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「手品師」と「節制」から
最近は、アルカナナンバー14、「節制」に関する記事をよく書いておりますが、実際に浮かんでくるカードも「節制」のことがよくあります。
それだけ、個人的にも、また全体(社会)的にも、「節制」のカードの象徴性に、大きな意味がある時なのかもしれません。
そして、今日は、「節制」だけではなく、「手品師」(アルカナナンバー1)も併せて出てきました。
この二枚のカードを並べてメージされたものが、今日の記事の内容になります。
ところで、「手品師」のカードと「節制」のカードは、まったく似ていませんし、一見すると無関係なカード同士に見えます。
しかし、マルセイユタロットでは、どのカードとも連繋をしますし、関係性を持ちます。(これはタロットの種類に限らず、いわゆるコンビネーションでリーディングすると、当然、どのカードも関係性をお互いに持つことになります)
言葉や文章のように、カード同士がつながると、一枚単体の意味だけではなく、新しい意味なども出てくるのです。
私が当初から学んでいた「カモワン流」のタロットでは、視線カードという概念があり、カードの人物の視線の先に置くカードとの関係性を強く読む(意識する)ことが普通でした。
このことは、今の私のカードの見方(読み方)に受け継がれています。
カモワン流の視線カードの技法の良さは、まるで人間のように視線を追うことで、カード同士の関連性を、特別な意味を覚えることなく、物語やストーリーのように視覚的にとらえて、カードからの示唆・意味を見出しやすくすることがあります。
これが、例えば、カードがたとえ複数あったとしても、それぞれがバラバラで、あるいは置く場所が決まっていたとしても、カード同士が離れたところに置かれていると、カードをつなげてひとつのストーリーにすることが難しくなります。
もっとも、一般的にタロットのスプレッド(展開図・展開法)自体が、ストーリーを作るシナリオ構成になっていることが多く、カードが単体で離れていても、ひとつひとつ、置く場所の意味と出たカードの意味とを重ねていけば、物語ができるようにできているので、必ずしも、視線を追わなくてもストーリーは作ることができるわけです。
話題がタロットの展開や読み方の技法の話になってきましたので、元に戻します。
ともかく、「節制」と「手品師」は、二枚を並べると、共通性がないようでいて、よく見ると、ともに局所的なことを示しているのがわかります。
「手品師」はテーブルの上にある手品道具を使って、大道芸をしてお客を楽しませています。
一応、手にも道具を持ってはいますが、基本、道具類はテーブルの上にあり、つまりは、この「手品師」にとっては、テーブル内こそが彼の使える範囲であり、手品が自由になる世界なのです。
一方、「節制」は、天使がふたつの壺を持ち、そこから液体を移し替えている、もしくは混ぜ合わせているように描かれています。
ふたつの壺を持つカードにはアルカナナンバー17の「星」がありますが、その「星」とは違い、「節制」の壺の水は、ふたつの壺の間でしか移動・交流がありません。そういう意味では局所的なのです。
ということは、「手品師」・「節制」の二枚からは、限定的・局所的な意味が強調されることになります。
ここで、「節制」をメインにした場合、「節制」は天使でもあり、詳しくは延べませんが、救済や癒し、サポートに関わるとされるカードです。
そして「手品師」は、手品をする大道芸人ですが、彼にとってはそれが仕事でもあるので、仕事という意味も出ます。あるいは、日々している作業と取ってもよいです。
すると、「節制」をメインとして今考えるわけですから、救済やサポートの仕事、作業をするということになり、さらに前述の両者(二枚)における「限定的・局所的」である共通点を考えますと、その救済は、誰彼なくやるものではなく、この範囲でとか、この人(たち)にとか、自分として本当にサポートできる範囲で施すという意味合いが出てきます。
例えば、親孝行をしたいと思っている人がいて、しかし、自分はお金もない、親とは距離があって会いに行きにくいとか、少しわだかまりが残っている・・・などのことがあって、なかなか思うような親孝行ができていないと考えているとします。
そのために結局、何も親にはしていない、してあげられないと、苦悶しつつも、放置しているような状態となっています。
ですが、ここで「節制」と「手品師」のように、まさに自分ができる範囲で、自分が許可できることの中でやればよいとなりますから、ただ親のために祈るとか、感謝を心で言うとか、メールや手紙を送るとか、お金ではなく、何かささいなモノでもよいので送るとか、親には買いにくいものとか、ネット関係の情報・労働を提供するとかで、完璧や理想の親孝行というものを一度手放し、限定的でもいいので、とにかく何かやる(パフォーマンスする→「手品師」です)という示唆になってきます。
