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タロットを使わずメッセージをタロットから得る

タロットに慣れてきますと、タロットがなくてもタロットをひくことができます。


というと嘘のように聞こえますが、そうしたことも可能です。


方法は簡単です。


まず聞きたいことや問いを思って心を静め、次にタロットをイメージして浮かんできたカードを指針とするものです。


試しに、今このブログを読まれている方にとってのメッセージとして想像してみますね。


・・・・・・


「吊るし」が出ました。


おそらくこの時期(夏のピーク、お盆前)、思ったよりも心身が疲れていることが多いからでしょう。


どこかに行ってリフレッシュすることもいいのですが、ちょっと体を休めて、静かな時間をもってみてもよいでしょう。心が和む映画などを見てもいいかもしれません。


気力が今ひとつわかない人は、素直に上がるまで待つのもひとつの手です。


急がす騒がず、結論を出すのはもう少し後にして、今は「吊して」おくことがあなたにとってはよいことと思えます。


という具合です。(笑)


想像だけでタロットを使う方法については、また機会を改めまして、記事で書かせてもらおうと思います。


タロットカード「13」から考える、人を傷つけるということ。

タロットカードの「13」は、怖い印象を持たれるカードでもあります。タロットの種類によっては「死神」と呼ばれている場合もあります。


しかし本当は恐怖を感じる必要がないことは、カードとつきあっていくとわかってきます。


それでも絵柄からして、どうしても人のネガティブさの部分に反応してしまうところは確かにあります。


ということで、今回は「13」のネガティブパートを少し考察してみましょう。


「13」は刃物として大鎌をもっているところから、「傷つける」「傷つけられる」というイメージが出ます。


他人を傷つけるのは言語道断だとしても、意外に私たちがよくしているのは、「自分を傷つける」ことです。


人をいじめるのは無論よくありませんし非難されるところですが、その行為が自分に向かっている時には人はあまり関心を持ちません。


自分を傷つけるというのは、自分で自分をいじめているのです。


いじめをしている人の時の脳にはアドレナリン(に類するものも含む)の分泌が多くなるといわれています。


つまり興奮麻薬物質ですね。人をいじめることが快感につながっているというわけです。


一度いじめをしたことで得られた快感状態を脳が記憶し、自分を再び気持ちよくさせるために、いじめを繰り返すようにもなると考えられます。


段々いじめがエスカレートするのも、脳への刺激を強くしないと麻薬が効かなくなるからではないかと推測されます。


さて、このようなことは自分をいじめている場合にも考えられます。


自分を必要以上に虐げ、卑下させることによって、むしろ快感が出るようになっているのではないでしょうか。


「私はダメな人間」「私って何の価値もない」「私は悪者だ」「いつも損している」「被害を受けているのは私よ」・・・


このような言葉で自分を責めていると、いつしか気持ちよさに変わってくることもあるのです。


自分を貶めることで同情を買える、なぐさめてもらえる、優しくしてもらえるという期待のために自分を責めることもあります。


でもこれも、あとの快感(なぐさめてもらう心地よさ)を得るためだと考えると、似ているところはあるいえましょう。

人をいじめる人も自分をいじめる人も、おそらくともに麻薬のようなもので気持ちを紛らわせなければならない根本的なネガティブな部分があるのだと予想されます。


それは不安や不満であったり、怒りや悲しみであったりする感情でしょう。


それを隠すために、傷を付ける行為(実際の行動だけではなく、言葉や感情での思いも意味します)をし、麻薬的にごまかすことをしているのかもしれません。


タロットカードの「13」の逆向きは、それをよく表していると思います。


カードに描かれている黒い土の底には、本来見なくてはならないネガティブなものが隠れています。

それが逆向きでカードが出ると、土を掘り起こすはずの鎌がまるで空を切っているかのように見えますし、その鎌は他人や自分自身に向かっている(刃物の重みで結局自分に降りてくる)ようにも感じます。


また心なしか、この時の「13」の顔も、むなしく力のない笑みを浮かべているかのように見えてくるから不思議です。


これでは土の中に隠されたものも出てきませんし(見つけることができない)、一時的な快楽のために、自分は骨と皮だけの荒廃した精神や肉体の状況に陥っていくことも考えられます。 


