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話すことが好きか嫌いか。
私は今は人前でお話する仕事をしています。
まあ、お話と言ってもタロットが中心ですが。(笑)
皆さんは講師のような仕事をする人は、みんなもともとコミュニケーションがうまかった人だと思っていませんか?
でも、決して皆さん最初からコミュニケーション上手だったというわけではありません。
私は今でも人前で話す時は緊張しますし、知らない人がたくさん集まる会やセミナーなどに出た場合などは、貝みたいになって、コミュニケートする能力を著しく欠いています。言ってみれば、いまだコミュニケーションベタです。(苦笑)
飲み会なんかでも積極的に話しかけるタイプではなく、時にポツンと料理を食べている(お酒が飲めませんので・・・)ことも少なくありません。
学生時代の体育の時間でも、ペアとなって体操をするという場合において、相手に話しかけることができず、最後まで残ってしまい、結局先生とペアになるということさえありました。(^_^;)
ということで、いまだ大勢の中では苦手です。
でもそんな私でもタロットの講師をしていられるのは、実は話すこと自体は嫌いではなかったからなのです。
とはいえ、昔は自信がなかったり、技術ももちろん未熟だったりして(今もうまいわけではありませんが・・・)、話す機会があっても意識的にうまく活用することができていなかったのですね。
「なんだ、話すこと自体は嫌いじゃないんだから、やはり才能があるんでしょ」
なんて思っているあなた。
そんなことはありません。よーく考えてみてください。
誰でも、人間だったら自分をわかってほしい、思いや考えを伝えたいという気持ちは多少なりともあるはずなのです。あなたもほかの誰もが話すことは本当は好きなはずです。
ずっと自分だけの世界でコミュニケーションして満足している人は、誰一人いないでしょう。
たとえ独り言を言うだけで十分という人でも、それは自分と会話しているのです。
ですから「誰かに話をしたい」という思いに正直に向き合い、「自分がこう見られたらいやだ」とか、「どのように思われるのか不安」という気持ちを少しずつはずしていけば、「話嫌いである自分」というものは本当にそうだったのかどうかがわかってきます。
実は多くの場合、「話したくない」「話せるはずがない」と、自分で自分を縛って思いこんでいるのです。
もっと記憶を遡り、「人前で話をして恥をかいてしまった」とか、親が寡黙だったりおしゃべりをとがめたりして、あなたの「話す欲求」が抑えられてきていなかったかを見るとよいです。
そうすると「あなたを活躍させたくない」あなたのエゴが存在していたことに気がつくでしょう。
いえ、そのエゴは悪い存在ではなく、あなたをその時傷ついた心に再び陥らせたくないために、むしろあなたを守るためにそうしている(フレームの中にいさせている)とも言えます。
しかし大人になったあなたは、エゴの助けを借りずに自分で自分を守る方法を探究してください。
それは結局、エゴがいなくても自信が持てる自分になるということになるでしょう。
その簡単な方法のひとつは、思わず語りたくなる、話したくなる好きなことを見つけることです。
そうすれば、その好きなことを相手にわかってもらうために、どうお話すればよいのかということに意識が向かれ、自然に伝達の気持ちと訓練が積極的に出てくるようになるでしょう。
もちろん慣れ(つまり経験)というのも大切で、最初は誰でも緊張しますので、それが当たり前だと開き直るくらいで始めるのがいいでしょう。
結局失敗を恐れない勇気、自分を変えるという決意(タロットでいうと「力」)は、やはり多少なりとも必要になってきます。
話し下手、話し嫌いだと思っているあなたは、実は心の中は多弁であることは多いものです。
本当は誰しも話したいはずだと、再び自分の意識に目を向けてみるのも自分の心の解放につながっていくことでしょう。
とんでみましょう。
