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これからの健康対策
一昨日も健康のことにもふれましたが、私自身もそうでしたが、タロットの受講生の皆さんも結構体調を崩されている方がいらっしゃるようです。
寒暖の差が激しいという今の時分のことや、多忙な個人個人における疲れなど様々な要因はあろうかと思います。
そしてあまりここでは根拠がないと思われるので、または不安をあおるかもしれませんので書きたくはないことですが、放射能の影響もあるようにも感じられます。
これは私の信頼する整体の先生が実際に多くの人の体を診ておっしゃていることでもありますし(地域に関係なくです)、個人的にはタロット展開からでも推測されることです。
あくまで私個人のまったくの感覚にしか過ぎませんが、タロットカードでも若干対処できる部分もある気がしています。
実はマルセイユタロットはカード自体がエネルギー調整に使えるよう工夫されているのです。
このタロットそのものでヒーリングする技術は、先頃シンボリックリーディングの本もご出版された「はるひなたさん」が使われておりますし、タロットセラピーとして技術もご教授もされているようです。
さて、よく「肉体と精神」と言われるように、健康においてはこの両方も当然ながら密接に関わっています。
肉体の箇所に不調や異常が出る時、その肉体の役割と同じような意味で象徴的に心の負担や問題が表現されていることが結構あります。
たとえば自分が仕事などでかなり重荷を背負っていると思っている時、実際に肩こりや肩に重みや痛みを感じることがあります。
背中のトラブルでも「屋台骨」としての負担と考えれば、背負い過ぎている、責任を思い過ぎているなどのことが考えられます。
喉の調子が悪い時は、何か言いたいことが言えない場合や、反対に言葉によって人を傷つけた思いなどが反映されていることがあります。
足の部分に問題があれば、歩くこと、つまり進む方向性の問題、踏み出す勇気がない、自分の仕事や目的に対して支えとなってくれる人がいないか、パートナー・友人との理解が得られていないなど感じているということもあります。
お腹では「腑に落ちる」という言葉があるように、まさに腑に落ちていない、真に納得していない部分があること、受け入れられないものがあることなどが表されていることがあります。
これはほんの一例で、ほかの意味があったり、また当然ながらその部分の単なる使いすぎ・酷使という理由もありますし、症状がウィルスや病原菌などによる本来の「病気」の現れの場合があるというのも当たり前のことです。
それとは別に象徴的に肉体が心や精神のアンバランス、生き方や表現の不調和を表していることもあるのだと考えると、病に対する本来的な対処(治療)と同時に、考え方の見直しや心の変容も考慮に入れると、治りがさらに促進されることもあるわけです。
最後に、これも私的感覚でタロットからのメッセージになりますが、これからは肉体も精神も柔軟にしておかないと、硬直した人は病気のような症状としてよく現れるようになると推測されます。
逆にいえば、病気によって柔らかくさせられる強制発動が起こりやすくなる時代や次元に入ったのではないかと思えます。
ということで今まで以上に、心身ともに柔軟体操(心は精神的な学びや実践となるでしょう)をしておくことが重要となってくると考えられるのです。
進むか止まるかのシンクロニシティ。
あなたにはこんな経験がありませんか?
