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地獄に仏、「13」は「節制」の天使に必ず出会う。
これはもう、私がうつ病と神経症を併発して、ギリギリに追い込まれていた時の話になります。
当時の私はすでに限界に来ていました。
これはうつ病になる人でも少ないケースだと思いますが、私の場合、ものすごいイライラ感に襲われて、気が狂うほどの状態に毎日なっていました。
このイライラ感はそれはそれはすさまじいもので、一分たりともじっとしていられない、強烈な焦燥感がありました。
とにかく待つことができないのです。(今なら、うつから来る脳内ホルモンの異常だったのではないかと推測できますが)
神経内科での待合室にいる時などは、まさに地獄でした。長く診察のかかっている受診者には、殺意さえ覚えました。
それはたとえていえば、この試験や仕事を逃すと一生がダメになるという時に、不運にも渋滞に巻き込まれ、刻一刻とその時間が迫っているけれどもどうしようもできない焦り・・・のような気持ちが永遠に続くというような感覚といえましょうか。
もしこの苦しみから逃れることができるのなら、どんなことでもする、たとえ人を傷つけてでも!とさえ思うくらいのものでした。
そんな私の一瞬の安らぎは、ただ寝ている時だけです。しかしまた起きればずっと地獄が続くのでした。
(うつもあって、なかなか眠れないのもさらに苦しみを増しました)
いつも夢を見ました。
「目が覚めると、あの苦しみは夢だった」という夢を。
夢の中の私は「本当に恐ろしい夢を見た、でも夢でよかった」と心から安堵していたのでした。しかし毎朝、それはむなしくも現実だと知り、絶望の一日が再び始まるのでした。
こんなことが続くので、もはや死ぬしかないといつも考えていました。あとはどう死ぬかだけです。
その日、私は仕事も早退し(行ってもほとんど休憩室で休んだり、うろうろするしかありませんでした。出勤しながら欠勤とされた状態です)、夕暮れの住宅地をあてもなくさまよっていました。
「もう生きていく力はないな、どこかで首でも吊ろう」と真剣に思っていました。イライラは相変わらず、ずっと続いています。
そんな時、ふと目の前に「治療院と」いう文字と案内があるのに気付きました。「やく治療院」さんという名前です。
「やく」か・・約・・・アバウトな治療院かなぁ・・・苦しすぎて、奇妙な連想が頭の中を巡り、私はその治療院に自然と足を向けていました。
実はこの頃私は、民間の治療院と名のつくところ、気休めに過ぎないとわかっていても、イライラの治療にならないかと所構わず、訪れていたのです。何かをしないとイライラで死にそうだったからです。
そしてやく治療院に着きました。私は応対された先生に、イライラで気分が悪いこと、なんでもいいので治療してほしいことを訴えました。
先生は私のせっぱ詰まった気持ちを察したのか、とにかく穏やかな口調で「治るかどうかはわからないけれど、苦しみはなんとかしてあげたいです」と、体を温めてくれたり、体をさすってくれたり、いろいろとやっていただきました。
特別な治療方法でもありませんでしたし、今までのこともありますから、おそらくこれでイライラが収まるとは思えませんでしたが、先生の口調やトーンが慈愛に満ちていらっしゃったのは心で理解できました。
その時の話の内容は記憶していません。でも、この時、一瞬でも心が和んだのは確かです。イライラの症状はあったとしても。
結局、治療後でも症状が消えることはなかったのですが、不思議と気分はましになっていました。何か救われた感じがしたのです。
「まだ生きていてもいいのかもしれない」「もしかしたら治るかもしれない」
なぜかそんな気持ちになり、私は治療院をあとにしました。
その後、あの阪神大震災が起こり、私の症状もまた変化を迎えることになったのですが(この話はまたいずれ書きます)、とにかくこの時、タロットでいえば「節制」の救済の天使が、やく治療院さんという形と人物を通して降りてきたのは間違いなかったと思います。
地獄に仏と言いますが、苦しくてもどこかに救いの道や人物は存在するものです。
あともう少し、あと一日、あと一週間、あと一ヶ月・・・と続けていけばどこかで救済が必ずあると私は信じています。
