ブログ
「好き」を増やす
マルセイユタロットには「吊るし」という逆さ吊りのカードがあります。
これにはいろいろな象徴と意味があって、なかなかに面白いのですが、そのひとつに、「反転して(逆に)見る真実」というものがあります。
簡単に言えば、本当のことを知りたければ反対のことを考えろ(思え)というようなことです。
例えば、自分の好きなのもは何だろうと考えるより、嫌いなものを思い浮かべて、それ(嫌い)ではないものとか、その反対のものを考えれば、意外と出て来やすいという感じです。
ここまで書くと、「吊るし」をもとにしての「逆転の発想」ネタかと思うでしょうが、今日の話題は実はそのことでありません。
さきほど述べた、好き・嫌いの話なのです。
私たちは、人生で嫌だとか嫌いだと思う時間、人、事件というものは案外と多いのではないでしょうか。
たぶん一番多いのは、好きでも嫌いでもない瞬間なのでしょうけれど。
ま、いずれにしても、「好き」と思う時は、意外と少ないものです。ましてや、言葉に出して言うことなど、夢中になる恋愛でもしていないと、なかなかないでしょうね。
ただ言葉だけではなく、好みとか、自分が好いている時間・状態・フィーリングというものを感覚として自覚することは先述したように少なく、そのために人生タイムを必要以上に空しくしたり、意味のないものにしてしまったりしているおそれはあるかもしれないのです。
ほっとしたひととき、お茶を飲む時間、仕事でうまく進んでいる時、友人と話をしている時、おいしいものを食べている瞬間、旅の過程、家族との団らん、芸術や美術・映画の鑑賞時間、パートナーとのふれあい・・・本当に一瞬を切り取れば、人によってたくさんの種類の好きな時間・瞬間があるものです。
そうした「時」に、「ああ、これが好きだな」「こんな時間・空間が好き」「こういう会話が好き」というようなことを少し自覚するとよいのです。
好きな感覚は、人とは違っていて当たり前です。いわば全部自分と同じ感覚で好きという人は、一人として存在しないでしょう。それが個性なのです。
ですから、自分の「好き」は自分だけの「好き」でいいのです。
そうして、「好き」の瞬間を自覚していくと、「私はこれを楽しんでいる」「この人生や世の中で好きな“時間・空間”がある」という思いが、不思議な感覚を呼び起こしてきます。
ひとつは、好きのフィーリングが次第に明確にわかるようになり、今度はその感覚を別の場所や時間に増やすことができることです。
言い換えれば、本当に好きなこと(状態)がわかってくるので、好きへの選択眼・選択する力が増して、自分の好きな時間を自ら多く選択できるようになるわけです。
好きな「時」そのものが増えるわけですから、それだけ好きな人生になっていくという仕組みになるのですね。
もうひとつは、「瞬間」を自覚するようになるので、まるで映画や写真の一カットを切り取ったような感覚が現れ、日常とは超越した意識が醸成されやすいことです。
達観した見方と言いますか、「好きな時間を楽しんでいる私」みたいな、「観察しているもう一人の私」のような感覚が生まれてくるわけです。
こうすると、「人間や世界って面白いな」と思うようになり、その人間というものが自分のことも指すので、自らを客観視して、落ち込みの場合は浮上させ、異常なハイ状態の時はグランディング(地に足をつける)させることになります。
言葉には出さなくても、「あの人、好きだなあ」とか、「これは好き」「この場所は好き」とか思ってみるだけでも、「好き」波動というものが自分を波に乗せていくようになります。
好きは愛するとは異なりますが、一部愛することに似ている部分もあります。
人は人生で愛の授業を受けており、いわばその修行をしているとも言えます。
ならば、好きということが心の中でもたくさん言えることは、やがては多くの「愛する」ということにつながってくる可能性もあるのです。人生、どれだけ「好き」と言えるかで決まるみたいなものかもしれません。
まあ、アニメなどでよく出るツンデレキャラではありませんが(笑)、言葉や態度は嫌だとか嫌いだと言っていても、心の中はは好きだということもあり得ますから、言葉より、その奥底にある「好き」波動・エネルギーをとらえることが重要だと言えます。
あなたの「好き」を増やしましょう。
占いではないタロット再び。
先にお知らせをいくつか。
昨日30日に、メルマガ(受講者・修了者用)を配信しましたので、登録されている方はご覧ください。
何通かメールが戻ってきておりますので、届いていない方はアドレスを確認されるか、当方までご連絡ください。
それから、7月に行いましたマルセイユタロット体験会を大阪か京都あたりで、9月後半に開催したいと思っております。