何かをやろうとしていたのに、何か邪魔が入ったようにトラブルが起こる。
あるいは自分自身の体調が悪くなったり問題が起こったりする。
そのことは私にとって必要なはず!・・・と思いつつも、なぜか実行に移そうとする障害が生じるというような経験。
私は自分の経験もふまえて、これにはやはり意味があると考えています。
しかも何度も繰り返し起こるというのがポイントです。
単なる偶然、一度くらいならば意識にすら上ってこないでしょうが、やはり何度も起こるとなると、「何かあるのでは?」と皆さんも思うはずです。
いわゆるシンクロニシティ(偶然のような必然)としてとらえられるからです。これは目に見えない分野を見えるような形でわからせてくれるためのメッセージ形式だとも言われます。
ですから、何度も起こることは意味があると見て間違いない思います。
問題はその「意味」です。
先に述べたような「何かしようとするとブロックが入る」ということは、通常考えれば「それはしないほうがよい」というメッセージだと考えられがちです。
おそらく、ほとんどはそのメッセージだと私も思います。
しかし、もうひとつのことも考えられます。
それは「ブロック・障害」をまさに「自分のブロック」として考える見方です。
たとえば、前世的なことを信じる信じないは別として、仮にそういうものがあるとして、ここにいつも海に行ったり、誘われたりするに時に調子が悪くなったり、何か問題が起きてしまう人がいるとします。
その人がもし過去生にて海で溺れ死んだ人の記憶(情報)を何らかの形で受け継いでいるとするのなら、それがブロックとなって、現実的に海に行くことを拒否する出来事を「創造」し、その結果が実際の問題としていつも現れるということです。
これが自分だけではなく、この例でいえば一緒に海に行こうと言ってくれた人にまで問題が起こることがあります。
ですから、決して「海に行くこと」自体がその人にとって悪いことではなく、海にまつわる記憶・潜在ブロックが悪いのだということになります。
とすれば、まずはその記憶を変換したり、浄化したりすることで問題は解消されるでしょう。
あるいは「実際行ってみると何でもなかった」という新しい事実を過去の記憶の上に塗り替えていくということです。
実はタロットを習う人で、このパターンが少なからずあるように感じます。いわば魔女狩り時代の記憶と言いますか、タロットや占いをしていて不幸になる歴史の情報をもっている人です。
これは過去生だけではありません。今生でも親やパートナーから、あるいは社会生活の中で自分が身につけた思いこみ、思考・概念によってもブロックが生じます。
「占いなんてやっている人はおかしい、変な人」という思いこみが心の奥で強くあれば(教育されていれば)、当然ブロックとして現実的に習えない状況として現れてきます。それは自分の今の気持ちとは違うことがあるのでやっかいなのです。
これも解決方法は、まず記憶の浄化・クリアリングから始めるということもありますが、とにかくタロットをやってみる、習ってみるという方法もあります。
確かに習っているうちに最初は苦しいことが出てくるかもしれませんが、真摯にタロットと向き合い、タロットとともに自分を見つめ浄化していくと、ある日を境に、タロットをしている自分が楽しくなってくることに気がついてきます。
そうなれば山を乗り越えたことになりますので、本来はこのような人はタロットに向いている人なので、水を得た魚のようにタロットをしている自分が活き活きと輝いてきますし、様々な思いこみ、枠組みもはずれて自由になってくるものです。
特にマルセイユタロットは古典的であるがゆえに歴史的背景が長く、いろいろな大変なものも含まれていますので、それらとご縁のある方は最初のうちは重く感じるかもしれませんね。
でもそれだけに、よいものに転換できた時、あなたを守る強力な守護霊となってくれるでしょう。
健康について
一時体調を崩しておりましたが、土日ゆっくりさせていただいたおかげでほぼ回復しました。あとはしばらく満足な食事ができていなかったので、体力的な問題だけということになるでしょう。
私は見た目もそうですが(^_^;)、あまり体力的には強いほうではありません。
スポーツを全くしていなかったわけではありませんが、継続的に鍛えていたわけでもありませんから、まあ軟弱なインドア派といえばそうでしょう。(笑)
