしている方もたくさんおられると思います。
また結婚の関係性での意味も、深くは人それぞれだと言えますから多様性があり、子供をつくって家族生活を経験することが自分の課題とか完全性を補うことであればそうするでしょうし、夫婦二人だけの課題を持つ人もいれば、同居せず、別居に生活していく選択のカップルもあるでしょう。
それはカップルどちらにとっても、完全性への次元上昇のための選択と言えます。(「恋人」カード的な選択)
今後、もしかするとオンラインだけで話すだけのパートナーとか結婚相手というのも生まれるかもしれません。
結婚(の形)は時代や社会、人々の意識の反映であるとも言え、あなたがどういう結婚の形を望むのか(独身であっても、イメージとか意識の中では結婚の形を取っている人もいます)は、それは本当に意識のあり方次第と言ってよいでしょう。
あと、結婚には責任(結婚だけとは限りませんが)が伴いますので、それを果たさない場合は、結婚による成長や完全性回帰も難しくなります。
たとえパートナーを変えても、自分が責任を果たさない態度なら、相手も責任を果たさない人を引き寄せることになるでしょう。(この責任は厳しい意味だけではなく、愛を持つという柔らかな責任も意味します)
まさに相手は鏡でありがらも、異質性を持ち、それはすでに述べたように、お互いによって完全性を映し出しているのです。
こんな時に恋愛問題でも
社会的・世界的大きな問題がある中で、それとは別の個人的問題・悩みも人にはあるでしょう。
このところ、大きな問題と個人的な問題が奥底ではリンクしている話、霊的統合的視点では関連が見えてくる話をしましたが、今日は真逆のようなことも言っておきたいと思います、
いや、大小の問題の関連性について、否定したり、今まで書いていたことは違いますよと言ったりするわけではありません。
悩みや問題の捉え方は様々であって、その向き合い方次第では、楽になったり、逆にますます苦しくなったりするのですよ、ということが言いたいのです。
ですから、大きな問題を自分の問題に置き換えてみたほうが楽になる人もいれば、外の問題と自分の問題はまったく別と、切り離して思ったほうがよい場合もあるわけです。
要するに、問題の対処の仕方は、自分が楽になるのであれば、いかようにでもあるということです。
しかしそれは、反対から言えば、対処の方法を間違えると、悪化することもあれば、抜け出しにくいこともあるのです。
さて、例えば、今、恋愛の問題で悩んでいる人もいらっしゃるでしょう。
世間が世界的ともいえる大きな話題で心配している時に、自分はあの人とうまく行くか、あの人の気持ちがわからない、あの人が好きだけど、どうしたらいいのかわからない・・・などなど、恋の悩みに苦しんでいるという状態にある方がいます。
そういう人はもしかすると、こんな状況なので、自分のこと、ましてや恋愛のことなどで悩んでいてもいいのだろうか・・・なんか申し訳ない気持ちになる・・・とか、自己嫌悪にますます陥るとか、そう思う方もおられるかもしれません。
また、世間が騒がしく不安になっているところにもってきて、自分もそれに対する不安はあるけれど、恋愛の心配も大きくて、余計、前よりも恋愛の悩みがひどくなってきた・・・となっている人も考えられます。
ここで言いたいのは、悩みは人それぞれであり、悩みにいいも悪いも、優劣もないということです。
それに、周囲のほかの心配事のために、今の悩み事が拡大したかのように感じることもありますが、それは自然なことなのです。
私たちは幸か不幸か、一人一人違う世界観・価値観、それに経験・個性を持って生きています。
誰一人として、まったく同じ人はいないのてす。ですから、悩みごとも千差万別で、一人一人必ず違うはずです。
恋の悩みをバカにする人もいるかもしれませんが、それは悩みの問題が違うだけで、バカにする人だって、経済的なことや仕事のこと、ほかの人間関係、あるいは病気や肉体的なことで悩んだ経験はあるはずです。
あえてカルマ説みたいなことで言いますと、皆、一人ひとり、カルマに応じて、悩みごとは違っていて当たり前なのです。
誰かの恋の悩みは、ほかの人の仕事の悩みと同レベルか、それ以上の苦しみということもあります。
結局、悩んでいる事柄は違っても、人にとって悩みがあれば、それは苦しく、大変であるということなのです。問題は悩みのテーマ(事柄・内容)ではなく、悩み葛藤するという、その「性質」にあります。
ですから、あなたが恋愛問題で苦しんでいるのは、立派な苦しみ、大変さの質であり証です。
それはやはり、苦しみではあるけれど、人としては価値あるものなのです。
誰かを好きになって、それを簡単に忘れられたら、苦労はありません。
感情のコントロールとか、切り替えとか、手放しとか、対処方法にはいろいろと人は言いますが、それはある意味、他人事だから言えるのです。