体験会は、まずマルセイユタロットがどんなものであり、何を伝えているのかといったお話をしたあと、参加者の方々に公開でお一人ずつタロットリーディングを行うというものです。
文字通り、マルセイユタロットを体験したい方にお勧めです。9/18(木)にはよみうり神戸文化センター
でも体験会があります、
ほかにも、まだ時期は未定ですが、神奈川県藤沢市(駅近く)でも体験会のようなものを開催したいと思っておりますが、もしこちらのほうに参加ご希望の関東方面の方がいらっしゃれば、お問い合せください。
では記事に移ります。
最近、またリーディングのお問い合せを受けることが増えてきましたが、何人の方は、やはりタロットということで、私が「タロットを使った占いをしてくれるもの」と思い込んでおられるようです。
このブログでも書いていますように、私が行ったり、伝えたりしているタロットは占いが目的ではありません。
もちろんタロットで占いをすることも可能です。ですから、巷でも多くの占い師がタロットを使って「占い」をしています。
日本でタロットを実際に持っている人、学習している人のほとんどは、占いを目的としているか、それに関係していると言っても過言ではないでしょう。
しかし私は違うわけです。これは占いがいいとか悪いとかの問題ではなく、ただそういうタロットの活用や意味・教義の世界を選択している、スタンスの違いだということです。
従って、「占いの世界が大好き」「占いを活用して人生を楽しみたい、幸せにしたい」という価値観の人とはあまり合わないことになります。
とはいえ、道具・ツール(タロット)として、占いフィールドと共通しますから、無関係ではいられず、その境界線にある人たちとクロスし、占い(に興味を持つ)世界の人と関わることになります。
また最初は占いからということで、タロット学習の出発点になる人も少なくありません。
それも自然なことであり、先にもいいましたように、いい・悪いのものではないのです。ただ、私の場合、そこ(占い)から移行する世界(観)が違うと言っているのですね。
では、私がタロットを使って何をしているのかと言えば、一言でいえば、自己の発展や統合的成長のためです。
けれども、一般的な成功や幸せの意味での自己成長・発展という意味とは限りません。
それでも、これだけは確かに言えるのは、目的や結果として、認識の拡大、多様性の獲得があります。それにより、結局、世間でいう一般的な幸せ概念に導かれることもあります。
なぜなら、自らの不幸は、認識の偏り・矮小・限定によるところが大きいからです。
もう少しアプローチを変えて話します。
占いでタロットを使うということは、結果的に人の悩みや問題を楽にしたり、解消したりすることにはなるかもしれませんが、プロセスが私の言うタロットリーディングとは異なります。
占いの場合、当たる当たらないとか、何かの選択における吉凶判断(損得になっていることが多い)、託宣的な指針(占い師が示すよい方法や適切なTPOの選択)というパターンが主体となります。
まあ、言ってみれば、カードの意味がこうだからこういうことは悪い・こういうことは良い、相手はこんな気持ちでしょうとか、そういうものを相談者(クライアント)に告げるというような感じです。
さて、占いでの問題の焦点はどこにあるのかといえば、「未来」にあります。正直、「過去」とか「今(現在)」はどうでもいいのです。
こう言いますと、「過去」はともかく、「今」はどうでもよくないのじゃないですか? 「今」に問題があるから占いに来ているのでしょう?と思う人もいるでしょう。
しかし、占いにおいて相談者が聞きたいことは、これから(未来)のことです。今が問題(悩みや迷い)なので、これからどうすればよいか、よい方向を示してほしいということになるからです。
私の言うタロットリーディングにおいても、今の問題に注視し、これからのことはタロットとともに傾向として見ていきます。それだけ取り上げれば、占いと形では同じかもしれません。
しかし、決定的に違うのは、「過去」も重視することです。同時に、過去・現在・未来を明確なタイムラインで区別せず、同時の象徴としてもカードを見ます。
「占い」での過去の扱いは、たいてい、当たっているかどうかの判定装置、その占いが信用に値するかどうかの確認のために実質行われています。
つまり、例えばタロットの場合、過去に出たカードが、その相談者の過去にピッタリ当てはまっていて驚いたという感じになり、では未来に出たカードもその通りになるはずと感じられ、占いの未来予測を信頼するようになるわけです。
リーディングの場合もカードと実際の過去を照らし合わせますが、当たっているかはずれているかを問題とするのではありません。
