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「13」の愛
今日カードから浮かんだのは、「13」の愛というものでした。
マルセイユタロットには、「13(番)」という、名前のない数だけのカードがあります。
名前のないことには諸説あり、本当はあるが隠されている、その名前を呼ぶとすさまじいエネルギーが巻き起こるため、コントロールできるものしか明かされない、そもそも本当に名前はないのだという説など、いろいろです。
それはともかくも、見た目、鎌を持つ骨と皮の人物が描かれ、西洋風な死神的な絵柄であり、怖いという印象が最初は強いかと思います。
ほかのタロット種では、この数「13」を持つカードは、文字通り「死」とか「死神」として名前をつけられている場合もあるほどです。(ただし絵柄は違いますが)
ということは、名前というより、13という数に大きな意味があることが示唆されます。
13と言えば、これも一般的には不吉な数のように思われていますが、12を超えた数(12はひとつの完成された・固定化された世界を示し、それにひとつ加わった数)として、大きな力を象徴させる数となります。
ですから、いい意味でいうと、創造の数となるのです。ただ、悪い意味(あくまでとらえ方の違いでしかないのですが)でいうと、破壊ということになります。
そんなところから、怖い数として誤解されているところがあります。
さて、最初のテーマ(愛)に戻ります。
そういった「13」のカードですが、果たして、「愛」ということと、どう関係するのかという点では不思議もしれません。
それどころか、愛とは全く無関係で、先述したように、死や恐怖というようなものと結びつけられがちです。
しかし、「13」に愛を見ることで、実はタロットで物事の本質を見るという意味合いも含まれてくるのです。
以前に、片思いも「愛」のひとつの形・表現であるという記事を書きました。
愛は広義の意味で見るか、狭義の意味でとらえるかによって変わってきますが、本質として、そのエネルギーのようなもの、形のないコア・象徴(行動や形式そのものではなく、その奧にある元型的な意味のあるもの)として見た場合、すべては同じ、愛はひとつということに行き着きます。
恋人同士に見せる愛の形も、母親が子供に見せる愛情も、先生が生徒に、上司が部下に、自分が友達に、または友人や仲間が自分に、人がペットや動物に、育てる植物・作物に、作業を便利にさせてくれるモノに、経験させてくれる自然や環境に、命を継続させてくれる食べ物に、生き物に、それらを生み出す人や自然、宇宙、神なるものすべてに、私たちは愛を見ることができます。
つまり、形や行動、表現、現実的現象の奧に込められた元型的エネルギー、大元から変容したエネルギーを感じてみると、原初に行き着くということなのです。
原初というのは、神のようなひとつの大きなものと言ってもいいでしょう。抽象概念の最大化のところです。
ただ、私たち人間や現実の暮らしレベルになってきますと、元型的エネルギー、つまり神なるもののエネルギーが表される場合、人の想念とか個人的な願望・欲求・価値観などによってねじ曲げられ、変化させられ、弱められたり、裏返されたり、別の色が加えられたりして、見た目がまったく変わってしまう場合があるのです。
言い換えれば現象(現実次元)としては、本質とはかけ離れたように見える(感じる)ということです。
逆にいうと(抽象化・統合化していくと)、元に戻す、純粋にする、原初に還るような視点で物事を見ることになり、それは愛だった(本質が愛だった)ということに気がつくわけです。
その純化作用、原初還元作業に効果的なのが、タロットのような象徴ツールを使うということなのです。
象徴は抽象と具体とを往復することが可能だからです。
そして「13」は、鎌でもってそぎ落とし、骨や皮、言わば本質に行き着こうと作業している姿でもあるのです。
愛に気づいていない人が、今の現象に振り回され、苦しめられています。その状況も、「13」は絵柄で表しています。
先の見えないような中で、もがき苦しみ、自分の経験していることに愛や救いなどないように感じている、これは言ってみれば「13」のカードを問題状態と見た状況です。
しかし、起こっている現象をそぎ落とし、究極まで本質を見ていく時、そこには愛が現れてくるのです。
自分にも人にも愛があったことを掘り起こし、発見することができます。
その証拠はここでは言いませんが、13の絵柄の中にきちんと描写されていますし、タロットの大アルカナを並べた特別な絵図によって、その位置関係からも、愛というテーマは見えてくるよう設計されています。
