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タロットカード「愚者」に見る人生の旅とは

タロットカードには「愚者」というカードがあります。


カモワン版マルセイユタロットにおける「愚者」私たち自身でもあり、人間完成のために、ある道筋をたどる旅人の姿で描かれています。


すなわち、あらゆるものを「愚者」の「旅」と表現しているのであり、人にとって大きな意味でいえば、それは人生そのものと言えます。


「愚者」は一定のところに留まることをせず、どんどんと自分の目指す目標や目的に向かって進んで行きます


ですから「こだわる」ということがありません。それゆえ自由なのです。


ここから示唆されるのは、自由になるためにはこだわりをなくす、とらわれから解放していくことが伺えます。


何事も、「それしかない」「ここしかない」「あの人しかいない」などと思いこんでしまうと、執着となって、それ(物や人、方法など)を失うことを思い、あるいはそれと自分との関係に囚われて、不安や恐怖、いらだち、あせりを感じてしまうことになります。


そんなことはわかっているけれど、それができないから苦しく、つらいんだよ、と言われる方もいらっしゃるでしょう。


そうなんですね、「愚者」のように気楽にどんどんと人生の旅が歩める状態になれば、いつも新鮮で、身も心も軽く生きていくことができるでしょうが、なかなか現実的にはそうはいかないのが人間です。


ここで発想を変えまして、もともと気楽になれないように現実世界はできていると想定してみましょう。


そうすると、「愚者」の絵柄とともに面白いことがわかってきます。


マルセイユタロットを持っている方は、「愚者」のカードを見てください。「愚者」は一人で旅をしているのではありませんよね。


そう、(動物)がついて来ています。あるいは、引き留めているようにも見えます。


今回は後者、引き留めているように見えることに注目です。


ポポ・・ポンっ!とスキップするかのように、次々と移りゆくお気軽スタイルの「愚者」ですが、それに「ちょっと待った!」をかけているのが後ろの犬なのです。


さきほど、「現実社会はもともと気楽になれないものとして考えてみる」と言いました。とすれば、「愚者」の道筋(私たちの人生を象徴)は、結構つらいことになります。


「愚者」はおそらく、今いる場所から逃げたい気分でしょう。次にはよい場所が待っているはずだと。


しかし、犬が彼(愚者)を引き留めるのです。


なぜなのでしょう? うざい犬ですよね。(笑) ほっといてくれと思うかもしれません。


「私はこんなところ(状態)は嫌です、早く次へ行きたいのです」と言っても、犬がそうはさせじと、彼の足下に食らいついてきているのです。


実はカモワン版マルセイユタロットの「愚者」における犬は「霊性」を象徴しています。


「霊性」という言葉がわかりにくい場合は、統合された高い次元の精神と言ってもいいでしょう。もっと簡単にいえば、悟りを得るための心やあり方のようなものです。


つまり、あなたである「愚者」が、何も学ばず、そのままの段階やレベルで次に行こうとした場合、「愚者」の犬は警告としてあなたを今のところに留め置こうとするのです。


カードをよく見てください。犬が引き留めをしていると見た場合、「愚者」が一歩前へ進もうとしても、犬が追いすがって来ているため、当然前には足が出にくくなるのがわかると思います。