この世の中はどんなに苦しくても、決して地獄だけではなく、救いとセットになっていると私は感じているのです。
タロットカードの「戦車」と七夕
すでに7月7日の七夕も終わりかけですが・・・一言だけ。
タロットカードの戦車は、カードの数も「7」であること、星が描かれていること、タロットの人物が彦星をイメージさせること、カードの意味が成功や達成を示唆することから、非常に七夕と関係の深いカードだといえます。
もし願いを短冊に込めるのなら、戦車もイメージするとよいでしょう。カードに込められた象徴とあなたのイメージ、願望が結びつき、(心に否定観念がない人は)かなう確率が高くなるといえます。
その時はできるだけ、「しました」「できました」のように完了形で願うのがコツです。
カモワン版マルセイユタロットをお持ちの方には、台車のエプロンの水滴も七夕と関係することをここでふれておきます。
解決カードがあなたを救う。
先月のよく読まれた記事 でも傾向がありましたように、現状をどうやって打破すればよいのかというお悩みの人が多いように感じました。
悩みは、つきつめれば、
「結局どうしたらよいのかわからない」
という状態にあるといえるでしょう。
では、
「どうすればよいのか?」
ということの示唆があればいいわけです。シンプルに考えれば。
この「どうすればよいのか?」ということを教えてくれる方法があるとしたら・・・うれしいですよね。
カモワン版マルセイユタロットには、問題カードと解決カードという並びのシステム(並べ方)があります。
悩み状態でいえば、あなたのどのようなことが問題でそのようになっているのかを見せてくれるのが「問題カード」です。
そして先述した「では、どうすればよいのか?」を提示してくれるのが「解決カード」なのです。
この両者が相まって、あなたの現状分析と、最善策のアドバイスがタロットによって行えるというわけです。
占いといえば占いかもしれませんが、迷っている背景には、今のあなたの視点や思考方法では打破できないことを物語っています。
そんな時、まったく違った目線や、これまでのあなたの考え方とは違う論理や法則を持ち込んでくる必要があるのです。
またタロットの図柄は象徴でできており、心理的にその象徴があなたの心を映しだしているという作用を経験できます。
しかもマルセイユタロットはシンプルな図柄で構成されているため、タロットリーダーが解説をしなくても、あなた自身(相談者)がカードの図柄を見てある程度内容が想像できるのも特徴です。
仮に、タロットの象徴と自分の符合とに科学的論理がなかったとしても、「何かの対象物にあなたの心を投影してみる」という作業は生じます。
そのこと自体が自分自身を客観視し、今までのとらわれの枠から脱して、新しい発想やアイデアを得ることにつながるのです。
このようにカモワン版マルセイユタロットには、「問題カード」と「解決カード」というシステムをメインとして、「今の問題(過去の要因もあり)」と「これからの方向性」を示唆してくれる方法があるのです。
さらにタロットリーディングをしてもらうだけではなく、自らが学ぶことで、いつもそうした便利な解決ツールを自分が手にしているのと同じことになります。(タロットは基本、自分が使うものだと考えています)
私が公務員を最終的に辞める決断ができたのも、タロットの展開の中心に、「吊るし」の逆向き(問題カード)と、その解決カードに「世界」というカードが出たからです。(「吊るし」は手足を縛っている状態の人物が描かれており、「世界」は文字通り、四方へ広がる新しい完全なる姿が表現されているカードです)
この問題カードと解決カードシステムを私は数年研究し続けて、いかにすれば理解しやすく学べるかを編み出してきました。このことについては、おそらく日本中でもそこまでやっている人は少ないと自負しています。(カモワンタロットをベースに自分のオリジナルも含めて、その展開法から内容まで、かなり研究してきております)
今までは関西の口コミでごく一部の人に伝えてきましたが、現在はスカイプを通じて全国の人に提供することも可能です。
スカイプ講座は基本マンツーマンですので、個人の時間の都合がつきやい反面、こちらの対応できる人数に限りがあります。ご希望の方は、このブログの左サイドバー、お問い合せのメールフォームからご連絡ください。
