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アクセルとブレーキ 「戦車」
よく物事のたとえとして、車のアクセルとブレーキを同時に踏む・・・みたいなことが言われます。
これ、実際の車では、まずやることはないですが、象徴的に言えば、意外に人はよくやるんですよね。
マルセイユタロットで言えば、ちょうど乗り物の象徴でもある「戦車」というカードがあり、この「戦車」の図柄には、二頭の馬が描かれていて、それぞれがまさにブレーキとアクセルの役割にもなっています。(必ずしも、そう読めるわけではありませんが、馬の違いを見れば、二頭が、何らかの意味で、別種の表現をしていることはわかります)
この馬が、それぞれの思いのままに暴走してしまったら、車は転倒したり、壊れたりする危険性が高まります。
それをうまくコントロールするのが、馬上の御者となります。戦車のカードにもそのような人物が描かれています。
「戦車」の絵柄には、手綱のようなものはないですが、おそらく彼は、二頭の馬を巧みにコントロールして、目的地に到達することができ、「戦車」の名の通り、戦いに勝利することもできるのでしょう。
当たり前ですが、車も人も、とにかく動くものには、ただ無暗に前進しているだけはダメで、ブレーキさばきと言いますか、ストップ&ゴーの扱いに長けていないと、うまく進むことができません。
もっとも、まっすぐな道で、何も障害物がなければ、前進あるのみで行けますし、そのほうが到達が早いのも確かです。
しかし、人生にたとえてみますと、人生は平たんな道のりばかりではありません。山あり谷あり、川も、落とし穴や罠(笑)さえも待ち構えています。
何も問題や障害のない目標達成とか、前進というものはあり得ないと言ってもよいでしょう。
だからこそ、アクセルとブレーキの扱いをないがしろにはできず、アクセルだけとかブレーキだけとか使えても、それもおかしなことになるわけです。同時に、進路や岐路をきちんと選択できるハンドルさばき、手綱さばきも要求されます。
「戦車」の人物は、またある意味、リーダー的な要素も持ちます。(乗り物に乗っている人の責任も持つと考えます)
このリーダー的人物のさばき方・コントロールが未熟で誤っていれば、たちまち乗っている人を危険や事故にさらします。
だから私たちは、自分の車の扱いに気をつけ、特にアクセルとブレーキの同時踏み込みのようなことは、自覚なくやっていることもあるので、注意したほうがよいでしょう。
内部に大きなエネルギー、欲求があるのに、それを無理やり抑え込んでいては、内燃機関の暴発のごとく、エンジンが焼き切れてしまいます。
つまりは、やりたいことがあっても我慢を強いていたり、進みたいのに進めない状況の葛藤をそのまま放置していたりすると、自分の中のエネルギー消費が過剰になったり、暴走したりして、心か肉体の調子を狂わせることがあるのです。
また矛盾した命令を受けていると感じる部下、あるいは、上の者でも、自分自身が矛盾していると思いつつも、何かのために仕方ないと思って強引に進めているような時、これもアクセルとブレーキの同時踏みのような感じで、葛藤から来るエンジン暴走、焼き切れみたいなことが起きるおそれがあります。
日本の職場では、結構このような事態があるのではないかと想像します。
余談ですが、政府が「GO TO キャンペーン」という旅行を推進させる施策を実施するようですが、新型コロナウィルス感染の拡大が再び巻き起こっている今に、「感染に注意しながら、どんどん旅してください」とはこれいかに?の、まさにアクセルとブレーキを同時に踏めといわんばかりのことをやろうとしています。
ともあれ、日常的にも、私たちの多くは、このような矛盾状況にさらされ続けているのですから、心と体が調子が悪くなるのも、ある意味、当然かもしれません。
そうすると、エネルギーを内部で使い過ぎて(暴走を抑えるためのエネルギー消費でもあります)、鬱になるなど、カードで言えば、「吊るし」として(まさにドック入り、メンテナンスみたいなもの)、心身の保全のために体が動きにくくなることがあります。(休ませるために調子が悪くなる)
ではやりたいことをどんどんやればよいのか?みたいに思いますが、そもそもアクセルとともにブレーキも同時にかけてしまうのは、アクセルをふかすと、恐怖や不安も起こってしまうからです。
「やりたいことをやればよい」というのは簡単ですが、それでもやれないからこそ、あるいは、やろうとしても、不安や恐怖、ブロックが生じてしまうから問題なのです。
