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タロットカードで分析する女性の相

昨日の記事 の続きのようなものになります。


カモワン版マルセイユタロットの大アルカナカードで、絵柄から明らかに女性を示すと考えられるカードには、「斎王」(ほかのタロットの名前では「女教皇」)「女帝」「力」「節制」「星」が挙げられます。


ほかにも女性カードはあるのですが、今はあえてこれらのカードに留めておきます。


このうち、「節制」はカモワンタロットのタロットマンダラと呼ばれる絵図の位置では特殊なところに存在(中段の最後)していますので、ほかのカードとは別種だとします。


すると、残るのは「斎王」「女帝」「力」「星」の4枚になります。


前回、「女帝」と「星」は対になる存在 だとお話しました。


実はこれら4枚、どの2枚をとっても対(ペア)となるカードだといえます。


そしてこの4枚が何を表すのかといえば、「女性」における4面(正確には3相)を示しているということです。


「斎王」は知識ある老婆(智慧)、「力」は少女や処女性(純粋性・特別性)、「星」と「女帝」は母、男性のパートナーとしての女性を示す(母性、現実性)と考えられます。


このうち、「女帝」と「星」は現実と理想(精神)という二元性も表すでしょう。


女性の皆さんはこの4枚のカードを並べて、時にはシャッフルしてまた並べ直したりして、自分の「女性性」部分と対話を試みてもよいでしょう。


今自分に足りないものや、過剰に出ているところなどがわかるかもしれません。


男性の場合は、自分が女性に求めているものを考えるきっかけになるでしょう。


これら複数の相が統合されることで、よりバランスある「性」(せい・さが)を自分にもたらすことができると想像できます。エネルギーとしてとらえても面白いかもしれません。


一度お試しください。


カモワンタロットの「女帝」

タロットは基本的な構成が同じであれば、やはり根本的な部分では種類が異なっても通じ合うところもあります。

けれどもカモワン版マルセイユタロットとほかのタロットカードとの解釈には少し違いもあります。


というより、タロットの種類ごとに微妙に異なっているのが普通でしょう。


これは制作者の意図、タロットの図像、そのタロットを好んて使う人たちの傾向によって、違いが出るためだと考えられます。


さて、そんな違いの例のひとつとして、「女帝」のカードがあります。


この「女帝」、ほかのタロットでは「妊娠」や「出産」「豊穣性(豊かさ)」の意味を当てられている場合も多いようですが、カモワンタロットではそのことは「星」のカードで解釈されるのがポピュラーです。


ただ、なぜ「女帝」から「妊娠・出産」の意味合いが出るのかといえば、もともと「3」という数や「女帝」の持つ根源的な要素から「創造性」という言葉が導き出されるからです。


何かを生み出すことに関わるのですね。それが女性と結びつき、妊娠や出産となるのです。


しかしカモワンタロットの「女帝」は確かに「創造性」と「生産性」は強調されるのですが、女性特有の部分にそれを該当させるよりも、むしろアイデアや発想、企画、計画のような、一見、男性的とも思える事柄に意味を当てることがよくあるのです。


それはカードの数でいえば次の4である「皇帝」とペアで考えられていることもあるからです。女帝はつまりは皇帝の女性版です。地上世界に皇帝と同じく君臨する存在です。だから男性的な要素もあるのです。


ではカモワンタロットの「女帝」には女性原理は働かないのかといえばそうではありません。


椅子に腰掛け、受け身であることには変わりなく、母性的な大地との関わりを示す象徴も描かれています。またお腹の部分を守っているように見え、妊娠をイメージすることも可能です。


しかし、カモワンタロットの「女帝」は女性が女性であることを無条件で表している(例えば子供を産める能力)というよりも、この現実世界の中で女性として認められる役割や地位、外観(服装・お化粧・装飾品等)が強調されていると想像できます。


ということは、時代背景や考え方によっても変わる部分があるともいえます。いわば「外側の女性」といえましょうか。


対して「星は」、本来女性が生来的に持つ女性性の部分、内面の女性を示しているともいえましょう。


ただ、タロットは内と外、表と裏が一体となっていたり、入れ替えの考え方ができたりするものです。


「女帝」と「星」とはペアで考えるべきでしょう。従って外が「星」、内が「女帝」ということもありうるのです。


このことを思うと、タロットマンダラ第3列に「星」と「女帝」が上下で並び、その間に回転を象徴する「運命の輪」が入っていることは非常に興味深いことになります。



タロットマンダラとお盆

カモワン版マルセイユタロットにはタロットマンダラと呼ばれる絵図があります。(上のメッセージボードの「フィリップ・カモワン氏のサイト」のリンクをクリックしていただければ、カモワン氏サイトにおけるその絵図を見ることができます)