サン・ロック教会での奇跡
私がタロットの講座を受講するためにフランスに行った時のことです。
フィリップ・カモワン氏のタロット講義が終わってからは、一緒に受講した人たちとともに、南仏を中心にタロットに関係する故地を巡るツアーに参加していました。
やがてモンペリエという都市に着き、日本から来られていたツアー主催者でもあり、タロットの先生でもある方の案内のもとに、サン・ロック教会という場所を目指しました。
私たちにはどこをどう歩いているのかわからなかったのですが、どうにか目的のサン・ロック教会にたどり着くことができました。
サン・ロック教会は、モンペリエの聖人である聖ロックを祭る教会です。
聖ロックは中世の人で、ローマへ巡礼しながら当時流行していたペストに罹っていた人々を治療しました。しかし自分自身もついにペストに罹ってしまい、あとを死を待つのみという状態の時に、どこからともなくパンをくわえた犬が現れ、また急に湧き出た泉などによって、奇跡的に回復したといわれる人物です。
のちにロックは故郷のモンペリエに戻るのですが、長らくの旅と献身的な人々への治療で身なりはボロボロとなり、誰も彼を見分けることができず、他都市のスパイと疑われて投獄され、そこで亡くなってしまいます。
けれどものちにロック自身と判明し、人々から崇められる聖人となりました。特に病気治癒、旅の守護聖人として南仏では有名です。
ロックはパンをもってきてくれた犬をいつも連れ歩くようになっていたので、犬と巡礼に関係して、タロットカードの「愚者」のモデルでもあると言われています。
長々とロックの話をしましたが、実はここからが本題です。
モンペリエの聖ロック教会に入った私たち日本人の一行は、教会内で絵はがきや聖ロック関係の品物を売っていたおばさんから、おみやげにといろいろと品を買っていました。
するとそのおばさんは、ものすごく感激したそぶりを見せ、こう言ったのです。
「奇跡が起こった」と。
どういうことかと述べますと、おばさんはロック信仰が篤く、いつも何か奇跡が起こることを信じて祈っていたということです。
それがその時、およそ教会、ましてや聖ロックとは無縁でありそうな東洋人の集団が、自分(教会)の売り上げにものすごく貢献したことが発生したのです。
私たちからすれば単にタロットツアーで、愚者と関係すると思われるサン・ロック教会を見学に来たに過ぎません。しかし、おばさんにとっては奇跡の一日だったということです。
このことは、大きな示唆を私たちに与えてくれます。
ひとつは、一方から見れば何でもない日常的なことである場合でも、他方から見れば奇跡のような、信じられないこと、すばらしいことであることも存在するということです。(その逆もまたありです)
そしてもうひとつは、奇跡や信じていることは、どんな形でやってくる(プレゼントされる)かわからないということです。
おばさんにとってのサン・ロック信仰の証が、私たち日本人のタロットツアーだったということは普通予想しえないでしょう。
縁というものは不思議なものです。そこには目に見えない力が働いています。でも縁を引き寄せるのも、人間の思いや行動でしょう。それがこの例でいえば、おばさんの篤い信仰や、私たちの行動に示されていたと考えられます。
フランスでのツアーにはいろいろなことがあったので、いずれまたご紹介したいですが、今回のことは、タロットでいえばまさしく「愚者」と「恋人」、そして「審判」のカードが連想できる印象深い事件といえました。
「月」のカードの考察 読み方の一例。
タロット講座やリーディングの勉強会をしていますと(カモワン版マルセイユタロットの場合です)、読みにくさで筆頭にあげられるカードがあります。
それが「月」のカードです。
カモワン流では、カードが正立で現れた場合、どんなカードでもポジティブな解釈でリーディングすることが求められます。
そして解決カードというスプレッド(展開法)上の規則もあり、その解決カードで登場したカードも積極的な意味で読む必要があります。
ところが、「月」のカードはそのトーンの薄暗い色調や、二匹の犬が月に向かってほえあっているという、なにやら対立的な図柄からも、いい意味で読みにくいのです。
そこで皆さんは「月」のカードに困惑してしまうことになるのです。
