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リラックスと覚醒の関係

アイデアやインスピレーションが湧いてくる場所・状況というのは、リラックスしている時が多いと思いませんか?

肩の力が抜け、こだわりもなくなって、気持ちがよい状態の時にいいものが浮かぶということは、誰もが経験していることでしょう。

この理由はあまた書かれているので、今更、ここで指摘することはしません。

そこで、リラックスとアイデア、もっと言うと「気づき」や「浄化」「覚醒」についての関係を、別の角度で考えたいと思います。

リラックスした時、人がいい状態になるというのは先述したように、経験則で皆さんにも自覚できることですよね。

これを逆に考えますと、いい状態にするにはリラックスすることという、これまた当たり前のことになりますが、いい状態になれば気分もよくなり、アイデアやインスピレーションも浮かび、さらにはカンが冴えたり、何か思い悩んでいたことに回答が得られたりすることがあります。

ということは、リラックス状態によるフロー、もしくは中立状態・フラットな状態になっていて、自分の神性(あるいは高い次元)ともつながっていることでもあるといえます。

また言い方を換えると、リラックスするということは、自分の中にある別の知識層・感覚層・脳内ネットワーク、特殊な次元(別の自分・人格)へ移行する瞬間になりやすいということです。

いつもそのような状態であればいいのですが、おそらくそれでは現実生活では過ごしにくいのではないかと思います。もしくは、通常でずっとよい状態にならないための仕組みが、人間には埋め込まれていると見ます。(オートマチック機能がある)

しかし、気持ちの良い場所に行ったり、何かやり遂げた感があったり、お風呂に入ったり、その人なりの環境と行動の変化で、無駄な力(体と心の)が抜けたりして、よりフラットな状態になった時、「いい感じ」になります。

ところでスピリチュアルな世界では、よく「気づき」とか「覚醒」とか言いますが、このためには内なる浄化と変容が必要だと言われています。

それは心の鎖や思い込み、ネガティブな体験などの書き換えなどにつながります。

実はそういった作業は、「いい状態」になるためのバランスを図る(回復させる)ことを行っていると言えます。

つまり私たちは通常でもなかなかフラットというか、力の抜けた状態になりにくいのに、さらに自分で無駄な力やアンバランスな力学(心で特に)を働かせていて、もっと過剰な圧力ともいうべきものを自らにかけてしまって(無意識ではありますが)、ガチガチの状態で緊張しながら生きているようなものだと想像できるのです。

これでは気づきや成長どころか、(心や現実の)問題が生じるのは当たり前ですし、生きるのが簡単ではなく、つらくなります。

そのため、力がかかり過ぎていることに対してバランスを調整しないといけないのです。それは身体のこともありますが、たいていは(記憶や考え方、認識)が主です。

まるで重しをつけて歩いているようなものなのですから、その状態で「リラックスせよ」といっても無理ですし、リラックスできないのですから、当然「いい状態」にもならず、気づきも覚醒も起きにくく、高次のメッセージも受け取りにくい状況になります。

ですから、霊的成長にも、あるいは幸せな自分になるためにも、まずは緊張している自分をリラックスさせるための、バランス回復や調整、浄化・除去・変換作業が必要なのです。

いわゆるそれは覚醒の準備ですが、実はそれ(準備作業)自体がもうかなりの成果となることがわかると思います。

簡単にいえば、リラックスできる状態を作りやすい自分にしていくということです。極端なことを言えば、リラックスできることであれば、何でもいいのですが、やはりリラックスしやすい自分になるためには、多様な考え方を受けて入れる技術、自分を縛っているものから解放させる学習・実践が効果的と言えます。

自分が遊んでいる時や、飲食している時、お風呂に入ったり、音楽を聴いている時のリラックスした状態を、そういうことをしなくても出現できるように持って行くということになりますが、そのためには、学びと浄化をしていくことが求められます。

また誰にでも簡単にできることと言えば、自分が迷った時や選択に困った時、回答がほしい場合は、自分が現時点でリラックスできる場所や時間、環境で答えを待つとよい思います。