私は公務員を辞めています。
公務員を辞めるということは、皆さんの一般的なイメージでも、かなりもったいないことだと思われる方が多いでしょう。
確かに常識的にはその通りです。
公務員は副業が禁止されたり、いろいろと制約があったりしますが、その代わり身分は保障されており、やはり少々のことではクビにはなりません。
とはいえ、実際にはどこにいても苦労はあります。民間は民間なりの、公務員は公務員なりのつらさがあるのです。
結局のところ、どの道を選択するにせよ、人はそれなりの労苦は起こるよう設定されていると思います。
さて、そんな私が公務員を辞めて本当に良かったと思えることがあります。
それはいろいろな方と知り合えることができた(る)ことです。
特にタロットという世間一般からすれば一風変わったことをしておりますから(笑)、やはり出会える方も変化に富んだ方が多くなります。
公務員を続けていたら絶対縁を持つことはできなかっただろうと思える人が、本当にたくさんいらっしゃいます。それも全国(世界)規模です。
私は地方公務員をしておりましたので、どうしてもその「地方」限定のつきあい、しかも狭い公務員の範囲内というのがほとんどでした。
それが、今や年齢性別を超えて様々な人たちと知り合えたり、交流を持てたりしています。
縁が広がるというということは、それだけ世界が広がることであり、その分自分の可能性も広がり、文字通り自身の世界(内的も含む)も拡大することになります。
チャンスや才能を拓かせるのも、人とのご縁、モノとのご縁なのです。
ひとつところにこだわっていては、安定はあるかもしれませんが、自分の眠れる才能、本当の自分ともいうべき躍動する自分が眠らされたままになっているかもしれません。
何も安定を捨てなさいといっているのではないのです。いきなりリスクを冒すことは危険でもあります。
私とて、今でこそかろうじて生活はできていますが(^_^;)、公務員を辞めたあとは簡単に物事が進んだわけではありませんでした。
それでも普通に働きながらでも早くから安住せず、また年を取っても「もうやることもない」「年だから無理」とあきらめるのではなく、好奇心を持って自分の世界を広げていくとよいと思います。
いわばそれは、ほんの少しの勇気があればいいのかもしれません。勇気をもって飛び出る、あるいは飛び込むことです。
しかし「飛び入り」「飛び込み」は一時的には安定からの逸脱ですので、たとえ行動したとしても抵抗が働きます。
多くの人はそれで恐れをなしたり、「やっぱり自分には合っていない、無理かも」と元に戻ってしまうのです。
そこで踏みとどまるか、継続するかが大きな変化のポイントだと言えます。
このことはマルセイユタロットでは「力」「吊るし」「13」と並べて続くカードに表されています。
そして「13」から「節制」(新しい自分、救済された自分)に至る過程で大切なのは、現実においての縁をつける行動なのです。
それがカードいうと「恋人」であり、これはまた「13」と関連するカードとなります。
人生は長いようで短いものです。いろいろな縁をあなた自身がつけてくことで、豊かさが訪れます。豊かさとはある意味、バラエティなのです。
言い換えれば「あなたが飛(翔)ぶことで、富んでくる」と表現できます。
見ることで世界が生まれる。
自分の見ている景色や光景が、意外にも強く自らの世界形成に影響しているものです。
たとえば、すでに私たちは3.11のことを忘れかけているのではないでしょうか。
いえ、東北・関東の被害に遭われた方はまったくそんなことはないでしょう。
しかしその他の地域の人はいかがでしょうか。
一応、気にはしているものの、数ヶ月前の状況とは異なっているはずです。
それは確かに時間が経って、いろいろなことが処理されてきている、あるいは復興に向かって動いている、立ち上がっているという前向きな意味で変わってきたこともあります。
けれども、おそらくほとんどの人は、インターネットやテレビ、新聞などで報道される映像の量が少なくなってきたから、そのこと自体、考えなくなってきたということが大きいと思います。
