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シンプルに自己リーディング

アメブロを一時停止して、自分のホームページのブログでつらつらと、もっと自由に書こうかと思っていたのですが、結局、長い間やっていたアメブロ形式と変わらず・・・になっていることに気がつきました。

まあ、形式など、本当はどうでもよいと言えばよいのですが、やはり、こちらのブログでは、もう少しこだわりをはずして、タロットと関係のないこととか、短めの文とか、そんな感じを試みたいと思っています。

実はタロットと自分自身の表現方法を、ずっと今年は検討中で、今は様々なツールがあって迷うところもあり、古さをいい感じで残しつつ、新しいこともチャレンジしたい・・・というようなところがあって、ただ、体調とかモチベーションも上がらずのところがあるので、いまだに決めきれていない現況があります。たぶんもうちょっとで、ある結論は出るのではないかという気はしていますが。

ということで、今日は、自分(自己)リーディングをしてみたいと思います。

自己リーディングの場合は、客観的になりにくいので、具体的なことや、細かなことを聞くより(それはそれでアリなのですが、その場合は、ちょっと方法とか、使うカードを小アルカナ主体にするなど工夫がいります)、あえて抽象的な感じのほうがはまる(やりやすい)ように思います。

そして、解釈も、あまり難しく考えずに、直感で来たもの、あるいはキーワード的に、そのカードの代表的な意味くらいでいいかと思います。

そもそも、この(今回する自己リーディングの)やり方は、細かいことを聞くのが目的ではなく、大まかで、かつ、ポイント的なことを知る(確認する)ためにする方法だからです。

では、やってみます。まず問い(タロットへの質問)を設定します。(前述したように、比較的抽象的な問いのほうがよいです)

次に大アルカナで一枚引きをしていきます。それぞれの問いについて、その都度(一度山に戻し)引く方法をします。その際、カードは正立だけにするのか、逆位置を取るのかを最初に決めておいてから引きます。

 

問い 自分は何(どういう状態)か? 正逆ありの設定

「星」の逆

問い 自分はどうすべきか? 正立のみの設定

「恋人」

問い 自分の課題は何か? 正逆ありの設定

「皇帝」の逆

問い 表現の示唆として? 正立のみの設定

「皇帝」

 

出たカードを参考に、問いの内容とともに、これを文章化(問いと出たカード全部を総合的に判断)するもよし、ひとつのひとつの問いにあ当てはめて考えるのもよしです。

私の場合、この結果を見ますと、どうも犠牲的幻想に囚われ過ぎていて、もっと現実的・実際(経済)的、人間的に活動したほうがよさそうですね。(苦笑)


タロットの勉強会に思う

ブログ、また少し間が空きました。

このように表向きはあまり活動していないように見えるかもしれませんが(まあ、実際あまり動いていませんが…苦笑)、内向き(タロット講座を受けた方など)には重要な勉強会・セミナーの企画、実施をしていまして、その準備や実行、終了後の動画編集をしておりました。

コロナ禍になって、リアルで人が会することが難しくなったため、昨年よりオンラインで勉強会とか小セミナーをやることが多くなったのですが、それはよいところもあり、今までは私の住む関西圏でリアルの勉強会を行うのがほとんどでしたが、オンラインだと場所の制約がありませんので、全国、たまには海外在住(海外の日本の受講生の方もおられるので)の方にも参加いただけるようになりました。

それで、今回の勉強会のテーマは「テンプル騎士団(神殿騎士団)」でした。

タロット講座では、マルセイユタロットに関係の深い歴史、組織・宗教などお伝えしていくのですが、その際にも「テンプル騎士団」については講義いたします。

しかし、講座では、タロットの象徴の解説やリーディングの講義などもありますから、説明はどうしても概要的なものになります(それでもそこそこ詳しいですが)。そこで、勉強会や特定テーマのセミナーを開くことによって、特に興味のある方には補強させていただいております。

「テンプル騎士団」はどういった組織で、なぜマルセイユタロットに関係すると想定できるのか?については、一言で言えば、小説で映画にもなった「ダ・ヴィンチ・コード」に書かれている内容に関連するからと言えます。

けれども、それだけではありませんし、「ダ・ヴィンチ・コード」でもふれられてない内容もあります。

そうしたものを、私も改めて調べ直して、まとめたものを今回、受講生用に講義させていただいたというものです。なかなかに衝撃的な話も含まれており、普通に生きていると、ほとんど知ることのないものが多いと思います。