「手品師」をメインに考えた場合も同じで、「手品師」が仮に仕事の意味だとすると、テーブルの上だけは自分の裁量範囲で自由ですので、狭いながらも、自分が今取り掛かれること、やれること、たとえ制限はあっても何とか自由にできる範囲のことをやればよいのです。
それが「節制」の意味として合わさると、仮に「節制」の象徴性が経済の流れ(壺の水から)、つまりお金(の流れ・扱い)だと見れば、それが局所的・限定的(支払える範囲、使える範囲)ですから、仕事で自分のやれる範囲で投資をするとか、節約しつつも、創意工夫で手品師のように、すでにある手品(仕事)道具・ツールで、うまくお客さんに見せる(魅せる)ことができるはずと考え、実行していくというアドバイスができます。
結構多くの人が、完璧主義と言いますか、全部そろわないと動けないとか、自分の思う理想的な状態がやってこないと実行しないというところがあります。
タロットリーディングなどもそうで、すでにかなり学びをしているのに、自分のリーディングに自信がないと言って、なかなか他人に対してリーディングを実践することをためらってしまう人がいます。(他人リーディングをやってみたいという思いがある人の場合です。もともとそれをやることを求めていない人は別です)
人によって、実行するための条件というのは違います。
条件がすごく緩やかで、簡単な人もいれば、これとあれとそれと・・・と、かなりの条件が整わないとやれないという人もいます。この「条件が整う、そろう」という意味では、不安や心配がなくなるとか、心のブロックがはずれるという意味のことも入ります。
心理的な条件がきつい場合、なかなか実行には至りにくいものです。それは心理的ゆえに、モノや環境が揃っても、必ずしも心理面のブレーキがはずれ、アクセルが踏まれるとは限らないからです。
逆に言えば、心理的ブレーキがはずれれば、条件は完璧でなくても進めるわけです。
そのひとつには、「節制」と「手品師」のように、限定的・局所的でもいいのでやってみるということがあります。
言い方を換えると、自分が許可している範囲、今の自分が自由な扱える範囲でやるということも検討しましょう、ということです。
例えば、瞑想をやると決めても、30分は無理ということなら、今の自分なら3分くらいならできるし、許せるというのなら、それでまずはよしとするわけです。やらないよりましで、「手品師」ではないですが、大事なのは、仕事のように作業化(習慣化・ルーチン化)してしまうことです
私が思うに、現実世界は、形が重視される世界ですので、いかに実際に外に表現し、行動するかに(現実的)変容はかかっていると思います。
もちろん、その裏には精神や心が作用しているわけですが、頭で理解し、心で納得しても、何も外に向かってやらなければ、そのままであることが多いのです。
「手品師」はアルカナナンバー1です。始まりでもあるわけで、完全ではなくても、始めることに意味があるとも言えます。
ちなみに完全を意味するカードは「世界」ですが、これは21のナンバーであり、その間にはたくさんのカードがあるわけです。
いきなり21になる(至る)のは難しいのは当然です。しかし、21の「世界」と1の「手品師」には、明確なシンボルの共通性があり、それこそが、始まり(始めること)が完成の種、エッセンスであることを如実に示しています。
ためらっていること、条件がそろったらやろうと思っていることの中で、限定的でもやれることは表現してみると、その実現への線路に乗ることになるのです。
時間を進めてみる
その名前を書くのも憚られるほどの、例のウィルス問題、世界的にも深刻な状態になってきました。
著名なコメディアン・タレントである志村けんさんも犠牲になってしまいました。子供のころから楽しませていただいた志村さんには、心からご冥福をお祈りしたいと存じます。
さて、そのような状況で、今、非常に一人一人が自覚をもって注意と節度を持ち、そして日本全体として協力して対応していく心構えがますます必要となりましたが、同時に、不安や恐れ、心配、ネガティブな思いも増大している人が多いのではないかと思います。
それは状況を見れば仕方のないことかもしれません。ウィルスの影響と被害が甚大なヨーロッパでは、精神的に病む人も増えていると聞きます。
実際の感染対策も急務ではありますが、このことにより、震災の時もそうでしたが、メンタルダメージを受ける人も多くなっていると考えられますので、メンタル面のケアも考え、実施していくことが求められます。
前にも書きましたが、昭和がモノを中心とする時代だとすると、平成は心や精神に注目が集まる時代と言えました。そして、令和以降は、モノと心、物質と精神を超えた(統合した)霊・魂ということに、一般的にも観点が移るのではないかと考えています。