実は大きなものではないのですが、体質による小さな持病をいくつか抱えておりまして、これがために公務員時代やその前の仕事も含めて、ほかの人より休みがちのところがありました。
しかし通常の健康診断では血液やほかの様々に数値的に出るものは、何も異常がないどころか、むしろかなり健康具合でしたので、健康診断そのもので引っかかることはまずありませんでした。
そのため、なかなか休む理由も理解してもらえないつらさがありました。単にさぼりだと思われていた節があります。
一応病名はあるのですが、治療法もなく、あまり経験している人も少ないことで、まず説明してもわかってもらえませんでした。が、結構症状としては大変なのです。
その頃はかなり嫌々仕事をしていた時期もあり、気持ちのうえでもよくなかったので、ますます体調も思わしくないという悪循環を繰り返していました。まだいろいろな知識に出会う前のことですね。
まあ、言ってしまえばやはり心の問題、気持ちの問題が大きかったのかもしれません。
そして今はいろいろな知識や精神世界的な関心を持つことで、生き方そのものが変わり、仕事も変えたことでずいぶん楽になりました。
そうすると私に出ていた持病というものは、実はとても有り難いものだということもわかってきました。またいかに自分の体をないがしろにしていたかにも気がついてきました。
結局、何かバランスを欠いたことが続いたり、このまま行くと危険ですよというサインとして病気が出ます。これは私に限らず、皆さんにも共通することだと思います。
病は体力的なこともあるのですが、精神的なこと、生き方や考え方のこともあるので広く観察・反省することが必要です。
私は持病のおかげでもともとあまり強くない体が守られており、それで検査をしても健康体として数値が出ていたことに気がつきました。
このようにして、病気(なる前にバランスよい生活をすることが大事ですが)はとても有り難い存在であることが多いものです。
先にも言いましたように、多くの人は、「病気」というと体力的なことの問題を思い浮かべがちですが、肉体・心・魂(スピリチュアル)のどれかがバランスを欠いても病になると考えられますので、原因考察は拡大と統合的な見方をしていくことが必要だと思います。
自分の心がカードでいう「正義」(正しさ・正直さ・バランスさ)であるのかを確認すると、意外な原因が判明することもあります。
それから風邪は肉体的な浄化・調整だけではなく、目に見えない部分の浄化も働いていると想像できます。特に発熱はウィルスを不活性にしたり、目に見えない部分を火で焼くような作用もある考えられます。
事実、私は今回はいわば風邪のようなものでしたが、これは肉体的疲労だけではなく、目に見えない部分での蓄積したものがあった感じています。
そのために発熱があるだろうことは予想していましたが、それが来たわけですね。発熱による浄化を感じると、非常に発熱自体が心地よく感じられます。
これは自分の体の調整作用を信頼することにつながり、さらにはその機能を働かせる偉大なるものにも感謝の気持ちが行きます。
咳や鼻水、下痢などの風邪特有の症状は溜まった毒素やウィルス、目に見えないものを浄化・排出する作用だと言えましょう。
とはいえ、素人療法は危険ですので、病を軽んぜず医師の診断は受ける必要はあると思います。(インフルエンザ・伝染病・中毒、その他別の病気のおそれはありますから)
その上で風邪と診断されれば自浄作用に任せてゆっくりするとよいのでしょう。
病気は苦しいことは事実ですし、麻薬や感じない薬でも飲まない限り、それを楽にすることはできません。
また重い病にかかられて大変な方もたくさん世の中にはいらっしゃいます。
ですから健康であることにまず感謝し、それを保つ努力をするのが第一でしょう。
そしてなってしまえば、苦しいことは苦しいとしても、それ以外の良さ・気づきが見いだせる考え方をしていると、少しは病の最中も今までより楽になるかもしれません。
私もやはり当たり前ですが健康は大切だと改めて認識した次第です。少し前に引いたタロットでも「吊るし」が出ていたところでさらに強調されていました。(苦笑)
タロットの凶札を考察 その2
昨日の続き です。
一般的なタロットにおける凶札的扱いをされる二枚のカード、「塔」(神の家)と「死神」(13)について語っています。
