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常識と常識外 一般人の覚醒 その2
前回の続きとなります。
この前は、まじめで普通に生きる一般人の覚醒はどうすりゃいいんだ? てな話で終わったと思います。
一方、変わり者は簡単に常識外になれるので、覚醒しやすいように見えますが、実は大きな枠組みでは「覚醒したかのような役割」を演じさせられていることもあるんですよ、みたいなことも書きました。
さて、普通の人が常識外へ移行していく(この場合、それが気づきや覚醒と同意義になります)には、安全策を取ったほうがいいと私は思っています。
まあ、一気にブレイクというのもいいんですが、普通人だからこそ、その方法にはなじめなかったり、危険になったりするんですね。
意外にまじめな人ほど、突如暴走したがるものです。古いですが、アニメ「エヴァンゲリオン」の当初のシンジ君みたいものです。(笑)
「崖から飛び降りてみろ!」(実は命は落とすことはない飛び降りと仮定します)と言われたところで、臆病者(普通人)はなかなかできませんし、できたとしてもおっかなびっくりなので、本当は安全な姿勢があるのに、緊張したまま飛び降りるから、本当に事故ってしまうようなものと言えます。
ということで、ゆっくりと、しかし少しずつ確実に気づきを増やしていく方法を提案したいのです。
それは簡単に言えば、常識と非常識の境目・断層に片足だけ突っ込んでみる(笑)というやり方です。
この世の中で、いわゆる常識や当たり前、怪しまれない生き方や方法というのがあるとすれば、その逆も当然あるわけです。
例えば、『私は「占い」に頼ることをしている』なんて言えば、普通の人は「ちょっと怪しいんじゃないの」とか「依存させられているよ、この人」とか思うでしょう。(苦笑)
しかし、現実に占い師はたくさんいますし、占いのお店やインターネットの占いサイトは山のようにあります。
また企業の社長さんが、もっともらくし、マーケティング理論や調査からはじき出した策を選ぶようでいて、最終的に迷ったら占いに頼るみたいなことは、影で多いものです。
そう、「占い」というのは、この場合、常識と非常期の境目に位置するものだと考えられます。
実はこうしたものこそ、日常を超えた意識や見方の獲得(言ってみれば「覚醒」)に移行しやすい通路となっているのです。
しかし巧妙に仕組まれている部分もあるので、どっぷり「占い」に浸かったり(それこそ占い依存症)、逆に一度は占いをやってみたものの、「信用できない」と、また元の常識の世界に戻ってしまったりすると、覚醒を目的とした場合は、まったく意味がなくなってきます。
ここで重要なのは、日常の世界・常識の世界において、ちょっとだけ非常識であったり、変わったことになったりしている世界を体験してみる、覗いてみるという精神と行動です。
疑いと信頼の逆転です。いつも疑っていること、怪しいと思っていることを、ちょっとだけでも信頼してみる、反対に、いつもは信頼しているもの、当たり前だと思っているものを少し疑うわけです。
非常識と言っても、まったくの空想や実在していない世界に足を踏み入れてはいけません。常識であれ、非常識であれ、「実存すること」 これが大切なのです。
※「映像や二次元表現は、空想ではあっても、それ自体、現実世界に表現されて、誰でも「見る」ことができますので、実存している言えます。
「占い」によって、別の世界があることを体験する、理解する、そうして自分を占い(世界)モードでも遊べる「私」というものを自覚させて行きます。そういう自分を創造すると言ってもいいでしょう。
しかし、完全に占いにはまるのではなく、普通の日常の世界とその常識の中で生きる自分も重要視します。
こうして、普通の世界と占いの世界を行ったり来たりして楽しむと、タロットで言う「愚者」の架け橋ができあがってきます。
すると、常識と思っていた世界に揺らぎが生じ、本当に不思議な気分になってくるでしょう。
ただこの状態は危険な時でもあるので、それぞれの仲間(日常の友人、占いの話が通じる世界の友人)うちで自分を保つ(孤独ではないことを実感する、どちらにも居場所があることを確認しておく)ことです。
「占い」を例にしましたが、もちろん、ほかのことでもいいのです。
