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「恋人」、「運命の輪」のカードがもたらすもの。

自分の人生において、重要な「点」(ポイント)ともいえるものは何だと思いますか?
人の価値観はそれぞれであり、この「点」についても様々な意見があるでしょう。
私はひとつにはタイミング、そしてもうひとつには「縁」だと考えています。
タロットカードでいえば、「運命の輪」と「恋人」です。
このカードを見てもわかるように、ともに複数の人間や動物たちがいます。
ということは単独より、複数(多くの人)によって「ポイント・点」が生み出されるとも考えられます。
恋愛や結婚、就職・起業・ビジネス、果ては遊びに至るまで、人は何かの縁によって結ばれ、人生(の質)が決まってくると言ってもよいでしょう。
その縁はほとんど自分というより、人が運んでくれるものです。
とすれば、いい縁と出会うためには、よい人たちとつきあわなくてはならないということになります。
つまり、よい縁はよい人につくと言ってもいいでしょう。
あなたの今の人生も、いろいろな人やモノとの縁によって生じ、形成されてきているものです。
もし今が不満足、あるいは理想とは大幅にかけ離れているというのならば、あなたに縁をもたらす人の次元(レベル)を上げていかなくてはならないことにもなるでしょう。
しかしながら、ただ縁を待っているだけではどうにもなりません。「恋人」カードには人間たち三人が描かれているように、現実(人間)の世界で自分が行動しなくてはならないのです。
さらに、タイミングも重要です。
チャンスや縁があっても、あれこれ考えすぎてそれをつかみ損ねるということもあるでしょうし、反対に無策に飛びつきすぎて、悪い話にだまされてしまったということもあるかもしれません。
よいタイミングを測るには、カードでいえば「運命の輪」の中に埋没・操作されてしまうような、コントロールを失った(自分自身を失う)状態で物事を判断しないということです。
すなわち、それは「運命の輪」のスフィンクスでいることなのです。
それから自分について向上心を持っていること、理想やイデアと呼ばれる最上・最善(魂的な意味で)のものを求める精神も大切だと感じます。
それが良質の縁を運んで来ますし、まさにジャストなタイミングで現れることもにもつながってきます。
それには人生で悩むこともよいのです。
恋人カードが示すように、どっちにしようかと選択に悩み、迷い、あるいは人生の方向性がわからないといった混乱に陥る・・・このような時でも自分自身はあきらめず、向上の心を持ち続ければ、上空に天使が必ずやってきます。
実は「恋人」「運命の輪」、そして「悪魔」と「神の家」はある規則によってつながっており、この4枚を読み解くことでとても深い示唆を得ることができます。
最終的にはそれらのことも「星」のカードが握っているという構図にもなってきます。
これはマルセイユタロットならではの関連です。
ちなみにこのような示唆は、誰に教えられるのでもなく、カードの基本的知識(象徴と思想も含む)を得て、ずっとカードに接していると自然にインスピレーションとして降りてきます。
改めて神業とも思えるマルセイユタロットのすごさに気がつかされます。
それはともかく、少なくとも今より自分の人生の質を上げたいと思うのならば、努力して自分によい縁をもたらすことを実行していけばよいでしょう。


順調だったのに、急に悩みや問題が出てきた時。

世の中は常に変転していますから、「もうこれですべてわかった」「これ以上のことはない」「もう大丈夫だ」と思った瞬間、自分は変転の流れから脱落するか、その回転軸と同調することができなくなって、ギクシャクしてきます


何がギクシャクするのかといえば、「運命」であり、「人生」がです。


脱落している場合は、突然思ってもみなかった事件が身の上に起こったりしますし、回転と不調を来している場合は、ゆっくりではありますが、何か今までとは違うものが生じてきます。いずれにしろ、問題や悩みとなるものです。


そして意外にも、それは自分の奥底の願望とつながっていることがあります。


世界や世の中が変転し続けているのなら、人も変化し続けるものであり、それならば自分も同じはずです。


安心・安寧・安定、あるいは一種の生(なま)悟りのような到達感によって、自分が極みを迎えたと錯覚した時、もう一人の自分の願望が破壊衝動(つまり変化の衝動)と結びつき、極度のマイナスやプラスの現象を引き起こすことがあります。


たとえば、現実感のない形で「好きな仕事をしたい」と思って安定した仕事を捨ててしまう、長年連れ添ったパートナーと別れ、理想の人を追い求めて行動する、突然放浪生活や外国暮らしを始めたいと飛び立ってしまう、急にギャンブルにはまって貯めていたお金を大量消費する・・・などです。


