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一時間の天使
クリスマスイブの21時過ぎ、とある街角に「タロット占い」の看板が出ていました。
見ると男性の占い師が座っています。
「あの、占ってほしいんですが・・・」
と、お客が来ました。少し酔っているようで、しかも元気がない感じです。
「いいですよ、どうぞ、何を見ましょうか」
占い師に促され、お客の男性は語り出しました。
「この前、勇気を出して好きな人に告白したんですが、ふれられたんです・・・」
「今日みいたな日に町に出るなんて気持ちが暗くなるだけで嫌だったんですけど、かといって仕事の後すぐ家に戻るのも空しくて、ちょっお酒を飲んでふらふらとさまよっていたら、占いの文字が目に入って・・・」
「こんな私にまたいい人が現れるんでしょうか? もうお先真っ暗です。そもそも私の人生なんて今まで何もいいことなんてなかったですよ」
「占いなど信じてませんけど、これから先どうなるのか占ってくださいよ」
「わかりました」
男の話をじっくり聞いていた占い師は、そう言うと、タロットカードを男の目の前に置いて、
「このカードの束を、シャッフルと言って、裏向きによく混ぜ合わせてください。そして適当なところでストップしてください」と指示しました。
男は言われるままに、カードをくり、手を止めました。
「では、一枚ずつカードを4枚引いてください」
こうして、テーブルの上には男が引いたタロットカードが4枚登場しました。
なぜか占い師は、ちょっと驚いたようなそぶりを見せましたが、すぐに普通に戻り、カードの説明をはじめました。
「えーと、向かって左から審判、愚者、節制、世界というカードが出てます、また全部逆さまですね」
「どんな意味なんですか?」
「一言でいうと、今の気持ちだとやっぱりうまくいかないことが続きますが、何かを変えると、あなたは“天使”に出会って、新しい世界に導かれるということです」
「何かを変える? わからないなぁ・・・それに天使なんていないでしょ、スピリチュアルっていうの? あんなの信じませんからね、僕は」
「そうですね、天使と言っても象徴なので、いろいろな意味があります」
「たとえばあなたは今でまったくいいことがなかったとおっしゃってましたが、見方を変えれば、あなたがいいことを見ようとしなった、または悲劇を選んでいたのかもです」
「そんなバカな、僕はホント悪いことばっかりだったんですよ、現に好きだった女の子にクリスマス前にふられたし・・・」
「最初と二番目に出た審判と愚者のカード、よく見てください、愚者はあなたなんですよ、その愚者は逆さになった審判のカードを見ている」
「ええ、そうですね、愚者が僕って、確かに僕は愚か者ですよ、どうせ・・・」
「いえいえ、そう意味ではありません。ちょっと変わり者に見えるというカードなので、愚者という名前はついていますが、本当ははすごい可能性を持つカードなんですよ。で話を続けますが、ほら、審判のカードに大きな天使がラッパのようなもので何かを告げているように見えるでしょ」
「あ、ほんとだ」
「このラッパが何かの“お知らせ”や“信じているもの”ととらえられるんです。つまりあなたは、過去に何か悪かったこと、自分にとって都合のよくないことを体験して、それが何度か繰り返されたことで、その記憶が強くなり、また悪いことが起こる自分ということを信じてしまったのです」
「簡単にいえば、バッドニュースのみの世界をあなたは見ているのです」
「まさか!」
「だから天使の“いいお知らせ、情報、助け”もあなた自身が拒否しているか、見ようとしていないんですよ。その証拠に愚者の隣のカードは節制ですけれど、これも天使でしょ、愚者であるあなたは節制の天使と背中あわせで関係ないような形になってしまっている・・・」
「いやだから、僕は天使なんて信じてませんし」
「そう、それですよ、“天使”はあくまで象徴です、現実的にあなたにとって手を差し伸べてくれたり、少しは助けてもらったり、ラッキーなこと、プレゼント的なこと、ほっとするようなこと、とにかく何かあったはずなんですよ」
「そもそもこうして生きられるのも、何かの恩恵があったればこそだと思いませんか? なかなかそう感じることは難しいかもしれませんけども」