象徴としてとらえ、現在における問題や悩み事の現象が過去カードにも関係されており、今の問題が過去に象徴されていることを確認することで、その再発生を今に見たり、問題解消のために別の現象として象徴的に今後に現れてきている可能性などを分析したりするためにあります。(それだけではありませんが)
結局、いい・悪い、運の良し悪しを占い師がカードから判定するのではなく、カードの象徴性、実際のクライアントの置かれている状況や思考・感情、選択行動パターンなどの情報、これらを重ね合わせて統合させながら、クライアント自らが、本当はどうすればよいのか、どんな気持ちが奥底にあるのか、自己の成長のためには何を見て、どう行動すればよいのかといったことを一緒に導き出すのが、私の考えるタロットリーディングなのです。
ですから、「この仕事は向いているかどうか」とか、「この人は結婚するほうがよいのか」とか、「私にいい人が現れるのはいつで、どんなところに行けばいいのか」みたいな、占いに多い質問にそのまま答えることはないのです。
もしそれを安易に行うと、外側からの回答を押しつけることになり、自己の選択と責任からはずれ、自身の持つパワーを外に明け渡してしまう行為につながりやすくなります。
占い形式の質問の多くは表面的なものであり、本当の自分と向き合うためには、質問自体はあまり意味をなさず、例えば仕事の問題でも恋愛とからんでいたり、その逆であったりと、問題の本質自体は象徴的にはひとつとして考えられ、それをタロットで展開して読み解くことに意義があるのです。
いわば占いは現実的・具体的ことが求められ、それに答えるという点では高度な技術も要求される(従って占いの技術自体はすばらしい)のですが、私の言うタロットリーディングはどちらかといえば、心理的なものです。
ですが、具体性に欠くのではなく、その具体性の出し方が、本人(クライアント由来)なのか、占い師やタロットリーダーからの比重が大きいかの違いにあると言えましょう。
簡単に言えば、実は具体的なことは本人が知っているのです。ただその導きまでが、今の状態では自分だけでは難しく、タロットとタロットリーダーのサポートが必要となるのです。
ただ、心理的と言いましたが、タロットはカードに描かれた象徴的な絵札ということだけではなく、タロットの精霊とコンタクトして得られるような世界での情報もありますので、見た目、霊感タロットのようなお告げ的な示唆をすることもありえます。
そのあたりは誤解されるかもしれませんし、占いと同じ形式といえばそうかもしれません。コンタクトする階層は人によって違いますので、怪しいと思う人は怪しいと感じることもあるでしょう。
そのため、タロットは一見簡単なようで、難しい複雑な世界観を持つのです。しかし、それはタロットというより、タロットをどう扱い、どのように使うのかの意識の差によるとも言えます。
私の考えでは、マルセイユタロットはもうそれだけで完全性を象徴するものであり、ですから人間世界(だけではありませんが)のどんなものでも表現し、比喩し、象徴させることができます。
ということは、占いでも、リーディングでも何でも許容し、その世界に応じた表現を見せるといことでもあるのです。
タロットを伝える人がどういう価値観と世界観をもって話をしているかによって、そのタロットの活用の仕方も変わってきます。
最初は占いに興味はあっても、占いとは違う世界(観)でマルセイユタロットを語る人の講義を受けるうちに、占いとは別の新世界へ移行することもあります。
マルセイユタロットはそもそも「占いより」ではないと考えられますので、学べば自ずと、違う活用に目覚めていくことになるでしょう。
人間関係とマルセイユタロット
まず、お知らせですが、マルセイユタロット基礎講座の神戸教室
の早期お申込み割引は、今月末までです。
それから新大阪教室は土日ベースの月ワンセットを3回で、合計6日間で10月からの開催を検討いたしております。ただ、神戸はすでに開講決定しておりますので、そちらのほうが確実です。
タロット講座はタロットの秘められた象徴の知識が得られるだけではなく、リーディング演習を繰り返すこで(講師からの解説がもちろんあります)、自分の課題とも向き合うことになり、自身の抱えている問題の解決、自己発展、人に癒しやサポートをしていく仕事へ踏み出すきっかけなどにも役立てることができます。
さて、本日の記事です。
マルセイユタロットは一言で言えば、宇宙やこの世界、人間のモデル・縮図・構図として描かれているものだと私は考えています。
ゆえにマルセイユタロットをそのものが世界であるわけです。この仕組みが頭と心でわからないと(つまり理論と実感)、なかなかマルセイユタロットへの信頼がおきません。