ほかにも外からの働きかけで自分の願望とリンクして破壊が起こることもあります。


例を挙げれば、子ども持ちたいと思っていたのになかなかできず、パートナーが別の人に子どもを生ませてしまったという場合や、変身願望を持っていたら、急に親や配偶者が転勤することになり、無理矢理住み慣れた町を離れるようなことになったり、ひどい時は通り魔や犯罪に遭遇したりするようなこともあります。


これらはもちろん、必ずしもというのではなく、そういうケースがたまにあるということです。安定による破壊作用ではなく、ストレスや葛藤、不安による破壊・被害も当然あり、そちらの方が例としては多いでしょう。


さて変化からの逸脱による問題・事件・悩みを解決・修正するには、やはり再び変転の波に自分を戻すことであり、回転に同調させることです。


具体的にはまず、生悟りやわかったという傲慢さを捨て、謙虚になることです。


「もう私には何が起こっても大丈夫」とポジティブシンキング過ぎるのもまずいです。


反対に極度の落ち込み、「もう何をやってもダメ」だと思うネガティブシンキングばかりもいけません。


「私は無敵!明るく前向き!」というのと「何をやっても私はダメ・・・」というのは、両方とも結局は固定状態にあるということなのです。いわばポジとネガどちらか片方に固着しているわけです。


いい時もあれば悪い時もあり、ポジもあればネガもあるというように、山と谷の波であることを自分に認識し直します。それが宇宙の流れであり、自然であり、バランスだからです。


その上で、今あるものに感謝をすることです。


不思議なことに、私たちは「今あるモノ・人・事」に感謝を抱くことができなければ、それに気がつかせるための作用が天から働くようになっているのです。


今困難な問題、悩ましい事が起きているあなたは、現在恵まれていて感謝できるものを忘れていたり、ないがしろにしたりしていないか、もう一度チェックしてみることです。


感謝が心底できた時(思い出した時)、あなたの問題は解消に向かいます。それは変転の波に再び回帰することでもあります。


なぜならば、少し難しい話ですが、この変転の流れ・波こそが宇宙の愛の表現だからです。変化は救いでもあるのです。


今日書いていることは、マルセイユタロットの「運命の輪」と「節制」「星」から得られたメッセージです。


要は人生は流れの中で楽しみ自分の人生は自分のものである(自分の責任と選択の自由がある)という認識を持つことです。


そしてすべては宇宙のバランスの中で、あなたの人生は「愛」(周囲や縁ある出会う人々などでもあります)によって支えられていることに気がつくでしょう。


目に見えない世界の情報はこうして現れる。

昨日は、目に見えない情報もそれなりのルールに基づいている可能性があり、それが信じられれば目に見える情報とともに有効に機能する(活用することができる)というようなお話をしました。


では、目に見えない情報の現れ方、受け取り方、ルールとはどんなものなのでしょうか?


これがわかれば苦労はないわけですが、全部とは言えないまでも、ひとつの有力な表出方法理解の方法でもあります)があります。


それは目に見えない情報は象徴(シンボル)の形で発信されており、だからこそ、こちらも象徴として理解しなければ(受け取らなければ)ならないということです。


たとえば、先日も私にはこんなことがありました。


このところ暑さで、私は家ではTシャツを着て作業しているのですが(^_^;)、その日は適当なものがなく、「もう何でもいいや」と思って、タンスの奥にあったシャツを取り出して着ました。


そのシャツはサッカーワールドカップの時のものでした。


そうしてお昼になったので、休憩しようとテレビをつけてみました。


普段私はテレビを見ることはほとんどないのですが、天気予報が気になったことともあって、何となくその時はつけてみたくなったのですね。


局はNHKで、番組は誰かをゲストに呼んでアナウンサーがいろいろと質問していくというものでした。


普段は歌手や女優などの芸能人が多いようですが、その日のゲストはなぜか前サッカー日本代表監督・岡ちゃんこと、岡田氏でした。


それで当然ながら岡ちゃんへはサッカーの質問になってくるわけですが、最後の方では今の岡田さんが何に取り組んでいるかの話にもなりました。


岡田さんは今、北海道のあの富良野塾(シナリオ作家の倉本氏主催の塾)の関係で、環境や人としてのあり方の問題などをテーマに、若い人に対して講義しているようでした。(岡田氏が環境や人間のあり方について学ばれ、活動されていたことは知っていましたが)