ポイントは、さきほども言いましたように、常識と非常識の狭間にあるものの経験であり、特に非常識なものは、非常識であっても実存する(実際に存在している、表現されている)ものでないとならないということです。
こうして、私たちはゆっくりと、安全に、別意識や別世界を体験していくことができ、隠されたものにくさびを打ち込むことができてきます。
まあ、それでも、本当の覚醒ではないですし、その小さな気づきと覚醒の積み重ねが大切になってくると言えます。
常識と常識外 一般人の覚醒
マルセイユタロットでいえば、気づくこと、いえ気がつかなければならないことは、カードの数だけあると言えます。
なぜならば、タロットが世界や宇宙の象徴だと考えられるからです。
カードは重要なパートで22枚、全体では78枚もありますから、少なく見積もっても22、全部では78もの気づきが必要なことになります。
しかもタロットは象徴なので、厳密にはこの数で収まるものではありません。
従って、ひとつやふたつ気付いたからと言って、やはり次の気づきのための葛藤や悩み、疑問、カウンター、アンチが起こってくるのが普通だと思えます。
「ああ、これですべてわかった、気付いた」「もう絶対ずっと幸せ~」なんてことは一時的にはあるかもしれませんが、おそらく幻想だと私は考えています。
ただし、マルセイユタロットをはじめ、古代の象徴体系を見ていくと、ある種の真っ当な気づき(覚醒といってもよい)のプロセス・過程があり、それから逸れていなければ、ある段階に達した到達感・境地というのはあるとも思っています。(先があることがたとえわかっていたとしても)
気づきや覚醒のための重要なカードは、マルセイユタロットにおいては、まずは「愚者」だと言えます。
ともかくも「愚者」になることが鍵を握ります。
簡単にいえば「常識からはずれていくこと」を意味しますが、とはいえ、まったく非常識になれとか、バカな行動を取らなくてはならないとか、そいうことでもありません。
言葉で表せば簡単ですが、あなたの過去から現在における(時には未来も)「常識を疑え」ということになろうかと思います。
何度も言いますが、「常識を疑う」ということは、窓ガラス壊したり、信号無視したりしてバイクで暴走して、「オレかっこいい」という日常の規則やルールを破った自分に悦に入る、自分は人とは違うんだと傲慢になるという意味ではありません。
それでもよいケースもあるにはありますが、これは逆効果なのです。
人とは違って目立ったことをすれば常識外の人間になって、常識を疑った私はかっこいい、成功したというような気持ちになりますが、それこそが罠というか大きな仕組みの中のことでもあります。
非常識な存在があって常識より面白くなり、さらに、その非常識な者が、より大きな常識の世界の貢献者となるからです。
何を言っているのかわからないかもしれませんが、みんなが同じで同じ方法でないとうまく行かないとなっていたら、まさに完璧に動きのない世界になってしまいます。
しかし一見、合意のルールや規則・社会からはずれた考えや行動でも、存在として際立つという抜け道のようなものを残しておくと、それはそれで高度な意味で完璧で完全な世界と言えます。
いわば、孫悟空がこの世の果てまで行って「やったぞ!」と得意気に話しても、実はお釈迦様の手の平で踊っていたに過ぎないというニュアンスに近いことです。お釈迦様からしたら、孫悟空も常識の存在です。
孫悟空のような、一般レベルの常識では許されないような存在でも、大きな意味での「常識」の世界からすれば許容される存在なのです。
もっといえば、常識があれば必ず非常識があり、非常識は一度多くの人に認識されると、その瞬間常識になり、同時にその世界(常識の世界)は拡大するというものです。
つまり、はぐれ者、異端者も常識を拡大させるために意図した役割を演じさせられていることになります。だから、変わったことをして成功したり、目立ったりしたところで、それは常識外という常識でもあるのです。
まあ、それがやりたい人はやればいいでしょうし、自分が気がついていなくても、そういう役割になる人は必ずどんな世界でも、いつの時代でもいるものです。適性とか、役割として選ばれた人(自分で選ぶことも可能ですが)と言えましょう。
ただし、全員がそうはならないのが世の常です。
では不良や異端者、革命者などになれない、一般人、本当の常識人、冒険をする勇気や意気地のない人たち(私もそうですよ(^_^;))はどうればよいのでしょうか?