また文字や言葉としての情報よりも、映像を見る(見ていない)ということのほうが影響が大きいと考えられます。
3.11からの数日と、その後しばらくは連日地震と福島原発関連の情報で満ちあふれ、津波の衝撃的な映像や原発への対応のシーンを見ないわけには行きませんでした。
実際に当初はあまりの映像の連続に、気分が悪くなったり、哀しみで被災せずとも気力を失われたりした方が続出したほどです。
私たちは、「大変なことが起こった!」「大変な事態が進行している!」と、まさに映像を見て感じ、自分がその世界にいることをバーチャルで体感していたわけです。
ところが今はテレビも普通ですし、節電の呼びかけくらいはあっても、原発問題でさえ、ほとんど報道されない状況に変わっています。
政治の選挙より、アイドルグループAKBの選挙が加熱に報じられたり、何か毎日楽しい(目をそらす)雰囲気があえて作り出されているかのようです。
この限りにおいては、もう災害などなかったかのようで、いいか悪いかは別として、たとえ事実は大変な状況であったも、「全然OKな日本!」「行けるよ、日本!」という気分にさえなってくるでしょう。
さてここで何がいいたのかと言えば、今回は「ある方向に誘導されている」というような洗脳的な話を指摘しているのではなく、自分が見ている映像・世界そのままを「本当の世界」だと認識してしまう仕組みが人にはあるのだということです。
ということは、日々自分が見ていることが、いかに自分の世界を創り上げていることに影響しているのか、もっと考えたほうがよいのです。
おそらく福島の人の感じている・信じている世界と、関西の人の世界ではかなり別の世界が存在していると言えます。
その意味では、同じ時空にいながら、まさしく別世界に生きていることになります。
何も災害時に限らず、平常時でも、おそらく地域や国が違えば、いや、もっといえば信じているもの、見ているものが異なるだけで人は別の世界にいることになるのです。
これを逆に考えれば、自分の今いる世界(今の自分の状況)を変えたければ、見るものを変えなさいということになります。
単純にいえば、穏やかなものを見るような生活(環境)であれば、あなたは穏やかになり、争いや激しさを目にし続ければ、あなたの心も争いの世界(人と争わなくても、自分の心の葛藤という意味でも争いになります)に移行するでしょう。
これとは別に自然のサイクルやバランスもありますから、片方だけのことを意識して見ているだけでは、やがて揺り戻しという感じで、逆のことをあえて見るようなことが起こる可能性もあります。
しかしながら、見るもの、見ているものがあなたに深く影響することは覚えておいたほうがよいかもしれません。
ちなみにタロットは絵柄であり、映像です。タロットが効果的なのも、ここに理由のひとつがあります。(単に映像を見ることだけではなく、タロットの場合は図柄・映像自体に秘密があります)
「星」のカードから考察される「豊かさ」
豊かさを象徴するタロットカードとして、「星」が挙げられるでしょう。
「星」はその名前のとおり、上に大きく星が輝いているのですが、それより目立つのは裸の女性と、その女性の持つふたつの水瓶(壺)でしょう。(マルセイユタロット)
このカードが豊かさを表すのは、いろいろな象徴の意味から出てくるのですが、そのような細かいことを考えずとも、絵柄を見ているだけで癒され、気持ちも豊かに落ち着いてくるのがわかります。
そしてやはり、気になるのは二つの壺と、そこから流れている水でしょう。
このことと豊かさについて考察を進めていくと、結局「浄化」ということが出てきます。
つまり、「豊かさには浄化が必要である」という示唆が得られるのです。
これは考え方としては難しいことではありません。
ホースでも何でも、水を流す通路・パイプを想像してみてください。
そこに石が詰まっていたり、汚れがたまっていたりしたらどうなるでしょうか?
水は流れませんよね?