ということで、振り返れば、平成の時代、メンタルに関心が行くことで、そのケアーや癒しをする人たちも増加したように思います。
もちろん、精神医療・保健という、公的な面、アカデミズム的な方面の発達もあったと思うのですが、民間や一般の人のメンタル(心・精神)への注目度、そしてそれに関する資格や技術的なもの、それを活かしての仕事をする人もたくさん出たように思います。
いわゆるカウンセラー的な人(仕事)など、その典型と言えます。
ですから、今こそ、平成で仕事を始めたメンタル・マインド関連の方々は、何か、皆さんに役に立つこと、セルフケアできることなど、伝えていくとよいと思いますし、経済的に不安があるクライアントに対しても、何か割引とか、サービスが受けられやすい仕組みを提供していただくのもよいのではないかと、個人的には思います。
もっとも、提供する側にも生活がありますから、その辺りはバランスが必要かもしれませんが。
私もタロットカードを使っての、メンタルやスピリチュアル系のはしくれみたいなところもありますので、先日からお知らせしているように、通常価格の7割引きで、今、タロットリーディングを提供しております。
えーとまあ・・・それをしている私は、全然裕福でありません。ですから、「そんな価格でやるのは、仕事としてはどうなんだ!」と、ビジネス的にはあきれられるのかもしれませんが、私にとってタロットの仕事は、生活のためにやっているだけではないので、こういうこともします。
ところで、心や精神が不安になる、鬱的になるという方に、時間の進め方を逆にしてみることを提案します。
普通は、現在から未来へと時間は流れると、皆、思いますよね。そうでないと、日常的、実際的にはおかしなことになります。
しかし、ここで、未来から現在に逆に流れてくると、時間感覚を反転させてみましょう。
つまり、今あなたに起こっていることは、すでに未来が何らかの形でできており、そこからの影響があって今の状態があるとみるわけです。
通常は、(確定していない)未来が不安、心配・・・ということで、それを想像して気持ちが萎えたり、悲観したりして鬱的になります。
けれども、これは、今のあなたが想像(創造でもあります)しての未来です。
ですから、よく言われるのは、今の自分の未来の想像を明るくすればいいという方法です。
それはもっともな話で、今の自分が、また決まってもいない未来を想像して、勝手に悩んでいるのですから、今の自分の未来への想像・イメージさえ変えれば、落ち着けるというのも道理です。
しかし、そう簡単に明るい想像ができないから困っているわけです。
もともと普段からポジティブシンキング傾向で、行動も活発、すぐ実行できるような陽キャラ(笑)みたいな人は、未来への想像をポジティブなものにするのは簡単なことでしょう。
ですが、普通の人とか、ネガティブ・心配性な人は、なかなか明るい未来をイメージすることは難しいものです。ましてや、今、世界中で大変になっているネガティブさが蔓延するような事態では、明るくなれ、というほうが無理です。
私など、この心配性の傾向を持ちますから、気持ちはよくわかります。
それでも、ここで、時間の流れを逆にした思考をしてみます。
その時のコツは、時間をかなり進めてみるということです。
だいたい、過去のパターンとか、直近の状態をそのままトレースして、現在→未来のイメージを多くの人はしています。
ということは、ここ最近とか、少し前の過去のものを題材にして未来予測をしてしまうので、どうしても、今がネガティブ状態なら、未来もネガティブなものしか想像がつかなくなってしまうのです。
ですから、時間のスパンを直近の過去と現在よりも長くして、一年後、数年後、10年後くらいの未来へと飛ばしてみるのです。要するに、今に影響している色濃いネガティブ材料・要素を排除するわけです。
そして、白紙のような状態で、明るい、あるいは希望する未来を想像します。そうなっているということを強く思うのが大事です。
その未来が選択されているという思いが強くなればなるほど、未来はあなたの意識では確定状態に近くなります。
これは現実にイメージした未来を引き寄せるための確定というより、イメージや意識での確定の思い・傾向というものを作り上げ、その作業そのもの(プロセス自体)に大きな意味があるというものです。
それで、時間の流れが逆になると見ていますから、将来が明るいものならば、当然現在にそれが流れてきて、「今」がそれに向かうための過程ポイント(地点)になって、気持ちは明るくなってきます。
未来はたくさんの世界(未来像に至る)線に分かれていて、そのどれもが可能性として「今」にあっても、選ぶのは自分の「今」(の気持ち)であるということがよく言われます。
時間の流れが未来から来るという設定においては、たくさんの未来像があるのは同じでも、今(の気持ち)がそれを選択するのではなく、先に未来に飛んで決めてきてから、それが流れてくるのを待つという感じになります。