ところで、こういったタロットとか、スピリチュアルとか、秘められたものに興味を持つ人は、例えばこの「テンプル騎士団」についても、裏側の話を知りたがります。というより、いきなり、そちらからアプローチしてしまう結果になってしまいます。

むしろ、表側で知られている話、歴史、史実(と一般的には見られていること)も知っておいたほうがよいのです。今回の私の開いた勉強会でも、それはあえて解説したところです。

でないと、裏ばかりに最初から興味と関心を強めてしまうと、コロナ禍で顕著になったように、人は陰謀論にはまりがちになってしまう危険性もあるからです。

物事の裏を知るには、反対に表を十分に知っておいてからでないとバランスが取れないばかりか、うがった見方ばかりになり、恣意的・感情的に、自分がその時信じたい方向に洗脳されてしまったりする(自らを洗脳してしまう)こともあるのです。

物事にはすべて二面性があると考えられます。そして、その二面性がさらに二面性を持ち…というように、無限に近いくらい二面性の連鎖が続きます。その違いがレベルとか信念とか、個性を生み出し、自らの思想・行動を規定していきます。

テンプル騎士団にも光と影があり、さらにその光にも影にも両面性が出ると推測されます。

よく言われるように、テンプル騎士団が、今のフリーソーンとかイルミナティのような秘密結社につながっているという人もいれば、それらとは断絶されていて、後世の者が無理矢理、中世のテンプル騎士団と結びつけているだけだという話もあります。

そもそも、さっきあげた秘密結社は親睦団体に過ぎず、そんな怪しいことなど何もないのだという一般向けの広告もあります。

それに、テンプル騎士団自体、別に何かを隠していたり、秘密の教義をしていたりしたわけではなく、修道士的騎士団で、十字軍とエルサレムへの巡礼者保護に寄与したばかりではなく、ヨーロッパの、特に経済的発展に貢献し、しかしお金の面でやり過ぎて、一般人、聖職者、さらにはフランス王を中心に嫌われて、廃止(異端認定)を画策されてしまった(だけ)という表の部分で見るところもあるわけです。

ですが、そういう表の歴史を丹念に分析、細部を調べて行くと、どうにも偶然ではない、意図的なものが明らかに出てきますし、結局、ヨーロッパ、あるいは当時の中東から北アフリカ、インドなどにかけてのものとのつながりも見えてくることになります。

すると、現代まで続く大きな流れと言いますか、あるでつながっているようなもの、まさに同じ音の「意図」さえ浮上してくるのです。

しかしながら、それもまた表あっての裏であり、逆に、裏あっての表でもあるのです。

単に歴史のロマンとか、謎に迫って面白いとか、そういう感じで見ていては、本当のところはなかなか見えてきません。

もちろん、最初はそういったレベルからの興味でもよく、陰謀論的なにおいからの入り口でも必ずしも悪くはないですが、そうであっても、いきなり全て信じるのではなく、情報として入れつつも、自己で分析し、判断していく公平的な姿勢を持つことが大切だと言えます。

タロットはまさに両面性を持つツールと言えます。使いようによっては、影や裏の歴史を信仰してしまい、それを自分の信念にし、さらにタロットを利用して、それを強化してしまう側面も出ます。

反対にタロットは、信仰ではなく、ギリシア風に言えば、ロゴスとパトスを統合するような見方を補助してくれるものにもなります。

「テンプル騎士団」を例にして、マルセイユタロットを学ぶ方には、上にあげた後者のような使い方や視点を養ってもらうべく、講義をしているところなのです。


心理的タロットの活用

タロットを自己活用するという使い道があります。

一般的には、タロットは占いの道具だと思われていますので、もっぱらタロット占いをして、他人のために何らかのアドバイスをするという活用方法が多いかと思います。

たとえ占いではなくても、他人に対してタロットリーディングをするという形式も、誰かのために行うということでは同じですよね。

これに対して、自分のためにするものがタロットの自己活用です。もちろん、自分への占いをしたり、リーディングしたりする方法も自己活用としてはあるわけですが。

タロットの自己活用の方法は、実はあまり知られていないですし、テキストとか本なども、そのテーマのものはほとんど見かけません。

また人間というものは、物質社会中心で生きていますので、実用的なものに価値を置く傾向もありますから、いわゆる(現世利益的な)願望実現へのツールとしてタロットを使う場合もあります。

