迷った時に

吊るしの時間

今、自分が取るべき行動に対して、いろいろな意見が述べられています。


いわく、「経済活動を活発にしてお金を回し、日本を救っていこう」「被災者の気持ちを悼み、派手なことは自粛しよう」「何かできることをとにかく考えよう」「いつも通り日常を送ることが大事」・・・などなど。


ここで皆さんにも考えてほしいのは、タロットでいえば誰にでも「吊るし」の時間があるということです。もっといえば、必要だとも言えます。


「吊るし」とは何か。タロットカードの絵では、逆さまになって吊られている人がいるように見えるのですが、私の考えでは吊られているのではなく、自ら逆さにぶらさがっているという解釈で、むしろ積極的な意味を取ります。


ぶらさがって動いていない人の絵柄をどう積極的な意味合いに取るかですが、簡単にいえば「動かないことを選択している」「動けないことに意味を見いだしている」「逆さ(違う観点)を肯定している」ということになります。


今回のことで、被災していない地域の人には「いつものような気持ちでいなさい」「普通の生活をしなさい」「消費活動を活発にしなさい」「明るく生きなさい」と言われることが多いものです。


私自身も平常心の大切さはブログで語っていたこともあります。それは一面では確かなことです。


ただ、人間の気持ちとして考えてみれば、そう理屈で割り切れるものではありません


何もなかった自分たちが意気消沈して萎縮してしまえば、経済活動も滞り、経営が危うくなる企業もあるかもしれず、それが回り回って自分の失職や被災地域への応援ができないまずい状況になるということも、論理としては非常にわかるところではあります。


けれども、これだけの災害と亡くなった方の多さ、そしてまだ事態が予断を許さぬ福島原発事故のことを思えば、人として、この時期に「明るくなれ」というほうが無理があります。


でも無理矢理ではなく、自然に元気の出ている人、平常心に戻ることのできている人はそのままどんどん活発に行動をされるとよいと思います。(周囲への配慮や心遣いはいりますが)


反対にまだ何か気持ちが落ち着かない、沈んでいる、その気になれないというような「心にひっかかり」があるのなら、そのままの気持ちを認めて過ごすのも「心・体のバランス」だと思えます。


つまりはタロットの「吊るし」(エネルギー、行動の停止・蓄積・静観、落ち着き、癒し)の時が誰しも必要であり存在するものの、人それぞれによってそのスパン(間隔・期間)は異なるということです。


特に被災された人にとってはその「吊るし」の時期は相当長いものになるでしょうし、被害を受けなかった地域の人でも、心の痛みの分、「吊るし」を取っていく時間がいるものと想像されます。


人によってはすぐさま気力を奮い立たせて活動に向かわれる方もいらっしゃったでしょうが、その人でさえも「吊るし」の時間はあったのです。


そして「吊るし」の時間が終われば、自然に今度はタロットカード「13」の改革、変革のエネルギーに向かっていきます。


「吊るし」が不十分のままだと、「13」は逆位置となって自ら、あるいは他人や出来事に鎌をふるうようになる(マルセイユタロットの「13」は大鎌を持つ絵です)ので、危険です。


何事も「腑に落ちない」段階で無理に行動を起こそうとすると、精神と実際のエネルギーバランスが崩れ、結果も出ませんし、心的にも負担がかかりがちになります。


「吊るし」でもいいのだと思って、周囲の意見に振り回されず、そして自分を責めずに、心に正直に過ごしてみてください。


行き詰まっている時には

今の時点で苦しい、何か問題がある、選択や決断がどうしてもできないという場合、その突破口として考えられることは何でしょうか?


タロット的に見た時、私はそれは、これまでとは次元の異なる自分になることだと思っています。


つまり、簡単にいえば、今悩んでいるのは、まさに「今のあなた」でいるから困っているのであり、あなたが今のあなたでなくなれば、その問題の見え方も変わってくるということです。


そして結局、問題が問題ですらなくなるのです。


たとえば「この仕事や生き方しかない」と思っている現在のあなたが、何らかの形で、「違う仕事・生き方もある」という考えに変化すれば、今の仕事の悩みもあっさり解決するかもしれません。


また相手の心や立場など考えてもみなかった人が、そうしたことに配慮するようになって、たちまちのうちに関係が改善されたということもあるでしょう。


私たちは問題解決や何かの選択に迫られた時は、二通りの方法で対処しようとします。


ひとつは、これまでの次元・レベルのままで、自分の経験やほかの知識・意見を取り入れていくやり方、そしてもうひとつは、自分の次元・レベルをこれまでより超越させていく方法です。


