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タロットがいらない相談

私は以前、デパートの一角にある占いの館に出させていただいていたことがあります。


週一回のことであり、それほどたくさんの方のご相談をしたわけではありませんが、この期間の経験はとても得難いものでした。


今でもまた機会があれば出たいと思うこともあります。


訪れる相談者の方は、買い物に来たついでに占ってもらおうという主婦の人、それも年齢的には比較的上の方々が多い傾向にありました。


こう書きますと、「買い物帰りの気軽な相談」と思うかもしれませんが、実はとても重たい内容ばかりでした。


人は見かけによらないといいますが、楽しく買い物をされているようで、その心の中は「買い物でもするしかない」「買い物をしてうさを晴らしている」「ただここに、あてもなく来ているだけ」といった複雑な心境が隠されていたのです。


確かに最初は「ちょっと運勢、みてもらおうかと思いまして・・・」「私、占い好きなもので・・・」といった軽い感じから入って来られる方が多いのです。


しかしじっくりお話をうがっていますと、配偶者やパートナーとの積年のうらみ、不治に近い病の相談、こじれた嫁姑問題、遺産や財産の話、自分の死に様をどうすべきかとというような、とうてい私のような若輩者ではすぐにアドバイスすることが難しいようなことばかりが本当の相談でありました。


こうした場合、私はタロットリーダーですから、タロットを展開して見ていくのですが、あまりに相談がすさまじいものであると、相手もタロットや占いをされているという意識が薄れ、ほとんど人生相談のようなものになってしまいます。


カモワン流では、相手にタロットを引いてもらって、その出たタロットを相手と一緒に見ていきながら、自分の心や状態がどのようにタロットに反映されているかを確認していく作業があります。


しかしながら先述したような人生相談状況になりますと、とてもタロットを見てもらうなどのことはできなくなります。極端なことをいえば、この時、タロットは無意味でさえあるのです。


こうなると、ほぼ人間対人間の話し合いとなり、持てる全力で相談者と向き合い、話を聴いていかなければなりません。


「ではタロットなど不必要では・・・」とも感じるでしょう。


けれども、たとえ相手(相談する方)がタロットを無視したとしても、こちら(相談される側、タロットリーダー)は頭の中でタロットをイメージしながら整理し、相手が引いたタロットを心の中でリーディングしていくことにより最終的には何らかの示唆やアドバイスをタロットから導き出すことも可能になるのです。


タロットリーダーが、「タロットはこう語っています」と言っても、相手は自分のことで必死であり、タロットのことなどどうでもよいと思うこともあるでしょう。


相談する人がほしいのは解決策であり、癒しであり、話を聴いてもらう安堵感であり、自分の生きている価値を確認したいことなのです。


タロットリーダーは何でも「タロットがタロットが・・」・と言いたくなるのはわかりますが、相手は人であるということを忘れてはならないでしょう。


自分の中でタロットが生きていて、そこからの指針が相手に伝われば、たとえ相手がタロットに関心や注目を抱いていなくても十分だと思います。


人との相談の現場というのは、理論や形だけでは通用しない世界だともいえます。まさに人が千差万別なように、その悩みも相談もいろいろです。


自分なりのひとつの形を持っていれば、あとは臨機応変に対応していける柔軟性をもって、「人」に対して行っていきたいものです。


タロットカードに流れる「マグダラのマリア」のエネルギー

昨日は7月22日でしたが、この日はマグダラのマリアの記念日(西方教会)でもあります。


マグダラのマリアといえば、近年、小説「ダ・ヴィンチ・コード」でも有名になりましたが、イエス・キリストの妻であったといわれる女性です。(イエスジュニアを身ごもり、産んだという伝説もあり)


ただマグダラのマリアについては様々な伝説があり、一般的にはイエスによって自分の罪を悔い改めた人物、イエスの磔刑後、その復活を最初に見届けた女性として知られています。(当然ですがイエスの妻であるとは公式には認められていません)


カモワン版マルセイユタロットでは、マグダラのマリアとの関連を説きます。


タロットカードの絵柄(単体もしくは複数のカードの組み合わせ)によって、マグダラのマリアの数々の伝説を見ることができるのですが、ここではそれらについては言及しません。