ドロドロのぬかるみの沼にはまるがごとく、思わないようにしても思ってしまう、気にしないようにしても気にしてしまう、そういうの恋愛問題です。
マルセイユタロットでは、「恋人」カードで恋愛が象徴されます。このカードはとても恋の仕組みや意味合いを巧みに図像で表しており、この図の象徴性がわかってくると、恋愛の深い意味を知ることができます。
誰もが実は恋愛(人に対してとは限りません)をするのですが、人同士の強い恋愛体験をする人は、もしかすると全員ではないかもしれません。恋愛に興味のない人もいますし、興味はあっても強烈なものがない人もいるでしょう。
もしあなたが、すごく恋愛モードで悩み、そういう体験をしているのなら、それはそれで意味あることだと考えられます。
あなたは恋愛をする運命にあり、そしてその運命は、いわゆる運命的という言い方の種類のものではなく、あなたを本質的に成長させるために起こっている意味での運命的なものと言えます。いわば使命みたいなものです。
忘れられない人がいるのなら、それはその意味がやはり(感情的なものだけではなく、深い意味で)あるということかもしれません。
無理に忘れよう、新しい恋に行こうとするよりも、大切に思っていた人、あなたが好きであった人を心に抱いて、愛している、愛していたこと、あなたが相手に向けていたその尊い「気持ち」を大事にしてほしく思います。
それを少しずつ、自分に向けてみてください。どんな形であれ、愛がそこにはあるのです。
あなたの悩みは尊いのです。それは他人がとやかく評価するものではありません。あなたのために起こり、あなたのためにやがて糧になっていくものです。
世の中が不安定になったり、不安な状況になってきたりすると、パートナーを求めたくなりますし、今パートナーがいる人は、もっと思いやりや愛をもって、パートナーと接していくようになるでしょう。
人と人つのつながり、ふれあい、これらがいつの時代も必要で、不安な時こそ拠り所になる人がわかり、そのつきあい方、関係性、向き合い方の中に、愛を基軸に見ていく方向性が現れ、変化していきます。
自分を素直に見てみましょう。そしてその目をもって、パートナーや愛する人、好きな人を思ってみましょう。
温かいものがまさにハートにあふれてくるのがわかるでしょう。もしくは、自分か普段思っていたより、相手に愛情を感じなくなるかしもしれません。
変な意地をはらず、かっこをつけず、あなたが必要であること、共にいてほしいこと、物理的に一緒にいられなくても、好きであり、心は共にあること、寄り添っていること、たとえそれが言えなくても、自分が認めることで何かが変わると思います。
つまりは恋愛を通して、あなた自身や人の本質に、皆立ち戻っていこうとしているのです。
時代もそういう方向に流れていると思えます。
そのために、あなた自身が、やはり恋をする必要があります。それはうぬぼれではない、自分自身への恋のことなのです。
特別な人との関係の理由 その2
前回の続きです。
前の記事では、人間関係や恋愛などにおいて、特別となる人との関係性について、こうしたものは縁のものとは言え、自分の納得する理由が欲しくなり、その理由を探したくなることをお話しました。
そして、見方として、心理的なものと、霊的なものがあるとご紹介したところで、「つづく」となったわけです。(笑)
では、早速お話していきます。
特別な人となってしまう人との関係の理由についてですが、これははっきり自覚できるものがあれば、別に理由を求める必要性はありません。逆に言えば、自分でもなぜこんなにまでなってしまうのか、気にしてしまうのかと、よく理由がわからないこそ、それを知りたいと思うわけです。
それは、言わば、見えない理由のようなものです。
そのように考えると、たいてい、見えない世界というのは、心理的なもの(サイキック分野含む)か、霊的なものとなります。
ですから、特別な人との関係性のわかりづらい理由は、見えない世界にあると考えてもいいわけです。ここに、タロットの世界、スピリチュアルなものと関連してくるのです。
まず、心理的なものですが、これは、範囲を限れば、自分の生育歴におけるものからの理由が大半と思えます。
心理分野は確かに見えない世界のことではありますが、心理学がメジャーとなった今、案外と常識的・現実的な考えでもあります。
つまり、自分のこれまでの生きた歴史の中に、その相手と特別になってしまう何がが働くようになっていたというものです。
よくあるパターンとしては、幼少期の両親、あるいは家族との関係から来るもの(理由)です。
父や母との関係、兄弟姉妹との関係など、家族の中で、自分がどのような位置を占め、育てられてきたか(愛情のかけられ方)によって、大人になっても人間関係(それ以外でも)に影響を及ぼしているケースです。