まあ、経済的に豊かになりたいとか、よい人と巡り合っておつきあいしたいとか、そもそも幸福で運のいい人生を送りたいとか、バリバリの現世利益を求める人は、実際にはタロットを活用する方は少ないかもしれませんが、それでも、自分の人生を少しでもよくしたい、思いをかなえたいという目的でタロットを使うということはあるでしょう。

従って、現世利益を望まなくても、例えば、心理的に楽になりたいとか、穏やかに生きたいとかの意味でもいいわけですし、自己の成長に、自分を見つめ、整理し、統合していくための使い道も、タロットではあると考えられます。

一方で、その使い方の内容・種類ですが、大きく分けて、占い的、魔術的、心理的、さらに霊(魂)的な見方と技術によるものがあるように思います。

いろいろな意味で効果が高いのは、おそらく(西洋)魔法的なものですが、これはサイキック、心霊的な世界と関わることになるため、そういう世界を良く知り、コントロールできる師匠的な人物の指導のもとに行わないと、危険でもありますし、実際の効果も低いでしょう。

占いは現実の人生では実は活用度が高いものの、依存を発生させたり、狭い世界観の中に囚われてしまったり、悪いと決めつけた事象・エネルギーの反動を受けたりして、のちのちに厄介な状態をもたらすことがあります。

一方、霊的な活用というのは、具体策としてはわかりづらいので、一般的ではないと言えましょう。

ということで、一番安全で、結構、(タロットの自己活用で)効果的なのは、心理的なメソッド・方法ということになると思います。

特に、マルセイユタロットはユング派と関わりが深いので、マルセイユタロットを使って、ユングの言う、個性化とか、自己の統合を図るのに役立てられると考えます。

難しい言い方をしなくても、要するに、自分を知る道具にするということです。

実のところ、自分を知ろうと作業を続けて行くと、他人や世界をも知っていくとこになるのです。個人的なことと普遍的なことが結びつくとでもいいましょうか。

それに自分を知っていくと、自分を悩ますものに対して理由を知ることにもなって、人間、「わけがわかる」と、安心したり、物事のコントロールがしやすくなったりしますので、より自分らしい生き方ができるようになってきます。

自分らしい生き方とは、つまるところ、無理のない生き方ですので、まあ、楽になっていくという人もいるわけです。

しかも、タロットは違う分野とレベルを結びつけることができるので、時間と場所を超えたモノの見方、知識、感覚も入り、最終的には何らかの霊的覚醒とか気づきを導いていきます。

これは自分一人の時代(人生)で言いますと、終活、つまりは死へ向けた準備にも相当するのです。

心理的な意味でタロットを自己活用する場合、大アルカナを使うのがよく、大アルカナを素直に、知識のない状態の時から眺めて、起こる映像、言葉、感情などを記録していくのがいいでしょう。

そして、一枚一枚の細かな象徴の意味や背景、歴史などを知識部分として入れていくことで、論理的(ロゴス的)で普遍的な見方が呼び起こされ、それ以前の自動(受動)的、感覚的な見方のものと矛盾を起こしたり、逆に意味がよくつかめたりすることが起こります。

この知的な学びの段階がないと、単なるカードの印象だけでは、心理的にも活用が難しくなります。

こうして、学びの段階別に、何度も大アルカナと対話していくことで、自分の中に隠された様々なものを浮上させ、受け入れ、時に壊しつつ、再生、復活、再統合、創造していくことになります。

これは自己の拡大であり(また別の意味では収斂でもあります)、宗教的なたとえで言えば、天使や神(仏)との邂逅なのです。それは「審判」がもっともカードとして象徴しているかもしれません。

このような作業は、願望実現的(現世利益的)には役立たないかもしれませんが、自分の実際の人生も、心の広さとか整理の度合いによって決まってくるところがありますので、心理的タロットの自己活用は、現実的にも決して無駄ではないと思えます。


コミュニケーションとリーディング

少し家族的にバタバタしておりまして、投稿もしばらくしておりませんでしたが、ようやく落ち着いてきましたので、ブログ再開です。(と言っても、アメブロ時代とは違い、こちらのブログはかなり不定期で、当方に何もなくても、長い間が開く時もあれば、短期連続投稿もあり得ます)