ただ、一枚だけ挙げるとすれば、17の数を持つ「星」というカードを示すことができます。


西洋の宗教画において聖母マリアと違い、マグダラのマリアは長髪の金髪であり、裸で描かれることが多かったようです。


星のカードをみると、まさにそのような女性が二つの壺から水を流している姿で描かれています。


私たち日本人が見てもすぐにはわかりませんが、きっとキリスト教、特にラテン系の国の方々にはこの「星」の女性を見ると、マグダラのマリアだとすぐ思われることでしょう。


マグダラのマリアは伝説によれば、イエスの受難のあと、イエスの子をお腹に宿しながら、イエスの秘儀を受け継ぐ者たちとともに地中海に船出し、今の南仏マルセイユ界隈の海岸に漂着したのち(「サント・マリー・ド・ラ・メール」という地名で残っています)、その地に留まってイエスの教えを広めたといわれています。


イエスジュニアを産んだあと、マグダラのマリアは山の洞窟にこもって修行を続け、悟り(というと仏教的ですが)を開いたとも伝えられています。裸の姿と長い髪の毛はこの時の修行状態を表しているとの説もあります。


ちなみにこの洞窟はマルセイユ郊外のサント・ボームという山にあり、中腹にはやはり洞窟が存在し、そこにはマグダラのマリアを祭る教会もあります。私も実際にタロット学習の関係で行ったことがありますが、いろいろな意味ですごいところです。


マグダラのマリアが伝説の通りに実在したかどうかはわかりません。ただマグダラのマリアと語られる存在は、古代からの女神崇拝、女神・地母神信仰が反映されていると見てよいでしょう。


従って、女性的な癒しのエネルギーが「星」のカードには体現されています。


多くの女性の方がこのカードを見て特別な感情を抱いたり、自分の女性性について思いを馳せたりするのもそうした理由があるものと考えられます。


また女性だけでなく男性も含めて、このカードから大いなる浄化と癒しのパワーを実感することでしょう。


私自身も行き詰まっていた時、このカードと瞑想対話していますと、マグダラのマリアのような存在が現れ、「そのままでいいのですよ、がんばっていることは私が知っています」と告げられた感覚があり、涙がとまらなくなった経験があります。


カモワン版マルセイユタロットには、確かにこのマグダラのマリアに象徴されるような女性的な力が流れているように感じます。


それは、今の世で失われがちな何かだといえるでしょう。


タロットカード「神の家」の一考察

今回の話はカード一枚のやや専門的な話になります。


カードの絵柄がイメージできないと、まったく何の話かわかりませんので、もし絵柄を確認されたい場合はこのサイト でのタロット図最上段、向かって左から二番目のカードを見てください。


カモワン版マルセイユタロットではなく、ほかのタロットカードの一般的な解釈でちょっと妙な気持ちになるのは、特に「塔」と呼ばれるカードです。(ほかにもありますが・・・)