スピードを出すと速いのはわかるけど、同時に怖いという心理です。
ではスピードが出ても安全だとなればいいのですが、それには車自体の安全性を高めるか、スピードの出し方・コントロール制御を修練する(つまりは運転技術を高めて、経験と慣れでスピードの安全な出し方を知ること)か、車に乗らない、車から降りて別の方法で行くかになってきます。もうひとつの裏技としては、車自体を別の車や乗り物で運んでもらう(笑)という策もあります。
これらを人の精神や肉体的なことに置き換えれば、車の安全性を高めるということは、すなわち自分自身を高めることにほかならず、肉体的精神的に成長や強化を図っていくことになるでしょう。
スピードコントロールとなってきますと、自身のマインドコントロールとか、内面や気持ちをもっと知り、緩急をつけたり、自分の気持ちと外側からのもの(世間体とか、自分を支配するもの、ルールなど)とのバランスを図る術を身に着けたりして、向上させていくことにあるでしょう。
また単純に運転技術は経験によっても上がるように、いろいろな(または専門の)経験を積む、物事に慣れていくということも、手のひとつです。
車自体をほかのもので運ぶというのは、例えば、他者の支援とか、組織・団体・次元やレベルの違うもののサポートを得るということでも考えられます。
車から降りるというのは、自分の目標や夢を疑ってみる(あきらめるというより、本当にそうなのか、もう一度見直すような感じでしょうか)、別の目標や目的を持ってみる、これまでとはまったく別の観点で見てみる、今までとは違う人生や価値観で生きてみる、実際に転職する、移住をしてみるみたいなことが言えるかもしれません。
車のコントロールには、何もブレーキとアクセルだけがあるのではありません。最近はナビが当たり前にありますし、ハンドルも当然あり、シフトレバーも備わっています。未来では自動運転が当たり前になるとも言われています。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいるのなら、それらを同時に離せば危険は去りますし、バックしたり(「隠者」などではそれが表現されます)、回転したり(「運命の輪」)することもいいかもしれません。
「戦車」の御者に手綱がないように、実は自分の中の高度な操縦マニュアル、いわば神性なる叡智によって、無理に操縦しようとせずとも、自ずと進めることができるのかもしれません。
いわば、自動運転に次第に近づくわけです。
マルセイユタロットで例えれば、「世界」のカードに向かって、できるだけオートマチックにスムースに車が運べるように、これからの時代は進展していく(そうした進化を全体が目指している)ように感じます。これまでは必死に地上(物質的)にあるものをマニュアルにして、車を動かしてきました。
それはそれでよかったのかもしれませんが、車も進化し、車と人が一体化し、指令から制御されて自動運転が安全に行われるように、大元(神や宇宙、大いなるひとつ)からの誘導のもとに進んでいく道に入る気がします。
つまり、自我(エゴ)中心での運転から、統合的・共同的・神性的自己の運転への切り替え、自動でいながら自分の意思も反映できる、楽しむ運転モードへという印象です。
そうなると、私たちの社会や人生も、例えると、わがままな割り込みとか、おあり運転とか、交通事故とかもほとんどなくなり、スムースなものとなっていくでしょう。
ところで、マルセイユタロットのリーディングメソッドのひとつには、アクセルを踏むべきなのか、ブレーキをかけるべきなのか、あるいは、ともに踏み込んでしまっているのか、カードの展開によって論理的に判明できるものがあります。
相反エネルギーのこと(の扱い)は、なにも「戦車」だけの話ではないのです。そもそも、この地上(現実)世界の表現として、分離的・二元的なものがデフォルトなので、世は矛盾に満ちている(ように感じるのが自然)と言ってもよいのです。
みんな、いつでもどこでも、アクセルとブレーキのかけ方に悩んでいるようなものです。
だからこそ二元的なものの扱いを巧みにしていくことで(判断していくことで)、世の中をうまく渡って行けるようになるとも考えられるわけです。(ここでいう世渡りとは、一般的に言われている世渡り上手という意味ではなく、物事の見方・感じ方が大きくなり、悩みにくくなる、あるいは回答や気づきを得やすくなるということを言っています)
