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タロットを見ながらお盆を考える。
お盆の時期になりましたね。
日本人はこの時にはほとんどの人が 自分の祖先・先祖・亡くなった方に対しての思いを馳せ、御霊(みたま)が現世に来て、子孫から歓待を受けてまた霊界に戻るという精神的な世界観を信じています。
私はこのシステムはとても重要なものだと感じています。
実はお盆だけではなく、お正月も同じような意味合いがあったと聞いています。門松や鏡餅は先祖霊、あるいは先祖が神となった状態(年神様)の存在が来られる依り代(よりしろ、よりつく対象物)だと言われています。
何しても、日本人は最低でも年二回、夏と冬(春の初めとも言えます)、一年を円でたとえると上と下または、左か右に対照的に先祖との邂逅を果たす時期があった(設定していた)わけです。
また、人が亡くなると年忌と言って供養のお祀りをし、回数を重ねて次第に霊格を上げていき(子孫によって上げられていき)、最終的には33回忌または50回忌で神霊(神・仏)へと浄化・昇格して山(自然・宇宙)に還ると考えられていました。
そして先祖とその神霊たちが家や家系を守ると信じられてきたのです。まさに先祖と子孫の共同作業であり、実際(現実の世)と霊的な世界の融合でもありました。
現世の自分たちも亡くなればまた子孫や縁ある者たちによって祀られ、浄められるとわかっているので死ぬことへの異常な恐怖や現世への過度の執着もなく、安心して霊界に旅立つこともできたのでしょう。(もちろん実際には死の恐怖・現世への執着はあったでしょうが、今ほど無軌道ではなかったと思います)
そして霊的世界でも一種の秩序が成り立ち、安心な波動が多かったのではないかと想像できます。それが現実世界への鏡のように映され、霊・実ともに比較的安心・安寧がシステムとして機能していたと想像されます。
私にタロットを教えてくれた先生方は、タロット(マルセイユタロット)においても先祖や家系を表すカードがあり、その存在を認識し感謝(と供養)を捧げなければならないということをお話されていました。
特に日本人の先生はそれを強調されていました。
実際にリーディングにおいても、先祖との関連・家系との関係を思わせるカードや展開を感じることがあります。
これはこのカードが出れば必ず先祖や因縁を表すというものではなく、ある特定の並びであったり、インスピレーション・タロットの霊からの感覚的なものでそう見えてくるものがあるという類のものです。
いずれにしても、私たち人間は誰しも母親から生まれているわけで、それも父親がいて生命が生まれ、そのどちらの親にも両親がおり、その親にもまた親が・・・というように連綿と縦につながっていく流れのもとに今の個人は存在しています。
もちろんそうした縦のつながりだけではなく、「個人」は、現在の人・環境という横の縁・つながりによっても存在しています。縁がクロス(十字)によって生じることはタロットの「恋人」「審判」などに描かれています。
言ってみれば、私たち一人一人は、全員、縦のつながり(血縁・霊縁)と横のつながり(実際縁・地縁・社縁)によって今の自分がいるわけなのです。もっといえば形作られていると言っても過言ではないでしょう。
ということは、自分一人の力ですべてなしとげられているわけではないのは、当然のことととして理解できます。
現世縁・実際縁ばかり常日頃は気にかける私たちにとって、お盆は貴重な縦の縁を意識する機会とも言えます。
すべてのものが集まり完成し、踊っている姿で描かれているタロットカードの「世界」が、不思議とこの時期は盆踊りに見えてくるのも興味深いことですね。
私たちは天秤の上に乗っている。
世の中は、どんな分野でもバランスがとられるようになっていると言えます。
有り難いことに、自分がどちらかに傾いていたらそれを正す、均衡を図るために自動的に調整が働くようになっているのです。いや、そうなるのが宇宙の掟・ダルマだと言ってもいいでしょう。