カモワン版マルセイユタロットの「13」では、鎌の色も、正位置では霊性や高い精神性の意味を持つ空色が上ですが、逆になると血の色である赤が上に来ます。


人や自分を傷つけていれば、血が出るような痛みが本来あるはずなのですが、それを感じなくなるどころか、気持ちよさとして誤変換されてしまうという恐ろしい機能も人間にはあるようです。


いかに自分を守る防衛システムが人間には働いているのかが、このことからもよくわかります。


結局過剰な防衛反応が「13」におけるネガティブさを招いているともいえるでしょう。


ということは、防衛しなくてはよい状況を自分に作り出すことが大切です。


それは自己開示しても安心できるという心、様々な処理しきれていない感情の部分を浄化したり、認めていったりすることにつながるものでしょう。


今述べたことは難しいことがあるのも確かですが、本当の自分を知ることに勇気をもって挑戦する時、それら(防衛しなくてもよい状態)は次第に得られていくものではないかと私は思っています。


自分でタロットカードを選ぶ占い

タロットカードで占う(占ってもらう)時、出たカードの印象はいかがでしょうか。


この時の感覚は非常に大切です。最初に出たタロットの絵柄や展開(タロットの並べ方)から感じる印象は、私の経験ではセンサーのようにほぼ正解に近いものであることが多かったように思います。


ただし最初からの思いこみ(こうあってほしいと思うような強い気持ちなど)が、その感覚さえ狂わすことがありますから、一概にそうとも言い切れません。


でもタロットに何の知識もなく、「どんな風に見えますか?」とクライアント(相談する人)に聞いたところで、いまいちピンと来ないのが普通でしょう。


また、たいていのタロット占い師(タロットリーダー)は、タロットの印象を尋ねるようなことはせず、自分の学んだ解釈とインスピレーションでズバリと語っていくことが多いものです。


結局、タロットの印象や最初の感じが影響するのは、クライアントではなく相談される側、占い師さん側となるのかもしれません。


しかし、私の使うカモワン版のマルセイユタロットは、相手にタロットを引かせる(選ばせる)形式ですし、カードを通して相手と会話しながら進めていくものなので、クライアント側の印象も重要となります。


タロットカードの絵柄が何が何だかわからない、意味はこちらから見てもぜんぜん推測することができない、というようなカードと展開方法のほうが、「占い結果がいいか悪いかもわからないので安心」だと思われるかもしれません。


それでも逆に自分でも印象がわかったり、出ているカードの雰囲気や意味がなんとなくでも想像できるほうが、占ってくれる人のいうことをただ聴くだけの受け身な自分から救ってくれることもあるのです。


占いにはどうしても依存の(占いに頼りたい)気持ちが生じます。依存が必ずしも悪いわけではありません。自分で判断がつかない時に、普通とは違ったアドバイスや運勢を知りたいと思うのも人情です。


ただ、いつもいつも占いに頼って、占いなしでは生きていけない人生になってしまっては本末転倒です。自分の人生は自分で選択し、決めていけるのです。いや、そうしなければあなたは人の決めた人生を生きることになります。


その意味でも、自分が少しでもカードの意味合いをイメージできるようなものだと、完全依存にならなくてすむでしょう。


少なくともカモワン流のタロットリーディングにおいては、「このカードはこう見えるんですけど」とか「これは私ですよね」とか自分の意見や感想も交えてリーディングが進むので、人からすべて決めてもらったような感覚は少なくなるでしょう。


タロットをする時間、避ける時間

タロットを占う時間(日)はあるのか? 反対に占ってはいけない時間帯(日)はあるのか?


という質問がタロット講座で出る場合があります。


教える先生方によっていろいろな考え方があるとは思いますが、私自身は「特にない」とお答えしています。


ただし、


という条件が続きますが・・・(笑)