従って、今のあなたの状態・状況に関係なく、未来そのものをとにかく先に決めること、それがとても大事になってくるのです。
これはマルセイユタロットでは「女帝」と関係します。
今は破壊として「13」が起こっていると言えますが、破壊は創造の裏返しでもあり、セットと言ってよいものです。そして、「女帝」は同じ3という数を持ち、創造に関係します。
つまりは、あなたは「女帝」となって、今破壊されつつある(自分の)世界を、先に計画し、よいものを創造(想像てもあります)しておくことなのです。
ウィルス後の世界であなたは、よい意味で(希望的に)、何がしたいのか、どうなりたいのか、そういう思いを先回りして、時間を進めて、創造するのです。
これは、時間が過去→現在→未来という通常の感覚では、直近の過去と今現在のあなたが得ている情報に大きく左右されてしまうので、明るい未来、なりたい自分とか、希望する将来など、なかなか想像できないのが普通であることは、今までで述べてきました。
しかし、未来から現在へと時間の流れを逆転させ、通常思う未来の想像よりも、もっと先の未来へ時間を進めて想像することにより、今の囚われが少なくなって、ポジティブなものや、よいと思えるものが出やすくなるのです。
それが少しでもできると、未来から今に向かって時間が流れて来るわけですから、不思議に、気分は多少なりとも明るく変わってくるでしょう。ある意味、現実逃避(笑)をうまく使うテクニックと言えます。
パラレルワールド的に言えば、短期的ではないもっと先の未来の自分の世界に行き、そこの自分から、今の自分に念を送ってもらうみたいな感じですね。
少なくとも、完全によくなる世界は見え(想像でき)なくても、この騒動が収束している世界は意外と想像できるのではないかと思います。
もちろん何度も言うように、短期的には想像としても、今の状態なら無理だと思います。
けれども、長期的に見れば、誰でもそれ(収束)は思えるでしょう。どんなものでも、ずっと同じということはなく、この世の理として、必ず創造・維持・破壊、言い換えれば、発生、ピーク、収束となります。
あなたが永遠に現実世界では生きられないように、ほかのものも必ず衰え、滅びて行きます。それは自然のサイクルです。
ということで、収束する世界はわかるわけですから、その世界に自分を飛ばして、しばらく夢想するのも、実は今の自分に役立つことは、ここで述べた通りです。
悲観せず、あなたも時間を進めてみましょう。
これはまた、マルセイユタロットで言えば、「運命の輪」を回すことにもなるのです。
あれかこれかで悩むこと
タロットでの相談や悩みを聞いていますと、たいてい、こういうケースに当たります。
それは、あれかこれかの選択で悩んでいること、です。
意外にも人は、たくさんの選択肢で悩むことは少ないものです。むしろ、選択肢が多いというのはうれしい悲鳴というか、贅沢な悩みなのかもしれません。(その場合は、価値観に従い、優先順位をつけるとよいです)
たったひとつのもの(人)を失うようなこと、あるいは、それを得られないこと、そして、今述べたように、ふたつの選択肢の間で悩んでしまうこと、これが、分析すると、当てはまるパターンとして多いのです。
そうしますと、悩みの解決法は、実はシンプルになってきます。
構造的なアプローチと言いますか、そういう視点で見た場合、ひとつのことにこだわるか、ふたつのものの間で選択に悩むかというケースが浮かび上がります。
前者は、自分と対象(得たいと思うもの)の関係で、結局、得られるか得られないかのことになり、後者はそのまま、ふたつのうち、どちらを選ぶか(選べばいいか)のことで、それはどちらも、二者葛藤の構造にあると考えられます。
単純な白黒の図で書きますと
〇得られる ●得られない
〇を選ぶか ●を選ぶか
というものです。
そして、ここが大事なところですが、〇と●は並列の横並びの位置にあります。
もし、ここで、違う位置、つまり縦位置に「ある図」描くとしましょう。
※
〇 ●
※印の位置です。
※印の位置は、〇と●とは異なり、別の空間と言いますか、縦位置にあります。
ここにも実は隠れた選択肢があるということです。しかしながら、ふたつの構造の悩みに陥っている人には、それが見えません。
→ 〇 ● ←
ここでの矢印は、たとえ、別の方向であったとしても、〇と●と同じ並列の位置から見ているので、この人には、〇か●(逆方向だと●か〇、どちらにしても同じこと)しか選択肢が見えないのです。
けれども、※印の視点になれば、〇か●は、質として、同じ選択に見えてきます。言ってみれば、どちらも同じ、あるいは、どちらでもないみたいな感覚です。
右の人(道)がよいのか左の人(道)がよいのかとずっと悩んできて、ある日、ふと、どちらの人でもないんだとか、自分一人でもできる(一人でもいい)んじゃないかと気づくようなことです。