問題となっていた(当時は問題とは意識しておらず、自然や当然の行為と思っていた場合もあります)家族との関係性を再現させて、自己を守ったり、浄化を図ったりすることもあれば、刻み込まれた自覚のないパターンとして、他人を家族の代替のようにして、関係性を繰り返します。
あなたが特別だと思っている人、どうしても気になってしまう人の中には、こうした自分の家族との関係が隠されていることがよくあるのです。
こう説明すると、自分でもわかりそうなものですが、意外に自分にはわからないもので、しかし、他人が見ると、結構ははっきりします。
ましてや心理カウンセラーやセラピストなどのプロの人にとっては、明確にわかるでしょうから、どうにもある人との関係が拭い去れない、忘れられない、同じような人や人間関係を繰り返して困っているという人は、そのような人に相談するとよいでしょう。
次に霊的な分野での理由です。
こちらは、心理的なものよりもわかりづらいですし、心理的なもの(トランスバーソナルな心理分野は別として)より範囲が広くなり、例えば、時間的なもので言えば、自分だけの人生(今生)だけではなく、過去や未来の生も入ると考える場合もあります。
あと、時系列(時間の流れとしての方向)だけではなく、縦階層の理由も、霊的になってくると現れます。
縦階層とは、次元やレベルのような考えで、私たちの一般的な中心観点は、今は三次元的物質次元にありますが、もっと高次(逆に低次)の、別の次元階層もあると想定して、それらの意識(データ・情報)からの理由が、人との関係性においてあると見ます。
カルマ的な概念は、時間的流れと縦階層のものとの両方があると見てよいかもしれません。
物語風に言えば、過去(生)で関わった特別な人なので、やはり今生でもそうなるとか、未来に何らかの関係や理由が作られるために、今会っている(気になっている)とか、自分と宇宙の進化のために、その人を意識するようなことが組み込まれている、イベントとして(自分)が選んでいる・・・そのような感じです。
簡単に言えば、魂のデータがそれを企画し、実行しているみたいなことでしょうか。
ですから、今の自分の普通の記憶とか、常識、推測を超えたところにあるので、理由がわからないわけです。しかし、そうした領域から見れば、理由はあると考えられものです。
ですが、問題なのは、その理由がはっきり最後までは(今生の自覚意識の人生では)、気づかないまま終わることもあるわけです。
むしろ、理由がわからないままに、あえて自らの魂がしている可能性さえあります。それは隠されたほうがよいという理由が、やはりあるからだと思われ、もしかすると、自分の(霊的な)成長にならないのかもしれません。
しかし、ここが重要ですが、それは今の時点のあなたの意識と行動における状況であり、もし何かのことで、あなたの意識が向上し、いわば、霊的な発展を遂げていくことができれば、生きているうちに、わからなかった、特別な関係性の人との理由が判明するかもしれません。
マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」を超えて、同じ10という数の二倍の数20を持つ「審判」に至った時と言えましょうか。(気づきのスピードも、覚醒すれば早くなります)
そして、タロットリーディングをしていて思うのは、理由を求めすぎてもいけないということです。
先述したように、変な言い方になりますが、現在の自分の状態では理由がわからないから、やはり、わからないのです。
いくら調べよう、知ろうとしても、自分の意識のレベルが本当の理由を明かす(理解する)レベルに至っていないので、徒労に終わることも多いのです。
ですが、自分が変われば、気づきは自然にやってきます。それも思いもかけない時に。
例えば、新たな出会いがあった時に、以前、悩んでいた人との関係の理由がはっきりしたというケースもありますし、こだわっていた人の思いが、いつの間にか薄れ始めたことに気づいた時、突如。目覚めのように、感謝のような理由(ギフト的な感じ)に思い至ることもあります。
ですから、大切なのは、自分のレベルを上げる、特に霊的な向上であり、それは「上げる」というような表現より、統合とか融和とか、そのままの中で意識が変わっているような感覚です。見方の変化、こだわりの消失、受け入れる幅の増大というのに近いでしょう。
もちろん、これには自分の浄化として、まずは傷がついている場合、癒しが必要になります。過去生まで癒しを求めるのであれば、そうした療法を受け入れてみるのもありかもしれません。(事実か否かより、自己のセラピーとして大切と考える)
未来に進むのには、過去に戻ったり、今の足踏みの状態をあえて続ける(深い落とし込みのために、続かざるを得ない期間がある、マルセイユタロットで言うと「吊るし」の期間)こともあります。救いを求めてさまようような場合もあるかもしれません。