そのコツは、マルセイユタロットでは、カードの図柄・デザインにあります。こういうところがマルセイユタロットの面白さでもありますね。
タロットリーディングスタイルの多様化
タロットを学習して、他の人にタロットで貢献しようとなると、やはり第一には、タロットリーディングを提供するということがあげられるでしょう。
タロットに興味を持つと、タロットリーダーになる人も少なくありませんが、最初からタロットリーダーになりたいと思っている人と、そうでもなかったのに、いつの間にかやるようになったとか、タロットに親しんでいるうちに、リーディングを人にしたくなったというタイプの人があるようです。
タロットは一般的には占いのツールとして人々には思われているので、他人に占う、他人リーディングする、つまりは他者向けに使うツールだと認識されていることが多いようです。
しかし、個人的な意見になりますが、私自身は、タロットは本来、自分に使うものであると考えており、私のやっている講座も、基礎的なものは、自分向けにタロットを活用することが中心です。(他者向けのタロットリーディング講座もありますが)
まずは、自分向けにタロットと向き合ってみて、それからでもタロットリーダーになるかを決めるのでも遅くはないと思っています。
そして、他者向けにタロットリーディングを提供したいと決意された場合は、そのための知識と経験を重ね、トレーニングをしていく必要があるでしょう。
また、別に基礎的な段階でも、自分で研鑽と工夫を重ねて、タロットリーダーとしてデビュー、活躍していくことも可能だと思います。(ただ遠回りだったり、壁に当たった時にアドバイスしてくれたりする人がいないという問題も出てきますが)
さて、他者向けにしていくタロットリーディングですが、時代とともに、そのスタイルも変わりつつあります。
一般の皆さんがイメージするような古い昭和タイプと言いますか、昔の「タロット占い」というイメージ、例えば占いの館などのお店に所属したり、自分でお店を出したりして、何かヴェールのようなものをかぶり、アラビア風な衣装で水晶を前にしてカードを並べて占うみたいなものがあるかもしれません。(笑)
自己アピールとして目立たせるために、今でもわざとそういうことをしている人はいるかもしれませんが、普通は、もうこんな格好やスタイルではやっていないでしょう。
お店の側でも、おどろおどろしい感じとか、不思議チックな演出は、あまりされないようになっていると思います。怪しくなく、それでいて、秘密を語れるような、そんな場所を意図して作っているように感じます。
また、お店に出て占い師になるというタイプよりも、個人の自宅やセッションルームを持って、そこでカウンセリング・ヒーリング的にタロットを使うという人が、特に平成以降は増えてきたように思います。
ここに個人起業とかママ起業とか流行ったこともありますので、それに乗って、タロットだけではなく、ほかの技術・ツールを使い、対面相談セッション、ヒーリングなど開業する方も増加しました。
要するに、タロットを使っての相談スタイルも多様になったということです。
そして、令和になり、今度は面談の形も変わってきています。顕著なのはオンライン化です。
昔も、直接会わないリーディング・鑑定方法はありました。例えば、メール鑑定とか、さらに古くは手紙で書いて送るみたいなものもありました。占い界では、電話鑑定というのは今でも普通によくありますよね。
やがて少しずつ、ネットを使ったオンラインのリーディングも出現してきましたが、それでもチャット的な感じで行うとかで、あまりオンライン上での顔見せしてまでのものは少なかったように思います。
ところが、コロナ問題を契機に、いや実はそれ以前からすでに移行しはじめていたのですが、Zoomを中心とした使いやすいネットテレビ通信アプリが広く使われるようになったことで、飛躍的にオンライン面談の形は一般化しつつあります。
このことで、ますます、タロットリーディングスタイルの選択の幅が拡大しました。自分がタロットリーダー・タロット占い師としてやる方法が、昔よりかなり選択肢が増えたわけです。
しかも支払いの方法も、一昔前は直接現金のやり取りか振込くらいでしたが、今はキャッシュレスの時代が進んでおり、カード以外にもいろいろな方法が導入・選択できます。
おそらく、時代とともに、あらゆる面で、ますます多様な選択ができるようになっていくでしょう。
当然ながら、行う側だけではなく、受ける側も様々な方法を選べることになります。