その時出たお話の中で、ある科学者のことが、岡田氏の口から飛び出てきました


しかもさりげなくです。まさに偶然出たというような感じでした。アナウンサー側でも流してしまったほどです。


ところが、私はとても驚きました。なぜならば、その科学者の書いた本を、その日の昨日に私自身が偶然のような形で本屋で手にして、思わず購入していたからです。


この流れは私にとっては不思議な偶然が重なっています。


本屋で、ある本を手にしたこと、ワールドカップのTシャツを着たこと、サッカーに係わる人をテレビで見たこと(W杯で「二度」指揮した日本人監督です)、その人が自分が入手した本の著者の主張を語っていたこと・・・


ちなみに私の来ていたワールドカップのTシャツは2002のもので(古くて恐縮です・・・)、その時の日本代表監督はトルシエ氏でフランス人でした。


フランスは岡田さんが最初に指揮した時のW杯の大会でもあります。そして、私はマルセイユタロットをしています。もうひとついえば、トルシエ氏はフランスのマルセイユのチームを2002年以降指揮していた時期がありました。


単なる偶然といえば偶然ですが、これを偶然の必然と思うことが、実は目に見えない情報の受け取り方のひとつなのです。本人(私自身)しかわからない形であるということも重要なポイントです。


そう、いわゆるシンクロニシティを見る(意識する)という方法です。


偶然ではあるけれど、意味をもって連繋している、関連しているその「つながり」や「本質」を読み解くのです。


そしてその関連性を表すのが「象徴」なのです。


逆にいえば、象徴によって、意味のないと思われた事柄同士が意味をもって結びついてくるのです。


そこから、天や神・大いなる存在というものが、自分に何を示そうとしているのかを理解するわけです。


たとえば朝に鳥が二羽飛んでいたのを見たこと、お昼の食堂でコップがふたつ出てきたこと、帰りの電車で遅れが生じ、いつもとは違うルートで二回乗り換えなくてはならなかったことなどあれば、ここにシンボル・象徴として「2」という数が導き出され、それに意味をもたせれば、自分へのメッセージと取ることができます。


こういった「シンクロニシティに意味を見いだす」「象徴として世界を見る」というようなことは、通常の私たちの思考方法ではありません。


けれども、こうした別種の思考方法があるのだと思えば、あなたは違う世界からこの世を見る能力を獲得したに等しくなってきます。


ひとつの方面からの見方では解決しなかったことも、違う世界の視点から見れば氷解することもあります


目に見えないことを信じられないのは、実は単に、その世界のルールや現れ方を理解する手段を知らないからに過ぎません。


もちろん目に見えない世界の情報を完璧に受け取り、解き明かすことは難しいでしょう。


しかしながら、象徴やシンクロニシティという形で現れ、受け取ることがひとつの方法だと思えば、まったく未知の世界ではなくなってきます。


この訓練をしたり、象徴そのものを理解したりするのにとても役立つのがタロットというわけなのです。


タロットを使えるようになれば、わさわざ自分の周囲に起こっていることを象徴として解釈することをしなくても、タロットを展開すればすでにタロットが象徴そのものでもあるので、それだけで目に見えない情報に迫ることができるのです。


情報のふたつの種類

私たちは今、様々な情報にさらされています。


今は情報が多すぎて、選択に困るという時代かもしれません。


ところが、この情報の種類にも大きくわけて、ふたつのものがあります。


それは目に見える情報と目に見えない情報です。


現実(私たちが認識する世界)の情報と非現実的(通常認識できない世界の)情報と言い換えられるかもしれません。


ただ、私が思うに、後者の目に見えない情報というものは、まだそれを誰もが目に見えるような形でわかる技術やレベルに達していないだけだと思っています。


科学の進歩とは少し違うのですが、やはり技術的にも人々の認識力においても変化が訪れれば、やがて今、目に見えてない情報も、誰もが受け取れ、解読できるようになると考えています。


しかしながら、現在の「常識思考」ではまず否定されがちの「目に見えない情報」とも言えます。


それゆえ、そういった情報の類は、怪しい、信頼できないと普通はなります。


その一番の原因は、そういった情報のシステムが「わからない」ということにあるでしょう。


私自身は目に見えない情報(世界)にもきちんとした合理性やシステマチックな法則がある考えています。


ただし、それは私たちが普通思う「合理性」や「論理性」とは別種のものだということです。


たとえばゲームの世界では、現実の世界とは違うルールが適用され、それがゲームの世界では通用します。


「こういう方法で願い事をすれば、このレベルでかなう」ということが、ゲームの中では「実際に」起こります。それはそういうシステムの世界だからです。


しかし、現実では同じような方法で願い事しても、ゲームのようにかなうことはありません。それはこの世界もそういうシステム(ゲームのような方法で願ってもかなわない)になっているからです。