それは、「学び残しがある」状態だと考えられます。あなたの霊性を高めるためには、まだ次に進むのは早いということなのです。


その代わり、その学びが終われば、逆に犬はあなたの旅を後押ししてくれる存在になりますし、これから先の良き旅の伴侶にもになってくれます。


そしてあなたは、次の場所へ簡単に進めることができるようになるのです。


この時の「愚者」(あなた)こそ、本来の「愚者」のように、気楽で身軽な気持ちになっていることでしょう。


ということは、あなたがまだ楽になれないというのは、何か今いる場所や状況に改善や解放、変革が求められるということになります。


これは転職や起業、友人・恋人・夫婦・パートナー関係なども含めて、人生の様々な変化のポイントに言えることなのかもしれません。


ブログ止めたくなくなるかも? ブログ活用法

ブログ記事シリーズ(笑)最後です。(第一回目はこちら第二回目はこちら


今度は別にビジネスを志向しているわけでもなく、ただ何となく趣味でブログを開設してしまいました。。。という人向けの内容です。


考えてみれば、「何となく」タイプの人が一番ブログを止めたくなる危険度が高いと言えますよね。


始まり自体が何となくですから、何となく面倒になり、何となく記事を更新しなくなり、何となく放置・・・ということで、止めたくなるというより、自然にそうなってしまうという感じでしょうか。


でも、ブログも使いようだと思うのです。必ずしも皆さんに公開する必要もなければ、宣伝や日記である必然性もないのです。


ではタロットから得られたアイデアをもとに、私から「止めたくなくなるブログの使い方」を提示してみしまょう。


タロット学習者用

タロットを勉強している人にとっては、タロットに関する気づき帳、自分のタロット辞典、特定メンバーとの交流の場として利用する方法が考えられます。


これは以前にも、スマートフォンや携帯を利用した「タロットメモ作成」的な方法をお伝えしたことがありますが、これをブログでもやってみるのですね。


カテゴリーをタロットの名前別にして、その関連する事項を書いておくと、あとあとにも便利です。


人に見せるというより、自分の記憶補助用みたいなものといえますが、公開しておくと誰かからコメントももらえて、有意義かもしれません。


もうひとつは、リーディング練習に使うというものです。アメブロならば、ほかの知り合いのタロット学習者にもアメブロを開設してもらって、自分のアメンバーになってもらいます


それで自分がリーディングしたものを記事にしてアメンバー限定にし、リーディングの意見をアメンバーの人たちからコメントしてもらうのです。これならば、他の人に見られることなく、仲間で研鑽しあうこともできるでしょう。


一般の方用

やりたいこと、行きたいことろ、会いたい人、食べたいもの、着たいもの、身につけたいもの・・・など、人には希望や目標、いやもっというと、欲求・欲望みたいなものがあると思います。


それも、身近で、これなら手に入る、できそう、行けるというような実現可能そうなものをイメージして、だいたいの目安、たとえば「4月10日までに○○(みたいな)所にに行く」「△△をやってみる」というようなことを記事で書きます。


で、しばらく放置しておいてもいいのですが(苦笑)、その時期が近づくと、実際に行ったかどうか、やれたかどうか、どれだけ目標や欲求充足に近づいたかを記事として書くというものです。


たとえば、「あのケーキ屋さんがおいしいと聞いた。○日までに行って食べてみると決意する」と数行の記事を書き、その時期が来たら、実際行ったのか、行けずに別のケーキ屋さんにしたのか、そもそもケーキのこと自体忘れてしまったのかなど書くわけです。


ひとつの具体的な目標・設定がありますので、それに対してどうしたのか、どうなったのか、どう思ったのかというようなことは思い浮かべやすく、記事のネタとしても書きやすいのです。


先のケーキ屋さんの例でも、たとえ目的のケーキ屋さんに行かなかったとしても、「そういえば私のお薦めするケーキは・・・」などとケーキをテーマにした記事がとりあえずは書けるかもしれません。


で、ここからがいいところなのですが、段々とこれを続けていると、たぶん単なる欲求・欲望レベルのものに対しての目標実現は自分でも面白くなくなってくるでしょう。(身近な発見、自分の意外なこだわりがわかって逆に面白くなる場合もありますが)


するとブログ停止の危機にもなりますが、ここでちょっとふんばり、もっと高い目標、夢ある目標、自分をいい意味で変えていくための有意義な目的を設定するようにしていくのです。