ただ闇雲にあせったり、理由を今の時点ではっきりさせたいと強く思い過ぎたりすると、「運命の輪」はますますループしてしまい、その輪から抜け出ることができなくなります。
人は思考と感情での両方の納得を必要とします。思考・頭だけでは腑に落ちず、また、感情が納得しても、その経験を俯瞰したり、普遍化したりすることが難しいです。(これは自己の経験を、ほかの人の役に立たせることでもあります)
混乱している人は、その人との関係の理由をつきとめようとせず、理由が知りたい(知りたがっている)自分というものを受け入れ(認め赦し)、つらいですが、「今の自分のレベルではわからないようになっている」のだと思うことも、逆に救いになります。
人に相談することによって、理由の一端が示されることもありますが、それもひとつの仮説であり、正しいとは限りません。そもそも正しい答えというのはないと言ってもいいでしょう。
ですから、自分が、最終的に「ああ、そういうことだったのか!」と気づくもの、そのストーリーで正解なのだと思います。(細部は異なっていても、象徴的な意味では合っていること)
理由がわからない時は、情報の断片を拾い集め、そうしているうちに、自分の目覚めや向上が起き、自分が納得する理由を、自分の内から見つけることができるでしょう。
たとえ見つけられなかったとしても、自分の人生で必要だった人、会うべき人、思いや気持ちを入れてしまうような、自分の人生を彩る人だったということが、ネガティブな意味ではなく、振り返ることができるようになると思います。
あなたの人生劇場が輝くよう、祈っています。
特別な人との関係の理由 その1
人間の悩みは、マルセイユタロットの小アルカナのパートに実は象徴されています。
小アルカナに貫かれている基本構成・コンセプトとも言えるものに、4組というのがあります。これは、トランプでいうところの、スペード、ハート、クラブ、ダイヤにも象徴されるものです。
この四つの組で表されるものが、人間の悩みがちなこと、問題として考えられるのです。
今は四つのそれぞれを、どれがどれとは言いませんが(今日の本題でもないので)、例えば、お金や経済の問題、生き甲斐の問題、人間関係・恋愛の問題など、人の悩みごとではよくあるテーマを、4組の象徴として見ることができるというわけです。
これは、小アルカナで表される次元が、私たちの生身の生活次元、現実のフィールドを象徴しているからで、むしろ当たり前なのです。
また、発想としては逆になり、人間の悩みがタロットで象徴されるのではなく、タロットで表現される構造が、人間の仕組みにもあるからと言ったほうがいいかもしれません。このあたりはとても面白い話になるのですが、これも本日の本題ではないので、またの機会、あるいはタロット講座でお話したいと思います。
それで、今日の話は、この、人間の悩みでよくある種類のものの中のひとつ、人間関係・恋愛関係のことになります。端的に恋愛に絞ってもよいかもしれません。
まあ、言ってしまえば、「特に濃密になる人との関係」ということです。そういうのは恋愛での関係が多いので、恋愛に絞ってもいいかもしれないと言ったまでです。
ところで、マルセイユタロットの「恋人」カードの絵に、矢を持ったキューピッドが描かれているように、恋愛相手とか、自分にとって特別になる人というのは、人間が意識して関係できるものではありません。(中には、意識して関係をつけていく人もいるでしょうが)
気がつけば、いつの間にか、自分の心を占めていたとか、好きになっていたとか(相手から告白されたり、相手の行動によって意識するようになったりすることもあります)、そんな感じですよね。(ほかに、一目ぼれというのもあるかもしれませんが、これは「恋人」というより、「神の家」のような出来事で、これも意識して自分が惚れるというのではなく、突然惚れたみたいなことですよね)
ただ何もせず、妄想ばかりを巡らしていても、実際に、人と交流することはできません。
今はネット時代で、リアルの関係はいきなりは少なくなったかもですが、それでも、人は意識だけで交流する時代にはなっていません。まだまたちゃんと形・肉体・物質次元としての私たちが存在し、物理的に出会わないとならないところがあります。
そのことも、さすが「恋人」カードであり、キューピッドの下側にいる三人の人間たちが、実際に触れられるような近い距離感を描写することで表しています。つまり、現実に(行動・環境的に)人が出合わないと、始まらないわけです。
そんなこんなで、私たちは人と出会い、交流・交際していきますが、世界中には、これだけ多くの人がいるのに、出会う人は限られており、さらに中でも、親友になったり、恋人になったり、結婚したりする相手は、まさに特別な限定者です。