となりますと、考えられるのは、自分好みのスタイルが取りやすくなること、タロットリーダー側で言えば、例えば直接の対面でしか、かつては提供できなかったものが、オンラインなど、別の方法でも可能になったわけですから、自分の鑑定ルームがない、セッション部屋がない、借りないといけない・・・と悩んでいた人も、一気にその問題は解決するどころか、必要経費も減ることになります。
たぶん、リーダーとしてデビューすることでは、お店に出ないといけないとか、ルームを借りないといけないとか、自宅をそれように準備しないといけないとかの物理的な意味(理由)に付随して、気持ち的なもの、心理的な面倒さ、抵抗感が大きかった人がいると思います。
それが、今ならネットさえできれば、いきなり自分の部屋からでもサービスを提供することが可能になったわけです。部屋が狭いとか、あまりルームを他人にお見せできないと思っていても、Zoomだとバーチャル背景が使えますし、画面共有も可能ですから、そういった問題もほとんど解決します。
ということで、物理的環境の変化で、実は心理的抵抗感が減り、今後は(今もですが)他者向けのタロットリーディングとか、タロット占いは、とてもやりやすい環境・時代になってきているのです。タロットさえ読めれば、今日でも明日にでも、デビューは可能です。(笑)
他人に対してタロットリーディングを行いたい人は、このチャンスを活かすとよいと思います。
スタイルが前より自由に選べることにより、たとえ話下手、人と対するのが苦手であっても、機器やツールを使えば何とかなりますし、自分の得意な提供の仕方がわかると思います。
自分にとって苦痛なやり方は、タロットリーディングの質さえも落とす場合があります。(タロットを読む技術と、その他の環境的要因による影響はまた別なところがあるからです)
もちろん、昔ながらの、直接対面式のほうが自分は得意で、力が発揮できるといタイプの人もいらっしゃるでしょう。やがてコロナも収まる時が来るでしょうから、その時は、リアル対面の要望が一段と高まることがあるかもしれません。
オンラインが普通になれば、じっくりと対面して話を聞いてくれる、人の温かみのある直接対面式は、それはそれで、かえって貴重になる可能性を持つからです。
私は生徒さんに対して、今はオンラインで勉強会を開いていますが、数カ月前にこの勉強会で、オンラインリーディングの方法を解説し、学んでもらったことがありました。
これにより、オンラインリーディングに目覚め、実践されることで、直接の対面式よりも前向きにリーディング活動ができるようになった人もいます。
また、従来からの対面式にプラスして、オンライン形式を導入された方もおり、それでリーディングスタイルのメニューを増やせたわけです。
これからは、いろいろな方法・スタイルにチャレンジして、受ける側に選択の幅と自由性を感じてもらうのもよいことかと思います。
反面、提供する側も、メニューを増やすというやり方だけではなく、自分がやりやすく、得意な方法、リーディングをやっていて楽しくなる方法にこだわって行うのもありでしょう。
つまり、お客様だけではなく、提供する側にも選択する権利があると言いますか、自由がある時代になっていくと思われるのです。
タロットリーディングを行うことが、副業的にも、趣味的にも、ますます融通が利くようになるでしょう。
もちろん、タロットがある程度読めないと(特に営業・仕事としては)話にはなりませんが、こと、提供スタイルに関しては、これからは、「こうでなければならない」という定番のものはなくなり、自分の個性・工夫によって、スタイル・やり方を自由に選択できるようになり、結局、自分がやりやすい方法で行っていけばよいことになると思います。(お客様のニーズとか時代性も考慮する必要性はありますが)
マルセイユタロットで言えば、「節制」(節約という意味ではなく、融通無碍の意味のほう)と「手品師」(仕事や、やり方の多様性)みたいな印象です。
あと、マルセイユタロットは直感だけではなく、むしろ論理的に読むことがてきるカードですので、だからこそ普遍的に、どのスタイルになってもリーディングを提供しやすいというところがあります。読みのルールのようなものがありますから、環境に左右されにくいということです。
「吊るし」の必要性
「吊るし」
マルセイユタロットのこのカードは、大アカナの中でも、特殊なカードと言えます