それ(リラックス条件)は人によって違いますので、料理をしている時という人もあれば、それこそトイレをしている時(笑)という人もいるのです。

コツは無理に回答を求めようとせず、何となく気がかりなことを心にとめながらも、リラックスできるものに身をゆだねるという感じでしょうか。

タロットを引く時、リーディングする時も、集中しつつも、ふっと力を抜いて見ることがメッセージを受け取るコツのようなものになります。


ドラマティックを幸せに。

私のタロット講座で、プロタロットリーダーになるための講座、発展コースというものがあります。

その講座では、自分史を振り返ってもらう単元があるのですが、先日もこのコースに参加された方からの自分史発表がありました。

いつも思いますが、皆さん、すごい人生を歩まれているのです。

一見平凡なように見えても、どんな人でもドラマがあります。全員ドラマティックライフであるとも言えます。それは一人一人の人生においては、その人自身が主人公だからです。

また自分ではわからなくても、他人が聞くと、それは意外にドラマティックで感動的な人生であることが客観的に見えてきます。つまり、他人を感動させられる人生を誰もが歩んで来ているのです。

そんなドラマティックライフではあるのですが、残念ながらこういうケースになってしまっている人がいます。

それは苦労や辛抱の連続の中で、いつしか「自分は幸せになってはいけない」「幸せは努力の先の、遠くにあるもの」という思い込みやリアリティ(現実感を伴う感覚)、信念体系になっているパターンです。

苦労の連続なので、それはドラマティックではあるのですが、起こった現象によって自分の価値観や信念までもが操作され、「人生とはそういうもの」と思うようになり、さらには「私は幸せになってはいけない人間」だとさえ、信じてしまうこともあります。

あるいはそこまて行かなくても、「またあのことが起こるのではないか」と不安に思ったり、「これも一時的な幸せに過ぎない」とか、「よいことがあると必ず悪いことも起こるはず」だと決めてしまっているパターンなどがあります。

さらには、すべては自分が悪いのだと、現実的またはスピリチュアル的に自分を罪悪視してまうこともあります。

これは、実は人の学習機能のなせるわざであり、身を守る意味では有効なもので、「こうだったから次もこうなる」「自分がダメだった(万全ではなかった)から、問題が起こったんだ」と、自然に防御する姿勢を取るようにするためのものです。

しかし、今は大昔の原始人の時代ではありませんので、経験則だけで身を守ったり、次のことを予想したりするのはむしろ問題のことすらあります。

また自分がその時点で万全であることなどほとんどなく、自分のせいだけではなく、明らかに他人や環境が問題であったということもあるのです。

経験則で問題を回避する方法・技術とは別に、まったく新しい価値観にチェンジする方法、別のことで安全になる方策など、いくらでもあるのが今の世の中です。そういう時代になったのです。

ほんの一年前までの経験則でさえ、無効になることもあります。でもだからこそ不安なんだよ(変化が多く先行きが見えにくいため)、と言われる方もあるかもしれませんが、逆に言えば、過去のネガティブな経験から作られた自己防衛のパターンなど、現代ではかなり無意味に近くなってきているとも言えるのです。

ですから、「これまで幸せになれない人生だったから、これからもそうだ」と決めつけることはないのです。幸せになってもいいのですし、その方法は今の時代は求めればたくさんあるのだということです。これは経済的な面でも同様です。

ここで重要なのは、「求めれば」という点です。情報は入手する姿勢を示さないとなかなか入ってきません。つまり情報の世界も「縁」と「意識」、そして「行動」が大切だということです。