道の例えをしましたので、それをさらに使わせてもらうと、ある人が、道を進んで行くと、やがて左と右に分かれている分岐点に来たとします。
そして、自分の道は左に行けばよいのか? 右に行けばよいのか? と悩んでしまいます。目的地に行くためには、どちらかの道しかこの人には見えないので、悩むわけです。
ここに立体次元を導入します。そうですね、ヘリコプターでも登場させましょうか。(笑)
ヘリコプターがやってきて、びっくりしている間に乗れと言われて乗り込むと、ヘリは空に舞い上がりました。その人が上空から下を見ますと、右の道も左の道も、最終的には同じ場所につながっているのが見えました。
あるいは、右と左の道が、それぞれ別々の方向に進むのが見えても、広大な範囲で言えば、遠回りになっても、ほかの道にも続いていて、やがて目的地には必ず着くというのがわかります。(巨大な地図で見るようなもの)
もちろん、有限な時間(と場所)の中では、効率よく選択しなければならないという制約はあります。すると、右(あるいは左)でなければならなかったという理由も出ます。
しかしそれとても、そもそも論までになりますと、あなたがなぜその目的地に行かねばならないと思っているのか?ということに行き着き、ここにも二者構造の問題が出てきて、違う視点(可能性)に導かれるきっかけが出ます。
さて、ヘリコプターも、ある意味では道です。上空の道とでも言いましょうか。
これは、先ほど述べた「同じ並列の間(世界)」では、絶対出て来ない(見えてこない)道です。
つまり、次元やレベルが同じ位置にあると、悩みからはなかなか出られないということです。出られるにしても、結局、同じ次元の選択肢を無理矢理選ぶか、限定された時空間での効率選択になる場合がほとんどです。(そしてそれは錯覚の出口でもあります)
限定された時空間の効率選択とは、言い換えれば、お金とかモノのあるなし、三次元的(物質)損得、あるいは感情・欲求(低次人間性)をただ満たすような選択基準になるということてす。
現実・三次元感覚で多くの人が生きている限り、実際に仕事などの納期、効率性などにおいて、同じレベルの間で、限定された時空間の効率選択をしなければならないシーンは確かにあります。それはそれでいいと思います。
しかし、すごく悩んでしまうものについては、その効率性や損得的な見方をしていると、同じレベルでの選択肢しか見えて来ないので、次元やレベルを超えた選択肢・方法の視点を獲得することができにくくなります。
新しい視点を獲得するということは、つまりは次元の上昇を意味しますから、あなた自身が新たにシフトを起こし、まったく問題や解決の意味合い・視点も変わり、今まで気づけなかった資源、選択肢が多数出現し、生き方は今までより、とても楽になるはずなのです。
こうした縦の新たな次元・視点をもたらす構造は、マルセイユタロットで頻繁に描かれていることであり、特に、「恋人」や「運命の輪」には顕著です。
このような視点の必要性は、個人だけではなく、今、世界で起きている問題についても言えます。
今までの経験や知識に頼れば頼るほど、同じレベルの間での選択肢しか見えません。脱出や解決法が皆目わからないみたいなものです。
本当に買い物に今走らねばならないのか?、買うにしても、思っているもの以外で、代用したり、生きる糧にしたりできるものはないだろうか?
これまでと同じ生活、生き方をトレース・イメージすればするほど、不足におびえ、恐怖と不安は増します。
生き方をシフトしていく勇気と気概、そして月並みに聞こえかもしれませんが、本当に「愛」(他人愛だけではなく、まずは、エゴではない本当の意味の自己への愛)が試されてくるでしょう。
質問の受動と能動、自他の救済
タロットにおける質問について、今までも何度か書いておりますが、ここで、今の時期に特に重要だと考えられますので、タロットへの質問をネタにしながらも、人生における質問・問いについても言及したいと思います。
私の中で、タロット占いとタロットリーディングの違いを決定的にもたらせているのは、「質問」と「それに答えるタロットの読み方」にあると考えています。
占いは、一言で言えば、「どうなる?」「(これ・あれ、あの人は)どうなの?」みたいな質問と、それに答える方法でしょう。
そして、リーディングは、「どうすればよいか?」「どう考えればよいか?」というような問いと、それへの回答と言えるかもしれません。
言わば、状況推移(予測)や運勢の流れのようなものを見て、それを基準に選択を示すみたいなものが(タロット)占いで、タロットリーディングは、過去から続く要因を探り、未来の予想も立てますが、今、どうすればよいかを「創造」していくものと考えられます。
ですから、占いはどうしても運命論的にならざるを得ませんが、リーディングはストーリーを創るという点もありますので、自分が運命を創る、変えるみたいな観点になって行きます。(たとえ大元の運命のようなものがあっても、その範囲での自由意志や選択、創造があると見ます)