ちなみに、特殊な大アルカナカードは、数がないという「愚者」、そして名前のない「13」というカードが、ほかにも挙げられますが、「吊るし」は、逆さまに見えながら、それが正立という特別さを持ちます。(もっとも、逆さの人物や動物は、細かく言えばほかのカードにも存在はしますが)
大アルカナのナンバー順は、ある種の成長性を示すことは、すでに結構知られているところですが、「吊るし」のナンバーは12であり、その次は、さきほど紹介した名前のない「13」となります。
「13」のカードは、骨格状の人物が大きな鎌を持って、何かを刈り取っている、削ぎ落しているかのような図像です。このことから、変革や改革、大変な作業ということが想像されます。
しかしながら、その前の「吊るし」は、逆さまのスタイルではありますが、ぶらーんと宙づり状態になり、ほとんど動いていない様子に見えます。
しかも、逆さ吊りの姿勢ともなると、苦しそうであったり、何か拷問を受けていたりするように思えるのですが、このマルセイユタロットの「吊るし」の人物は、むしろ笑みを浮かべているようにさえ見えることもあり、つらさは感じさせません。
一般的には、「吊るされた男」「吊るされ人」など名づけられているこの12番のカードを、私たちは「吊るし」と呼んでいます。
それは能動的にこの姿勢を取っていると見て、あえてこのスタイルの必要性をカードから感じているからです。一般的名称では、受動的に、何かの刑罰を受けているかのようにとられてしまいます。
前にも書いたことがありますが、カードの名前をどう訳すか、どう覚えるかによって、印象・意味合いもまったく異なってくるので、名前は重要です。
私たちは「吊るし」と呼ぶことで、このカードの受動的でいながら能動的である側面やポジティブさを自然に見ることができるのです。
ところで、このカードの解釈は、様々ににできるのですが、霊的な意味では非常に深いものがあり、通常、それは教えられてはいませんし、気づく人も少ないです。
私自身もそれは教わることはなく、あとで、様々なスピリチュアルな情報に接したり、学んだりしたことで、この「吊るし」の霊的な意味をインスピレーションとして得たというところがあります。
ひとつヒントとして言えば、グノーシス思想を探求しないとわからないというものです。従って、タロットの中にグノーシス思想を見出せない教義・姿勢の場合は、「吊るし」の秘密に迫ることはできないと言えましょう。
まあしかし、それもあくまで「ひとつの説」ですから、別に知る必要のない人にはそれはそれでよいことです。
さて、今日は「吊るし」の意味でも、一般的な意味合いの部分で、今年に特に関係すると思えるので、指摘したいと思います。
「吊るし」は、吊るし姿勢のまま動いていないと見ることができ、つまりは、現実的な解釈では、動かないこと、休むこと、エネルギー補充、見直し、停滞・・・というような意味合いとして取れます。
もちろん、ほかの意味もあります。例えば、「吊るし」の人物は「ひも」でつながれているので、結んでいる支点を中心に、右や左、あるいは前後と揺れている(振り子運動をしている)と見ることもできます。
だから位置が安定しないとか、どちらともつかずとか、そういう意味にもなりますし、これをよい風に見ますと、どれにもつかない、中立、うまく自分というものを保った立ち位置を守り通していると考えることができます。
とすると、最初の動かないという意味合いと、振り子のように動く意味合いとは矛盾するようですが、あえて、このふたつを融合させると、「自分を守る意識で動く」、あるいは、「自分の内面の守りたいもの、大切なものは動かさず、外向きは臨機応変にする」ということが出てきます。
もっと本質的に言えば、自分自身を確立すること、どんな時にも自分を保つこと(自分自身を簡単に売り渡さない)ことと言えるでしょうか。
もしも、あなたが、環境や時代の変化などに翻弄され、どうしていいいのかわからなくなった時、だからこそ、あえて立ち止まる必要もあるのかもしれないのです。
新型コロナウィルスの影響もあり、変化を叫ばれる昨今ですが、中心軸のようなのが固められずに、支点も動かして右往左往してしまえば、そのうち、綱も切れて落ちてしまいます。
また、他人や強い影響力を持つムーブメントにいいように動かされ、あなた自身がその者たちの電池のように使われてしまうこともあります。
すでにあるもの(得ているもの・持っているもの)の中で待機し、見ようによっては引きこもりのような熟成期間も大事です。