「ふーん、まあ、そう言われればマシっていうくらいのことはあったのかもしれませんね」
「この前ふられたばかりで、かなりショックだというのはわかります。けれどももしかすると、それは本当に出会うあなたのパートナーがどんな人なのかに気がつくための出来事だったのかもしれません」
「そういうこと言われても・・・次出会う可能性なんてわからないですし・・・もうダメかもですよ」
「いいでしょう、ではこんな話があります。会社経営にも失敗、その時つきあっていた恋人にふられ、人生に絶望して死のうと思った人がいたのですが、今日のあなたのように、今までやったことも信じたこともない占いをたまたま受けたそうです」
「それで、その時にその人の引いたカードの意味が、やっぱり“今のあなたの思いのままだと悪いけれども、それを変えたり、やりようによってあなたの人生はとてもいいことになって行く”と言われたらしいんですね」
「僕とおんなじだ」
「で、占い師の解説を聞いている内にその人は、“まあ、死ぬ前に何かを信じて過ごしてみるのもいいか”思ったそうなんですね。占い師はその人に出たカードを渡して“希望をもってください”」と見送ったそうです」
「で、どうなったと思います?」
「さあ・・・?」
「なんと、それからその人に融資してくれる人が現れて、会社も新しく立ち上げ、新しい恋人もできて結婚して幸せに暮らしているそうですよ」
「へぇー占いも当たるんだ」
「いえ、大切なのはその人が占いをして、その後もカードを見るようにして考えを変えたからなんですね、どん底だったからこそ、変われたのかもしれませんが」
「僕にはよくわからないけれど・・・まあ、せめてその人のまねごとでもしてみようかな、このカードたち、僕にくれれますか?」
「ええ、いいですよ、その前に全部、逆だったものを正しい方向に変えますね」
占い師はそういうと、4枚のカードを逆さまから回転させ、すべて正面の正立にしました。
「あ、不思議だ、愚者と節制の天使が向かい合っている、最後のカード、何でしたっけ? 世界でしたか、これも真ん中の人物がたくさんの生き物に囲まれて楽しそうだ」
「そうでしょう、審判のカードもこうすると、何かとってもよい“お知らせ”が来ているように見えるでしょ?」
「そうですね」
「いいことが起こると信じる、いいことがある世界だと信じる、そこにあなたは生きていると信じることですよ」
「それが“天使”を信じるということですか?」
「そうかもしれません。このカードの形のまま、時々並べてみてくださいね」
占い師は男に4枚をのカードを手渡しました。
「料金はいくらです?」
「いえ、ボランティアなんで、いりませんよ」
「そうですか、本当にいいんですね。ありがとうございます、ちょっと気持ちがよくなってきました」
「よかったですね、きっといいことが起こってきますよ、希望を持ってください」
「ありがとうございます、じゃ」
男が立ち上がって帰ろうとしたその時、占い師が男に呼びかけました。
「お客さん、メリークリスマス!」
男は振り返り、ぎこちなく、
「あ、はい、メリークリスマス」と答えました。
お客の男が去った時、占い師の時計は22時を指していました。
「そろそろ来るかな」
「こんばんは、占ってくれる?」
今度は女性が現れました。占い師は時計を見ます。
22時4分。
「お客さん、すみません、もう店じまいなんですよ」
「それは残念」
「いえいえ、続きはマイホームでして差し上げますよ、奥様」
「それは光栄ね、だんな様に占いしてもらえるなんて」
二人はそう言って笑い合いました。
「でも、毎年一時間だけの占い師になる気分はどう?」
「そうだね、天使と一緒に仕事している気分かな、終わっても天使がやってくるし」
「そう、じゃ帰りましょうか」
「よし」
占い師はテーブルと看板を片付け、二人は一緒に歩き出しました。
「あなた、またそれ見てるの?」
「ああ、これはとても意味ある絵だからね」
「それタロットカードよね、確か占い師にもらったのよね」
「そう」
うなずいた彼の視線の先には、審判、愚者、節制、世界のタロットカードの4枚が輝いていたのでした。
終わり
ある人との強い関係は何か?