今日はタロットリーディングについての話を少し。

タロットリーディングというものはなかなかに面白いと言いますか、一筋縄ではいかないところがあります。

しかし、案外、単純に考えた(見た)ほうが読める(リーディングできる)時もあります。

タロットの学習がそこそこ積みあがってきますと、得た知識も相まって、複雑に読もうとする傾向も出ます。

木を見て森を見ず」ではありませんが、細かいところに気を回し過ぎて、意外に全体的に見れば答えはシンプルなのに、迷ってわからなくなってしまうことはあります。

あと、他人リーディングだと、相手の求めるものと、タロットが示すものとの調整ができず、どう伝えていいのかもわからず、特に性格が優しいタロットリーダーは、クライアント(相談者)の気持ちに配慮し過ぎて、いわゆる「迎合」となり、タロットの真意からはずれてしまうリーディングになることもあります。

結局、タロットリーディングというものは、自分、タロット、相手(クライアント・相談者)との三者によって成り立つもので、それぞれの間でのコミュニケーション、理解が必要になってくるのです。

それゆえに、単にカードの示す内容そのものだけではない汲み取り方、気の使い方みたいなものも入って、また人それそれに個性があるものですから、さらに解釈もひとつとはいかなくなってきます。

まあ、人間同士のコミュニケーションというところは、タロットそのものとは別問題になりますが、タロットとのコミュニケーションということでは、当たり前ですが、タロット特有のことになります。

ここで、「コミュニケーション」と言っているのには意味があります。

唯物主義的な考えの人とか、タロットや精神世界に興味のない人からすれば、カードとのコミュニケーションなどあり得ないでしょ?と思うのが普通でしょう。

いわば、タロットカードをモノ扱いするのが通常で、まるで生物・ヒトであるかのようにコミュニケートするのは異常となります。

しかしながら、タロットリーダーたるもの、タロットカードは単なるモノとはならないのです。個人的な意見では、ツールや道具(の機能)でもありなから、それそのもの(道具)でもないというのがタロットだと思っています。

要するに、生き物的な扱いをしているということです。(笑)

タロットの世界では、「タロットの精霊」という存在がいると信じられています。

「信じる」という言葉が宗教的で奇異だと思う人は、ひとつの概念や、モノとのコミュニケーションするための「設定」だと見てもよいでしょう。(「タロットの精霊」はそのようなものではないのですが、心理・理論的に考えたい人は、です)

タロットは、そもそも、人間世界における合理的な側面と、不合理的な側面とを統合できるものでもありますし、別の表現をすると、合理・非合理の矛盾性をあえて見せるものだと言ってもいいでしょう。

ですから、無理矢理、私たちの納得する因果関係とか、ストーリーの整合性などをタロットに押し付けても(というより、人間側が、人間側の説明で理由のつく解釈をしなくてはならないと強迫的に思うやり方は)、両者の共同作業の意味では、受け入れがたい面があるのです。

タロットは、普段私たちか意識しないこと、見えていないものなどを、カードの象徴性を通して浮上させることがあります。

それは象徴としての絵柄と、人間の心理の相互作用とも言えますが、あえてメルヘンチックに言うならば、タロットの精霊という存在が、タロットに読む人に対してマジックを施し、いろいろなことを見させているということもできます。

タロットの精霊の代表は、大アルカナの「愚者」で表されることがあり、「愚者」の絵柄とか意味、その言葉自体からしても、普通の論理性や通常の世界観で片づけられるような代物ではないことがわかります。

混沌と言っていいものも、「愚者」によってもたらされることもあるわけですし、トリックスター的に、ただかき回してトラブルを起こし、それを見て楽しむ存在かもしれないのです。

ゆえに、タロットが正しいことを伝えていると、必ずしも言えず、むしろ、間違ったことさえ見せていることもあるかもしれないのです。

ここで言う「間違い」とは、あくまで通常の私たちが考える、あるいは見ている合理性(現実性)の世界・ルールにおいての話で、あちら(タロットの精霊の世界、非合理や無意識の世界)では正しいかもしれないのです。