カモワン版マルセイユタロットではこの「塔」のカードのことを、フランス語の直訳で「神の家」と名付けています。


「塔」としては、正立としても逆位置でもかなり凶的な意味合いでとらえられるようです。


それはこのカードの絵柄を見ればわかるのですが、中心の建物の頂上部に向け、横から稲妻のような光が走ってきて、建物の上の王冠部分を崩しているように見えるからです。


それがまさに物事の崩壊や突発的な災厄を暗示させるからでしょう。


しかしカモワン版マルセイユタロットの「神の家」では、意味が180度くらい違ってきます。一言でいえば「栄光」や「祝福」を受けることに関係します。


その根拠として、カモワン版では、「塔」の建物のてっぺんにある王冠が、実は破壊されているのではなく、天から降ってきている(かぶせられている)と解釈するからです。


つまりは神の光を受けて自身が「神の住まう家」になるため、その栄光として王冠が天(の父)より下されると考えるわけですね。


私はこのカモワン版マルセイユタロットを使う身なので、この説をとっています。


ただし、もっと純粋に他のマルセイユタロットも見て想像してみると、やはり建物(塔)の頂上・王冠部分は光によって離れていっているようにも見えます。


ということで、私は「必ずしも王冠が空から降ってきているとはいえないのではないか」と思うこともあるのです。


では、破壊されているでもなく、降ってきているでもないとすれば、ほかにどのような解釈ができるのでしょうか。


もう一度「神の家」をながめてみます。するとある考えとイメージが浮かんできました。


この王冠はもともと「塔」の建物上部に存在していました。ところが、天からの光(稲妻のような強烈なエネルギー)を受け入れるため、自ら王冠であるふたを開いたのです。


これは建物(塔)の内側に充満するエネルギーと、天から降りてくるエネルギーの邂逅(合体)です。


雷の落下には金属などの誘導されるものが必要なように、建物の内側自体から発するエネルギーが、それに引き合う天からの別種(大きな意味では同種)のエネルギーを導いたといえます。


その瞬間、建物内のエネルギーの漏出を防ぐため王冠はバカッと口を開けるかのように傾き、そして天からのエネルギーは、その空いた部分から建物(塔)内に流入することになったのです。


王冠はカバラー的にいえば、一段階下のケテルかもしれません。つまり、稲妻が降りてくる前は王冠と建物は一体化しており、その時点でひとつの完結や完成を見ていたのです。


しかし、それでは次の次元や段階へ上昇できないと気付いた建物(私たち自身や特定次元の象徴でもあります)は、さらなるエネルギーの充実に努め(エネルギーを練る)、その高まった圧力とオーラで、ついに天から新しいエネルギーを呼ぶことに成功したのです。


その時、前の時代(次元の)王冠はもはや必要性がなくなり、王冠は自らふたとしての機能をはずして、天からのエネルギーを受け入れたということになります。


おそらくこの後は別の建物に変化するか、建物自体、さらなる発展のために爆発する可能性があります。古い形は崩れ変容するのです。


よく日本のアニメでありますが、エゴ的な人間が究極的な力を熱望するあまり、急激に無理して圧力を高め、エネルギー装置を暴走させてしまい、破壊に至らしめてしまう描写があります。


反対に装置をコントロールできる力を持つ(それは女性や少女であることが多い)者が平和を望んでそれを扱う時、巨大な扉が開かれ、新しい世界を生み出します。


このことから、「塔」という名前で語られるタロットカードの解釈もある意味正解であり、またカモワン流の「神の家」としての解釈もまた正しいということになります。


ですから、「神の家」をリーディングする時は、非常に大きな試練を与えられていると見ることもあります。


それは自分自身の飛躍や成長を促されるものであり、そのためには力をうまく扱えるほどの蓄積と技術が必要だということになりましょう。


簡単にいえば、大きな変化のための準備をする、別次元へのステップへの始まりを意識するということです。そこには神の試練とでもいうべき、厳しさを伴う選択も用意されることでしょう。


いずれにしても、土台をしっかり見据え、変化の決意を意識しないとこの機会を生かすことはできないと考えられます。


それが、「神=(自分の神性でもある)への絶対的な信頼ができるか」ということにもにもつながることだと思えるのです。


お気楽ではない「愚者」もある。つらい状況のあなたのために。

タロットカードの「愚者」は、楽観的で気楽な人物であり、「愚者」になれば細かいことも気にせず、気持ちがおおらかになることは以前にもお話しました。


今回は、そんな「お気楽な愚者」とは違った解釈を披露してみたいと思います。

この記事でも記しました が、南仏ではサン・ロックという「愚者」のモデルとして考えられる聖人がいます。


彼は自分もペストにかかりながらも奇跡的に回復し、その経験をもとに人々に癒しと治療を施していった人物でもあります。


もともとはモンペリエの資産家の出身でしたが、親から受け継いだ全財産を投げ打ち、自分はローマへの巡礼の旅に出ました。やがて彼の身なりはボロボロで、ルンペンと変わりない姿になっていたといいます。


彼が愚者のモデルだと考えれば(これはあくまでひとつの仮説であり、「愚者」自体の象徴性は特定の人物に帰せられるとは考えにくいものですが)、彼の行いが愚者にも投影されていると見てよいでしょう。


それは、自分のことを顧みない献身さとでもいうべきものでしょうか。人のためには我が身などどうでもよいというくらいの気持ちです。


これはお気楽さとは全く違う別種のものですが、「自分のことを意識しない」という点では、通常の「愚者」の解釈と同じです。


サン・ロック伝説から愚者を見てみると、もうひとつの見方が出てきます。


「愚者」の人物をサン・ロック彼自身だと見るのが普通でしょうが、逆に人物を彼が救っていた患者だと考えるとどうでしょうか?