たとえばお金が足りなくなったらもっと働いて収入を増やすか、必要あれば借金してでも得るようにするでしょうし、食べ過ぎたら食欲不振になって控えるようになるか、下痢などして出すよう体は働きます。
これは何も同じフィールドだけに作用するものではありません。
たとえば今述べたお金の欠乏があれば、増やすことができない場合は精神的な満足を得ようとしたり、怒りや不満・嫉妬・落ち込みなどの精神的な働きかけ・運動によって、お金がないことの充足を求めるようとすることもあります。
逆に精神的な満足が得られていない場合は、買い物をしたり、食事をしたりしてお金を使って解消しようとすることもあるでしょう。
つまりはどんな状況にあっても、私たち人間はこの世界で生きている限り、バランス調整の運動から逃れらることはできないのです。
それは究極的にはこの宇宙が陰陽、プラス・マイナスと呼ばれるような両極のエネルギーが合わさって存在するものだからです。片方だけはあり得ないと見るのです。そして両極が合一したところに安定と調和があります。
宇宙から見て、一人の人間はとても小さなものかもしれませんが、そんな中でもバランスはやはり働き、宇宙の原理が透徹しているのです。
よってあなた個人の些細なことから国や世界の大きなことに至るまで、バランスは必ずとられるようになると見ていいでしょう。
さらにバランスということは、常識的な時間の概念だけに留まらないところが重要です。
バランスが取られると言えば、私たちはつい短期間や自分の生きている間で図られると思ってしまいがちですが、もちろん短期的にもバランスは働いていると考えられますが、もっと長期の宇宙的サイクルのもとでもバランスが取られていると考えると、また違った見方が出てきます。
とはいえ、自動的にバランスが図られるのなら、私たちは何も意識しなくてもよいのではないかと思うかもしれません。
確かにそれは一理あります。
ただ、同じ事を繰り返していつも同様なことでバランスを回復しているとするのなら、次第にその揺り戻し規模・振り子の振り幅は大きくなると考えられます。振り子運動の繰り返しによる勢いと振幅の増加です。
それはそれだけ同じことの回数が増えれば、ショック(事件)が大きなものになるとということです。
また逆に、大きな観点のバランス回復が図れれば、小さなものは自ずと調整されるのも早くなると思えます。
個別ケースからバランス調整するより、大きな波からやってしまえば、全体としてバランスが取れているので、小さなことは消えるか、問題と感じなくなるということでもあります。
こういうことからも、すべて自動に任せるというより、自分の問題を大きな観点から見て、何が根本的にバランスが崩れているのだろうかと見つめ、発見するほうが早いと言えます。
気づきがあれば自動調整が及ぶスピードも増し、別のところ(違うフィールド)で回復されて振り幅を小さく調整されるので、自分への影響が少なくて済むということです。(ショックな事件にならずに済む)
バランス回復のひとつのコツは、次元やフィールドの種々を想定し、同じ分野・視野だけで見ないということになると思います。
その観点からも物理的なものだけではない、精神的なもの、目に見えない世界を探究することは価値あることだと感じます。
感じることをどうとらえるか。
これは結構私自身にも言えることなのですが、自分の感覚をいきなり疑うところから入ってしまうことがあるのですね。
感じ、感情、感覚、タロットをする前はこういうものに興味と関心を抱きながら、あふやふやなものは否定するか疑問符をつけて無視しようとする傾向がありました。
しかし一方で都合のよい感覚は信じようと固執するところもありました。
感じるということは実は人間において基本的な当たり前のことで、原始では生存のためには、おそらくこれが最優先された判断材料だったと推測されます。
いわば本能に基づいたものともいえるかもしれません。それゆえ、タロットカードで感情をもっとも表現している「月」のカードでは、本能部分を象徴する「ザリガニ」が描かれています。