ただし、ゲームと違うのは、一見まったく違うシステムのように見えていて、実は同じルールとシステムも内包されており、その共通根のようなものがわかれば目に見える情報も目に見えない情報も、やはり情報としては同じであるということがわかってくるのです。


究極的には、私たちが創るゲームの世界でさえ、現実の世界と共通したものがあり、実は同じ世界の別表現であることにも気がついてきます。


とはいえ、目に見えない世界はなかなかわからないので、そういうものは信じない、無視しておくというのも、ある意味賢明な選択かもしれません。


自分がわからないものに信頼をおくよりも、自分がわかっている、見えているものを根拠とするほうが客観的・普遍的であり、他人への説得力もあるからです。


ただ、「現実に認識できる以外の情報がある」のだと自分の中での信頼性を獲得することができるのなら、より情報量も増えますし、通常のモノの見方と別の方面からアプローチすることができます。


それが膠着した状況を打開させたり、ブレイクさたせりすることはよくあることです。


いわゆるひらめきとか、インスピレーションとかいわれるものもこれに当たります。


この時あなたは、目に見えない世界の情報を受け取っていたのです。その受け取り方が現実世界の目に見える情報の場合とは異なっていただけです。


しかし、このケースでは受動的なものです。


では能動的に自分からアクセスする方法はあるのかということですが、それがひとつにはタロットを使うということになるのです。


絵と音楽の記憶

(絵画・写真)と(音楽)は実に不思議なものと言えます。


ともに心に大きな影響を与えることができます。


それも、どこか忘れていたような、あるいは自分でも気がつかなかった感情、気持ちを思い起こさせる効果があるように思います。


まるで深層心理の記憶、あるいは潜在意識へのスイッチに関与しているかのようです。


たとえば、昔自分が聴いていた音楽を何かのことで久しぶりに聴いた時、その当時の記憶や光景、匂いまでもが再現されてきますよね。


言ってみれば時間を超えた再現性があるのです。


しかもそれだけではありません。


実際には時間が経過していますから、やはり今の自分の気持ちというものがあります。その今の気持ちとかつての自分の思いが交錯して、実に複雑な何とも言えない気分を醸し出すのです。


センチメンタルといえばそうかもしれませんが、単に郷愁というもので片付けられない何かがあります。


音楽ほどでないにしても、絵(写真)にも同じようような効果があります。


少し話はずれますが、人はセンチメンタルにひたる時、実は結構重要なことが起こっています。


音楽や写真、絵などで昔の記憶が呼び起こされた時、最初は印象的なシーンが浮かんでくるでしょう。


それで、さらにそのシーンを追い続けていると、ある時、ふと何でもないような光景・場面を意外にも自分が覚えていることに気がつくはずです。


たとえば友人と行った先で見た建物の影、窓、車の座席、家族と一緒に過ごした時の太陽が斜めに差し込む光線、学校の教室の廊下の輝き、水飲み場の蛇口、夏の逃げ水、林間学校でのキャンプファイヤーの炎の横のゆらめき・・・などなど。


それは記憶されているのですから、何気なくはあってもやはりインパクトを残しているものであり、何か意味があって残されているのではないかと考えられます。


私はこれは、天使(天上的な存在、通常を超えたもの)のいた瞬間の表現ではないかと思っています。


シンプルにいえば、大いなるもの・宇宙に私たちが生きている証であり、何でもないシーンと思える時にも、人智を超えたすばらしいもの、完全なるものがいつも私たちとともに存在しているのだという証拠だと感じます。


印象的なシーンは誰でも覚えています。

しかしそれと同時に、客観的に言えば「取るに足らないもの」と思えることが、それでも同時に記憶されているというのは、実は皆同じ価値があり、輝きはどんなものにも存在しているという現れだと考えられます。


逆にいえば、何かに価値をおけば、その周囲のものさえ輝くことになるのです。(マルセイユタロットの「世界」はこのことを、ひとつには表現しているとも言えます)


って、過去だけではなく、これからもあなた自身が活き活きとすれば、あなたのその生きている時間と時代も輝くことになるのです。


話を戻しますが、音楽と同様に、絵にも記憶を再生させ、今の感情と合一させていく作用があると想像できます。


そのため、であるタロットに取り組むことは、かつての純粋な気持ち封じ込めてしまった心を取り戻し、現在のあなたと融合させていくことができるということでもあります。


タロットは自己再発見と再統合としてのツールとしては非常に効果的なものなのです。



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