「月」は実に深いカードなのですが(ほかのカードももちろん深いです)、ひとつ「心理」や「感情」をテーマにして読んでいくとわかりやすくなってきます。
ただ「感情」というものはとらえにくいものです。だからそうは言っても余計に難しく感じられるでしょう。
ここで図柄にある二匹の犬に注目します。二匹が向かい合っているのですから、自分と相手がいる(または自分の中でも二人いる、二つある)ということです。
ここに先ほどの「感情」というテーマを当てはめると、「自分と相手の感情に着目する」という意味が出てきます。
犬がほえあっているのですから、主張を言い合うという解釈もできるかもしれませんが、カギは「感情」や「気持ち」です。
「ほえあう」つまり言い合う、伝え合うにしても、自分や相手の気持ちを配慮することが求められるのです。
まずは自分の気持ちを相手に伝える、同時に相手からも気持ちを伝えてもらうことです。
そこには意見の食い違いや、思ってもみなかたことで自分の感情が揺さぶられる(対立や反感も含めて)ことが生じるかもしれません。
それでもお互いの気持ちを吐露しあうのです。相手の言葉から複雑な心境にはなっても、相手がなぜそのようなことを述べるのか、そんな気持ちでいたのかを「感じる」ことを「月」のカードは示唆しています。
つまり相手の中に、自分の気付いていなかったものををお互いが見ていくということになります。
感情や気持ちを押し殺して過ごしていても解決にはならないことが多いものです。
そのため「月」のカードが出ると、ずっと心の底に貯めていたこと、あるいは普段感じていて言えずにいたこととを相手に話す(話すことだけではありませんが)ということを示していると言ってもいいでしょう。
月は太陽の光を受けて輝くものであり、光を受けるという受容性があります。また何かを鏡のように映し出すという幻影的な作用もあります。
片方の犬が見ているものは、相手への幻想であるかもしれませんが、同時に相手の見えていなかった部分(自分の中の葛藤部分)を受け入れていくということでもあります。
結局は相手の中に自分を見るということにつながります。
もう一度読み方に戻りますが、このカードが出ると、感情をキーに、ふたつの対象があることを思うことです。自分だけなら自分の中のふたつの心、相手がいるなら、相手と自分の心や感情に注目します。
次に抑圧しているもの、葛藤があるのなら、それを対話(自分ならふたつの心、相手がいるなら相手と自分)させることです。
この時、論理的な主義主張ではなく、気持ちや感情の部分に注視することが重要です。
さらに、ふたつを統合する前の分離状態をよく観察して見ることで、その両者を受け入れる素地ができます。表裏一体に思いを馳せるのです。
つまり新しい次元への移行や発想ができる前の分析と、受け入れ時期と行動が示されていると解釈します。
このことは、カードのローマ数字を見てみるとよくわかります。
月のカードの数はⅩⅧ(18)であり、ローマ数字はⅩ(10)とⅤ(5)とⅢ(3)に分かれます。
Ⅹ(10)は「運命の輪」であり、運命の転回やある段階での統合を示します。それにはⅤ(5)としての「法皇」、伝えること(話すこと)が求められ、そのことでⅢ「女帝」(3)という新しいアイデアや発想につながっていくことを表しています。
こういった「月」における一連の過程を理解しておくことで、実際の場面で「月」が出てきた時にどうリーディングしていけばよいのかの判断がつきやすくなるでしょう。
そうすれば、「今、気持ちを話すことをすればいいのか」「話すより先に見つめる感情があるのか」、はたまた「気持ちを話すにしても、どう話せばよいのか」なども、ケースによってどれが適当かということを読み解くことができるはずです。
その結果、「吊るし」と同様に、じっくり観察すること、不透明なものがはっきりするまでそのままにしておくことがいいという場合もあれば、「恋人」のようにコミュニケーションしてよく話し合うことがいいと能動的に解釈されることもあります。
しかしながら、その根本には「感情」「気持ち」ということものがあることを、「月」の場合には見ていく必要があるでしょう。
「月」にはもうひとつ、ザリガニという甲殻類が登場しているのも特徴なのですが、これを含んでの考察はまた別の機会に譲りたいと思います。