ほとんど人は前者で行ってしまいます。特に緊急を要する場合や余裕のない時にはこの方法(前者)は、ある面、仕方のないところもあるでしょう。


しかし、結局それでは一時しのぎであって、根本的な解決になっていないこともあります。


自分のレベルが上がると視点は拡大され、「どうしてこれまであんなことで悩んでいたのだろう?」と今までの自分の悩みがうそのように消えていくことが多いものです。


海中で囲いのある網に入ってしまった魚の視点と、人間になった魚(魚は人間にはならないですが・・・仮にこうします)の視点との違いといえばわかりやすいでしょうか。


網の中にとらえられた魚は、「なぜ急に自由が失われたのか」は理解できないでしょう。網には気付いてもわけがわからず、ただグルグル網を周回することになります。


しかし人間になった魚から見れば、全体の網の構造、海との位置関係、そして脱出方法さえ一瞬でわかるはずです。


カモワン版マルセイユタロットの絵図タロットマンダラにおいて、「恋人」「13」「審判」というカードの縦列があります。


同じ次元で意見を聞き合っているのは「恋人」のカードのレベルです。ここから次元変革を試みるのが「13」であり、変革を果たして次元が上昇したのが「審判」です。


「審判」になりますと、天使の声をダイレクトに聴くことがてきます。(あくまで天使というのは象徴の話であり、通常レベルを超えたということを、この場合は表します)


その時、選択は自ず(おのず)から天の意志にかない、迷いなく天に向かって自分を立たせることができます。


次元を上げるには「13」の経験を成すことや、自分から「13」として変化・変容を恐れないことです。


逆にいえば、次元を上昇させるためには「13」のような苦しい体験・厳しい経験も必要だということかもしれず、今苦しみ・悩んでいる人にも希望が出てきます


そしてタロットマンダラでは「恋人」の両サイドに位置する、「法皇」と「戦車」のような、自分より高い次元で教えを行う人や成功者と呼ばれる人と接することで、自分のレベルを変えていくことも可能です。


現在、袋小路に陥っている人、自分の次元を上げるために学び、経験をしてみましょう。





タロットの「世界」は「終わりよければすべてよし」でもある。

人生、あれこれ迷うことばかりです。


そして、「あの時選んだのが失敗だった・・・」「あの場合、こうすればよかった・・・」など、過去を後悔することもよくあります。


ところで、タロットの大アルカナと呼ばれる22枚のカードのうち、最高の数を持つのは21の「世界」です。


もちろん「愚者」を「22」と考えることもできますが、マルセイユ版で見た場合、「愚者」にはほかのカードにはあるローマ数字がなく、空白のままなので、とりあえず、記載されている数では「世界」が一番上だと言えるでしょう。


そして、ここでも何度も述べておりますカモワン流のタロット絵図「タロットマンダラ」では、21の「世界」が最後の到達点、完成を意味します。


人は普通、この「21」の「世界」を見て歩くかのように、目標や完成点を目指して進んでいます。


しかし、いつの間にかその途上での選択・結果に目を奪われ、一喜一憂し、何が目標なのか完成なのかがわからなくなり、自分の道が苦難に覆われ、 「失敗の人生劇場」にいると錯覚してしまいます。


これを完成点の側から逆に見ていき、さらに「完成」の概念を変えることで、その歩みをまるで違ったものに置き換えることも可能になるのです。


簡単にいえば、「終わりよければすべてよし」と考えるということです。


今の状態は大変だったり、時には悲惨なこともあったりして、とても自分では認められるものではないかもしれません。


しかし、ひとつの完成、目標の達成が成されれば、その時点で過去のものは栄光のための過程、成功の種、感動ストーリーとも変容します。


大目標から見れば、まだまだ完成にはほど遠いとしても、これを小さなステップにわけたり、少さなものでもきちんと成果として評価すれば、たとえこれまでは満足のいかない道のりにいたとしても、その道のりを歩んでいる自分自身の努力と評価は変わってくるでしょう。


自分は年を取っているからもうダメだ」ではなく、50歳だろうが、80歳だろうが、亡くなるその瞬間までは成功や達成の可能性は残されていると考えるのです。


あきらめず、今の時点からひとつの目標を立て、それに到達する努力と実績をあげれば、失敗と思っていた過去の選択、結果でさえも、成功を彩るひとつの逸話・エピソード、積み重ねとなるのです。


