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タロットカードと自分の感覚表現
早いもので9月も半ばを過ぎましたね。
時間はどんどん加速されているように感じられる方もいらっしゃると思います。
また年齢とともに、ますます時間のスピードが上がっているような気持ちの方もいらっしゃるでしょう。実はある理論を考えればそれは本当にそうなのです。でもそのことはまたいずれふれたいと思います。
まずお知らせですが、9月20日(火)に13時から14時半まで、京都新聞文化センター にて「マルセイユタロット」の1日体験講座があります。
当日は「体験」ですので実際にお一人ずつカードを引いていただき、簡単なリーディングも行います。ふとした参加のタイミングが意外な自身の転機になるかもしれません。ご興味のある方は上記センターまで直接お申込みください。(よみうり文化センター神戸 でもマルセイユタロット講座が開かれます)
そして明日からはいよいよマルセイユタロット基礎講座ハイクラスが神戸でスタートします。参加される皆様、台風接近が気になりますが、どうぞお気をつけてお越しください。
10月からはマルセイユタロット基礎講座のノーマルクラス(価格や内容も受講しやすい従来バージョン)もあります。秋からタロットを本格的に学んでみたいという方、是非どうぞ。
さてタロット講座といえば、おそらくどの教室でも先生方でもタロットから自分が受ける「感覚」「感じ」を大切にすることを教えられると思います。
そのことは私も非常に重要なことだと思っています。
ただ、これもやり方があります。
単純に「このカードを見てどう感じるのか、答えてみてください」と言われたところで、なかなか人は「感じ」を表すことができません。
それはなぜなのでしょうか?
まず第一に、私たち、特に大人で日本人はあまり自分の感覚や感情をストレートに人前で表現することがないからです。そういう社会環境にいるのです。
もうひとつは、感じていることを感じていない(ようにしている)ということです。
実際は何かは感じているのですけれども、いろいろなブロックがあって表現できないのです。感じていることすら自分にはわからなくなっているということもありえます。
「表現」と書くように、表に現れる、現すことができないのですね。
また感じというのはイメージとも結びついています。従ってイメージ(の表現)も抑え込まれているケースがあります。
タロットはイメージの世界ですから、自分の中でイメージとその表現がうまく機能していない場合はリーディングも難しいと思ってしまいます。
「何も思い浮かびません」「あんまり感じないのですが・・・」とタロットを前にしてこうおっしゃる方は、実は期待してもいいのです。
上記のような言葉を述べる人はかなり感情やイメージと自分のつながりを遮断し、ふたをしている状態と言えます。
しかしタロットを扱っていけば、そのふたが開いてくることになりますので(自分の取り組み方にもよりますが)、自分を変革したり、解放させたりする可能性が大なのです。
ただ一時的にはふたを開けるまで、そして開けた時に出てくるものによって、ちょっと混乱の時期が起こることがあります。
ですがその後は生まれ変わったかのような自分を観ることができます。
その第一歩としてタロットと自分の感覚・感情を表現していく作業が必要です。けれども最初に戻りますが、それがなかなか初めにはうまく行きません。
その呼び水として、実はおよそ「感覚」というものとはまったく逆方向の思考的ものを用います。
面白いですね。感覚と思考は相反するようで相補い、両方を強化してくれる役割もあるのです。
それは明日からの講座や、今後行われる基礎講座ハイクラスで実践していただくことになります。
剣の使い方
もともと素直に何でも受け入れる人はよいのですが、最初から疑ってしまう質(たち)の人はどうして批判がましくなります。
でも、悪い(と見える)部分も良いところがあります。
ですから自分のネガティブと思う特質を、逆に活かす形での転換(悪いと思えるところがよいところになる)が可能ですし、そのように考えていくことが大切だとよく言われます。