自分を見失ってしまい、あせって、ただエネルギーを消費し、疲れてしまって、かえってわけがわからなくなる、どうすればよいのか迷ってしまうという人も多いです。
うつ病などでも、エネルギー切れによる不調ということが発端になることがあります。
「吊るし」のように、一度立ち止まり、自分を吊るし(ペンドし)て、今までのポジションから見て、まるで逆さになるかのように、違う見方をしてみるのは、特に今年は必要なのではないでしょうか。
精一杯、走り続けている、努力している人、成果やよい道が現れず悩んでいる人も、できる範囲でゆっくりする、何もしない、一度そのことを考えずに心身を休めてみるという時期を作ってはいかがでしょうか。空白期間もまたそれはそれで重要なのです。
自分が手を出せないようにしていると、過剰なエネルギーがそれまで働いていた場合(つまり、あなたが必要以上にやり過ぎていた場合)、修正が働き、他人があなたのしていたことをやらなければならなくなってきます。
でも、それはそれでよいのです。
あなたが無理して、自分を犠牲にしてまでやり過ぎていたことがあるのですから、自然のバランスで、ほかの人が本来やるべきことが回復してきただけです。そのほうが、あなたのためにも、また他人のためにもなるのです。
あなたがやり過ぎていたことで、他人の成長、物事の動きを止めていたこともあるからです。つらく、大変な思いをして、ますます周囲を停滞させていたとは、皮肉なことです。
「吊るし」は停滞のように見えて、むしろ停滞させているバランスの悪さを見させてくれるところもあります。「吊るし」が出る時、止まるべきはあなた自身であることがほとんどです。それが逆に停滞を解除し、次の「13」の変革に進ませるのです。
やたらと前進あるのみがよいわけではありません。
物事には陰陽があります。時には止まってもいいではないですか。いや、止まらなければならないことがあるのも自然の摂理と言えます。止まることで、本来のあなた自身や見失っていた自分を思い出し、真の自立や必要な変化を促進させることもあるのです。
ブログ再開 見えないネットワーク
ご心配をおかけしましたが、体調は回復し、今日はからまたブログを再開したいと思います。
ブログはだいたい、これまで通り、二日置きくらいに新記事をアップさせていくつもりですが、ちょっと今回のことで、心境の変化もあり、もう少しランダムになるかもしれません。
世間では東京を中心に、また新型コロナウィルスの新たな感染者増など、不穏な動きを見せていますし、九州では水害により、熊本で大変な被害が出ております。被害に遭われました方々にお見舞いを申し上げますとともに、お亡くなりになられ方のご冥福をお祈り申し上げます。
すでに数年前からですが、地球規模であらゆる面で変化の波が強制的にやってきているように感じます。
ブログを休んでいた時にも感じましたが、まず一人一人、自信が持てたり、イレギュラーなことに対応できたりできるよう、自分の心身を調整し、自立していく力と意思を構築していく必要性と、同時に、人間、一人では弱いところもありますし、こうした大変革の時代には、不安や恐れも増大し、どうしていいのかわからなくなる状態も起こりますので、助け合いの精神と実践が重要かと思います。
ですから、すでになにがしかの自立的精神と実情(経済など)を獲得している人は、これまで以上に、他の人の自立を援助していくことが求められると思いますし、逆に自分は弱いと感じている人、実際にいろいろな問題を抱えて悩んでいる人は、一人でどうにかしようとせず、他人や組織・行政などのサポートを受けてもよいかと考えます。
自分でできることは何か、それはお金とか行動、または他者にとっての意味だけではなく、精神的なこと、そしてまずは何よりも自分に対して自分ができること(本当の意味で自分の助けや成長につながること)は何かを考え、実行していくことだと感じます。
そして、これからは、無意識のうちのネットワークも重要になるでしょう。
マルセイユタロットで言えば、「恋人」カードの、人同士が実際に会話しているような物理的ネットワークではなく、目に見えない次元でのネットワーク、カードで言えば「審判」的なものを、いかに自分としてつなげることができるかということが大切になると考えます。
もともとそういうネットワークは、すでにあるとは考えられるのですが、ほとんどの人が自覚がないままです。(自覚なくてもいいのですが、悪いつながりをしてしまったり、よい意味で利用できていなかったりするという点が問題)