そのため、タロットリーディングとは、タロットの世界(精霊)と、私たち人間の世界(常識的世界の人間)との話し合い、協議であると言えます。

相手を認めつつも、お互い、変に譲ったり、折れたりするわけでもないですし、だましだまされの状態もあるかもしれません。

「手品師」などは、いかさま賭博師の象徴性もあるのですから、私たちが騙されているおそれもありますし、「悪魔」のカードならば、彼によって幻惑され、魅了されている節も時にはあるかもしれないのです。

まあ、例えれば、「異世界人との、不思議ながらも愛着のある交流」をしていくというような雰囲気でしょうか。(笑)

タロットリーディングの一面には、そういうところもあるのです。知識での解読とか、絵を見ての自分の直感・感性のもので読むなどとは別種のリーディングです。

ということで、タロットリーディングには、タロットとのコミュニケーションによって左右されるところもある話でした。


4つの生き方から

タロットは大アルカナと小アルカナというパートに分かれています。

この違いについては、抽象と具体、元型と現象みたいなことで考えていくのが一般的です。(でもないかな?)

しかし、マルセイユタロットに関して言えば、絵柄の具体性が、大アルカナ→小アルカナ宮廷カード→小アルカナ数カードとだんだん抽象化していく(具体性でいえば、大アルカナより小アルカナの宮廷カードのほうがあるかもしれませんが)ので、絵柄だけのイメージで言えば、むしろ小アルカナのほうが象徴的であり、全体性を示すのではないかと個人的には思うところもあります。

そのことは、いずれマルセイユタロット小アルカナ講座を創設して、詳しくお話と、方法論を提示したいと考えているところもあります。

ともあれ、今回の話は小アルカナなのです。

小アルカナはタロットを知っている人には当たり前ですが、4つの組に分類されます。私はカモワン流から入りましたので、剣・杯・杖・玉と日本語で呼び習わしていますが、普通は、ソード・カップ・ワンド・コインという英語的言い方がされるようです。

その4組が何なのかは、ここでは語りませんが、それが基本であるのが小アルカナです。

さきほど、小アルカナは現実性を表すという話を最初にしました。

よって、小アルカナの基本である4組は、まさに現実に関係するのです。平たく言えば、私たちの実際生活、現実の人生についての示唆が強いということです。

すると、単純に、剣の生き方、杯の生き方、杖の生き方、玉の生き方の4つが、この現実の世を生きていくうえにあると考えることもできます。あるいは、そのどれかにフォーカスしたり、意味や目的、趣味嗜好を持つ生き方だったりと言えましょうか。

4つ組にもいろいろと意味を当てはめることはできますが、今回の「4つの生き方」みたいに考えると、あえてシンプルに言えば、学問や探求、哲学を大事にする生き方、心や人間関係が満たされる(心が豊かである)生き方、仕事とか何か使命・情熱を持った生き方、モノやお金(実際)が豊かであろうとする生き方と言うことができるかもしれません。

自分はいったいどのタイプか、あてはめてみるのも面白いでしょう。

結局、簡単に言えば、何を一番大切にしているか(価値観)、何を思ったり、していたりする時、自分の喜びがあるかということになりそうです。

もちろん、4組の現実性というのは、もっといえば、この4つすべて現実の人間にはあると見ることもできるわけですから、一人の中に4つの趣味嗜好(志向)があるとも言えますし、タイプとか種類でいえば、やはり、どれかをもっとも強く意識する人生になりがちであるとも言えます。それが個性というわけです。

大アルカナの世界は、一人で4つを覚醒(統合・超越)させる生き方とも言えますが、現実の世界では、私たち一人一人が個性を持ちますので、まさに得意不得意、価値観の多様性があることから、一人での完全性を目指すより、相互扶助的(悪く言えば対立的なところもある)であるのが特徴とも言え、それが小アルカナによって表現されているように思います

要は、この現実は違って当たり前が前提ですので、それをいかに調整していくか(全体として活かすか)ということが重要かと思います。

これは、「人は違うのだからお互いを認め合いましょう」と、簡単に言っているのではありません。だからこそ、さきほど対立もあることを書いています。人はそう簡単に、違いをフラットに見たり、受け入れたりはできないものです。

全部は言いませんが、そして繰り返しになりますが、「全体として活かす」という視点が大事なのではないかということです。それは、大アルカナの視点によって得られるものです。

こうしてみると、大アルカナと小アルカナの構成であるタロットは、実によくできていると感心させられるのです。


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