その前提として、「求めたい」と思えるようになる意識の獲得が重要です。

これに対して有効なのは、自己経験が無意味ではなかったという認識変換過去の浄化です。

しかし何より大切なのは、「これからは自分に幸せをもたらしてもよいと許可する」最初の決断だと思います。

開き直って、幸せになって何が悪い!と言い放つくらいがいいです。(笑) この言葉は実は結構重要です。

つまり、「悪い」という言葉があるので、誰に、または何に「悪い」と自分は思っているのかがわかるからです。

自分が幸せになると「誰に」対して悪いのか? 「何に」対して問題あるのか? ここが単純なブロックになっていることがあるのです。

そして意外にもそれは、過去の自分自身のことだったり、場合によっては未来の自分だったりするのです。もちろん親とかパートナーとか、いろいろとあります。

ただ、いずれにしても、「今」のあなたが少しでも幸せ(を感じられるよう)になることが、実は外の世界においても、ひいては世界中においてさえも、最重要であるのです。

言わば、自己の統合過程です。

マルセイユタロットはそれを知らしめ、統合ツールとして機能するのです。


カードのエネルギー・ニュアンスをとらえる。

私はあまり活動の様子をブログでは掲載していないので、隠密タロット講師(笑)みたいな感じになっていますが、一応、関西を中心に、時には出張して関東や遠方などにも講義に出ております。

よく行っているのはもちろん関西の三都、京都・大阪・神戸ですが、中でもカルチャーセンター講座(京都新聞文化・よみうり文化)を受け持っていることもあり、京都と神戸は、中心の活動地になってきています。

先日、京都の、とある洋館カフェで、生徒さんとともに新年会を行いました。こんな感じのところです。

sinnenkai

遠方からも駆けつけてくれた人がいたり、生徒さん同士でも久しぶりの人や初対面の人もあったりと、いろいろではありましたが、皆さんタロット話を中心によい時間が過ごせたようです。

私の場合、まず受講していただく講義も基本として当然皆さんには重要ではありますが、受講生同士の交流による「趣縁」(趣味や趣きのある縁という意味の私の造語)も大切にしています。

講座はタロット占いというより、タロットをツールにして自他の成長や統合・調和を図るというものが中心ですので、その場限りには終わらず、深く学んでいく友・仲間として、タロットを共通言語に受講生同士のつながりもできてくるのです。

こうした場(タロットをテーマにした勉強会や交流の場)に行くと、「力がもらえる」とか「勇気が出る」とか、「癒される」と言った人も増えています。

普段は職業や役割など社会的にはいろいろな立場の人がいますが、マルセイユタロットを前にすると、「太陽」のカートが示すように、誰もが平等になり、素直に、「一人の悩んだり喜んだりする人間」として、つきあう仲間ができてくるのがよいところです。

今回の新年会ではちょっとしたゲームをし、参加者(10名以上の方がいました)一人一人を、全員でカードによって象徴してみるということを行いました。(メッセージつきで)

すると、不思議なことに、一人の人をほかの方々でタロットで表すと、かなりの確率で同じカードが選ばれるのです。

これは実は不思議ではなくて、ある意味、当然です。タロットを学習した人は、タロットの表現するエネルギーにふれ、ニュアンスをつかんでいます。

そして誰かを見た場合、その人の(表している)エネルギーの質と、タロットのそれとを比べてキャッチし、言葉で「カード」として示しているのです。

ここで大事なことは二つです。

ひとつは、カードがある種の特徴的エネルギー(「エネルギー」という表現がわかりづらい場合は、単に「質」と言ってもよいです)を示しており、それがタロットを学ぶと自分の中にセンサーとして蘇るということ。

そして、誰もが人やモノをタロットで表現できる能力を獲得できること、これは言い換えれば、見たままの「誰それさん」ということではなく、名前や服装とかの奥にある、その時のその人自身のエネルギーをとらえることができるようになるということでもあります。

いわゆるチャネリングやオーラを感じるテクニックと近いものなのです。

これの何がよいのかといえば、タロットの表すエネルギーやニュアンスがわかることによって、この世界をエネルギーやニュアンスによって見る視点ができるということです。

それは一言でいえば常識からの脱却であり、自己の再統合、スピリチュアルの始まり(復活のきっかけ)、人としての再出発でもあります。カードでいえば、「吊るし」の視点を持った「愚者」の旅が開始されたと言ってもよいでしょう。

ちなみに、新年会で来ていた受講生の方には、講座としては入門・入り口であるカルチャーセンタークラスの人もいらっしゃいましたが、その人たちでもカードできちんと表現できていたことは、注目に値することです。