この絵図の構造と意味については、アルカナ(秘伝)としてカモワンタロットの講座などで知らされてきたところです。


今回はその秘伝とは別に、お盆にからめたタロットマンダラの話をしたいと思います。


タロットマンダラは22枚のカードを番号順に並べたものなのですが、見ると並びの上にいくほど天体や裸の人物が描かれていることに気がつきます。


それがなぜなのかは秘密があるので、あえてここではふれませんが、少しだけお話しますと上に行くほど別世界であるということです。


私はタロットマンダラを見ていますと、下と上のカードの間に隔たりがあるのを感じるのですが、時にその垣根が薄くなるような気がすることもあります。


それはひとつにはリーディング時での必要性があってそうなると考えられます。


つまり、相手の問題をレベルや次元を超えて(垣根を越えて)考えなければならない時だということです。


もうひとつ、縦のつながりを意識しなければならない時です。(結局は同じことですが)


縦のつながりの意識とは何か。


それは目に見えない存在や祖先から連綿と続く血のつながりのようなものです。いわば霊的な存在と一般的にご先祖様というようなものでしょうか。


お盆はあの世とのゲートが開くといわれています。


タロットマンダラでいえば下から上、上から下へと縦ラインの動きが活発になるということです。


この時重要なのは、現実に今生きている私たちの次元と目に見えない世界の次元とでは、伝わり方や行動の影響が異なることです。


言い方を換えれば、私たちのする行為が目に見えない世界では違うものとなって伝わっていくということになります。


逆に、目に見えない世界からの働きかけは、私たちが普段理解している常識とは違う形で表されるということでもあります。


これは私たちの気持ちが別の世界には伝わらないということを言っているのではありません。


それは逆です。


私たちは通常、この現実世界では自分の思っていることが相手に必ず伝わるとは限りません。


顔で笑っていても心は泣いているかもしれませんし、見た目だけでは心の中はなかなかわからないものです。


またこの世ではいいことや悪いことを一人でしていても、誰も見ていなければ実際はわかりません。


しかし、別次元では私たちがこの世で思ったことは何らかの方法で伝わり、あるいは誰も見ていなくてもそれは見えているとも考えられます。


だからこそ、お盆などの時期は特に縦のつながりを意識して、素直な心でご先祖や目に見えない存在に感謝をする、慰めるということが大切だと思います。


そしてもうひとつ、私たちの次元では私たち特有の物質原理が働きます。それは実(み)のある行為が実(じつ)をもたらすということです。


ということは、モノや形を通した実際の行動が大きく影響すると考えられます。


結局のところ、縦と横がクロスしたところに自分が存在し、現実もあるといえます。


ならば、単に思うだけではなく、私たちの世界で実際にできる行動を伴うと、さらによいということがわかるでしょう。


お盆のお墓参り、集まり、食事、ふるまいなどはその両方(縦と横)をしていることであり、自己と陰陽世界との関係を強化するために、非常に大きな役割と意味があると考えられるのです。


反応する人がいる(いてくれる)ということ。

先日、友人と久しぶりに釣りを楽しんできました。


趣味といえど孤独で一人楽しむよりも、仲間がいたほうが何倍も面白みが増します。


たとえば、釣りではそばに友人がいれば魚の取り込みに協力してくれるので、単純に魚をキャッチする確率も上がります。


しかし、なんと言っても魚が釣れた時の喜び、釣れない時の退屈な気持ち、釣り場までの期待感などを一緒に話すことのできる人間がいるという、それ自体がとても大きなことだといえます。