しかし、次第に蓄積された経験による判断というものが重視されるようになると、それが口伝えになったり、本になったりしてデータや情報とされ、やがて知識となって物事の判断の重要なファクターになったと考えられます。
現代はその最たるものかもしれません。
そして逆に感性や本能的な感覚といったものは排除され、非合理なものとして扱われることが多くなりました。
タロットをやるようになって、私は次第に気がついてきました。感情・感覚というものはすべての中のひとつであり、判断の重要な要素でもあるのだと。
これは知識が正しくて感覚が間違いとか、感性を重視して知性はあとでよいとか、そういう優劣の問題ではないということです。すへでは等しく、ある表現や次元での違いでもあります。
このことは四大元素を理解していけば自然とわかってきます。
それと、さらに大切なことは、私たちは感じることを許可していないことが多いという実態です。
実は感じていることに評価を下すからおかしくなるのです。それはタロットでいえば杯(カップ)を剣(ソード)で理解しようとするようなものです。
感覚に評価をしようとする癖になると、やがて最初から感じない自分にする傾向になります。
なぜならもし感覚が間違っているということになれば、不安や恐れが強くなるばかりか、行動も結果も間違っていると自分が思うことになるからです。
怖い、いやだと感じている自分の感覚を認めると、自分が痛んでいることを認めてしまうことになるからでもあります。
時には相手がいる場合は、自分がいやだと思っていると、逆に相手にいやなことをされているということになり、相手を否定することにつながるので、相手が親やパートナーなど通常社会的に否定できない人であるケースには葛藤が生じるので、それならば最初から感じないようにしたほうがよいという選択をします。
ここのあたりは難しい話にはなってきますが、やはり自分が感じていることそのものに許可をしていくことが自分の解放やノーマルな自分に戻すためにも必要なことではないかと思います。
人間はいろいろな感情をもった生き物です。喜怒哀楽、状況や人に感じていくのは当たり前なのだと思うことです。
自分が感じることを許す、許可する、このことが感性や感覚を鋭くし、さらに自分を解放していく第一歩なのかもしれません。
大事なのは、自分の感じていることに評価(いい、悪いと決めつけること)をしないという態度でしょう。
ただ感じるている自分がいるのだと思うだけでいいのです。
感覚に悪いという評価することも問題ですが、いいと評価するのも決してよいことばかりではないのです。
この感覚は正しいと固執するようになると、傲慢になったり、それこそ得体の知れない信仰を信じ切ったりするような危険性があります。
私も目に見えない世界の感覚をつかむのもいい悪いからではなく、感じていることを許すのが最初だと教わりました。いいか悪いかは、さらにその上の境地や次元にならないと判断できないわけです。
これは「運命の輪」というカード(マルセイユタロット)に描かれている犬と猿にいる間は、いいも悪いも判断できないということと同様です。つまりはスフィンクスになるための過程と考えるのです。
ストーリーを思い描くこと。
趣味で小説や漫画を書く(描く)という方は別として、普通の人はなかなか「物語を創造する」というようなことはしないと思います。
とはいえ、誰でもやっていることはあります。
それは夢を見る、語るような時です。
主人公は当然自分ですよね。
こんなことをしてみたい、あんなことをやってみたい、こうなってほしい、こうありたい、こんな風なことができたら・・・など私たちが空想する時、自分のストーリーを夢見ます。
でもよく考えてみると、ストーリーというより、単なる叶った時のイメージということのほうが多いかもしれません。
そのため、夢は一瞬で消えます。
ではこれにもっと物語性をもたせてみるとどうなるのでしょうか?