タロットカードをどう読むのかは、もちろん、カードの意味を知ることが大事ですが、その意味をどう解釈するのか応用するのかにもよりす。
それが、実は質問によって左右されることが、意外に知られていません。
「どうなる?」という質問をすれば、当然、「こうなる」というような答えになりますし、「どうすればよいか?」という質問ならば、「こうして行こう」「このように考えよう」というように、能動的・創造的になれます。
これは、人生における私たちの態度にも関わってきます。
受動的にただ、運命に翻弄されるかのように、何か問題やピンチが起きた時に、「どうしよう」「どうなるんだろう・・・」と思う(自問自答する)より、「これは(深くは)何の意味があるのだろう?」「どんなことを私に学ばせようとしているのか?」「どうすればこれを乗り越えていくことができるのだろう?」と問うほうが、波をコントロールして、創造的に生きていくことにつながるのは明確です。
ただし、私も弱い人間ですので、「うわー、どうなるんだろう・・・」と先を心配したり、不安になったり、未来の推移・予測をただ見たい、知りたいと思ったりする感情はあります。むしろ、人よりそれは強いかもしれません。(苦笑)
ですから、必ずしも、受け身の質問が悪いわけではなく、それは当たり前の人としての気持ちだと認めることも大切です。
その意味(人間的欲求や感情に応えるため)では、時には占いをしてもよいかと思います。
しかし、未来予測なんてものは確実でもないですし、皆さんももう薄々わかってはいると思いますが、未来の選択肢、ゲーム・アニメ的表現で言えば「世界線」がたくさんあり、ぞの世界をどう選ぶか(創るか)は、ある程度(と言うより、かなり)自由があるということです。
過去・現在・未来と時間は流れますが、本質的には時間はなく、すべてが今にあると言われます。
そうすると、今をどう思うか、どう行動するかで、未来も(過去も)、今現在のここに集約的に「運命の輪」があると言え、その輪を回すことができるのは、ほかならぬ自分自身でもあるのです。
「運命の輪」をどう回すのかによって、まさに世界線、これからが(過去の認識も)変わるのです。
今の混乱にある世界の中で、悲惨で望みのない、あるいは前のまま何も変わらない状態に戻ることをひたすら思っても、それは受け身に、ありもしない、でも自分が強く不安として願うと実存してくる「運命」に身を任す、犠牲することと同じだと言えます。
過去・現在・未来という時間の流れを反転するか、今に集約されていると見てください。
不安や恐れは、これまでのパターン・型が「過去→現在→未来」と続くと思っているから、出てくる「根拠」なのです。
その根拠は通常の時間軸の流れにありますが、反転したり、今に集約したりすれば、根拠は揺らぎます。
いい意味で、どうなるかわからない、のです。そんなところなので、占いをしてみても始まりません。
だからこそ、どうするのか、どう意味を考えるのか、自分にテーマが与えられていると見てみましょう。
できることは限らていても、あなたが通常の時間軸に囚われた根拠から導く不安や恐れ、迷いから自分を解放し、未来へ向けた新たな希望、生き方、世界へのよい意味での変貌を創造(想像)していくことで、今この時から、あなたと世界の、まさに「世界線」は変わっていくのです。
一人一人は救済者になれるのです。あなた自身を救えば、それは他人を救うことと同じになります。
そのためには、最初の「どうなる?」という質問から次第に抜けて、どうすればよいか、どう考えればよいか、何を教えてくれているのだろう、何を学ぶのだろう、ここからどう希望とよい変化を見い出せていけるだろう・・・というような質問に進歩させましょう。
これができなくても、「どうすれば自分を助けられるだろう?」でもいいのです。
もっと極端に、「どうすれば助けてもらえるのだろう?」でもいいかもしれません。
一見、依存的ではありますが、つまりこれでも、助けをただ待つ姿勢(得体の知れない運命に任せること)から、助けを求める、協力し合う、解決策が見つかる、他人も助けられる、みたいな、能動的に自力を動かし、他力と合体し、新たなものが生まれる流れになる可能性があるのです。
講座・セミナー受講の選択・心構え
自己啓発とか成功を目指す的な講座に出る人は、その講師の人、先輩方から「こんな風にすばらしい私になれるんです」とか、「こんなすばらしい世界があなたを待っています」など、聞かされることもあるかと思います。
自己啓発系・成功系だけではなく、たとえば、私の業界とも言えるタロット関連の講座でも、「タロットができて、自分も他人も変わります」とか、「以前の私(講師・受講生)はこうでしたが、今は講座を受けて、経済的にも精神的にもすごく充実してます」みたいな触れ込みを見る人もいるでしょう。