そして大きな問題は、つながってはいるものの、不安や恐怖、ネガティブな気持ちでつながっている場合が多く、これはわざとそうさせられているところもあるのではないかと想像しています。(「月」のカードと関係すると思います)
一人の気持ち自体は小さなものでも、たくさんの人とつながってしまうと、それが増幅され、巨大な一種のエネルギーと化します。それはまるで強烈な電流となって、皆さんの意識の中に入り込みます。
それが霊的な自立を阻害し、自分は何もできない、将来が不安、こうするしかない・・・などの牢獄のような縛りを作ります。いわば、悪い意味での電磁バリアのようなもので、電気の柵であり、檻です。
電気にはプラスマイナスがあるように、逆の性質をぶつけると、一時的には爆発のような不具合を起こすかもしれませんが、中和されて、ゼロのような感じになるでしょう。それは精神的に言えば、落ち着いた、クリアーな状態かもしれません。
つまりは、見えないネットワークにポジティブな電気信号を送り合いましょうというわけです。
頭の神経細胞のように、パータンとして電気信号の通り道ができてしまうと、同じ思考に留まりやすくなります。違うルートを開発して、そちらのほうを通常化する必要があるわけです。
おそらく、マルセイユタロットの絵柄と構図は、そういう見えないつながりを視覚化して、つなげていく役割もあると考えられます。
別にタロットがなくても、希望的な気持ちを持って、世界中にはよいネットワークがあると仮定し、そこにつなげたい、つながりたいという意思を持ち続ければ、自分もそこに加えられるのではないかと思います。(例えば、日本の神社などもそういうシステムがあると仮想することができ、神社にお参りして意識することで、つながりがつくと感じます)
それは、助け合いの精神が基盤でもあるように感じます。タロットで言えば「節制」心とでも言いましょうか。
自分が苦しい時は助けていくださいと祈り、楽になったり、少し余裕が持てれば、助けます、サポートします、苦しい人が救済されますようにと祈るわけです。
これは縦(過去から現在の時間軸)的に見ると、先祖因縁・成仏的な話にもなると思います。
横と縦での祈りとサポート(ネットワークとアクセスの完成)が実現すれば、それは(大)天使的救済(一人だけではなく人類全体規模の救済が大天使的救済)となって現れるでしょう。(「審判」のカード)
カモワンタロットと占い
私はもともとカモワン版マルセイユタロット(通称カモワンタロット)から入った者ですし、過去のブログはカモワンタロット自体について書いたものも多いですから、カモワンタロットを学習したい方、興味のある方が検索して、たどり着く場合もあるようです。
それで、カモワンタロットについて、今もって、私もカモワンタロットの情報を見ることがありますが、最近は日本での購入・入手が難しくなっているようですね。
まあこのことは、すでにコロナ以前からもあった(だからコロナウィルスの影響ではないと考えられます)のですが、たぶん日本においては、どこかでカモワンタロットの大きな需要があって、もともと少ない在庫が一斉にはけてしまったのだと思われます。
事情はわかりませんが、カモワンタロットの製作者のお一人、アレハンドロ・ホドロフスキー氏も、まだお元気とはいえ、かなり高齢でいらっしゃいますし、もう一人のフィリップ・カモワン氏も日本での活動はほとんど行われていないようですし、生産・販売について、特に日本までの供給となると、難しくなる何らかのことが起こっているのかもしれません。
カモワンタロットを教えるところや人は、正式にはカモワンスクールさんのほうがされていますので、そちらの人たちが事情に詳しいのではないかと存じます。
ところで、カモワンタロットがもたらしたインパクトは、やはり、タロット=占いという概念を打ち崩したところにあると、私は考えています。
それは以前、日本でのカモワンタロットの正式教育機関であった旧国際タロット学院→タロット大学(現イシス学院)が、そのような(占いではないタロットの視点の)売り方・広め方をしたことが大きいと思います。
もちろん、カモワン氏の技法やリーディングスタイルも、日本でいうところの“占い・占い”したものではなかったということもあります。(とはいえ、以前、ある雑誌の記事で未来予想の占いをカモワン氏かしていたこともありましたが・・・苦笑)
また、ホドロフスキー氏も、著作「タロットの宇宙」を見てもわかるように、そして常日頃から氏が語っているように、タロットは占いではないというスタンスであり、このお二人からの流れのタロットが、占いから脱却したものになるのは明白でした。