自分が出会った人には意味があるとよくいわれますね。
これは本当だと感じます。
特に時間も空間も、あるいは心理的に長くともにした濃い人は、何らかのまさに「縁(えにし)」と呼ばれるものがあるのだと信じたくなりますよね。
深い縁があるのかどうかはまた別としましても、やはりそのような人は自分にとってのある種のメッセンジャーであるのは確かではないかと思います。
恋愛などにおいても、「あんな人とつきあってしまった自分が情けない」とか、「どうしてあのような人と過ごしてしまったんだろう」と思うようなことは、あとになって結構あるものです。
しかし、後でどのような思いになろうとも、少なくとも、一緒に過ごしたという事実はあります。
これを「一緒に過ごさねばななかった」というように解釈してみると、違った視点が現れてきます。
あの人のせいでボロボロになったとか、あいつのおかげてこのザマだと悔やんだり、恨むこともあるかもしれません。
しかし「一緒に過ごさねばならなかった」という視点になると、何か自分が気がつかねばならないことや、それまでの自分からなにがしかの意味で修正を必要とされるタイミングに、特定の人と色濃く交流があるように思えてくるのです。
一口に「修正」と言っても、能動的・積極的・増大的な意味と、受動的・消極的・整理的意味があるといえましょう。
今まで知らなかった喜びや価値観を見いだすためにその人と出会ったということもありますし、反対に何かをそぎ落とし、現実的な方向に戻るためにある人と出会うということもあるでしょう。
それがその時点の現象(見えていること、現れていること)としては、表面的にその人からの受ける苦痛であったり、快楽であったり、混乱であったりするのでわからないのです。
ところで劇ではシナリオが最初から出演者にはわかっているので、役者さんも自分が何をしているのか、相手が何者なのか、劇の上ではどのシーンにあり、どういった場面の意味を持つのかは理解しています。(これを理解せずに演じている人もまれにはいますので、演技が軽いものになりがちですが・・・)
しかし、人の実際の「人生劇場」では、シナリオも渡されていませんし(渡されているのかもしれませんが、忘れている)、舞台に降りてチェックしたり、ビデオで見返したりすることもできません。
そのため、自分と相手がこのシーンにおいて(出会って交流している時)、本当の意味でどの役回りをなのかということがわからず、ただその場その場でアドリブ的に演じるしかないわけです。
けれども面白いことに、人間(他人)はたくさん存在します。つまり、舞台の観客や、劇を支える様々な人たちがいるということです。
ですから、両者の関係が自分たちでわからなければ、ほかの人の視点を使えばよいということになります。
それが現実的には相談などにつながります。
ここにタロットリーディングを活用することもできます。
もちろん両者の深い縁や神の計画ともいえる二人の出会いと関係の真実はわからないかもしれませんが、少なくとも他者目線によって、自分で見えていない関係の意味に気付くこともあるでしょう。
またタロット自体がその第三者の目になることも考えられます。
そうして、他者目線によって混沌としていた二人の関係に光が差し、自分の感情の整理ができたり、癒しにつながったり、希望につながったりします。はたまた大きな意志や視点にも気がつくことになるかもしれません。(これはカモワン版の「恋人」カードがヒントとなります)
いずれにしても、最悪の関係に思えた人とでも、何らかの意味があったのだと見ていくと、そこにタロットカードでは救済の天使である「節制」をあなたは見ることになります。すなわち、救われるのです。
感謝のプレゼント企画のお知らせ
今日は冬至ですね。
今まで日中が短くなっていたものが冬至を境にして、日がまた長くなっていきますので、古来より復活や再生のシンボルポイントとして重用されてきた日でもあります。
クリスマスもこの冬至の象徴や祭祀的な意味が、土着の宗教と新しく入ってきたキリスト教とで入り交じって習慣化されたものという説もあるくらいです。
そうしてみると、この日、私にはタロットカードの「審判」がイメージされてきます。(冬至、あるいは夏至を意味するカードはほかにもあります)
さて、この「審判」にはプレゼントを意味する絵柄もあり、そこで思いついた無料のプレゼント企画があります。
まず、今年一年で私のタロット講義を受けられた方へ。(個人であれ、教室であれ、カルチャーセンターであれ、形態は問いません)・・・カテゴリー1
何か自分に関することでタロット展開したものを私にメールで送ってください。一応、自分でも簡単にリーディングしてくださいね。(笑) そしてそれを私がさらにポイントとなる点を中心にして追加リーディングしていきます。
一枚引きでも二枚引きでも複数展開でもOKです。習った何かの方法を使ってください。