「愚者」の人物は杖をもっており、後ろからは犬が付いてきているようにも見えます。


人物が病んでいる人だとすると、この杖や犬こそ、サン・ロックのような治癒の助けをしてくれる者と想像できるのです。


サン・ロックがペストから回復したのも、彼のためにどこからかパンをくわえてもってきてくれた犬の献身的な働きがあったからだといわれています。(サン・ロックの彫像には必ず犬も一緒にすえられています)


つまり、気が楽になるためには、杖や犬のように、後押ししてくれたり、助けを与えてくれる者(あるいは事柄)が必要でもあることをタロットカードの「愚者」は物語っているのです。


自分が愚者のように気楽に前に進めない状態(病気、停滞、アクシデントなど問題を抱えている状態)の時は、あなたにとっての犬や杖を求めてみましょう。またその補助を受けることも悪いことではないのです。


「自己責任」で片付けられる今の世の中の風潮ですが、人がそれぞれの個性をもって多くの人間たちの集まる社会に暮らしているのは、なんでも強く「一人で生きていけ」ということを意味するのではないと思います。


弱った時に助け合えるからこそ、たくさんの人たちが存在しているのではないでしょうか。


ちなみに、「愚者」の犬と杖は同じ「補助」を示すとしても、人と道具(技術)に分けて考えていくとリーディングにおいてはヒントとなります。


恋愛セミナー 「すばらしい恋をしよう」

タロットを使った恋愛講座を開催します。


この講座の狙いはこの記事の後半を読んでもらえばわかると思います。

人生における最大のドラマともいえる「恋愛」。この講座では「タロットカード」を使いながら、その恋愛の本質を見ていくとともに、人間に与えられた“恋することのすばらしさ”を考察します。


また、普段女性だけではわからない男性側の恋の心理も解き明かし、自分の恋愛パターンをふりかえりながら、よりよい恋愛とパートナー関係に向けて前向きな自分になってもらうことを意図しています。

タロットカードを知らない人を前提にしていますので、タロットの知識がない方も安心してご参加ください。


このような講座の空間自体、すでにキューピッドが舞い降りているといえます。あなたにもその矢が降りて来るかもしれません。つまりは恋愛体験に出会う可能性が高くなるのです。(これは象徴的たとえですが、講座に出ますとこの意味がよくわかります)


●日時

平成22年8月1日(日) 10:00 ~ 16:00
●会場

はり・リラクセーションODEON 2階ホール
滋賀県草津市矢橋町10-6 Tel 077-564-0688
●対象

恋愛に関心がある人は誰でも。主に女性を対象とした講座ですが、男性の参加もOKです。
●定員

10名(まだ空席あり)

●料金

12,000円(当日お支払い)

●内容

恋愛の旅路~ステップ7~
ステップ0 恋の旅人  イントロダクション
ステップ1 恋のフィールド  恋愛と自分、そして社会
ステップ2 恋への思い  恋の意識と受容
ステップ3 恋の相手  恋の創造と理想
ステップ4 恋の両極  恋の実際、女性と男性
ステップ5 恋を語る  恋の過去・現在・未来
ステップ6 恋の選択と再生  恋愛ワーク
ステップ7 恋の成功  恋愛の昇華

●申込み、お問い合せ

宮岡まで。このブログのお問い合せ から、プチメール いずれでも。


●特典

受講者全員に、講座後の無料ショートタロットリーディング(メール)をプレゼント

●お知らせ

当日講座修了後、2名のタロットリーディングの枠を設けます。

一人30 分、1.16:30-17:00(予約済) 2.17:15-17:45 
ご希望の方は、講座お申込時にご連絡ください。(先着順)
この場合、講座費用と併せて料金は15,000円となります。


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