当然の話ながら、何のために自分がセミナーや講座を受けるのかを考えれば、受ける自分が今よりも向上したい、よくなりたい、知識や技術をさらに身に着けたいという思いからなので、講座を提供する側も、どんなメリットが、この講座を受けるとあるのかを明確にしたほうがよいわけです。
もし数値で効果やメリットを表すことができるものならば、そうしたほうが明確で、成果保証みたいなことも提供側からつけることも可能になります。
例えば、コンサル講座的なものであれば、あなたの売り上げ何パーセント上げますとか、月収〇〇万にしてみせます!みたいなものです。
けれども、全員が全員、講座のキャッチコピーみたいな効果や成果が得られるとは限りません。どんな講座やセミナーも、参加者に100%の効果・保証を約束できるものはないでしょう。
それだけ、人には個性があるからで、言ってみれば、完全なる普遍的な法則はないと言えます。
ただ、それでも物理法則とか、どんな人にも適用される普遍的なものはこの世にはあることはあります。しかしながら、いわゆる教える系での、全員が必ず同じになるような完全法則はないと言えるでしょう。
これは結局、教える内容よりも、教えられる人の気持ちやメンタルに左右されるからだと言えます。
行動ももちろん、目的達成や効果が出る出ないに関しての大きな要因ではありますが、結局、行動を規定しているのも、その多くは個人のメンタルや精神性にあると思えますから、つまるところ、個人個人の心によって、ほぼほぼどんな法則も変わってしまうところがあるわけです。
ここに教える系の講座やセミナーの難しさがあります。
それから、誤解している人もいると思いますが、教える講師や、そのセミナーの卒業生たちが、全員言われているような効果を出したり、目的を完全達成していたりするわけではないということです。もちろん教えられている内容には自信や効果は、それなりにあるからやっていることで、効果がないというのではありません。
ここで言っているのは、人間性とか、そういう面も含めて、トータル的に成長しているかどうかはわからないということです。(技術と人間性は別のところもあります)
わかっている人はいいのですが、セミナーとか講座は、ある目的とかある技術を教えているだけであり、すべてがうまくい行くとか、総合的に人間性が向上するという教育をしているのは(あるにはありますが)少ないのですから、特定の分野については上がっても(よくなっても)、全体・すべてがうまく行くようになるとは限らないのは当然です。
よい講師はそのことはきちんと伝えていると思いますが、悪徳なセミナー・講師の人は、「この講座のこれさえ学べばすべての問題は解決し、あなたはあらゆる望みが叶えられ、幸せになれる」と豪語しているところもあります。こういうものは、洗脳に近い形式を取っているところもありますので、注意が必要です。
ですから、セミナー・講座を受ける側も、自分は何のためにそれを受けるのかを今一度明確にするとよいです。
経済問題を改善するためとか、仕事のある技術を学ぶためとか、この職業に就くためのある資格を取るためとか、人間関係をよくするためとか、生き方とか創造性についてアイデアを得たいとか、第二の人生のための趣味や生き甲斐を持ちたいとか・・・まったくの無目的、漠然とするより、少しでも何のために受講するのかの目的を自覚させておくことです。
実際には、受講する講座が必ずしも、当初の目的に適う(叶う)ものではないかもしれませんが、目的をはっきりしておけば、自分にとって重要な部分とそうでない部分もわかりますし、最悪、途中キャンセルして学び直すこともできます。
逆に、目的が受講中に変わって(その目的よりもっと大きなものとか大事なものが見つかるなどして)、新たな自分を発見することもあるかもしれません。どちらにしても、やはり目的を意識していたほうがいいわけです。
あなたが選ぶ講座やセミナーの講師の方は、その(教えられている)道ではすばらしいと思いますが、講師も人間ですから、完璧ではありません。
講師に尊敬はあっても、幻想を抱きすぎたり、その方に何とかしてもらおうと、依存性を持ちすぎたりするのは危険です。
自己成長どころか、マルセイユタロットで言うところの「悪魔」につながれた人物のように、成長が止まってしまうおそれもありますし、次々とその方の別の講座を受講するようになり、気がつけば、大金を失っているという事態もあります。
ここでも自分をしっかり持つことが大切で、誘われるがままに次の段階の講座や、その組織や講師がやる別セミナーを受けることには注意し、何の目的でそれを受けるのか、どういう自分になりたいために、それを受講するのかということを自己に問いかけ、精査することがいります。
よい講師の人は、おそらく、依存性が高くなっている人には、注意を促してくれて、自分が受けたいと言っても、「あなたはその段階にまだいませんよ」とか、やんわり断るか、時期を待つように指示してくれるでしょう。