ところでタロットの根底に流れる「四大元素」の思考方法をとれば、人間も4つのタイプに分かれることになります。
その中でたとえば一番最初に述べた批判的になりがちな人は、四大元素では「風」の傾向が強いと言えます。
風をタロット的に物質で表現すると「剣」になります。
剣はイメージすればわかりますが、鋭く切り刻むものでもあります。そこから細かく分断するという「分析的」なニュアンスが出てきます。
剣を批判や攻撃のために使えばそれは相手、もしくは自分を傷つけることになりますが、剣をニュートラルに使用すれば、それは切り分ける便利な道具になるということです
切り分けるということは、先述したように「分析」であり、大ざっぱで把握しがたい物を、理解てきる大きさにまで加工していくことになります。
巨大な山を見て圧倒されるより、山を構成している成分を知れば、自分の庭の土と変わらないことがわかり、「なんだ結局は土の塊か」と安心できるわけです。
ということで「剣」傾向の強い人は、剣を思考分析の道具として使うことを意識するとよいです。
具体的にはとても簡単なことですが、いつも「なぜなのか?」と問うということです。
疑うのではなく、理由や仕組み、原理を調べ、探究する姿勢を持つということです。
これが剣をニュートラルに使う方法です。疑うということは分析することを拒否しているのと同じなので、それは実質、剣を使っていないことになります。
近頃思うのは、剣タイプにかかわらず、多くの人が剣の使い方を間違っている気がします。
それは情報の洪水の中におぼれているからとも言えますし、人より優れた情報を持つことがまるで成功者のように誤解されているからということもあるでしょう。
いずれにしても、剣は批判に使うか、あるいは剣をまったく意識せずの、いわゆる「鵜呑み」になっていることが見受けられるのです。
特に増加傾向にあるのは「鵜呑み」のほうです。受け入れることと、剣を使わないこととは別です。
「なぜなのか?」という疑問によって真理を探究し、考え、知る努力はしたほうがよいと思います。
「これはこういう意味なんだよ」と教えられてそのまま覚えるのではなく、「なぜそのような意味になるのか、そういう意味が出るのか」ということを知ろうとしてください。
ただ直観的に、すでに聞いた時点、あるいは聞く前から「識(し)った」ということの理解方法も人間には備わっていますから(これは火や水の把握方法と言えます)、その場合は剣を使わなくても済みます。
剣は自分を自立させ、ロボット化するのを防いでくれるのです。
タロットの価値ある使い方
タロットはたとえれば「マルチツール」だと言えます。
何でも使える便利な道具ですね。
それだけに自分がタロットをどのように使うのかという目的意識が大切です。
一般的にタロットを扱うというと、やはり「占い」の道具として、その使い方を身につけるというイメージが強いでしょう。
ですからタロット教室といえば、タロットで占い方法を学ぶということがほとんどです。
これとは別に、タロットを学び(のツール)として扱うというやり方があります。タロットを自己の整理や霊性向上のツールとして使っていくというものです。
それにはタロットでひとつの「教義」を確立しないといけません。それがマルセイユタロットにはあります。
タロットを学びのツールとしてとらえる場合、別に人に対してリーディングできる必要はありません。ただタロットを深く理解していくことになるので、結果的にリーディングができるようになります。
またタロットを通じて自分や世界を識るということでは、他人をタロットでリーディングして援助していくという作業も効果的なのです。それはマルセイユタロットでは「節制」への過程として描かれています。
タロットの一般的な主な使い方である「占い」によっても、もちろん幸せに導かれることも多くあるでしょう。
しかし占いを単に吉凶判断してもらって、嫌なことや不幸を避けるということの意味で使っていくのなら、逆にそれは自分をアンバランスな道へ加速させることになります。
実はよいこと(と自分が認識していること)はずっと続かないよう自然のバランスがあります。