ではその条件と申しますか、注意する項目を挙げてみましょう。


●自分の生活リズムを重視すること

●その日の体調を考慮すること

●感じやすい人は注意する時間帯もあること

●オンとオフの区別をすること


まず普通に、自分が活動している時間を選ぶことです。いつもは完全に寝ている時間にタロットをやりたいからと無理して起きてやっても、眠たくて読みにくくなるだけです。


また食事前や食事時、ほか家事や仕事などで忙しい時(多忙が続く日)は、避けたほうが無難でしょう。そもそも気が散ってタロットどころではありませんから。


これと同じように、自分の体調が悪い時もタロットを展開しないほうがよいでしょう。気分が悪くてはまともなリーディングが望めないことは、ほかのことと同様です。


それからとても感受性の強い人、何かエネルギーのようなものが感じられる人は、「丑三つ時」といわれている深夜時間帯などは望ましくないこともあります。


これは場所によっては無防備になりやすかったり、意識が別のものをキャッチしすぎたりするからで、自分がニュートラルを保てる時間や日を選択されたほうが落ち着いてできます。


それからすべての人にいえることですが、タロットをする時は、特別な時間と空間を思い、日常から切り離す意識が大切です。これは恐れを持つということではなく、敬いや聖なる意識を自分の中に抱くようにするということです。


そのために儀式や道具が普通は必要とされます。なくてもできないわけではないですが、通常の人間はこうしたものがないと、意識の切り替えが実際にはできにくいからです。


タロットは怖いとか、タロットをすると変なものが来るとか思っている人は、下手にタロットをしないほうがよいです。


その恐怖心や信頼感の欠如が、意識の混濁を生み、本来のタロットからのイメージが妄想に変わって、現実的に誤解と同種のエネルギーを引き寄せる恐れがあるからです。


タロットは恐れるものではありません。しかし、それなりの節度と礼儀を保って接することも必要です。人に対する場合と同じだと考えていただければ理解がしやすいでしょう。


常識を疑う

私は小学生の頃、地域のサッカークラブに入っていました。


当時は真夏の昼間でも練習や試合がありました。


サッカーは運動量の多いスポーツです。ましてや昔の小学生ともなると、ただポールが転がるほうに向かって集団で走っていくということもよくあり、試合のハーフタイム時ではすでにバテバテでした。


となると、水分が不足して喉も異常に乾くため、皆は猛然と水道の蛇口に走って行きました。


けれども蛇口を上向きにして、ゴクゴクと水を飲んでいますと、コーチや監督の大人たちから「水を飲むな」と叱られることもしばしばでした。


これに限らず、総体的に何十年も前は、運動の途中では水を飲むと体が重くなるので、できるだけ飲まないようにするほうがよいというのが、半ば常識となっていたように思います。


こんなことは今では考えられません。


もちろん、水ばかり飲んでいては体内の塩分が薄まって、かえってまずいこともありますので、そのことから経験則的に水を飲むなといわれていたのかもしれません。


しかし少なくとも、今とはかなり考えが違っていたのは確かです。肌にしても、真っ黒に日焼けすることが奨励されていた時代でしたからね。


このように、時代とともに新しい発見や発明もあって、常識は変化していきます。


だから「常識を疑え!」というのは、誰も、あるいはどこでも言われているところですね。


しかしながら、常識を疑えるのは、よほど自分の中に他人とは違う確固としたものがあるか、あるいは常識を越える何か強烈な体験や環境に遭遇したかの人であり、、普通はなかなか難しいものです。


ですから、まずは単純に、自分を想像上のタイムマシンにかけてみることをお勧めします。


その考え(常識)で未来に進んだ場合どうなのか。

あるいは過去に戻って、その常識や価値観を見るとどうなるのか。


この場合、後者の「過去に戻って想像してみる」ことは、あまり普通の人はしませんので、意外な気づきが待っていることがあります。


いかに自分の思っていることがすごいことなのか、あるいは現代の価値観で縛られてしまっているかを見るよい機会になるのですね。


特に今便利だと思って使っているものは、過去に無かった(無くても生活はできていた)わけですから、今の常識によって、無理からに消費をさせられていると気付かされることもあります。


あと、タロットを使う方法があります。大アルカナ22枚によって、常識と思われる事柄を比較検討してみるのです。


つまり「ある常識や考え」を、一枚一枚のカードの象徴によって分析するということになります。別に22枚全部検証する必要はありません。


結局これは、ひとつの事柄に対して複数の視点を持つということ、別の物の見方を持つことを意味します。


常識は、「常に皆が当たり前に持つ見識・価値観」ともいえますので、もちろん疑ってばかりではなく、それを自分に適用することで自分の足りない部分や、悪い意味での常識はずれになっている部分をチェックして補うことにも使えるのです。



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