さらにそれに関する別展開を私がちょっとしてみて、付け加えることがあればアドバイスとして追加します。(必要ない場合は付け加えません)
次に、この一年で私のリーディングを受けてくれた方も対象にします。・・・カテゴリー2
こちらのカテゴリーの方はタロット展開は知らないと思いますので、単純にタロットに聞いてみたいことがあれば私に送ってください。簡単にはなりますが、ワンポイントでタロットから見た方向性を書かせていただきます。
それから今年ではなく、以前に私のタロット講義を受けられた方、リーディングを受けられた方もOKです。・・・カテゴリー3
こちらもカテゴリー1や2の対象の方と同様に、質問やタロット展開を私にメールで知らせてください。
そしてさらにこのブログにコメントをいただいた方(昨日までの時点で)も、何か質問をしていただければ(ブログの「お問い合せか」メッセージで)、一言的にはなりますが、タロットからのメッセージをお伝えしたいと思います。・・・カテゴリー4
ただ、私も全員には対応できませんので、カテゴリー別に限定の人数とします。それぞれが何人までなのかはあえてお知らせしません。少ない人数かもしれませんし、皆さんの予想よりも多いかもしれません。
早い者がちといえばそうかもしれませんが、中身を見てタロットの判断で、必要であれば限定人数を超えてアドバイスすることもありえます。(ただ基本的にはこちらで決めた人数までとします)
メールや送り先がわからない方は、こちらをクリック して、中段の「リーディング希望の方はこちら」の項目に、「プレゼント企画リーディング」と書いて送信ください。(お名前、メールアドレスもお願いします)
カテゴリー1と3(タロット講座を受けられた人)の方は、自分で行ったタロット展開を数字かタロットの名前で記して、自分なりにリーディングしたことを忘れずにご記入くださいね。(笑)
では皆様の応募お待ちしております。(もちろん無料ですからお気軽にどうぞ)
タロット占いで何かを決める
何かを決めたい、決断したいと思ってタロット占いをすること(してもらうこと)があると思います。
自分でタロット占いができるのであればいいのですが、普通は習っていないとできませんので、やはりできる人のもとへ行くわけですね。
この場合、大きくわけてふたつのタロット占い(の受け方)があると考えられます。
ひとつはまさに占い師に決めてもらう占い
もうひとつは、タロットリーダーとともに一緒に決める占い
どう違うのでしょうか。
前者は出たカードの意味によって、占い師がほぼ一方的に方向を告げてくれるものです。
これは楽です。相手に決めてもらうのですから、悩んでいたことも一瞬で解決するかもしれません。たとえ自分の望みとは違っていても、「そういわれればそうなんだ」と納得させられてしまうこともあるでしょう。
そして後者は質問に対応して出たカードを見ながら、タロットリーダーが象徴的にカードを読み解き、その意味を相談者が自分のことに具体的にあてはめて方向性を出していくというやり方です。
こちらは少々時間がかかることと、結局は自分で決めなくてはならないので、終わっても迷いが出ることがあります。
あるいは、自分が望ましい答えではなかったとカードの説明で感じた時に、その答えが出る別の占いや占い師のところへ行こうと思い直すこともあります。
こう書くと、前者の「占い師から決めてもらうやり方」のほうがいいように見えるかもしれません。そもそも自分で決められないことがあるから、占いに頼ってみるわけであって、それもむしろ当然の感覚もあるでしょう。
しかしながら、この方法はふたつの意味で問題がないわけでありません。
ひとつは、占い師が人の人生を決めつけてしまうことで、本来の相談者自身の選択肢を狭め、その人の人生の責任まで取り上げてしまうおそれがあること。
もうひとつは、必要以上の依存を作り出してしまうことです。
これは考え方・思想の範囲なので、正しいかどうかは人それぞれだと思いますが、人にはその人個人で選択をし、自分で現実と対処しなければならないことがあると私は感じています。
占い師が他人の人生の選択を決めるということは、大げさにいえば人のカルマに介入することであり、おこがましいこと、傲慢であることにもつながりますし、その人のカルマを拡大することにもつながりかねません。
またそうしたカルマ的なことを抜きにしても、「占いだから」「占い師が言ったから」と、方向をいわれるがままに決めてしまうのは、自分で何事も決められない状態を継続させているだけで、それがさらに助長されて、どんどんと簡単なことさえ占い師か他人の意見で決めてしまうようになります。
言ってみれば心理的には依存体質を増大させるようなものです。
こうなとる、下手すれば「自分で何事もまったく決められない」「人にいわれるままの人生」「人のための人生」になりかねません。
ではどうすればよいのでしょうか?