例えば意味を理解しても、自分にとって衝撃的ともいえるタロットの展開と実際の体験が結びつくようなことがないと、今ひとつ「生き物」的な感じがしません。(タロットは物理的にはカードですが、象徴的に生き物でもあります)
逆に、「うわー、タロットって本当に自分のことが出るんだ!」とか、「いやー、タロットはすごいよね、このカードでこのことが描かれているんだから」と驚くようなことがあっても、その体験が自分だけに留まらず、いわば全体や宇宙を貫いているかのような法則性・普遍性まで気がつかないと、本当の意味でのタロットを識ることにはならないでしょう。
そのようなタロット的考察でもって人間を見ていきますと、面白いことに気がついてきます。
タロットが人の共通の元型を象徴しているとするのなら、人はタロットカードに表される22枚と56枚のパターンを持ちます。(タロットをする人で22枚の大アルカナだけでよいという人もいますが、私は78枚すべてで考察しない成立しえないものと考えています、ただしタロットリーディングにおいて、必ずしも全部使用しなくてはならないという意味ではありません)
すると、結局、人は違っても全員同じ部分を持つという、よく言われる当たり前のことが理解できます。
同時に、ここがとても大切なことですが、全員同じではあっても、まったく同じ表現の人はいないということです。
カードで言えば強弱解釈であったり、位置の正逆であったり、展開した場合は出るカードの違いであったりすることで表されるでしょう。
そして人というものは、トータルでは同じものを誰しも持ちながら、自己表現ではそれぞれが全然異なるので、意見の食い違いや価値観の相違、好き嫌い、争いなどが生じると考えられます。同時にそれがまた魅力や関心、引き合うこと、多様さにつながっています。
ここで、だから自分と人との同じ部分を見ていき争いをなくしましょう・・・という主張をするつもりはありません。(それも悪いことではありませんが)
人とのことより、まずは自分の構造を知る方が重要です。
そして対人関係においては、その人をトータルで見ようとする時と、一部(表現)で見ようとする場合とを区別したほうが現実的です。
大アルカナと小アルカナでいえば、大は同じで小の使いこなし方が異なると言ってもいいかもしれません。
対人関係の問題のひとつは、他人をトータルに見ようとし過ぎることと、逆に表現や価値観が同じ、あるいは違うとして、一部を強調し、その人を曲解して見ていることにあると言えます。
トータルで見ようとし過ぎるというのは、誰しも全部を他人には見せていないのに(本人ですら、全部ということがわからないのに)、全部だと誤解していることです。
タロットでいえば、78枚のカード全部を使ってあなたといつも対してはいませんよ、となります。Aさんには14枚、Bさんには8枚ということもあるわけです。また同じ枚数であって、カード種が異なります。
ですから、あなたの見ている誰それさんは、ほかの人の前で表現が変わり、極端にいえば別人のようにふるまっていることもあるわけです。
家族でも父親や母親としての部分、自分が子供の立場としての部分、兄弟関係での自分、職場では上司の部分、部下の部分、同僚としての部分、はたまた友人や趣味仲間と過ごしている時の自分・・・パーソナリティとしては各種自然に演じ分けているのです。
従って、人には表や裏を含めて様々にあると思えば、人格や行動すべてが自分のイメージ通りの人であるということはまずありえず、自分の見たい投影像が表されているのだと思うことで、あなたの知らない、あるいはイメージや理想とかけ離れたふるまいをその人に見たとしても、動揺が少なくなるわけです。
そして、自分が信頼したり、尊敬したりする人は、自分が持っている部分でもあり、表現したいものだということに気がつきます。(逆もまた然りで、嫌っている人にはその逆となります)
あと、一部だけを強調して見ようとすることも然りで、人はトータルにはタロットカード的に言えば78枚あるところ、私はあの人に「戦車」しか見ないとか、「星」があるから大好き、「悪魔」の部分があるから嫌だというような見方をすることであり、まさにその人の一部が好き・もしくは嫌いなだけで、それが極端になりすぎると、人というよりモノのようにその人を見ていることになります。
言い方を変えれば、その人自身ではなく、その人の持つ機能や所有物に興味や関心があるということになりますね。
ということは、それがなくなると、その人の魅力も失い、こんなはずではなかったと思うことにります。(反対に一部だけがものすごく強調されて、他の場面でのその人を想像することができず、鼻から嫌悪している場合もあります)