凶を避ければ凶の中に含まれる吉の価値をあなたが知るまで、そのあなたが認識する「凶」とつきあうことにもなります。
幸せになるために占いを活用するのであれば、幸せと思う自分の考え方の幅を広げる、あるいは価値観を柔軟にしてとらわれをなくし、拡大していく方向で占いを活用することです。
ここが大切なのですが、「幸せ」という物理現象を増やすのではなく、あなた自身や周囲に起こることが幸せだと認識できるとらえかた・考え方・感じ方を増やすのです。
なぜなら幸せというのは自分の価値によって左右されるからです。
誰もが思う「幸せ」という物理的な現象の実体はないのです。
確かにお金があること、家があること、恋人がいること、家族がいること、好きな仕事をしていることなど、これらは一見幸せのように見えますが、「幸せ」そのものとは無関係であり、自分がそれをどう感じているかによって幸せかどうかを決めているだけなのです。
言い換えれば幸せはある種の心の状態のエネルギーです。
ということは、幸せ(と感じる)エネルギーを物理的なもの・現象から心で変換する技術が持てれば、幸せ状態は増やせることになります。(実質的には「エネルギー保存の法則」で増えてはおらず、エネルギーが変換移動したに過ぎません)
何がいいたのかと言いますと、単純な占いでタロットを学ぶよりも、まさに「学び」のための「学び」としてタロットと接し、扱うことを目指すほうがよいということです。
それにより幸せと思う価値観の幅を広げていくことができ、先述した幸せエネルギーへの変換技術も身に付いていくからです。
とはいえ、考え方は人それぞれ、タロットは最初にも言ったようにマルチツールですから、ゲームに使うもよし、吉凶占いに使うもよし、人間成長の道として使うもよしと私は思います。
感謝の方法
このブログでも何度か「感謝すること」の大切さについてお話してきたところです。
その理由についても、ちょっとスピリチュアル的な意味を持ちつつ、論理的にも証明しようとしました。
それで今日は「なぜ感謝することがいいのか」という理由はあえておいておき、その方法について語りたいと思います。
前にも感謝の気持ちは訓練することができると書きました。
感謝は自然にするもの(起こるもの)であり、訓練するのは間違っているという人もいるかもしれませんが、まあ、ここは「そういうこともある」という目で見てください。
ところで私の伝えているタロットの奥底の思想には、人はもともと完全であり、神性を持つというのがあります。
ということは感謝の心と言いますか、人は誰でも全体が感謝で満ち溢れる存在といってもよいのですが、現実にはいろいろな縛り・枠があり、そのことを忘れてしまっている状態でもあると考えられます。
よって今は忘れて少ししかない感謝の気持ちを、少しずつ思い出すのだということが「訓練」に該当すると思っていただければよいでしょう。
まず「忘却」しているのですから、感謝の訓練には未来思考ではなく過去と現在にフォーカスする必要があります。
また過去も結構遠いものになっている場合が多いですから、やはり大切なのは今現在への視点でしょう。
よくいわれる「現状への感謝」というものです。
しかし、これが意外に難しいのです。人は欲望によって生きているところもあるので、不足や不満を見つけることは得意なのですが、充足していることを発見・認識するのはある意味下手といえます。
そこで意図的にチェックするような姿勢を持つことが求められます。
チェックをするということは、何かチェック項目や基準のようなものがあれば便利になります。
それがタロットカードでできるのです。
具体的には22枚の大アルカナを使います。これをシャッフルして一枚取り出し、出たカード(正逆は問いません)の象徴から身近な感謝事項を思い起こします。
たとえば「手品師」が出たら自分の「仕事」を思い、仕事のおかけで給料があり、食べていけることを感謝します。また不況の中で仕事がある、働ける場所があること自体を感謝するというわけです。
ここでさらにずっと考えていると、仕事の不満とか要求とかも出てきてしまうおそれがありますので、感謝の気持ちだけ取り出してくれば、あとはその感謝を思い出させた事柄自体からはすぐ離れるようにします。