占い師のタイプは占いを受けてみないとわからないこともありますから、最初に自分のほうから能動的な姿勢を取るのです。
具体的には最初に挙げた二通りの後者の占いの受け方(共同作業的な受け方)を、自分がすればいのです。
一方的に言ってくる占い師に対しても、カードの意味を聞きながら、「それはほかの意味もないですか?」とか、「なんかこのように思うんですけど・・・」と自分のカードの見え方、感じ方も、たとえカード自体の意味はわからなくても占い師に言ってみることです。
そうすることで、自分の意志が入ってきて、自ずから多少なりとも共同作業にならざるを得ません。最低でも、あなたが納得することが大切です。「わけもわからず・・・」とか「違和感あるなあ・・・」というままが一番いけません。
そして最終的には「自分で決めるのだ」という態度を持つことです。
占いはあくまで「情報」のひとつだと、相談者側も占い師側も考えるとよいでしょう。
普通の考え方、見え方ではわからない情報もあるのです。そうした裏や通常ではわからない情報を占い師はもっていると見ます。
あなたの現実の状況や情報と、占い師の「占い」の見え方としての「情報」を重ねあせたところに、新しい物の見方・考え方が登場してくるのです。しかし、それもひとつの「情報」に過ぎません。
何が正しいのかというより、自分のそれまでの枠からはずれた、より新しい視点を入れたのだと考えることです。
そこから、新旧様々のあなたの中にある情報を整理し、一番現時点でよいと思える自分自身の選択によって行動に移すのがよいでしょう。
何事も、「自分の人生は自分でつくる」という決意と、「自分の人生の選択においての責任は自分で取る」というくらいにならないと、自分と世界は本当の意味で結びついてきません。
カモワン版マルセイユタロットでいえば、「力」と「世界」が向き合うようなものです。
悩んだら決断力も弱ってしまい、決めてほしいと思うのが人情ですが、それでも自分で決めることに人生の意味はあるのだと私は思います。
けれどもまた、迷いを整理したり、違った視点を得るために占いを活用することは有意義だといえます。
できれば、一緒になって問題を解決に導いたり、方向性を探してくれる(選択はあくまで自分です)占い師やタロットリーダーが望ましいと個人的には思います。
あなたの見えている色が変われば・・・
色というのは案外と重要な要素です。
色の見え方は心理状態と結びついているとも考えられます。だからこそ、色は「セラピー」としても活用できます。
このあたりはカラーセラピーやオーラソーマなどをされていらっしゃる方は特に詳しいと思います。
さて私がうつ状態だった時も、また他の方の経験などからも、自分の状態が変化していると、周囲の色の見え方も変わってくるということはいえると思います。
極端な場合、生きる気力を失ったり、壮絶な喪失感・絶望感などを体験したりすると、自分を取り巻く世界がモノトーンに変わることすらあります。まるで白黒写真のようなものです。
しかも色だけではなく、動いてる人物、普段ははっきり見える景色なども止まったり、ぼやけて見えたりします。(これは時間感覚の変化もあります)
ほかにも、特定の色だけがやけに目に付いたり、色が全体的に強調されたかのように極彩色に見えたりすることもあります。
そういえば、カモワン版マルセイユタロットでも「愚者」や「吊るし」の人物はカラフルな色彩の服を着ています。ともに変わり者を示すカードです。(「手品師」も同じような服を着ていますが、彼の場合は職業的に人を惹きつける必要があるため、このような服装をしていると考えられます)
もちろん、逆に活き活きと自分が活動している時や、恋がうまくいっている時など、「世界が輝き出す」「バラ色の人生」などいう表現がよくあるように、やはり見える色が変わってきます。
色は波長と人間の受容器官や化学反応によってとらえられるものですから、当然ながら自分の中の状態が変化すれば、見え方も変わるのは当たり前といえるかもしれません。
カモワン版マルセイユタロットには11の色が使われています。この数は22(大アルカナの数でもある)の半分でもあります。
カモワン版とほぼ同じ絵柄のグリモー版では色の数が印刷の関係で減っており、こうなると図形は同じでも、まったく違ったようにカードが見えてくることは容易に考えられることですし、色に意味を込めたとすれば、両者の象徴によるカードリーディングも異なることろが出てくると予想されます。
実際、私もカモワン版以外の数種のマルセイユタロットでリーディングを比べてみたことがありますが、根本的には同じことが読み取れても、感じ方やその導かれ方は違っているようにとらえられました。
それにはやはり色の部分も大きいと思われます。
色も宇宙のリズムや振動の一部だとすれば、感じている色の裏側、本質もあるということです。
色が変化して見える時、あなたには何らかの変調が起こっていると見ていいのかもしれません。
またタロットリーディングにおいて、あるカードが気になるということも、あなたの状態に応じた色が関係しているということもあるでしょう。
色が豊富に使われている分、カモワン版はまた様々な可能性を見せてくれるのです。
それにしても、色ひとつとっても、いかに自分が自分の世界を作っているのかがよくわかるものですね。