タロットは象徴なので多層な読み方ができますが、人間関係に特化して読み解くと、カードの枚数と象徴によって、非常に興味深いことがわかり、さらには改善方法(改善とは必ずしも、相手と仲良くなることだけを意味するのではありません)を見ることもできます。
それはタロットが全部をもって「人」を表しているからなのです。いや、おかしな言い方に聞こえるかもしれませんが、「人」が「タロット」をも表しているのです。
自然の驚異と祈り
今月、各地で起こった災害について心痛めるところです。
特に、広島の土砂災害は、あの地域がかつて私が住んだこともある場所なので、余計です。
私は中学・高校の年代に、広島市安佐南区八木に住んでいたのです。災害に遭ったところは、まさに通学路だったり、自転車で走っていたりしていたところでした。※幸い高校時代の友人は無事でした。
災害で命を落とされた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、一日も早い復旧・復興、被害に遭われた方の生活の安定を望みます。
世間では、あのような場所に家を建てること自体間違っているとか、住むのが信じられないと言う人がいますが、普段は確かに山あいでこそあれ、あのような同時多発的な土砂災害が起こるとは、普通の人には想像がつきにくかったと思います。私が住んでいた時も、そん心配をしたことがありませんでした。
また、昔と違い、今は一時間に何百ミリもの大量の雨が降るような事態が増え、以前とは比べものにならないくらいの自然の猛威と言えます。
しかし、こうして実際に災害が起こってしまうと、やはり問題が浮き彫りにされます。行政の問題、土地や家の販売業者の問題、住民の意識の問題・・・様々とあるでしょう。何とかもっと被害を減らすこと、命を救うことはできなかったものかと思わされます。
私はこう思います。
「あんな場所に住むなんて」という批判よりも、普通の人としての感覚、安全だと思わされてきた住民の情報と状態を思い、本当に自分ならば、同じ人生の選択状況に置かれた時、あのような地区に住むことを止めたのかかどうか、自身に問うてみるべきだと。もともと生まれた時からその場所に住んでいたという人もいて、簡単に転居などできるものではありません。
と同時に、無批判に終わることなく、やはり以前にも土砂災害は発生していたのですから、今後の対応策を人々は考えるべきだったでしょうし、これからも検討していかねばならないと思います。
人の痛みに寄り添う人間的感覚と労りを持ち、また機能的・機械的・科学的にも検証し、災害の被害を減らしたり、軽減できたりする工夫を考え、実行していくことだと思います。この時には改革によって、面倒さや煩わしさ、時には痛みも伴うかもしれません。マルセイユタロットでいえば、「節制」と「正義」の関係のようなものです。
さて、視点を変えまして、ここからスピリチュアルな話にします。
マルセイユタロットでは「審判」や「星」が特に想起されるのですが、「祈り」という行為があります。
かつて、人々は自然の驚異に対して畏れ、祈りをしてきました。いわば、大地や空に対して祈りを通じて「鎮めて」きたわけです。
現代的に見ると、これは迷信や昔の人の素朴な信仰によるものと解釈されがちですが、私はタロットから見ましても、このことは現実的な意味があったと想像しています。
祈りはどこでやっても同じ効果があったかと言えば、そうではなかったでしょう。
「聖地」と呼ばれる特別な場所で祈りが捧げられることが多かったのは、その場所・フィールドに意味があったからと考えられます。
また人数、もしくは限定された(選ばれ、修行した)人による祈り、さらには人の配置と音声の方法という選択も実は厳格であったと思います。
これがいわば「儀式」です。儀式には何かの力が発動するための手順があったとイメージできるわけです。
では、その力とは何か? おそらくそれが周波数や波動といったものに関連するものと予想されます。
わかりやすく言えば、ある特定の場所や人、作法によっての祈りが、大地や空中のエネルギーフィールドに何らかの影響を及ぼし、過剰な、あるいは不足的でアンバランスなエネルギー状態を中和させていたのではないかということです。
おそらく普段からの自然への畏れが崇拝にもつながり、「神」のように崇め奉ることで、調和に導いていたのではないでしょうか。
その逆も重要なのですが、祈ることで自然エネルギーと一体化することもでき、自己の浄化や充足感(隔絶感や孤独感の反対であり、つながりや絆を感じることでもあった)に関係していたと思います。
安心安全が、自然(神)への祈りの双方向によって、外(環境)と内(自身)にもたらされていたわけです。