あなたが苦しみ、傷つくのも、それはあなた自身に愛があるからなのです。
それに気づくために、また苦しみから愛の本質を抽出するために起こっているということも、「13」を通して悟ることができるでしょう。
そこから見れば、「13」はなんと愛にあふれたカードだと感じることができます。
これはもちろん、「13」だけに限らず、すべてのカードに言えることなのです。
相談する、される人の技術と人間
最近はセラピストやカウンセラー、スピリチュアルな技法を使っての対人援助など、人の役に立ちたい、人の問題や葛藤、ブロックを浄化したり、解放させたりしたいという人が増えてきました。
昔はそういった人の人数も少なかったですし、また扱う技法や種類も多くなかったと思いますが、今は百花繚乱と言いますか、人も種類も飛躍的に増え、ますます増加の一途という感じでもあります。
そういった意味では、クライアント(相談する立場側の人)としては、いろいろと迷ってしまう状況とも言えます。
また相談を受ける側を志すにしても、自分にはどれ(どの技法)が合っているのか、どれを使えばいいのかということに悩んでしまうこともあるでしょう。
人と人に相性があるように、自分と技法・技術・ツールとの間にも相性のようなものがあると考えられ、クライアントとしても、それはある(まず人と人、そしてその人が使っている技法との相性)と想像されます。
それから人の出会いとやはり同じように、出会う縁というのもあるでしょう。
さらにはその人固有のそれぞれのリズムのようなものもあり、そのタイミングによっては、同じ人・同じ技術でも、以前は合っていたのに、今は合わない(その逆もあり)ということもありますし、相談内容によっても、人と技術の相性があるように思います。
ということで、自分がもし何かに困っていることがあれば、たとえ一度のことでうまく行かなくても、複数回試みてみるのもありですし、人や技法を変えて相談を受けてみるのもよいかもしれません。
また相談を受ける側を目指す人でも、学び始めたものや、自分が最初に選択したものに、違和感を覚え始めたり、ほかの技法に魅力や効果を感じ始めたりしたのなら、思いきって変えてみる気持ちになると、自分に本当に合うものが見つかるかもしれません。
また、すでに学んだ技法や技術にプラスして、新しいものを身につけ、臨機応変に使いこなしたり、組み合わせたりして、セッションや相談を行うことも可能です。
だいたいタイプとして、ひとつの技術やツールに惚れ込んでそれを極めようとする人と、とにかく効果があるのなら、なんでも採り入れてやってみようというタイプの人がいます。もちろんその中間の人もいますが。
前者は技術・ツールが比較的ウリとなりますし、後者はやっている人物・人間像・キャラクターが魅力的であり、力があるということのほうが多いように思います。
まあ、プロでやる限り、技術がよいのは当たり前のことです。
営業的なことで言えば、メソッド・ツールが独特ですばらしいものであり、それに対する知識と技術も確かで、さらには人として魅力的(いい人であるとか、人格的にすばらしいということとは少し違います。超個性的と言ったほうがいいでしょう)であれば、人を集めることができるでしょう。
人を集めるだけならば、メソッドが独特か、魅力的な人(自分の世界観が強烈にできている人)であるだけでもOKな場合がありますが、あくまで人の相談をするということでは、それだけでは問題と言えます。(まあしかし、魅力的な人は、普通レベルの技術・メソッドくらいは、たいてい会得しているものですが)
いずれにしても、セッションや人の相談の場合は、目的をはっきりとしておかないといけません。
その目的というのは、相手の問題を解決したり、癒したり、今よりよい状態にして行くという相談本来の目的です。
相談において、技術自慢・ツール自慢になったり、相談に来られた人をないがしろにして、相談を受ける側の自分が、技術やツールを使って変に楽しんでしまっている(一種の遊び状態)であるのは問題です。
いえ、相談していて楽しくなってはいけないというわけではありません。
高度な意味での楽しい状態は、法悦に近いものなので、クライアントとともに、マルセイユタロットで言いますと、「世界」のカード状態のダンスが踊られるものとなり、癒しや解決の波動が出ることになります。
ここで言っているのは、低次の遊びレベルのことであり、いい加減な相談をしたり、相手のことより、利己的に自分が楽しんだり、満足したりすることに焦点が合っている場合を言っています。
それから相談するクライアント側にも、注意する点がいろいろとあります。
そのひとつに、わざと頑なな態度を作っていくというのがあります。