昨日は凶と意識するその根本には、人間ではコントロールすることのできない「神」なる自然の領域への畏れ(恐れ)があるとお話しました。
本日はそこから一歩踏み出し、二枚の畏れを見ることで、これらを凶的に意識し過ぎないようにする方法について述べてみたいと思います。
そもそも22枚の大アルカナに吉凶やランク付けをしない見方をすれば、何もこの二枚を忌み嫌うことはなくなるどころか、人間にとって必要なよいカードであると認識できるのですが、今はあえて吉凶的な見方をしている範囲で説明しています。(それゆえ、あえて私が通常読んでいる「神の家」や「13」という表現ではなく、「塔」や「死神」とも呼称しています)
まず大切なことは昨日の考察です。
通常、二枚に対する恐れは、自分にとって都合の悪いことの起こる前兆として意識することで、その「不安」が呼び起こされているように思えます。
しかし実はそれは自分たちが制御できない「神」(の分野・力)に対する畏れだと説明しました。
そしてそのことから導き出されるのは、逆説的なのですが、私たちがこの二枚を恐れる原因のひとつには、神への畏敬の念が少なくなっていることがあげられるのです。
特に敬う気持ちが少ないのです。私たちは近代以降、何でも人間の力でコントロールできる、理解できると考えてきました。
そのことは悪いことではなく、思考と科学の発達を呼び、無知蒙昧・迷信の世から私たちを救って来ましたし、これからも人類に恩恵を与えることでしょう。
ただしやはりすべてを人間が制御できるものと考えるのも問題でしょう。
私たちは何者か、大いなるもの(神や宇宙・天という表現できるもの)に生かされているのだと感じつつ、私たちにできる範囲で努力していくという視点が大切な気がします。
人智を超えるわからないことは神の領域だと思えば、すべてをお任せする気持ちにもなってくるのではないでしょうか。これは人間の行動・努力を放棄すると言っているのではありません。
神や宇宙に生かされているという視点を持ちつつ、無理のない範囲、必要の範囲と姿勢で自然と向き合っていくということになるでしょう。
言ってみればバランス感覚であり、全体的な観点から局地的・局所的な集中・過剰や弛緩・不足を調整していくというものでもあります。
川の流れに無理矢理に逆らって生きるのではなく、流れに乗って自然の法則に従い努力するというものとも言えましょう。
ということは、大事なのは宇宙や天・神の法則を知ろうとすることです。それがわからないと、自然に合致することもできないからです。先の例でいえば、川の流れがどのように動いているかを知るということになるでしょう。
その上で川を少し動かしてもいい時もあるでしょうし、反対にそこを動かしたり止めたりすれば全体に影響するということでダメな場合もあると思います。
さて、二枚(「塔」「死神」)について戻りますが、結局、この二枚に対してどうすればよいかですが、端的にいえば恐れるのではなく畏敬の念(畏れと敬いの心)を持つということになるでしょう。
日本人はこのことには敏感に昔から気付いており、神社や鎮守の森、今で言うパワースポット的なところは聖域として自動的に守る工夫を凝らしていました。
たとえば神社のあるところはその下に断層が存在する場所も多いことがわかっています。
断層は今では地震と結びつく悪いイメージでとらえられていますが、いわば大地のエネルギーの噴出箇所でもあり、溜まった大地の爆発的エネルギーを調整している場所でもあると言われています。
大地のエネルギーは地震を引き起こす恐いエネルギーでもありますが、そられを畏れつつも、敬い鎮めることを日本人は物理的にも精神的にもしていたと考えられます。
聖域として残していなかったら、やがて町や都市ができ、大地のエネルギーをふさいでしまうことになって、溜まったエネルギーが地震や火山となって爆発していたかもしれません。
面白いことに、タロットではカードの数でいえば「塔」「神の家」の次は「星」であり、「死神」「13」の次は「節制」になっています。
次のカードが非常に穏やかな祈りや自然、交流や調整を示すカードになっているのですね。特にマルセイユ版では顕著だと思います。
よって、私たちが凶札と認識しがちの二枚にすることは、敬いお祀りする(ような気持ちでいる)ということです。