それについては、また次の記事で書きたいと思います。
人生の目的を探すこと
自分はいったい、人生で何をしたいのか? 生きている目的は何なのか? 使命や天命、やるべきことなどがあるのか?
人は誰でもこういった悩みを抱える時があります。
この問いたちは、要するに、個人的なことのように見えて、全体との関わりがテーマとなっています。
言わば、自分は社会や世の中、宇宙にとって、どんな役立つ(または役割のある)人間なのか?というようなことが知りたい、いえ、実感として味わいたいということでしょう。
そうして、人は自分なりにその答えを求め、思考し、行動します。
これに関連する考え方として、大きくわけるとふたつのものが出ます。
ひとつは、まさに天命として、自分がやるべきことが天(宇宙・神)から与えられるているものだと考えるケース。
もうひとつは、自分で意味を決めて、自らでスートリーを作り、演じるというケースです。
前者は道筋のようなものがどこかにヒントとしてあると考えることもありますし、天からメッセージとして伝えられているはずだと想像して探すことをするかもしれません。
人によっては、占い師に運命を見てもらったり、誰かに相談したりして、自分の歩むべき道の発見に努めるでしょう。
後者は、言ってみれば、真っ白なキャンバスに自分で絵の具で絵を描くようなものですから、誰かに言われたり、指図されたりするのではなく、自分が決めたらいいんだと、自由意志を尊重することになるはずです。
私自身は、どちらでもいいと思っています。そもそも自分の人生に意味を見い出せなくても、充実した生き方ができる場合もあるからです。
ただ、ふたつの考えを融合してみるのも面白いかなと、マルセイユタロットを見ていて思います。
まず、自分が人生において、「充実している」「生きている」と実感している時は、あまり自分のなすべきことを探求しようとはしないでしょう。
それはそのまま、「今そのもの」が使命や天命というものに添っていて、ちゃんと道を進んでいると解釈することもできるからです。
しかし、何かどこか空しいものを感じていたり、違和感を覚えていたりするという場合は、自分の魂の求めるものとは違うことをしているのではないかと疑うこともできます。
しかし、本質は合っていて、表現方法が異なっているという場合や、規模や場所、対象が違っているだけという場合も考えられます。
ですから、具体的なことよりも、抽象的なもので、自分のなすべきこと、生きる意味を考えたほうが本質に近くなると言えます。
さて、話を戻しますが、もともと自分のやるべきことが決まっていると考えるケース(運命・使命論)と、反対に何も決まっておらず、自分が見つける意志を示すことで初めて自分が生きる意味が出てくる場合(自由意志、創造説)と、両方を一緒にすることができるのではないかと前述しました。
私の思うところ、このふたつは表裏一体、モノの見方の違いで、実は同じことであると見ています。
宇宙や世界にとって、一人の個人は小さな構成員のひとつに過ぎず、大きな観点で言えば取るに足らない存在です。
ところが、そんなちっぽけな「ひとり」でも、「実存している」という事実があり、もし世界や宇宙が完全だ(完全でなくても意志を持つ)とすれば、たった一人の個人でも、その存在自体は全体として意味があると考えられます。(パーツとして、欠かすことができない)
ですから、一人の思いや行動、貢献・表現も無視できないものとなります。
言わば、一人一人の個性表現が全体となって、それ自体が宇宙だということです。
その反対にまた、宇宙は私たちに自由に思い・行動する許可を与えており、個人の目標や目的・使命感も、一人一人自由に創造できると考えられます。
つまり、例えで出した「(個人の)真っ白なキャンバス」に色や絵を自由に塗ったり、描いたりすることが個人的にOKなのです。
ところが、自由に個人的に描いた絵だと思っていたのが、有機的に全体的なネットワークシステムのようなものに繋がっており、宇宙の全体意志とリンクしていることにもなると想像できます。
言い換えれば、個人で勝手に描いた絵が、実は宇宙を楽しませていることにもなっているという構造です。
従って、どんな風に自分の人生を思おうが自由であり、それがまた、宇宙(全体)には何らかの役割や役立ちとして機能している可能性が高いのだと言えます。
とはいえ、人間同士のコミュニケーションでもそうであるように、自分一人で勝手に思っているよりも、直接的ではなくても、どのような形であれ、相互にコミュニケートできていたほうが、どちらにとっても面白く、わかりやすいことになると思います。