私も「公務員を辞めた」という時点・事実では、特に今のこの時代ではバカな人の話、失敗話に分類されるかもしれません。


けれども、また新たな目標とともに、それを達成すればそれも自分の人生のドラマの大きな一部となります。


「選択が間違っていた」と思っても構いません。あとからそれもよいことにできます。


本当に人生はいつでもこれからであり、捨てたものではないのです。


その悩みは自分にふさわしいか。

悩みはつきないものです。


ひとつの悩みに、人は結構長いことつきあわされる人もいます。


いくら考えても出口や突破口がない。よい方法が思いつかない・・・そして堂々巡りの繰り返しが続きます。


けれども意外な観点で、一気に悩みが解消することがあります。


その一例としてご紹介します。


それは、「まだそのことで悩むレベルに自分は至っていない」ということに気付くことです。


たとえば、自分は何か大きなことをしたい、いったいどうすれば、と思っていたとしても、まず大きなことをする前に今身近なことすらできていないこともあります。


いいパートナーと巡り会えない、理想の人に出会えないという前に、今いる人たちとの間でよい関係を築いていますか?ということもあるでしょう。


私も実はタロットの仕事を続けていくかやめるべきかで、ほんの最近まで悩んでいました。


それはタロットが精神的なものを扱うことが多いので、報酬をもらう仕事という面でなじむのかどうかという、いわば哲学的課題でした。


しかし、よく考えてみると、自分がまだタロットを一人前の仕事として扱っていない前にその悩みをしても、レベル的に低次元のことであり、たとえ答えが出たとしても、やはりその低次元での回答でしか得られないと気付いたわけです。


これは自分の中にある一種の傲慢さを自覚したということでもあります。


もちろん低次元といえど、「そもそも論」として悩み・葛藤する意味はあります。


しかしながら、私自身はもっと自分のレベルを上げたうえで、再びそのテーマを思い起こそうと考えたのです。そうすると自分のことだけではなく、より普遍性も出るからです。


また、こう考えることもできます。


悩みは必ずしもとはいいませんが、多くは、あることとあることの葛藤です。


その両者を対比させた場合、本当にどちらとも取れない、あちらを立てればこちらが立たずというような同レベルの悩みならば、真の葛藤だといえます。


けれども、よくよく分析してみると、片方のレベルがもう一方の葛藤の要素とは違っていることがあるのです。同じ重みではない(重みに達していない)といえばわかりやすいでしょうか。


そうすると、その葛藤は自分が生み出している「幻想」であることに気がつきます。


「なんだ、こちらの方が重くて大きいじゃないか」とわかれば、葛藤は均衡を保てず、どちらかにたちまちのうちに傾き、悩みということではなくなるのです。


これをタロットで象徴してるいのは「」のカードといえましょう。


皆さんも今一度、「その悩みをするのに自分はふさわしいか」という観点から見てみると、意外なことに気がつかされるかもしれません。


決断・実行か、停止か。

昨日、大掃除の話を書いたら、とたん自分自身の浄化や調整も始まってしまった私です。わかりやすすぎるぞ、私の体。(笑)


ということで、ちょっとヘロヘロになりながら書いています。(^_^;)


今年一年、タロットリーディング、タロット講義での実践練習等で皆様のカード展開をたくさん見てきました。


もちろん、その時その時、人それぞれの問いであり、出方も違うわけですが、大きくわけてふたつの傾向があるように感じられました。


ひとつは今まさに決断して実行すべしという状況、そしてもうひとつは今の状態をよく観察し、見極めた上で次に移るというようなものです。


これは今年に限らず、たいていのタロット展開で示唆される二種類の傾向なのですが、前者においても、現状への惰性や甘えのようなもので来ている方と、反対に積極的な目標があって、そのためには今の自分を転換しなくてはならないという場合に出ます。


後者(現状や過去を観察する)は結果を焦りすぎていたり、比較的順調に進んでいるものの、そのためにかえって油断が出たり、前ばかりを見ているため、これまでの経緯・過程を振り返る余裕がない時などに登場します。


このようなことは、意外と自分ではわかっているようでわからないものです。


客観的に自分を観る方法が少ないこともありますし、あることを強く思っているとその視野の中で情報を得ようとするので、逆にいうと、ほかの部分はそぎ落とされてしまうこともあるからです。


ですからタロットは有効なのです。


タロットは絵柄のついている根源的な象徴体といえますから、カードを見ることにより自分を客観視することができますし、自分でわからなければ他人のリーディングによって理解を促進することができます。


さて、決断して実行するか、あるいは立ち止まってこれまでのことを整理してみるなどのふたつの狭間において、キーとなるカードがあります。それは「節制」です。


なぜなのかについては次回ご説明しましょう。


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