自分で舞台や背景の設定、どのような経緯をたどって夢にたどり着くのかを思い描いた時、夢は次第に色を帯びてきます。
つまり現実に近くなってくるということです。
物語を構築するための材料(資料・イメージ)は、自分のこれまでの人生から拾ってくることは可能ですし、この情報社会、外を見渡せばいくらでもそろっています。
ところで、私たちの思考は一貫したものがないと(つじつまが合うように思えないと)整理がつかなくなり、考えるとを辞めるか、関係ないものとして意識に取り上げようとしなくなります。
いわば自分なりの理屈であり、納得感です。
そのためには、ストーリーの細かさも必要ですが、その前に起承転結的な、きちんと自分で納得する骨子としての物語性があることが大切なのです。自分の中の合理性です。
これが原因でこうなって、だからああなって、今があり、こうすればよい未来につながるというストーリーが、自分の中で一本の糸のようにつながっていれば、それは現実味を増すのです。
そして心で納得していますから行動へもつながっていきます。タロットでいえば、剣(ソード)と杯(カップ)が合体し、杖(ワンド)に向かうプロセスです。
そしてここがもっともポイントだと言えますが、そのストーリーの合理性はあくまで自分の中の(心の)合理性なので、一般的・普遍的な合理性・論理性とは異なるということです。
Aさんから見れば「おかしいだろ、その論理」と思っても、当のBさんにとっては納得するものがあるのなら、それはBさんにとって合理性があると考えられるものです。
極端なことを言えば、世間の人が常識的に矛盾しているように感じても、本人の中では意味が通っていたのならOKだというストーリーの合理性なのです。こ
この意味でも癒しや解決は自分の納得感(心)にあると言ってもよいでしょう。
このストーリーと合理性・納得感を得るのがタロットを使うリーディングの目的のひとつです。
タロットは絵柄の象徴でできているため、人に言葉だけで説明されるよりも、自分でタロットカードの絵を見ることになるので自身が納得しやすいのです。
これにより、今までの自分の人生のストーリーの合理性を見ることもできますし、未来にに向けての望ましい物語を構築・設定することもできます。
タロットの活用の醍醐味は、イメージによる自分の合理的なストーリー作りにあると言ってもよいでしょう。
タロットリーディング体験会
以前にも書いた通り、私は自前のセッションルームを持ちません。
ではタロットリーディングはどうしているのかと言えば、スカイプを使った方法や依頼者がご用意してくれたルームあるいはご自宅、ない場合はレンタルして実施します。
新大阪では時折、知人のルームを借りてリーディングしておりましたが、そこは部屋としてはよいところなのですが、クーラーが取り付けられない部屋なので夏期は休業なのです。(笑)
そんな中でも有り難くもリーディングのお問い合せやお申込みを受けることがあるのですが、上記の理由ですぐに対応できないことが心苦しく思っております。
ということで、今回、夏期にタロットリーディングの体験会を神戸で行うことにしました。
この体験会は以前行っていたものと同様で、参加者お一人お一人に対して、私が公開でタロットリーディングしていくものです。
公開ですし、参加しやすいお値段設定(2000円)にしています。
マルセイユタロットを使ったリーディングに興味のある方、ちょっと様子見で受けてみようかなと思っている方、タロット講座の受講を検討しているけれどもまず自分が体験してみたい方などにはちょうどよい企画だと思います。
そして昨日の記事で書いた集団の力 が働くのも、この体験会のよいところです。
実は「タロットリーディングしてもらいたい」「自分の問いや問題・テーマの解決・発見をしたい」という人が集まるだけで共有意識があり、その分、力が作用しやすくなるのです。
会場に足を運び、生でタロットリーディングを受けるだけで、自分の何かが(その課題に関すること)が動き出しますし、普通の時よりも変化が現れてくる確率も高くなるでしょう。
今回は単純にリーディングするだけではないので、ある秘密の計画もあります。いわば目標・夢実現に向けてのタロットを使ったワークになるとも言えます。
参加資格はどなたでもOKです。タロット講座の受講生でもいいですし、まったくタロットに接するのが初めての人でもOKです。
限定3名(時間と内容の関係上、これ以上増やせません)の超少人数制です。見知らぬ人が大勢いるのが苦手な人でも、これくらいならOKでしょう。
ご参加お待ちしております。
※注)リーディングデー(予約制で個別リーディングする日)に変更となりました。体験会はまた機会を改めて実施する予定です。
●タロットリーディング体験会
マルセイユタロットのリーディングを体験してもらう会です
●日時
8月28日(日) 13時から15時15分まで
●場所
神戸市内の会場
JR六甲道駅・阪急六甲・阪神新在家駅徒歩圏内
お申込み者に詳細はお知らせします
●定員
3名
●参加費
2,000円
●お申込み
こちらのフォーム の「リーディング希望の方はこちら」より