スピリチュアル的に言えば、自分の目的や目標、やりたいことに対して、宇宙からサポートを受けやすいということになるでしょう。
ということなので、宇宙が「こうしてくれればよいかな?」という思いをふまえたうえで(感じ取りながら)、自分の個人的・個性的表現として生き甲斐や使命を演じていく(達成していく)というのが、どちらにとっても楽しいことになるのではないかとイメージできます。
それが、運命や天命を探求したり、人や自然と交流したり、暗号のようにちりばめられている宇宙からのメッセージや意志を読み解いたりすることの意味につながってくるわけです。
「これが私の生きる道」と独り相撲のように、自身のキャンバスに描くのもよいですが(また描かなくてもよいでしょう)、「この絵はこんな方向でいいのかな?」「もしかしたら、ここはこんな色がいいのかもしれないよね?」と、様々なものと交信し、情報を入れながら完成形の絵を想像して描いていくのも、より楽しいと思います。
ちなみにコミュニケートする「暗号」は、シンクロという形や言葉遊び(同音異義語など)、夢解釈、象徴ツールを使うなどのことで、意外に明確に伝わる場合があります。
実は真っ白なキャンバスのようでいて、大体はすでに下絵が描かれていることが多いものです。
その下絵から大きくズレている人生を歩んでいる時、人は心に葛藤や閉塞感・違和感を覚えるものだと思います。
また一方で、下絵のように思っていても、一枚はがすと全く別の下絵やキャンバスが出てきて、それに描くこともできるのが人のすごいところであり、その自由性も有しているのだと、マルセイユタロットを見ていると思うのです。
マルセイユタロット体験会 大阪
7月に行ったマルセイユタロットのお話会&体験会の要望をちらほら聞いておりますので、また今月に新大阪で開催することにいたしました。
この会は、ブログで紹介しているマルセイユタロットについて、その概要をお話し、占いではないタロットとして、何が描かれ、どう活用するのかという内容をお伝えするのと、実際にマルセイユタロットにふれて、公開のショートリーディングも体験していただくという企画です。
話す内容も、これは必ずお伝えしなくてはという定番のものはありますが、毎回同じではなく、場のエネルギー、参加者の意識などによって変わり、マルセイユタロットからインスピレーションを得るなどで、私自身もわかないところがあるのが面白い点です。
また、来月から今回の会場で、カルチャーセンターで提供している料金とレベルで行うマルセイユタロット講座入門クラスも開講予定ですので、そちらに興味のある方もお越しくださいませ。
なお、入門ではなく、本格的にマルセイユタロットを学びたいという方は、今月20日から始まる神戸でのマルセイユタロット基礎講座
か、新大阪でも企画予定の同講座にご参加ください。
基礎講座はマルセイユタロットの象徴知識の伝達とその活用方法を学ぶと同時に、個人の課題についてもリーディングしていくことになりますので、言わば自己改革の講座ともなっています。マルセイユタロットを使って、プロのタロットリーダーになりたい人にも必須の講座です。
自分の学びたいレベルや目標によって講座も変わりますので、適切なものをご選択いただければと思います。自分がどれを学べばよいのかがわからない時は、お気軽にお問い合せ
いただければと存じます。
◆マルセイユタロット体験会
●日時
9/27(土) 13:00から最大15:30まで
(リーディングがありますので、参加人数によって終了時間は早く終わる場合もあります)
●場所
新大阪のマンションルーム 詳細はお申込者にお伝えいたします。
JR・大阪市営地下鉄新大阪駅から徒歩圏内
●内容
マルセイユタロットの概要説明と、参加者お一人ずつ、公開でタロットリーディングいたします。参加される方は、会で公開してもよい問いをご用意ください。
●料金
2,000円
●定員
4名まで
なお、同会場で平日(火曜日を考えております)午後から2時間くらいの6回コースで、リーズナブルな料金設定の「マルセイユタロットの入門コース」も検討しております。このコースに興味のある方もお越しいただければ、場所や内容について知ることができます。
皆様のご参加、お待ちしております。
梯子をイメージする。
マルセイユタロットには、梯子がいくつか描かれています。
それには重大な秘密(アルカナ)を含むため、ここでは詳しくふれられませんが、伝えられているアルカナとは別に、私自身、その梯子を見ていて観じた(感じた)ことを話したいと思います。
ちょっと皆さん、ここで梯子をイメージしてみてください。
さて、どんな形の梯子をイメージしましたか?