自分でも気がついていないブロックならばいいのですが、わざと自分にブロックや壁を作り、占いでいうと、「当ててみろ!」的な態度や、セラピーでも、「こんなものが効くわけがない」と、かなり疑いと抵抗を持って臨むような姿勢です。
いえ、ある程度の疑いはむしろ持つべきかもしれません。
簡単に洗脳されたり、いいように誘導されたりしないためにも、冷静な視点で疑いは持っていてもよいでしょう。
しかし、問題を解決してほしい、悩みをほどいて欲しい、気持ちを軽くして欲しいというような望みでわざわざお金を払ってまで行く(お金がいらない場合もあるでしょうが)のですから、自分自身も心をオープンにして、素直に臨むということも大切です。
抵抗や疑いが強い分、それを解いていく過程に時間がかかり、効率としても悪いことになるからです。
例えば、病気になって医者にかかるということで考えてみるとわかりやすいでしょう。
医者から「今日はどうされましたか?」と聞かれて、
「先生、私がどんな病気か当ててください、そしてすぐ治療してください」
といきなり言ったところで、お医者さんも困ってしまうはずです。
どんな症状があり、いつ頃からそんな状態で・・・など語ったり、見せてくれたりしないと、どんな名医でも治療することは難しいでしょう。
もちろん見た目だけの予測も、少しは立つかもしれませんが、やはり患者さん自身が積極的に治ろう、治療してもらおうと思って、そのために自分の情報や状態を素直に伝えるということのほうが、治りも早くなったり、治療方法が適切であったりする可能性は高いと言えます。
さて、クライアント側として、自分の問題の解決に役立つ人や方法を求めるにしろ、相談を受ける側で、自分に合ったメソッドやツールとの出会いを期待にするにしろ、「求めよ、さらば得られん」という言葉があるように、求めていれば、人はいつか自分にふつわしいもの(人)と出会える気がします。
タロットの直接的・間接的扱い。
タロットの使い方としては、様々なものがありますが、大まかににわけるとすると、二通りで考えることができます。
ひとつはタロットを直接使う方法、そしてもうひとつは間接的に使うというやり方です。
直接に使うというのは、タロットリーディングやタロット占いを想像していただければわかりやすいですが、タロットを直接引いたり、展開したりして、自分あるいは他人の質問に答えるというものです。
さて、もう一方の間接的にタロットを使うというのは、タロットを、あるモデルや元型的な象徴としてとらえ、物事の把握、真理の追究、状況の整理、心理的・霊的な解放と発展に使うというものです。
タロットを直接引いたりすることが少ないので(引くこともありますが)、間接的と述べています。
私の場合、ある時から、もうほとんどタロットを間接的な方法で扱っています。
直接的にタロットを引くこともありますが、どちらかといえば、間接的に使うほうが個人的には面白いのです。
あと、直接的に扱う場合でも、質問に対するタロット展開をするというより、タロットの絵柄やエエネルギーを感じて、瞑想のような方法で、タロット(の表す「何か」)とコンタクトして、自分を見つめ、整理するのに使うことが増えました。
不思議に思うかもしれませんが、個々の質問に対してタロット展開して読むというより、一枚あるいは数枚のカードをイメージして(あるいは実際に目の前に置いたりして)、回答を待つというような姿勢のほうが、展開を読むより、はっきりとわかる場合があるのです。
ただし、心がクリーンでなかったり、落ち着く状態になかったりする時は、展開をしたほうが気づきがあったり、指針が受け取れやすかったりすることもあります。
それはマルセイユタロットの独特の読み方になりますが、絵柄に画かれた細かな象徴(シンボル)を客観的に拾っていくことで、いわば物理的(心で感じるというのではなく、実際に出ている象徴のカウントや事実的な観察という意味)な観点で見ることが可能だからです。
もちろんそのカウントした象徴の意味の解釈は、やはりイメージや心と結びつきますので、純粋に客観的なものとはいえませんが、出たままの象徴の数や形をそのまま発見していくというのは、それでも通常よりは客観性を持つものです。
だから心がブレているような時に、こうした、「展開してタロットを読む」というのは有効なのです。
それから、直接・間接という意味では、タロットに関係している「直接」という意味と、タロットそのものとは直接関係はないものの、全体として見ると、タロットを扱うことには意味があるということでの「間接」があります。
言い換えれば、後者は、「タロットをする(扱う)という行為自体に意味を持つ」という考えです。