理屈で理解するタイプの人とタロット

私のところにタロットを習いに来る方々は、私自身がそうなのだからでしょうが(^_^;)、結構「頭で理解したい」タイプの人が少なくありません。

極端な人になりますと、「スピリチュアル」という言葉を使うのも好きではないとか、ましてや「霊感タロット」なんてもってのほかという傾向の人もいます。まあ、私も霊感タロットみたいな言葉は好きではありませんが。(苦笑)

と言いつつも、タロットに関わる以上、どうしてもスピリチュアルであり、いわゆる「霊感」かどうかは別としても直感やインスピレーション、目に見えない心の領域は扱うことになります。

それでも「頭」「理屈」において、そういう世界を少しでも理解しておきたい、とらえ直したいという思いがあるわけですね。

精神世界や占いに興味を持たれる方は、やはり心や目に見えているものだけではない裏の世界に関心があり、そしてそれを伝える多くの方も、心の解放、心でわかること(感情・感性・直感での把握)、腑に落ちることの大切さを語られます。

場合によっては理屈とか頭で考えていることは一切無駄であり、それに従う必要はないと言われる方もいます。

私もタロットの世界におりますので、その言い分もわかりますし、心でわかることの重要さ、自分の感性・本質(自分らしさ)の把握と表現が幸せな生活を送る意味でも欠かせないと思っています。

ただその過程においては、「頭」でわかる必要のあるタイプの人がいること、もしくはその段階というものが必要であることは意外にあまり言われていません。

男性の場合は、むしろそれしか本質に行き着く道程・方法がないとさえ言えます。(最終的には違いますが)

女性でも、自分の中に男性性が潜在していますから、その男性性を満たすことでは、心の構造、目に見えないもののとらえ方などで「頭」の理解が必要なこともあります。

反対に男性は自分の中の女性性のためには、理屈を超えねばならないことがあります。簡単な言い方をすれば、女性(性)に対して降参するということです。(笑)

話が逸れましたが、とにかく、全員とは言いませんが、たとえタロットのようなものを扱ううえでも、心だけではなく、頭(理屈)で落とし込まないとわかりづらい人がいるのは確かです。

こういう人は、どうしても頭でわからないと動けない、自分に信用をおかすことができないとなるのです。結局は頭を通した感情の世界でもあるのが面白いところです。人は感情が納得しないと、葛藤を起こすか、嘘をついたまま抑圧するかになって、のちのち問題となります。

損得や数値、理論であっても、それに合意(納得)するかどうかは意識の問題であり、そこに感情は無視できないものです。

ということで、頭での理解は、さきほど「過程」と表現したように、あくまでタロット理解のプロセスであり、当たり前ですが、これが全てではありません。言い方は悪いですが、腑に落ちるための方便みたいなものなのです。

というと、論理性は感性に劣るのかといえば、実はそうではなく、高い知性というものは高度な論理性を伴い、低い感性(好き嫌いレベルのようなもの)をはるかに凌駕して、適切な選択を与えてくれます。

タロットの、特に小アルカナに流れる四大元素論を理解していけば、心と頭は優劣関係のものではなく、ともに本当の知性・智慧に行き着くための相互扶助センサーだと言えます。

それでも、もともとの気質・タイプ、あるいは後天的に形成されたパーソナリティ(性格)によって、理屈で理解する過程をふまえたほうがよい人と、直感的に心でとらえたほうがわかりやすい人という違いはあります。

私は前者の傾向を持つので、そういう人の気持ち・精神構造がわかるのです。

こういう人でも、タロットをずっとやっていますと、いずれ頭で考えていた理屈がガシャーン(笑)と壊れるような衝撃を覚えるようになります。

そして壊れたガラスの向こうに、が見えるようなります。

これを言葉で表現しようとすると、最初は「何を言っているのかわからない」ものとなりますが(今でもそうですよね(笑))、それはあなたがずっと頭で考え続けたから行き着いた、ある本質(の別次元)なのです。

これは他人には説明しづらいものではありますが(言葉や論理では説明しづらい)、「直観」として、あなた自身が心でストンと理解できたのと同じ状態となっています。

すると今までの考察してきた思考(理屈)も、一瞬で過去も現在も未来もネットワークが張り巡らされたような感じとなり、「そういうことだったのか!」と無数の論理のつながりが「心」に瞬間的に来ます。