イメージ(像)を描く時、その元型は、たいてい経験によるものが多くなります。つまり自分が実際に見たり、聞いたりしたシーンをもとにしているということです。(もちろんそうでないものもあります)
ですから、梯子と言っても、それを知らない(見たことがない)人は当然イメージできませんし、知っている人は、以前自分が作業で使ったとか、何かの映像で見たとか、近所のおじさんが使用していたのを見たとか、そういうものの記憶から出すことになるでしょう。
とはいえ、梯子でもまったく同じもの、同じシーンを見続けたわけではないはずです。少なくとも、別の何個かは見ているでしょう。
それなのに、今あなたがイメージした梯子はなぜその形だったのか、それを考えると面白いです。きっと理由があるのです。
それから、その梯子の間隔(横木の縦間隔)はどんな感じだったでしょうか?
緻密で隙間があまりない状態ですか? それとも結構広いものでしょうか? また中には整然と横木が並んでいるのではなく、斜めになっていたり、ランダムに並んでいたりするものを想像した人もあるかもしれません。
実はイメージした梯子の形式や構造は、自分を変えたり、新しいものに出会って行動したりする自己のパターンや思いを象徴していることがあるのです。
緻密な横木をイメージした人は、まさに着実に歩みたい、きちんと理解してから進みたいという傾向が強く、梯子を登らせてくれる師の登場を待っている場合がありますし、そういう人に出会うと、進歩は早いです。
横木の間隔は広いものをイメージした人は、大きく分けて二通りのタイプが考えられます。
ひとつは、割と冒険やチャレンジを好む人。少々の無理があっても飛び越えたい心理があり、さらにはその過程を思うこと自体、ワクワクするというものです。
あとひとつは、逆に、今進みたいけれど進めない何らかの抵抗や距離感を感じている人が、横木のスペースを広くイメージする場合があります。梯子に手や足がかかりそうでかけられない状態を象徴しているのですね。
あと、全体的には窮屈さや、押しつけを嫌う傾向があるかもしれません。
最後に、まさにランダムとも言える梯子をイメージした人です。
しかも横木だけではなく、梯子全体も曲がっていたり、複数からんでいたりのものをイメージした人は、タロットで言えば「愚者」タイプの人だと言え、まさに枠に囚われない人と言えましょう。
お決まりの道や方法では満足せず、いつも変化や自由を求め、楽しむタイプです。
横木の間隔が広いものをイメージした人よりもさらに押しつけを好まず、このタイプは自分から常識や既成概念を壊すことに躊躇しないというところが、第二番目のタイプとは異なります。
ただし、いくつもの重なったり交錯したりする梯子をイメージした人は、反対に神経質であったり、袋小路に陥っていたりすることもありますし、やや統合失調気味の傾向にあるとも考えられます。
さて、ここからさらにイメージを膨らませます。
あなたが想像した梯子を使って、どんどん自分を登らせます。あるいは横の梯子をイメージした人は、それに乗って歩いて行きます。
頑張って梯子の最後(上か端)まで行ってください。何が見えてくるでしょうか?
誰か人がいますか? それは普通の人間ですか? それとも神様や天使のような存在ですか? あるいは亡くなった親しい人かもしれませんね。
また何もない空間とか、宇宙そのものとか、スペースをイメージした人もいるかもしれません。
それはあなたが今、求めているもの、助けてほしいと思っている人、合いたい人など様々ですが、やはり自分にとっては必要なエネルギー(現況を超えるもの、補完するもの、救済するもの)なのです。
登り切るだけではなく、誰かや何かに会えた後、また地上に降りて来てもいいのです。
その時はきっと梯子の横木の間隔や形式も変わっていることでしょう。