私たちは何かと日常は忙しかったり、ただ習慣的に惰性で流されていたりするものです。
言ってみれば、あまり自分や物事を深くを意識することがないまま、オートマチックに一生過ごしてしまいがちなのです。悪く言えば、一種の睡眠奴隷状態とも言えます。
ここで、タロットをする時間というのを持ちますと、意識に変化が生じます。
というのは、タロットをリーディングしたり、扱ったりすることは、通常の意識が特別なものに変化しなければできないようになっているからです。
その特別な意識になることで初めて、自分自身とまともに向き合ったとか、重要なことなのにそのまま見過ごしていたとか、自分の中にほかの意識が存在していたとか、夢や目標、本当にしたいこととはこれだったのかとか、そのような気づきが現れ、日常の奴隷意識状態からの解放、意識の覚醒のようなものが始まるのです。
特にマルセイユタロットは絵柄の構図そのものに秘密があり、そうした意識の変化が生じやすいよう設計されています。
そのため、マルセイユタロットと出会う縁やタイミング、さらには出会っても、関係を続けていくかどうかの縁なども、特別なものがあると私は考えています。
とにかく、タロットは、その扱いの中でも、直接的なものだけではなく、間接的な方法にも注目してみるとよいでしょう。
直接的にタロットを扱っていた時よりも、それだけあなたの世界は豊潤なものとなっていきます。
今後の講義予定とタロットリーディングについて。
毎日暑い日が続きますね。
こう暑いと、何もする気が起きないかもしれませんが(^_^;)、季節が進み、涼しくなってきますと、また意欲も出てくるでしょう。
ということで、少し先の話になりますが、秋からのタロット講座の予定についておおまかにお知らせしておきたいと思います。
まず、春と秋に定期的に行っている「マルセイユタロット基礎講座ハイクラス」ですが、10月から12月にかけて、月2回合計6回で、新大阪にて開催したいと考えています。詳しい日程はまだですが、土曜か日曜をベースとして想定しています。(希望があれば平日も可能)
日程にかかわらず、先に受講を決めていただく場合は、その方を中心としてご都合のよいスケジュールで組むことも可能ですので、お早めにお問い合せいただければと思います。
それから、今回は京都の方からのノーマルクラスのご希望もあるので、京都にて「マルセイユタロット基礎講座ノーマルクラス」を募集、開催いたします。開催はすでに決定していますので、後日正式に発表いたします。(9月中旬から平日月2回午後の10回コース)
ノーマルクラスはハイクラスよりリーズナブルな価格で、日程的にも緩やかに学んでいく(一日当たり数時間単位)コースです。(その分コース終了までは長い時間がかかります)
一方、ハイクラスは短期集中で、マルセイユタロットとその関連知識も含めて濃密に学ぶコースです。
その他、スカイプでの講座も随時行っておりますので、詳しくはHPをご覧下さい。
いずれにしましても、私の場合は大人数で一斉に画一的に講義していくというより、本当にマルセイユタロットを学びたい、マルセイユタロットを使って自身の向上、改革、本質、真理を追究・発展していきたいというタイプの人に、少人数・マンツーマン的に教授していくような形式(※カルチャーセンターや基礎講座ノーマルクラスはこの限りではありません)ですから、自分の気質や望む学びのスタイルを見て、ご選択いただければと思います。
何度も言っておりますが、タロットで占いがしたい、占いのタロット技術を身につけたいという人は趣旨が異なりますので(特に基礎講座以上ものでは)、そういう希望の方は、ほかの先生や機関を当たっていただいたほうが効率的だと思います。世に、多くのタロット占い師、タロット占いの先生はいらっしゃいますから。
私の講座ではタロットの知識と、タロットリーディングの技術をお伝えしています。
ここで私のいうタロットリーディングとは何かというのを説明しておきます。
しかし、つらつらとタロットリーディングが何かと述べるより、逆に、比較するものを取り上げ、「これとは違う」と説明したほうがわかりやすいかもしれませんので、その方法でさせていただきます。
●「占い」との違い
占いは「吉凶」や、運勢、など、いい・悪いの二元を中心とした見方や、未来予測的なことをして「今の状況」を判断(と、その将来的対応を)することが多いです。
「このままだとどうなるか?」とか、「この人とつきあうのはどうか?」「相手の気持ちはどうか?」「将来はどんな運勢か?」「悪いことを避けるには?」「結婚できますか?」「恋人ができるか?」「独立できるか?」「うまく働けるか?」などなど、こういった質問に対応するものが占いのメインです。