まあ、普通の欲求レベルのものに、そうしたものをはさんでいくのもよいというくらいの感覚が最初はいいでしょう。


いずれにしても、このやり方を続けていくと、自分が何を求め、何に気持ちよさや楽しみを思っているのかもわかってくると思います。


これは結局のところ、ブログを使った自己洞察の方法の一つなのですね。


ここに挙げた例はほんの一例です。


ブログは使い用です。カモワン版マルセイユタロットでいえば「手品師」の道具であり、これを「世界」の四つの生き物にすることもできるのです。


ブログ記事をタロットで発想する。

昨日の続き の記事になります。


前回はブログの記事のネタが思いつかず、ブログを止めたくなる人に対して、タロットを使うと、タロットの絵柄や意味のイメージから発想を得ることができますよ、ということをお伝えしました。


反対に、自分の思っていることを整理して、一般の人にもわかるように置き換えることができますよともお話しました。

それで、そのひとつの具体例を出したいと思います。


たとえばあなたがコーチングをされている人だとしましょう。そしてタロットを学び、手にしたとします。


さて今日はブログにどのテーマで書こうかと思った時、一枚タロットを引いてみます

そこで「運命の輪」というカードが出ました。「運命の輪」は、そのまま人の運勢や運気・流れということも象徴しますが、時間やタイミングといったことも表します。

くるくると輪が回っている絵柄・・・そうしたものを見ているうちに、「そうだ、時間管理で困っている人のコーチングの話をしよう」「チャンスが来ているのに、それに気がつかない人に対してのコーチングすることをお伝えしよう」

という具合に、そのカードに関連する思いつき・発想が出てくるわけです。少なくとも、何もない時より、呼び水としては効果的だと言えるでしょう。

これとは逆に、自分が経験したこと、体験したことをタロットを使って普遍的なものにすることもできます。

たとえば、あなたは「今日、友人と気まずくなった」ということがあったとします。

「このことをイメージできるのは、タロットでは何になるのだろう」と思ってタロットカードを見ます。

そうすると、あなたには「太陽」というカードがひっかかり、その絵柄から(「太陽」には二人の裸の人間が、手を取り合っている姿が描かれています)、「人間近づきすぎても、まずいことがあるのかな」という思いに至ることになりました。

そして、「そういうことは誰にでもあるのかもしれない・・・」「そうだ!人間関係の距離の置き方について考えてみよう」「記事にして、みんなに聞いてみてもいいかもしれない」と、次第に一般的な観点へと拡大していき、ブログに書きやすい内容へと変容するのです。

この一連の作業を何もないことろから始めるのは大変です。でもタロットがあれば気づきは早くなるのです。

タロットは78枚のカードがありますし、もっとつきつめて22枚の重要なカードに絞ることもできます。その22枚でも、あらゆることを象徴させることができます。

ということは、ほぼ毎日記事を書いて行くにしても、22枚もあれば約一ヶ月はカード一枚一枚からのアイデアを得ることができますし、78枚を駆使すれば、2ヶ月半は一枚ずつのネタが出させることになります。

もちろん一枚のカード中にもたくさんの象徴が詰まっていますので、もっと複雑なこともできます。

さらに一枚だけではなく、複数のカードを組み合わせることで、非常に多くの考えや発想が出ることも予想されます。

そうこうしているうちに、いつの間にかタロットにも詳しくなってきますし、自分のこれまで見てきた世界(観)を、タロットの象徴によって再統合していくことができます。

世界が統合されていくということは、物事の整理がつき、世の中への働きかけがダイレクトにしやすくなり、現実も変えやすくなるということを意味します。

このようなタロットの活用法もあるのです。

ちょっと長くなってしまい、予告していた「日記的にブログ書くことでの効果」について書けませんでしたので、それについてはまた次回にさせていただきたいと思います。

まだ続くのかよ・・・ですが(苦笑)。


ブログを止めたくなること、ありませんか?