まさに生かしているし、生かされている感覚だったでしょう。
日本では神社仏閣がその機能の一端を担っており、ネットワーク的につながっていたと想像できます。
日常の参拝が、ひいては自然と自分とを鎮める(調和させる)役割になっていたとイメージされます。※エネルギーとは別ですが、環境民俗学的にも、神社・祠等の参拝と信仰が環境を守っていたということが指摘されています。
昔は無意識に、それを象徴的行為としてやっていましたが、今は象徴的感覚と知識を削ぎ落とした時代になりましたので、祈り自体の量や機会も減り、文字通り、「自然と」自然が暴走するようなことになっているのではないかと思います。
そういう意味では、「祈り」を復活させていきたいものです。
マルセイユタロット講座 神戸
いよいよ、秋からのタロット講座(マルセイユタロット基礎講座ハイクラス)の募集を開始します。
今回はまず神戸での講座が中心となります。
あと、まだ未定ですが、新大阪での同じ内容の講座も希望があれば開講します。
このブログでもいろいろマルセイユタロットのことについて書いておりますが、それを体系的に、基本からお伝えする講座となります。
だいたい、マルセイユタロットを学ぶ目的や効果について、3タイプにわかれると思います。
1.自己や物事の整理、自己洞察・自己実現、真理探究、自分の総合的・霊的成長に役立てるもの
2.他者にタロットリーディングを通して、問題解決や援助・癒しのサポートに役立てるもの(これを仕事していくことも目標としてあり)
3.1と2の両方に役立てるもの
面白いことに、今回の講座について、カードを三枚、一枚ずつ展開したところ、最初に「隠者」、次に「審判」、最後に「戦車」が出ました。
これらのカードはそれぞれに深い意味と細かな象徴、秘密が隠されていますが、今は簡単に述べます。
「隠者」(左端のカード)が、智者で洞察を深め、物事を探究し伝える人、「審判」(真ん中のカード)が高次のコミュニケーションや再生・復活・誕生、「戦車」(右端のカード)が、現実的・精神的両面の成功や達成、自己価値の獲得などを象徴します。
まさに先述した3タイプに該当しますね。何かピンと来られた方、またさきほど述べた3つの目的のためにマルセイユタロットを学習してみたいと思われる方、お待ちしております。
なお他のタロット講座の状況につきましては、入門編としてカルチャーセンターでの講座があり、今回はよみうり文化神戸
(京都は都合により、来年の1月からの予定となりました)で10月から(9月に体験会あり)、希望により新大阪での基礎講座ハイクラス(10月以降の土日で検討)、京都のカルチャーの代わりに新大阪での入門コースの開催(平日)を検討しております。
ほかにも個人講義やグループ講義の出張、スカイプ講座なども行いますので、講座にご興味のある方は、HPをご覧になってお問い合せください)
◆マルセイユタロット講座(ハイクラス) 神戸◆
マルセイユタロットの象徴知識の伝達、活用の方法、リーディング技術の土台・基礎とともに、タロットに関連する知識として西洋占星術・カバラー・数の論理、タロットの秘教的歴史等についてお伝えいたします。
タロットのことは全く知らない方を対象にしたカリキュラムにしていますので、どなたでも安心して受講できます。もちろんある程度知っている人でもOKです。再受講も可能です。
●日時
9/20,10/4,10/19,11/1,11/15,11/29 全6回 いずれも土曜日ですが、10/19だけ日曜です。時間は10:00-17:00
●場所
神戸市中央区元町近辺 お申込み者に詳細をお伝えいたします。
●料金
15万円
早期お申込み特典 8月31日までにお申込みされた場合、5千円引きの14万5千円 再受講者半額
●定員
4名程度
●その他特典
受講者にはマルセイユタロット一冊が用意されます。
受講後にタロット学習の個別相談や個人的課題の個別リーディング、もしくはリーディング指導がついています。
●講義振替
新大阪講座が開講された場合、講義の振替が可能になる場合があります。
新大阪が開講されない場合でも、所定料金により、振替を行うことができます。(ただし先着制)
●お申込み・お問い合せ
※携帯メールの方は受信設定をPCからでもOKにしておいてください。
メールを送信されて2日以上こちらからの返事がない場合は、受信をよくご確認のうえ、恐れ入りますが、再度ご連絡をお願いいたします。
新大阪での受講を希望される方も、ご連絡ください。
新大阪は、同じ内容で、10月から土日を3回、3ヶ月にわたってのコース予定です。ただ神戸開催のほうが確実で、環境的にはゆったり受講しやすい雰囲気です。