言わば、一種の小さな悟り状態と言えましょう。

これを繰り替えすと、理屈のスピードも速くなりますし、心と理屈が対立することが少なくなり、「感じるために理屈があり」逆に、「理屈のために感じがある」という相互交流になってきます。

しかも、これはとても気持ちのよい状態なのです。「心豊かで知的な」自分みたいなことになるからです。


救いや変化を求めている時

誰でも苦しい時、大変な時期というものはあると思います。

そんな時には通常の精神状態と思考プロセスが、環境あるいは肉体的な危機によって大きく変わっています。正確に言うとズレてしまっていると表現したほうがいいかもしれません。

いずれにしても、おかしい時にはおかしな考えや行動をしてしまうということです。特に苦しい時はそこから逃れたい、救ってほしい、脱出したいとい気持ちが強くなりますので、それが顕著と言えます。

当たり前と言えば当たり前なのですが、自分が苦しみの当事者になりますと、このことが簡単に抜け落ちてしまい、言わば別人格の自分になったかのような状態になります。

これまでの自分の経験と、人様の相談などで見たきたことで考えますと、苦しみからの脱却は、得てして突然起こるというものではなく、薄皮がはがれるが如く、あるいは水が少しずつ流れて行って、ついには空になるか、逆に流れてきて満杯になるかのように、まさに徐々に変わっていく、救われていくという印象が強いです。

気がつけば、あの苦しい状況・状態から脱していたのを自覚したという感じなのですね。

もちろん、例えば経済的に困っている時に、突然お金を貸してくれたり、融資したりしてくれる人・会社が現れたり、ふいに体の調子が悪い時に、すぐによい治療方法に偶然めぐり会ったりするというようなことはあります。

これにはいろいろな要因が考えられますが、自分の徳が積まれていたり、普段から高い見地にあって明るく生きている人であったりすると、その蓄積されているもの(資源)によって救われていると考えることができます。それは突然のように見えても、実はその人の歴史の財産であり、時間のかかっているものなのです。

ともあれ、総体的には、突如救われるというのは、宝くじに当たる的な幸運救済(見た目の)は少ないのではないかと思います。

このことから、急激に何かを変化させるということは、たとえスピードある効果が望めても、その分、リスクも非常に高いというのが一般的なことであると推測できます。(※ただし毒やウィルスへのワクチン・解毒剤投与の例など、適切で集中的な救済はスピードが増すこともあります)

心であれ経済状況であれ、よい方に変化させたい、自分を変えたいという人は多いでしょうが、やはりあまりに急な効果を期待したり、過剰な反応を望むのは、そもそもの物事の調和(リズム)からはずれているのかもしれません。

マルセイユタロットで、「救い」や「サポート」をもっとも象徴するカードに「節制」というカードがありますが、そこに描かれている天使は、二つの壺の水をゆっくり混ぜ合わせています。

ひとつ前の数を持つ「13」のカードとセットで見ますと、より意味もわかってきます。

すなわち、救済と変容には時間がかかること、あせらないこと、少しずつの変化がやがては大きな救い(進化・発展)になることを読むことができます。

最初にも述べましたように、苦しい時、心が混乱している時ほど思考もおかしなことになっていますので、人はすぐに楽にしてくれるもの(してくれる人)、効果がすぐに現れるもの(それをしてくれる人)などを強く求めます。

しかしそれにつけ込んで(つけ込まれて)、簡単に見つかる方法というものが出てきたとしても、その多くは偽薬であったり劇薬であったりすることが多いのです。

ただし、ゆっくりが大切かもしれませんが、効果があまりにないもの、時間がかかり過ぎるのも問題であり、本当によいものは尻上がりと言いますか、上昇曲線を描いてよい変化を起こさせます。効果が長期間得られない場合、その方法が悪いというのではなく、あなたの救いには合っていないという相性・質の問題もあります。

そして変化には「ポイント」というものがあります。

あるところまで行ってもその後はなかなか上昇しないという地点で、しかしそれを越えれば急激にアップして行くというポイントです。

そこまでの辛抱と言いますか、待てるかどうかが文字通り、重要な「ポイント」となるわけです。


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