ブログって、最初のほうは単に個人的な日記だったはずなんですが、今やビジネス的な活用をされることが多くなりましたよね。


でも、いざ書いていくとなると、最初の勢いはどこへやら、だんだんと何を書いていいのかわからなくなってきて面倒になり、気がつけば更新も止まり、放置状態になってしまうことがあります。


またそこまで行かずとも、「いつも何書こう?」と本当に毎回悩まれている方もいらっしゃるでしょう。


記事が書けない→ブログに魅力がない→人やお客様の反応がないということで、「もうブログなんてやだ!」と止めたくなった人もいらっしゃるかもしれません。


私も毎日書いていますが、時には泊まりの出張講義も入ったりして、書きためておかなくてはならないと場合も出ます。こんな時はさすがに「何書こうかな~」となることもあります。


ですが、私にはタロットがありますので、すぐ記事が思いつかない時は、まずタロットを見ます実際にその日のネタは何がいいのかと、タロットを引くこともあります。


このようにタロットを使いますと、必ず何かの書きたい内容のイメージや、ネタ、ストーリーが出て来るのです。まさに困った時のタロット頼り(笑)です。

ということで、これまでのところ、「書く」には困らずに来ています。


これには私が書くことが好きということもあるのかもしれませんが、それを差し引いても、タロットからの刺激と恩恵は計り知れません。


「あなたはタロットのことを書けばいいので、タロット使えばいいのはわかりますよ、でも私は分野が違うんですよ」と言われる方もいらっしゃるでしょう。


でもですね、タロットはあらゆる事柄を象徴させることができるのです。その絵柄は無意味に描かれているわけではありません。


誰もが思う心の鋳型・元型・パターンを基本として描いているので、タロットを見てあなたが感じたことは、あなたの個別的なことではあるのですが、大げさにいえば人類に共通しているところもあるのです。


ですから、人間が考えたり、思ったりする事柄はタロットの中にあると言え、あなたにも当てはまったことは、ほかの誰かにも象徴として当てはまるのです。


あなたが何も思い浮かばない時は、さきほど(個別から大きなものへ)とは逆のベクトルとなり、人類共通の普遍的なタロットの象徴からあなたの個別的な体験へと思い起こすことができ、何でもないことが意味あるものへと変化していくことになるのです。


また、タロットは世の中のことを極めてわかりやすく整理する道具にもなります。ということは、今日あなたに起こったこと、あるいは日本や世界で起こっていることも、タロットに当てはめ、整理することができます。


それはタロットカード一枚で表されるだけではなく、ほかのカードとの関連・組み合わせを見ることで、新しい発想や自分なりの気づきとして落とし込むこともできるのです。


これは言い方を換えれば、人に伝えやすくなるということです。つまり、ブログに書きやすくなるのですね。


ほかにも、タロットカードを人間のように擬人化して扱っていくと、まるで舞台に登場する役者のようにも見えてきます。


これをある展開のもとに並べていくと、まさにひとつの物語が形成されるのです。ここから話を発想したり、組み立てたりすることもできます。(過去の記事で、実際に私は創作した物語をいくつか書いています)


タロットを学ぶということは、自分の中と世の中にあるアイデア・考え(それはまだ実際に現れていないものさえある)を引き出し、さらに整理してまとめやすくする方法を学ぶということでもあります。


自分の専門の分野においても、タロットの象徴とリンクさせると、面白いようにアイデアを得て、それをアウトプットてきるようになってきます。


自分の専門の中にいるからこそ、見えにくくなっていることもあり、そのためにブログの記事が書けないということもあるのです。


ブログ記事のネタに困り、ブログを止めようと思っている、特に自営の方、タロットを使ってブログを再生させてみることを考えてみませんか。


この話はまだ少し補足したいところがあります。


またビジネス志向ではない、一般の日記的なブログを書く人のためになることも併せてお話したいと思っていますので、続きは明日夜の記事をご覧ください。


つづく。


傷ついた時に人がいる。

人間は強くもありますが、弱いものでもあります。


健康であったり、仕事やプライベートが順調であったりする時はいいのですが、病や自分が不振になった時は弱気になるのが普通です。


また自分が誰かに責められた、強く言われたなどのことがあっても心には傷がつくものです。


そんな時、やはり一人でもあなたの味方になってくれる人、あるいは話を聴いてくれる人がいることは、とても大きな支えになります。


「愚痴をこぼしてはいけない」「弱気になってはいけない」「マイナス思考からポジティブに変えなくてはいけない」「相手ではなく、自分に原因があると思って対処しないといけない」・・・世の中にはこういうメッセージがあふれかえっています。