時にはそこで詰まって逆流したり、破裂したりするかもしれません。それは怖いことです。
つまり、この水の流れが豊かさの流れだと取り、パイプはあなた自身の豊かさの通路だと考えるのです。
宇宙・自然には豊かさがあふれていると言われてます。そもそも調和し、完全な世界なのですから、枯渇や欠乏という概念がありません。
ここに流れているもの、在るものは膨大で無限大と言ってもいいでしょう。
ただ、それを流す通路が必要です。無限の泉やため池があっても、そこから引き出す流出経路を自分につなげていないと流れません。
しかも、その通路が汚れていたり、異物でいっぱいだったら、流れも詰まるばかりです。
またパイプ自体が細いと、いくら中に何もなくても、自ずと流れる量に限界があります。
ですから、私たちが豊かさのエネルギーを受け入れるためには、
パイプ・通路をつなげること
通路内を浄化・掃除すること
パイプを太くしていくこと
が求められます。
これが具体的には、今ある現在の豊かさに気付く精神性と拡大意識、そして実際的には収入方法や人との関係を増やしていくこと、自分の中の心のブロックと、現実での知識の欠如を解消していくことなどになってくるでしょう。
誤解されがちですが、心の浄化だけしてもパイプ掃除だけに終わり、パイプをつなげること、拡大させることをしないと実際に豊かさへの効果は少ないです。
しかし、心の浄化(ブロックの解放)なしでは水も流れず、拡大もできないでしょう。
両者相まって真の豊かさにつながるのです。
こころのバランスを失った時
私は以前、神経症つ病になった時、いろいろな経験をしました。
まず神経症やうつ病ということ自体、通常とは違う体験です。
そしてこれまで結構体が弱かったこともあって、病院の「診療科目」でいうと、ほとんどの「科」を受診していましたが(苦笑)、神経内科とか精神科はさすがにありませんでした。
当時はまだ「心療内科」とかいう表現は少なく、心の問題は「精神科」が主流でした。
だから実際にいくつかの精神科も受診しましたが、最初はかなり抵抗があったのも事実です。
あと、そうした医学的な治療を求めるのと同時に、やはり心の問題や病となってきますと、よくわからない面があり、どうしても今で言う代替医療に打開策を得ようともしました。
代替医療といえば聞こえはいいですが、段々と得体の知れない怪しいものまで手を広げ、宗教や拝み屋みたいなものにまで救いを求めてさまよう日々が続きました。
北は北海道、南は九州まで(危うく沖縄にも行きかけましたが・・・)全国に「心を治してくれる」という人や技術の情報があれば、タロットカードの「愚者」のように、本当に「愚か」にも出かけて行きました。
お金でいうと、数百万はかかったと思います。
それで得たのは、結局、「自分で治すしかない」(魔法はない)というものでした。
何一つ実際に効果があった(治してくれた)ものがなかったからです。(一時的な安心感はありましたが)
一時は絶望し、死ぬことも考えました。というより、そうしないと耐えられないほど激越な症状(極度のイライラ感)があったからです。(この時のことは以前も書いていますが)
その後、あの阪神淡路大震災を契機に、私の場合は逆に救われる形となったのですが、いずれにしても、病気とはいえ、せっぱ詰まったり、依存心が異常に高くなれば、人間普通では考えられない状態や気持ちになるのだということが実感としてわかりました。
ですから、「あんなことをしている人はおかしい」とか「そんなものに欺されて・・・」みたいに言われる人でも、それほどまでに追いつめられていたのだということがわかることもあるので、人の弱さを私は意識して、ジャッジしないよう心がけています。
皆さんも、自分は大丈夫だと思っているかもしれませんが、極度の不安や心配、ストレスがかかれば簡単に人は心のバランスを失い、まるで別人格のようなものに支配されることがあるのだと思っていたほうがよいです。(実際にエネルギー的な憑依のこともあります)
そして救いを求めて天使を飛び越え、悪魔にひきつけられがちになります。(タロットでも「節制」の次に「悪魔」がいます)
そのような時こそ、節制の力と考えが必要です。とはいえ、自分ではわかりませんから、家族や信頼できる人に頼り、忠告を受けるのもよいでしょう。
そして、これだけは覚えておいていただきたいのですが、救うのは自分です。
実際誰かに治療してもらったり、助けられたりはしますが、自分が治すという志を持ち、自分によって治っていくのだと思わないと治るものも治りません。
病気治療に限らず、選択するのも行動するのも自分だからです。
「誰かが私を治してくれる」「魔法の薬が私を一瞬で癒してくれる」などと、特に心の問題の場合は思い過ぎないことです。
結局は心の負担がかかっている(かけている)環境が問題であり、それを調整し、取り除き、通常の心でいられる状態を長く続けていくこと(環境的にも)が、エネルギーの回復とバランスを取り戻すことにつながってきます。
あと、治っているのにそれに気がつきたくないという場合もあります。
治ってしまうといろいろな意味で都合が悪くなるからです。(まるでアニメの「アルプスの少女ハイジ」でのクララの足のようなものです)
困った時は人の助けを得ないといけませんが、あくまで本当に治す(戻す)のは自分だと心がけておくと、回復も早いと感じます。