結局、何でもそうですが、人は自分の様々な感情を吐露したり、聞いてくれたり(受け止めてくれる)人間がいると安心できるものです。


時間や空間を他の人と共有してともに過ごす(話す)ことができる時、喜びの感情は増し、悲しみは次第に収まり、苦しみも減っていきます。


このことは、マルセイユタロットでいえば「太陽」のカードが表しています。


カードには二人の人物が太陽のもとで手を取り合っている姿が描かれています。二人はまるで励まし合っているかのようで、喜びや安堵感に満ちています。


これは反応(する人、される人)も示しているといえましょう。


いいことばかりではなく、ネガティブなことでも、人は他人の反応がないと表現しにくいものなのです。


人の悪口を言ったり、批判したり、いじめたりすることも相手あってのことです。相手がいなければ、ネガティブささえも表現することがかなわなくなります。


こう考えると、ネガティブな態度を人に取る場合、奥底には 人との関わりへの欲求が隠されているといってもよいかもしれません。


自分でも気がつかないうちに、「自分は一人きっりではない」ことを誰かに確認したくなってネガティブな表現方法を取っているのかもしれません。


結局、人はどこかで他の人や他のものとのつながり、一体感を求めている存在なのでしょう。


自分は愛されている、一人ではない、安心だと心で本当に感じることができれば、曲がった表現で他人と関わろうとはしなくなります。


ところで最初にお話した釣りの場合でも、よくあることですが、同行の人が自分よりも大物を釣ってしまったり、数を多く釣ったりすれば喜びもある反面、嫉妬のような気持ちも生じます。(私にもあります)


人と関わりを持つことはポジティブな部分だけではなく、このようなネガティブな面もあるのが普通です。


それでも様々な気持ちが人との関わりの反応によって自分に生まれることを思う時、実はそれはすごいことなのだと気がつくことがあります。


人がいないと、きっと何も感情が起きない平板な毎日を過ごすことになると想像されるからです。


ネガティブな感情は、できるだけないほうが幸せではあるでしょう。


しかし、豊かということは「たくさんあること」だとシンプルに考えれば、人との交流によって起こる様々な感情の多さも「豊かさ」であるといえるかもしれないのです。


そう思うと、人と関われることは有り難いことなのだと感じます。


とはいえポジティブな感情が上回れるのならそれに越したはありません。それにはやはり、自分自身が他人のポジティブな面をできるだけ見るようにしていくことでしょう。


いってみれば「太陽」のように輝きをもって人を照らすということでしょうか。だからこそ、「太陽」のカードはかくも明るいのです。


あなたに一緒に喜び、悲しんでくれる友人や知人が一人でもいるのならば、それはかけがえないことだと思って感謝しましょう。


うつの時は自分の判断力に注意する。

うつ病になると注意したいのは、依存心が大きくなるのと判断力が大幅に鈍ることです。


今回はこの「判断力が鈍る」ということについて、経験をふまえながら書いてみます。


うつは、すべてのことに気力をなくしてしまいますから、頭を働かせるのも苦痛となり、思考能力が落ちるのも当然のことです。


ただ私の場合は不安神経症も併発していましたから、鈍るだけではなく、大げさにいえば「狂う」といった面もありました。


早く治したいというあせり、突如襲ってくる際限のない不安、さらにやっかいなことに現れた強烈なイライラ感などもあり、とにかくいろいろな判断を誤ってしまいました。


まず心身によいと聞けば、全国どこだろうと出向いて治療(その多くが民間治療)を受けに行きました。(この時はうつ病よりも不安神経症のほうがひどかったといえますので、出かけるエネルギーはあったものと推測されます)


と思えば、急に頭髪が抜けるような気に襲われ、その必要がないのにカツラメーカーに電話して、勧められるまま毛髪治療や将来のカツラ契約を結ぼうとしたりしました。


はたまた不安につけこまれ、新興宗教の勧誘にあい、入信はしなかったものの、「これをすれば治るから」と言われ、その宗教施設での毎朝の掃除を一人でしたこともありました。(結構遠方だったにも関わらずです)


こういったことで、お金も大量に失ってしまいました。


すべては異常なあせりによる、正常な判断ができなくなったことによるものです。(かかりつけの精神科医は注意を促してくれ、クーリングオフなどできたものもありましたが)


あとから考えればなんとバカなことをしたのだと思いますが、その時はそれほど追いつめられていたわけです。


いわばこれは病気です。まとも考えができないようになってしまっているのです。けれども自分自身が壊れたわけではありません。


足を骨折すれば普通に走れなくなるように、心の病にかかれば正常な判断力に影響が出るものです。しかし骨が再生すればまた走ることができるように、心の病も治れば頭脳と判断力も元に戻ります。


ですから、心の調子がおかしい時は、自分で簡単に判断して行動しないようにしたほうがよいでしょう。あせることは治りを遅くするだけではなく、かえっていろいろなものを失うことになります。


このような時は、タロットカードでの「吊るし」を思い、あれこれ手を出さず、じくっりと休息を図ってエネルギーの回復を待つのが賢明です。苦しみの「13」の時期を過ぎれば、必ず「節制」の救済の時はやってくるのですから。


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