それはもっともなことではあるのですが、ややもするとやり過ぎたり、誤った解釈をしてしまったりして、必要以上に自分を責めてしまうことがあります。


自分を責めずとも、とにかく「悪いことは言ってはいけない」「愚痴ってはならない」と、ほとんどを自分の胸にしまい込む場合もあります。


けれども、ちょっと待ってください。


聖人君子や、よほど訓練のできた人以外は、一般的にすべて前向きに、明るいことしか言わないなんてできはしません。


嫌なことがあったり、ショックなことがあったりすれば、愚痴ってしまう、弱気になってしまうのもむしろ当然です。


何か自分にトラブル、特に人との問題があった場合、おそらく自分にもまずいところはあるでしょう。

しかし何かの出来事で自分にダメージを受けたことと、自分が正しいか正しくないか、あるいは悪いことを言ってはいけないかどうかなどのこととはだということを考えてほしいのです。


内容はともかくとして、自分がショックを受けダメージを食らったことは事実なのです。


極端なことを言えば、人に危害を与えようとした者が、相手の抵抗にあい逆に負傷したとなれば、非はもちろん危害を加えようとした者にありますが、その者が怪我をしたことも確かだということです。


ですから、まずは事の正否、善悪、価値判断はひとまず置いておいて、自分の受けたショック自体のケアーが必要とされるのです。


その意味において、愚痴ってしまう、ネガティブなことを話してしまうのも悪いことではありません。


そしてこんな時には、自分の話をとにかく聴いてくれる人がいれば、もやもやした気持ちを離すことができます。


まさに「話す」は「離す」につながり、先述したダメージのケアの最初の部分が自動的に施されていきます。


そうすると、落ち着きを取り戻し、あるいは癒され、「よく考えみれば、自分にも悪いことがあった」と気がつくことができるのです。これは自己正当化するのとは別種のものです。


燃え上がった火を消す時間、処理があってこそ、冷静に自分を事態を振り返ってみたり、自分を取り戻したりすることができると言えましょう。


それに必要なのは、やはり「」なのです。


逆にいえば、友人や家族が困った時には、そこでいきなり話をしている人物(の内容)が正しいかどうかを判断したり、自分の意見を述べたりするのではなく、まずはその人の話を受け容れるということを心がけてみてください。


これはパートナーシップを築いていく時にもとても役に立つことです。


私も妻の話を聞くことが、ある意味、とても訓練になっています。(苦笑) 


男性(女性でも男性的、リーダー的な人、正しいことにこだわる人)は特に相手の話を聴く前に意見を差し挟んだりしがちですから、注意しましょう。 


また受け容れること自体にとても抵抗のある場合は、パートナーやその人の話に自分でも気がつかないまさに「抵抗」が隠されていることもあります。これはちょっと別の話になりますので、機会を改めます。


今、話を聴いてくれる人がいないあなたも、タロットを習って仲間を見つけることも可能です。


またあなた自身が「味方になって話を聴く」態度をしていくことで、あなたにもそのような相手が得られるでしょう。


自分がしてほしいことは、先に自分からしたり、与えたりすればよいのです。


人間完成の道を示すと言われるカモワンタロットの「タロットマンダラ」においても、「斎王」として人の話を聴くことが先で重要であることは、「言うこと、伝えること」を意味する「法皇」が後に来ていることから見てもわかることなのです。



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