「恋人」カードによれば、人間側の出会いの機会を増やせば、もしかすると、縁結びをしてくる上空のキューピッドの矢は、誰かに当たりやすくなるのかもしれません。←ここ、引きこもっている人には、結構重要です。天は自ら助くる者を助くです。(笑)
しかし、逆説的ですが、出会いの機会を増やしても、矢が当たるとは、また限らないのかもしれません。
ロマンティックなことが好きな人ならば、キューピッドの矢は、あらかじめ刺さる人が決まっているのだという考え方もできるからです。
にしても、です。現実の人間は、さきほども言ったように、出会わないと交際が進みませんから、最初からまるで運命の赤い糸のように、矢の相手が決まっていたとしても、何もしなければ、運命の人なのに、一生出会わないこともありそうです。なんだか、それでは、身も蓋もない話になりますが。(笑)
いやいや、キューピットは天使でもあるのだから(厳密には違うのですが、ここでは同じとしておきましょう)、天使によって、出会えるよう、図らってくれるのでは・・・とロマンチストの方はおっしゃるかもしれません。
ま、出会い頭にぶつかるとか、別のイベントで会った人が、偶然にも同じ所属やクラスになったとか、気になっていた人が隣の部屋に引っ越してきたとか・・・そんな古典的マンガみたいな話(笑)はないでしょうが、世の中には、意外に、不思議な偶然・縁というのがあるのも確かです。天(もしかしたら悪魔も)がいるのかもしれません。
ともかく、自分の努力にしろ、偶然の出会いにしろ、誰かと知り合い、その人物は、何故かあなたにとって、特別な関係(位置)の人になったとします。ただし、必ずしも、相手のほうも、あなたと同等に思ってくれるかは別です。ここが人間・恋愛関係のもっとも難しいところで、悩む主要因にもなります。
そこで、占いでも、「相手は自分のことをどう思っているのか?」と聞く内容が多いわけです。(ちなみにカードでは、これがわかることが多いのですが、人の心は絶対ではありませんから、完全に読めるわけでもないのは当然ですし、カードとのコンタクトの方法、読み手の解釈によっては間違うこともしばしばあります)
そして、関係はよい状態に移行することもあれば、破綻してしまったり、そもそも最初から、自分の思うようなことにならない(片思い)ケースもあったりします。
この最中、人は悩みます。たとえ、よい関係であったとしても、これがずっと続くだろうかとか、相手に別の好きな人がいるのではないかとか、些細な行き違いなどで相手を疑ってしまうようなこととか、最悪は、相思相愛でも、相手が不慮の事故・病気などで亡くなってしまうようなことさえあります。
こうなると、人間関係とはいかに残酷なものであるのかと思う人もいらっしゃるでしょうし、逆に、ラブラブで、今関係性は最高だというペアの人は、人間関係のすばらしさを満喫していることでしょう。
歓喜と絶望、濃密な人間関係・恋愛関係であればあるほど、そのギャップも激しいものが内包されています。
また、思いが通じ合えない人、一方的に自分のほうだけが思いが強く、相手は多くの中の一人としか自分を扱わなかったり、ひどい時は、嫌われたりしていることもあります。これのほうが失恋よりつらく、残酷と言えるかもしれません。
かと言って、ストーカーになる人は、相手に恐怖と不安、怒りを与えますので、思われているほうも被害者的な怖さ、不幸感があり、これもまた残酷といえば残酷な話です。
このストーカーとストーキングされる側との関係は誤解があるといけないので、今から言う話とは別だと考えておいてください。
その他の、恋愛などの濃密な人間関係において、特に別れてしまったり、なかなか自分の思うようにカップル的になれなかったり、または、恋愛という感情ほどではないけれど、どうにも気になってしょうがない人がいたりすることに対して、人は理由を探そうとします。
なぜあの人と出会い、このような思いになったのか、何か意味があるのか・・・というように。
特に大きな問題もなく、交際し、そして自然な別れで終わったものは、それほど出会いの理由は考えないかもしれません。
何か、自分ではどうしてもわからない感じの、忘れようにも忘れられないとか、偶然にしては出来過ぎているとか、特別に思う人との関係の場合は、理由を考えないと、自分の納得がいかないわけです。
私はこの理由に、タロットリーディングでもそうですが、いくつかの見方を呈示しています。
ひとつは、心理的な見方、もうひとつは霊的な見方です。
長くなりそうなので、次の記事に続きを書きたいと思います。
特に恋愛ネタは、思い出すと、つらい人も多いと思いますので・・・間をおいて、分けて書いて行ったほうがよいと思ったこともあるからです。
それでは、しばしお待ちください。