私はカモワン流においては、かなり学習・研究した者ですが(今はカモワンスクールの認定講師でもありませんので、その流れにはありませんし、カモワンタロットを教えることのできるのは、カモワン氏いわく、カモワンスクールが認定許可した講師のみということになっています)、いわゆる「カモワン流、カモワンメソッド」と呼ばれる、その展開法を見ましても、まったく占い向きではないのがわかります。
絶版にはなっていますが、以前、「秘伝カモワン・タロット」というカモワンタロットに関する本(日本では唯一のカモワンタロット関係の本、最近はカモワン氏が出したフランス語の本もあります)が出ていました。
その本に書いてある「動的展開法」というカモワン流の並べ方(スプレッド)があります。『学研「秘伝カモワン・タロット」大沼忠弘、フィリップ・カモワン共著 p85~の部分』 (この本の「動的展開法」は、本来のカモワン流に日本式に改編が加えられたものですが)
ここで、リバース・逆位置のカードに対して、そのカードの下に(カモワン氏のサイトでは上に置くという方法も書かれているのですが、この本では下に置く方法になっています、これには理由がありますが、ここでは割愛します)正立で別のカードを引いて置くという方法が記されています。
いわゆる「問題カード」「解決カード」の法則です。(イシス流では課題カードと対策カードに相当)
そして、この展開法規則そのものが、占いに向かないものなのです。
例えば、「彼の気持ちはどうなのか?」という質問で、問題カードと解決カードの展開を使った場合、問題カード(リバースのカード)を彼の気持ちと読むのか、解決カード(その下か上に正立で置くカード)のほうが示しているのか、混乱してしまいます。
問題カードと解決カードのシステムは、問題カードはその名の通り、問題を示しているのてあり、解決カードもまたその名のごとく、問題を解決するためのエネルギー・意味・示唆を表すというものです。
ですから、ここに、「彼の気持ちはどうなのか?」とか、「この仕事は辞めたほうがいいですか、それとも続けたほうがいいですか?」とか、「この先、私、結婚できますか?」というような典型的な占い形式の質問には、どう答えていいのか、どう読めばいいのか、わからなくなるのが普通だと思います。
そう、「何が問題で、何がその解決を促すのか?」という趣旨の質問スタイルに変えないと、そもそも、展開法自体が占いの質問に合わないのです。
ですから、「彼の気持ちはどうなのか?」と質問するのではなく、「彼とうまく行くにはどうすればよいですか?」とか、「結婚できますか?」ではなく、「結婚するためには(結婚に対して私の何が問題で)、どうすればよいですか?」(どんな対策や解決策があり、どんな見方をすればいいですか?)というものにしないと、スムースには読めないのが当然と言えます。
逆に言いますと、質問をうまく変えることができれば、カモワン流の展開法は非常に有効なものとなります。
こう考えると、もともとカモワン流の展開法自体が占い質問に答える形式ではないので、そもそもからして、占いには向かないタロット(厳密にはその展開法が、です)であることがわかるのです。
これを無理に占いに適用しても、また当たらないとか占いに使えないとか言っても、元から目的・使い方が違うので、文句を言っても仕方ないのです。
もちろん、スプレッド・展開法、そして解釈次第では、カモワンタロットでも占いに使用し、効果を出すことも可能です。(まあ、それでも個人的には占い向きタロットではないと思いますが)
バリバリの占いタロットをしたい方、当たる人気占い師などを目指す方は、カモワン流よりも、ウェイト版などのタロットで、占い質問を答えるのに向いたスプレッドで学び、実践を重ねたほうが目標に近づけるでしょう。
そうした占い方面ではなく、カモワン流のリーディング・質問形式に、自分の感性や思考、タロットを使う目的として合ってると思う人は、カモワンタロット、カモワン流を使っていけると思います。
ですから、これまでもたくさんの人を見てきましたが、やはり、占い嗜好(志向)の層とは違う方が、カモワンタロットやマルセイユ版を好む傾向があるように思います。
個人的には、カモワン・ホドロフスキー版マルセイユタロットはすばらしいものだと考えていますので、生産・販売がストップするようなことのないように願いたいものです。