上記の例でいえば、仕事から感謝の気持ちは出たので、必要以上に仕事にフォーカスしないということです。フォーカスするのは感謝の心のほうです。
同じように「審判」が出たら、たとえば「家族」を想起し、家族の優しさ・ありがたさなどを思い、感謝の気持ちを取り出します。
これも家族に焦点を合わせ過ぎては、またネガティブなことも出てくるかもしれませんので、それは避けます。
このようにすれば日常からたくさんの感謝ができるようになります。毎日一枚だけでもやればかなり違ってくるのではないかと思います。
それにタロットリーディングの訓練にもなるので一石二鳥です。
どうぞお試しください。
「13」の無我夢中
マルセイユタロットのカードの「13」を見ていますと思うことがあります。
一般的に見て、このカードは最初にはやはり苦しそうに見えます。大きな鎌をもって容易ならざる作業をしているように感じます。
絵柄の人物の姿形も骨身であり、まさしく「骨身を削る」ような苦労をともなっているのでしょう。
こうした状態を実際の私たちの人生にあてはめると、それは苦難や試練ということになるのかもしれません。
試練や困難なことと聞くと、一般的に、「これはあなたにとっては大変でしょうが、自分を磨くためのよい体験なのです」と人から説明されることがあります。
「13」のタロットカードということに限らず、仕事や病気などの取り組み方として、普通に説教的に聞かされる話かもしれませんね。
それはもちろん大切なことであり、確かにその通りの面もあるでしょう。
しかしタロットの「13」からは、そのような「一般論」的な物の見方だけではない事柄も浮かんできます。
大変な時、一体私たちはどのような状態にあると言えるでしょうか?
おそらく心も現実的な行動もパニックになっているかのような混沌・混乱の中にあると思います。
クリアーに先や解決策が見えていたら、そんなにあせる必要も苦しみ続けることもないからです。
ですから真に大変な時というのは、「闇にある」状態と言ってもいいです。
闇の中でもがき苦しみ、悩んで私たちはいろいろと必死に考えたり手を出したりすることになります。
たいていは冷静さを欠いていますので、いわゆる「失敗」と思えるようなことを引き起こしてしまいます。その意味でも闇と言えるかもしれません。
まさに「盲目・手探り状態なのに手当たり次第」という感じが苦しみ時の人の行動です。
その結果で「やってしまった!」「ますますドツボにはまった・・・」ということは多くあるのですが、しかしながら必死なので、普段冷静な時には決してやらなかったようなことさえもやってしまうことがあります。
普通自分ではありえないことを思い、ありえないことをしてしまうのですね。
それは言ってみれば常識の境界線がはずれるということです。
これが悪い方向に働けば、自分や他人にも迷惑や危害が及ぶことにもなりますが、それほど強烈だということでもあります。
けれどもいいにしろ悪いにしろ、これまでの自分の常識を超えるわけですから、そこには突然の変革、大きな変容の道が切り開かれることもあるのです。
言い換えれば自分の殻が破れるのです。
そのことは当事者であるその時の自分にはほとんどわかりません。なぜなら苦しみの渦中にあって、とても自分を客観視することなどできないからです。
あとで救われ、落ち着きを取り戻した時に、「ああ、あの時は必死でわからなかったけれど、とんでもないことをやってしまったなあ、でも自分にもそんなところがあるんだ」と気がつきます。
人には普段発揮されない潜在的に隠された大きな力が眠っていると言われています。
その扉を開くのが「13」の体験なのかもしれません。
自分が本当に苦境に陥った時、人間の生存本能、眠っていたDNAの能力にスイッチが入るのかもしれません。
それは自分自身を生まれ変わらせるための実際的な儀式とも言えます。
マルセイユタロットでは正義から数の順番で続く13までの一連の流れが、まさに今回話してきた内容とつながっていくように感じます。
そして苦しみの変容のあと、待っているのは天使の「節制」の姿なのです。闇の中には混沌であるだけに、様々なものがあり、天使の種も入っていると言えましょう。