しかし、タロットリーディングは一時的には現状況をタロットカードで見ますが、「どうなのか?」「どうなるか?」にそのまま答えるのではなく、「どうすればよいか?」を、相談者の方と一緒になって、カードの象徴性と、実際の相談者の情報とを合わせて、最善(神性的な意味での最善)のストーリーを選択してもらうというものになります。
また、「どうなすればよいか?」に答えるものとは限らず、問題の本質、問題の統合的(いい・悪いの一般的価値を超えた全人生的視点をもった)意味を、タロットカードとともに発見していくものでもあります。
●スピリチュアルリーディングとの違い
上記の占いとの違いを見れば、「それはスピリチュアルリーディングではないか」と思う人もいると思いますが、確かに広義の意味ではスピリチュアルリーディングと言えるかもしれません。しかし、厳密にはそうとも断定できません。
というのは、答えが現実的・物質的・地上的・二元的な選択になることもあるからです。
統合的・一元的なものを目指しながらも、私たちは実際にはこの物理的世界に生きています。それを無視して生活することは精神(心)の上ではできても、肉体・物理的にはできません。ですから、物質的・現実的回答やストーリーもメッセージとしてあったり、選択されたりすることがあるのです。その点では、結果だけ見れば、占い的な答えになる場合があります。
またスピリチュアルなリーディングでは前世であったり、カルマであったり、宇宙的な理由であったり、普通には考えも想像もつかない、いわば一般的には非現実的な世界観からの問題起因や解決を話されることがあります。
タロットリーディングでも、場合によってはそれを行うこともありますが、基本的には、その人の感じるリアリティ(その人の信じている現実感)に沿って解説されますので、何でも天使や神、前世や宇宙という言葉が出るわけではなく、ケースバイケースとなります。
●カウンセリング・セラピーとの違い
ここは誤解されがちなので強調しておきますが、私の伝えているタロットリーディングは、狭義の意味でのカウンセリングやセラピーではありません。
タロットリーディングはあくまでタロットリーディングです。その名の通り、タロットの象徴的情報を読み取り、相談者の問題や問い、状況についてシンクロを発見し、ご相談者の気づきを促し、最善と思えるストーリーを提供するものです。
手段としてカウンセリングになることもあります。しかし、カウンセリングをして精神的癒しや心理的治癒を施すことが目的ではありません。結果的には癒しにつながることも、もちろんあります。
またセラピー(心身の治療)ではないことは、上記のことでわかると思います。結果的にはセラピーになることもあるということです。タロットを読むのがタロットリーダーであり、セラピー・治療をするかどうかはまた別問題です。※そもそも「治療」とすると、医事法薬事法的な問題があります。
ですから、同じ問題で何度もカウンセリングに来るとか、1回で治療ができたとか、そういうものではないのです。
タロットリーディングはカウンセリングやセラピーとは異なりますが、主に心理的フィールドを扱い、イメージの世界で浄化・変容を促し、現実の行動レベル(実際生活)に変化を起こすという点では、共通している面も多々あるのは確かです。
●魔法や奇跡を起こすツールではない
タロットで、できないものを奇跡的にできるようにしたり、願望を実現させるために、魔法的テクニックをタロットで行ったりするというものでもないのです。
一般の人が思う「魔法」の意味とは別で、いわゆる「西洋儀式魔法」というものに、タロットはツールとして使われるものですが、こちらに対しても、私は取り扱っていません。そらちにはそちらで専門的な道と導師がいらっしゃいますので、ご縁があれば、入会して指導してもらうこともできるでしょう。
とはいえ、タロットは魔法や奇跡を起こすものではありませんが、霊的ともいえる目に見えない世界とのつながりとの関係はあるものだと私は考えています。
さて、以上、タロットリーディングと近接したものとを比較して、タロットリーディングとの違いを述べることによって、タロットリーディングについての理解のヒントになればと思い、書かせていただきました。
もしかすると、余計タロットリーディングが何なのか、わからなくなってしまった人もいるかもしれませんが(苦笑)、シンプルに言えば、タロットを使って啓発を自他ともに行っていくというものになるでしょう。
手品師からの伝言
マルセイユタロットでは、大アルカナと呼ばれる22枚のカードがあらゆるもののモデルや象徴を示すと考えられています。