講師から自分は避けられていると思って悩んでいる人は、講師や講座自体にあまり傾倒し過ぎて、自分自身や本来の目的を見失い、依存が高くなっていないか、自分で振り返ってみるとよいでしょう。講師の人はそれに気づいていて、あえてあなたから距離を取っていることもあるのです。
逆のパターンとして、何も行動しなかったり、講師から言われたことをやらずに、文句ばかり言っていたりする人、「効果が出ません、内容が悪いのでは・・・」と批判するような人(ただし、正当な要求とか批評はよいもので、それが言える雰囲気も大事です)も、講師から見ると、困った人になるますから、避けられているところもあるかもしれません。
カリスマ的で、強い自分を持ち、絶対の効果を謳っているような講師とかセミナー、そういう人・講座こそ、それだけ強烈な輝きを発しているので、魅かれてあこがれて入る人も少なくなく、受講生の中に、依存や虜になってしまう人もいます。
漫画・アニメの言葉で恐縮ですが、ブリーチ(BLEACH)という作品で悪役ではあるのですが、なかなかの言葉を吐く人物がおり、この者が、「あこがれは理解からもっとも遠い感情だよ」と言い放つ場面があります。そういうことなのです。(しかしあこがれが必ずしも悪いものではなく、それがあるからこそ、向上したり、努力ができたり、モチベーションを保ったりすることもできます)
それでも、すごい講師の人は、やはりその分、技術や知識もすごいので、望む結果をあなたにもたらす確率も高まることでしょう。人気になるのも、それだけの理由があるのです。(ご本人の努力、意識の高さも常人を超えているはずです)
ちなみに・・・私はまったくそのようなタイプの講師ではありません。(苦笑)
講師として、日々、向上はもちろん思っておりますが、私自身が完璧な人間どころか、どちらかというと体力も精神も弱い部類の人間で、不安神経症とかパニックとかうつとかも起こした人物です。
形式的には、私がタロットを教えるという形にはなりますが、精神・本質としては、むしろタロット自体が教えているという感覚です。
もっと言えば、マルセイユタロットにある智慧とか精神とか、示唆する神性(完全性)が教えているのであり、そはれ受講される皆さんの中にあるものです。
私は人としては自己浄化も自尊もままならない、物質的にも精神的にもまだまだ弱い人間ですが、マルセイユタロットの象徴性を借りて、自分と受講性とのあいだに宿る神性の力によって、気づきと自己の成長の道、象徴的にいえば光をもたらすことをしています。
タロットを習ったからと言って、すぐに経済やメンタルが豊かになるわけではなく、引き寄せや願望が叶うテクニックを教えているのでもありません。
何度もいうように、私自身にカリスマ性や特別な力はありません。普通の人より、むしろ脆弱性を持つ人間です。
そんな私だからこそ、下から目線ではないですが、人の気持ちがわかるところもあります。意識高い系や成功系の人たちのように、ひたすら自分を磨き、弱音や愚痴は吐かず、使う言葉、行動に注意して、すばらしい生活と人間であろうとするタイプてにもなれませんし、そのようなことを押し付ける気持ちもありません。
例えば、今の世の中の状態でも、ピンチはチャンスだ!と切り替えられるような強さはなく、やはりこの先の不安とか、いろいろと人としての当たり前の気持ちが出てきます。
それでも、マルセイユタロットの(教えの)おかげで、こんな私でも、気持ちを少しでも安定させたり、人様に、タロット通して成長していくこと伝えることが、なんとかできるのです。
言ってみれば、私は、自分自身が光となって輝き導くタイプではなく、皆さま自身にある光源を在りかを、一緒になって探して、灯をともす作業を地道にしていくというようなタイプです。まるで地味な作業員みたいな者かもしれません。(笑)
「そのことについては・・・えーと、ちょっと待ってください・・・(とマルセイユタロットを出して調べ)・・・こんな風に考えてみてはいかがですか?こういうやり方もありますね」
と皆さんを、指導と言うより、示唆をマルセイユタロットを通して提供していくような感じです。こんな講座で、講師なのです。(苦笑)
それでも私は思うのです。あなた自身の中に、そして私の中にも、すばらしいものがあります。
これからの世の中、確かに今はネガティブなものの想像も多いかもしれませんが、マルセイユタロットを通してあなたの中にある完全性を少しずつ開花していくことにより、ネガもポジもない状況へと導いていくことになると思います。
世の中が変わるのではなく、あなた自身が変わるのです。いや変わってきたからこそ、世の中に変化が大きく出て来たのです。
すごいものを確実にあなたにお見せするような能力は私にはありませんが、一作業員として、一緒にあなたとともに、この世とあなたの自身に光を復活させたいと思っています、それがあなたの強さ、ひいては私の強さにもなっていくのです。