このカードを引いてしまい、もしかすると自分にとてつもなく凶のことが起きるかもしれないと思って恐怖するかもしれませんが、このカードたちは元来人智を超えたパワー・神なるエネルギーを象徴すると考え、自己の傲慢さを反省し、自然や神を敬い、生かされている感謝の気持ちを持つことです。
いわば、あなた自身が「星」や「節制」となって、荒ぶる神を癒す気持ちになるのです。
また、わからないこと、恐いと思っている運命も神の思し召しだと思って自分を投げ出してお任せする境地になってみるとよいでしょう。
そうしていると、カードを吉凶でとらえていたのは、実は自分の生き方が吉凶的な考え方をもとにしていたことに気がついてきます。
そのことに気がつけば、カードの読み方・見方も変わり、あなたの生きるフィールドも別の次元へと導かれます。
これがとても重要で、楽になる生き方なのです。
恐るべきことに、あなたのタロットカードの使い方によって、あなたの生き方・考え方も規定され、そうした人生を歩んでいくことにもなるのです。
タロットの凶札を考察 その1
マルセイユタロットの大アルカナ22枚は単体(カード一枚一枚)としても、また全体としても極めて優れた象徴性を有します。
そのとらえ方について私の講座では、特にふたつの考え方を呈示しています。最近では図面を使って説明しているので、よりわかりやすく理解できることでしょう。
それで実は22を用いる象徴概念としての見方は、ほかにもいくつかあるのですが、さらにもうひとつ紹介するとなれば、いわゆる「占い」的に「吉凶」として22枚を見る方法があります。
これについても今まで何回か語ってきたところですよね。
実際にはこの見方は弊害もあるので、お勧めはしていませんが、現実場面においては吉凶判断的見方もありえます。
ただそれはそう意識するレベルにおいてのことであり、誰もがカードと現実の吉凶が結びつくわけではないと私は考えています。
ただ、この吉凶レベルというのは今の私たちの思考レベルではよくある(普遍的)レベルになっているので、カードによって吉凶を感じたり、カードが吉凶自体を指し示したりするということは、多くの人が体験してしまうのです。
ちょっと難しい言い方になっていますが、要は私たちは吉凶で世の中を感じ、生きている人が多いということです。
その限りにおいては、カードによる吉凶占いはよく当たります。
それで、吉カードならばまあ問題はないわけですが、凶的なカードを引くと誰でも嫌ですし、怖いとさえ思うでしょう。(タロットが恐いという人は当たるということもありますが、こういう使い方しか知らないからです)
一般的には「塔」(神の家)とか「死神」(13)と呼ばれるカードが、その凶的な二大代表と言ってもよいかもしれません。
私はこの二枚に関しては、「恐れ」というものが共通としてあり、さらにそれは「畏れ」という字で表現されるものとつながっていると感じます。
単なる自分から出る不安という種類ではないもの、自分や人智を超えた恐るべきもの、怖さと恐れ(畏れ)が合わさった畏怖すべきものへの気持ちが込められていると思うのです。
それは今年の日本人、いや世界の人も感じたかもしれない自然災害などの予想もつかない怖ろしいもの、コントロールのできない恐いものといえるかもしれません。
かつて私たち日本人は特にこの畏れを大自然に感じていたと想像しています。そこに人を超えた存在、すなわち「神」を見たのでしょう。
また人や生物に必ず訪れる「死」も私たちが決してコントロールできないものです。老衰であれ、病であれ、事故であれ、その死を正確に予測し、思うように制御することは今もって不可能です。
ここに昔の人はやはり死について畏れを抱いてきたと考えられます。
再度繰り返しますが、「畏れ」というのは単に自分から出た不安ではないとお話しました。
何が違うのかといえば、怖さだけではなく、そこに敬意や崇拝の念が込められていたということでしょう。言い換えれば「畏敬の念」です。
なぜならばそこに「神」(の存在)を見ていたからです。
その証拠に先に挙げた二大凶的カード、「塔」は別名「神の家」であり、「死神」も「死」があるとはいえ「神」の名前がついています。
結局、この二枚は凶でありつつも、「神への畏れ」をもっとも表現しているカードと言えましょう。
ここまでわかってきたのなら、今度はこの二枚を単なる凶事との結びつきから変換していく作業も可能になってきます。
少し長くなりましたので、それは次回にて。