大アルカナにふられている数も無造作に当てはめられているわけではなく、その数と絵柄との対応、順序にも、システマチックなところがあります。
さて、その大アルカナで最初のナンバー「1」を持つのは「手品師」というカードです。
ウェイト版や一般的な名称では「魔術師」と呼ばれることが多いですが、それは絵柄の違いがあるからであり、マルセイユタロットのそれは「手品師」と呼称するにふさわしいことがわかります。
「手品師」は、最初に登場することと、手品を披露するスタイルによって、なかなか面白い演出方法をとっています。
そして、言ってみれば、この「手品師」は、これから歩んでいく自分自身の人生について、どう考え、どう扱っていくかを語っている(問いかけている)ように感じるのです。
同時に、マルセイユタロットという不思議なもの(ツール)の扱いについても、示唆しているものと考えられます。
先日、この「手品師」の持つサイコロについて、ブログに書きました。
サイコロが六面体できちんとした(規則的な)立方体を表すと同時に、出目自体は、振られる毎に偶然のものが現れるという二面性があることを語ったわけです。
このように、「手品師」には、その遊び感覚・ゲーム感覚ともいえる楽しさと、反面、何かを学び、熟達していくような修業的な意味合いが含まれている気がします。
タロットも、実は一般的には私たち日本人がイメージする「トランプ」のような、ゲーム(道具)として広まっていった面があります。すなわち、遊びやゲームとしてのタロットの側面が大きいわけです。
一方、これはたぶん日本人に多いと思いますが、タロットは占いの道具だと考え、そのために使うという方法もあります。
そして、精神的、統合的、秘教的、密儀的、霊的な象徴ツールとしてタロットを考察・使用する向きもあります。
ところで、タロットで占いをしたり、リーディングをしたり、タロットを教えたりする人で、商売として行っていいのかと悩む人がいます。
これもシンプルに「手品師」的に考えれば、比較的簡単に割り切ることができます。
それはゲームやアート(芸)をやっている、教えているという見方を採用することです。
タロットによる芸の披露とその方法の伝授です。そして、お客様にはその芸を楽しんでもらう。
楽しみと言っても、この芸はお笑いの意味の楽しみではなく、喜怒哀楽、発展と解放など、人生絵巻の縮図のような体験を、絵で理解してもらう(味わってもらう)性質の「楽しみ」です
タロットによる(お客様の人生の)紙芝居と言ってもいいかもしれません。
ただし、商売とするには、芸を行ってお客様からお金をいただくわけですから、お金をお支払していただくレベルにある「芸」でなければなりません。
芸として人に見せ、お金をいただく状態ではない(と認めている)のなら、まだ商売としてできません。「手品師」のカードのひとつの意味である、芸の習熟、芸を磨くことに力を入れてください。
しかし、商売ではなく、純粋に自分も人も楽しんでもらう芸の見せ方もあります。
その場合は、芸のレベルより、芸を行うことそのものに意味があるでしょう。
さて、もうひとつ、人生と「手品師」についてです。
人生は、設定されたひとつの「あるゲーム」だととらえるか、何かを達成したり、得たりするための修業の場だとみるか、「手品師」からは両方汲み取ることが可能です。
その選択も人それぞれです。おそらくマルセイユタロットで象徴する場合、それについて選択がきちんと決まるのは、「恋人」カードに象徴されるものに出会う時でしょう。
ただ、修業とゲーム、両方選択する(両方の意味合いでとらえる)こともできます。
それから、「人生は何でもできる、どんなことでも可能だ」という人がいますが、「手品師」を見る限り、現実的なフィールドにおいては、様々な絶対的(制限的)な法則が働くことが想定されます。
いわば、物事には限界がある(現実世界において)こと、カードの絵柄では「手品師のテーブルの範囲」のようなものがあるのです。
また、限界がある中て、生きるための道具は、例えば肉体とともに与えられていることも、「手品師」のテーブルに置かれた手品道具類から想像されます。
私たちは、その絶対的ルール(設定された世界)の中で、道具をうまく使いこなし、できるだけ自由に生きることが重要でしょう。そういう意味ではまさにゲームだといえます。
「手品師」のように、私たちはサイコロを振りながら、4つの道具で象徴される特質・ツールを持って、ゲームや学び・修業を楽しんで行くわけです。
それらの4つは、またほかのカードで表されているように、様々に変化していきます。
だからこそ、「手品師」は言います。
人生を歩むことでは、「タロットカード」を使うといいよ、と。(笑)
